第12巻   作:高見南純平

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第528話

 ロゥガが投げ飛ばした武器をすべて回収し終える頃には、周囲は完全な戦場跡と化していた。ジガントピテクスの巨体が岩壁にもたれかかるように倒れ、その周囲には従えていた古代モンスターたちの死骸が幾重にも積み重なっている。焼け焦げた毛皮の臭いと血の臭気が湿った洞窟の空気に混じり合い、足元には折れた牙や砕けた岩片が散乱していた。

 

「これであの老人も満足していただけることだろう」

 

ロゥガは回収した武器を順番に腰へ戻しながらそう言った。

 

「どうですか、これでノルマ達成できましたか?」

 

ララクが尋ねる。

 

「うん? ああ、これもノルマ外のリクエストなんだ」

 

「え?」

 

「時間がない。時間の前借りというものはできないんだね」

 

狼人の兵士は心底残念そうに肩を落とした。その様子は英雄というより、終わらない仕事量に追われる働き者そのものだった。

 

「いや、それかなり深刻なやつじゃん……」

 

ゼマが呆れ半分で呟いた、その時だった。

 

迷宮全体が低く唸る。

 

ゴゴゴゴゴゴッ、と岩盤同士が擦れる不快な振動が足元から伝わり、天井から砂粒がぱらぱらと降り注ぐ。

 

「おい、まだなんかあんのかよ」

 

「もう、ボクら結構疲れましたよ」

 

ララクもさすがに苦笑する。

 

だが異変は始まったばかりだった。

 

頭上の岩盤に亀裂が走る。

 

一本ではない。蜘蛛の巣のように広がったひび割れが迷宮の天井を這い、その奥から銀色の液体がじわりと滲み出してきた。光を受けて鈍く輝くそれは水ではなく、粘度のある金属そのものだった。

 

ロゥガの瞳が鋭くなる。

 

「水銀……!」

 

短く呟いた直後、銀色の液体から薄い靄が立ち昇り始めた。

 

「危険だ!」ロゥガが叫ぶ。「水銀ガスだ! 猛毒だ急げ! 避難!」

 

空気が一変する。戦闘中よりも切迫した声だった。

 

全員が即座に走り出す。

 

「何何何!? 上で何が起きてんだか!」

 

ゼマが先頭で駆けながら叫ぶ。

 

「少し待ってくれ。調べる」

 

ロゥガは走りながら背負い袋から大量の任務書を引きずり出した。分厚い紙束が何十枚も重なり、その中から目当ての一枚を探し出す。

 

「これか」

 

広げられた紙には簡潔な文面が記されていた。

 

【中位任務・有毒ガスの原因追及】

健康被害を出しているというガスの出どころを確認したまえ。

 

「もしかして、これもまたノルマ側のクエストですか?」

 

「ああ。まだ死者は出ていないみたいでな。早急性はないと判断されたようだ」

 

そう答えながらもロゥガの眉間には深い皺が寄っていた。

 

「だが、水銀ガスならばかなり凶悪。早急に対処しなければ」

 

「そう、それじゃほっとけないですね。迷宮攻略からは離れちゃうけれど、お手伝いするのはどうかな?」

 

ララクが、今回の依頼主というか主軸となるイジネに尋ねる。すると少女は大きく伸びをした。

 

「いいよいいよ。もうだいぶね、今日の分のレポートはね、もう十分すぎるほどあるから。外の空気、吸いたくなってきた」

 

味覚攻撃、悪臭、轟音、寒暖差、モンスターの群れ。その上で猛毒ガスである。

 

さすがの記者少女も少しうんざりしているらしかった。

 

「おーし、今度は?」ゼマがクリティロッドを肩へ担ぐ。「水銀野郎をぶっ飛ばすってか?」

 

「相手がガスだったら殴れない可能性もありますよ」

 

ロゥガは任務書をしまい込み、銀色の靄が流れ出している迷宮の奥を見据える。五感を狂わせる罠、生態系の異変、そして今度は有毒ガス。不可攻略と呼ばれる理由が次々と姿を現していたが、それでも誰一人として引き返そうとは言わなかった。

