「ああ、これじゃあ異臭がきつくて、食せないそうだね。無念で残念」
ロゥガは討伐記録へ印をつけながら肩を落とした。せっかく倒したディプロトドンたちだが、臭いのトラップのせいで肉が食えたものではなくなってしまった可能性があった。
「げー、まだこの不快感残ったままか」
「美味はまた今度ですね」
ララクも少し残念そうに頷く。古代モンスターの肉には興味があったが、迷宮の奥深くで解体して持ち帰るには現実的ではなかった。
「であれば、先に進むしかないですかね」
「かな。私は、他にも討伐しなければいけないモンスターが1体いる。どうやら、その多くは、この迷宮を巣にしているようでな。人にとっては有害極まらない場所らしいが、棲みやすいモンスターは意外といるそうだ。先を急がせてもらうよ」
こうしてロゥガが歩き始めた時だった。
ドン。ドン。ンドンドン。
迷宮の奥から重い音が響く。岩壁が微かに震え、足元へも振動が伝わってきた。
「この音、どこかで似たようなの聞いたことある」
ゼマが耳を澄ませる。そして数秒後、何かを思い出したように目を見開いた。
「ドラミング? ゴリラがいるでしょ。ゴリラ!」
「猿型モンスターなら、討伐対象の種族かもしれない」
ロゥガは即座に走り出した。
「どうする? イジネちゃん。 迷路だから、指針があるわけじゃないし、あの人について行ってみる?」
「腹を満たすのは先になりそうだし。ロゥガさんの背中、いや、ケツ? 追っかけよう!」
結局全員で後を追うことになる。複雑に枝分かれした通路を駆け抜けるたびに、音は徐々に大きくなっていった。湿った空気が肺へ入り込み、壁面を照らす【ライトファイヤー】の光が揺れる。
そして辿り着いた先で見えたのは巨大な猿ではなく、まず狼人の老人だった。
鍬を握ったまま尻餅をついている。
「キエェ! 兵士じゃなきゃ無理なのか!」
悲鳴混じりに叫ぶ老人の前方には、異様な威圧感を放つモンスターたちが並んでいた。
身長は3メートルを超える。
全身を黒い体毛で覆い、腕は膝どころか脛近くまで伸びている。肩幅は異常に広く、握り拳だけで人の頭ほどの大きさがあった。その姿は巨大なゴリラそのものだったが、瞳には獣だけではない知性が宿っている。
ロゥガは懐から紙を取り出す。
『中位任務 ギガントピテクスの調査』
農作物などを盗んでいるギガントピテクスが近くに存在していると確認された。
まだ決定ではないが、最近非常に勢力を伸ばしている可能性がある。
調査されたし
目の前の巨猿たちと依頼書を見比べ、ロゥガは確信する。
「ギガントピテクスか」
その巨体たちは老人へ敵意を向けているというより、食料を見るような目をしていた。畑の作物も人間も同じ枠組みで認識している。だからこそ恐ろしい。
「ぎゃ、こいつ人食いかよ」 ゼマが顔をしかめる。「猿のくせに、木の実食ってろって」
「それが原因で絶滅しそうになったらしいよ。」
イジネは待ってましたと言わんばかりに解説を始める。
「植物が足りなくなったからなんでも食える、えっと、【完全雑食】っていうスキルを持ってるらしい。だから、あのでっかい口で人を飲み込んじゃうんだよ」
改めて口元を見る。草食獣のような歯並びではない。噛み潰す歯も裂く歯も混在し、生き残るためなら何でも食らうという執念が形になっていた。
「……雑食がゆえに、不快な感覚は気にならないそうだな」
ララクが、ギガントピテクスがここに存在できる理由を考察した。不味さも臭いもさほど気にならないのかもしれない。
その隣では知識を披露し終えたイジネが満足そうに胸を張っていたが、その説明によって目の前のモンスターがさらに危険に見えるようになったのは間違いなかった。
「民間人の安全は、私が保障する!」
ロゥガ・ロゥが特殊な形の武器ノコディップを構えたまま前へ出る。ギガントピテクスの1体が老人へ覆いかぶさるように腕を振り下ろした瞬間、その間へ滑り込んだ。中央と根元が膨らんだ独特の刀身を持つノコディップで巨腕を受け止めると、岩が砕けるほどの衝撃が足元へ走る。
それでも狼人の兵士は退かない。空いた手で腰の補助武器を抜き放ち、炎を纏わせた刃で首筋を薙ぐ。赤橙の火花と血が飛び散り、傷を負ったギガントピテクスは唸りながら後退した。他の個体も警戒して足を止め、その隙に老人が悲鳴混じりの怒声を上げる。
「なぜこんな危険地帯に民間人のあなたが?」
「おめらが仕事しねえからだろう! ずっと出してんのに、なかなかちっとも進んでねえっていうからな! 俺が張り出してきたんだろう!」
「うっか。それは申し訳ない。だが、ようやく到達した。これからは任せてほしい。兵士を信じてほしい」
「……っけ、あぁんたがそう言うなら任せるよ。もう、怖い怖い、怖いよ」
老人が逃げ去ったあと、ララクはその背を見送りながら呟く。
「なるほど、これが、あなたがノルマ以外のクエストをやる理由ですか。手が回らなかったら、人々は自分の手でどうにかしなきゃいけない。それが被害者数。そんな、兵士が意味をなしてないのに等しい」
「だから私が300人分にでもなってもこなしてみせる。
ララク、くん。君の戦力ならたやすいはずだ。また共闘して欲しいが」
「ゼマさんやる気なんで、混ぜてもらいます」
「たまに人をぶん殴りたくなる時があるでしょ? けどそれやったら犯罪じゃん? けど、猿なら問題なし」
「うえー。武闘民族ってかもう、蛮族の考え方してるね、ゼマねえ」
そんなやり取りを遮るように、迷宮の壁面へ次々と魔法陣が浮かび上がった。腐った果実を押し付けられたような悪臭、金属を引っ掻く不快音、視界を乱す明滅。五感を襲う罠が連続して発動する。
しかし暗闇の奥から現れた古代種たちは意に介さない。丸太のような胴体を持つ若いディプロトドンの群れ、嘴の大きな古代鳥、壁を這う大蜥蜴に似たメガラニア、巨大昆虫の群れ。どれも悪臭にも轟音にも反応せず、当然のように迷宮を歩いてくる。