 

それぞれが武器を握り直し、重く淀んだ空気の奥へと歩き出す。原因を突き止めなければ、この迷宮はさらに危険な姿へ変わっていく。そんな予感だけが、全員の胸に共通して存在していた。

 

まだ、4人を阻むものがいた。

 

モンスターではない。迷宮の妨害でもない。出口へ続く通路の先に、1人の兵士が立っていた。

 

女性である。

 

ジャケットと鎧を組み合わせたような装備は機動力と防御力を両立させた実戦仕様で、左側の顔だけを覆う小さな防具が鋭い印象を与えていた。武器は見当たらない。だが、その堂々とした立ち姿だけで十分な威圧感がある。狼人特有の耳が頭上から伸び、その視線は一直線にこちらを見据えていた。

 

「とどまれ、働きざかり」

 

低く響いた声に、ロゥガが即座に足を止める。

 

「……なぜお前が」

 

「お前の仕事を正しに来たんだ」

 

互いに迷いなく言葉をぶつけ合う様子から、顔見知りどころではない関係だと分かった。

 

「……あの方は、また、一般の方ではなさそうですよね。兵士さんですよね」

 

「まーでもここまで来たってことは、それなりに覚悟があるやつだよね」

 

「んー? っあ、 あの人は、ウロアさんだよ。ウロア・ロゥ」 イジネはすぐに思い出す。やはり家族ぐるみの付き合いがあるようだ。

 

その名前を聞いてララクはすぐに察した。

 

「あ、名前に共通点があるってことは、ロゥガさんの姉妹ということですか」

 

「ああ、私の1個上の姉だ。同じく兵士をしている」

 

「うーん。この国は兄弟が多いね」ゼマが感心したように言う。「兄弟ってなー、面倒いけど。いや、結構面倒いけど。なんか、たまに会いたくなるよね」

 

「ゼマさんは7人兄弟の長女でしたっけ」

 

「最近は全くあってないけどね」

 

「うーん。一人っ子のボクは、気持ちがあまり理解できないかも」

 

その瞬間だった。ピクリとウロアの耳が立つ。

 

「ふん。よそ者が。一人っ子とは、この国じゃ、迫害の対象だろう。兄弟姉妹のありがたみを知らねえ奴ってな」

 

「……その発言は、結構イラつきますね」

 

ララクは珍しく即座に苛立ちを示した。

 

「両親はこんなボクを、ここまで育ててくれたんだ。家族の数は関係ないでしょ」

 

ロゥガの姉というウロアは鼻で笑うだけだった。

 

「はっ。一般論だよ、一般論。この国なら」

 

そう言ってララクから視線を外し、今度はロゥガだけを見る。

 

「他のやつの兄弟なんて興味ないね。そう、興味あんのは、気にかけてるのは、おめえだよ、ロゥガ」

 

ロゥガは深くため息を吐いた。

 

「お人よしのタイムリミットは終了だ。もう時間わずかしかねえぞ。それを優先して終われ今日は」

 

「……私の事情を知ってるのか。ここまでつけてきたと? そんなに暇なら、他に任務をこなしたらどうだ」

 

「ああ? ノルマだけやって終わりだよ。ノルマっていうのは、クリアしたらなんの文句も言われねえだろ。ちゃんと、凶悪強力な受注のモンスターを解決したよ。それでいいじゃねえか。それで帰りに、つまみとアルコールぶちまけて、終了だろ」

 

あまりにも堂々とした言い分だった。だがウロアにとっては、それが正しい兵士の在り方なのだろう。

 

そして彼女は一歩前へ出る。狭い通路の中央。完全に道を塞ぐ位置へ。

 

「引き返せ。自分の責務だけ真っ当しろ」

 

水銀ガスの発生源へ向かう道は閉ざされた。モンスターでも、迷宮の罠でもない。同じ兵士でありながら真逆の価値観を持つ実姉。

 

ウロア・ロゥが、自らの意思でロゥガたちの前に立ちはだかっていた。

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