「ノルマ外労働は拒否したいが、征伐するか~暴獣を」
ウロアは迷いなく視線をデイノスクスへ向けた。先ほどまで殴り合っていたララクなど完全に意識の外へ追いやり、兵士として危険生物を排除するためだけに獣の瞳を細める。迷宮には吐き気を誘う臭気が漂い、水銀ガスが薄く流れ、味覚を狂わせる罠まで作動しているというのに、その判断だけは一切鈍っていなかった。
「力添えしましょう」
ララクも即座に応じる。
「あたしへの恨みは、もう解消か?」
「もともと微々たるものですよ、ひとり子の件は」
「なら、あたし以上に働けよ。【刺突】」
ウロアが腕を振り抜くと、握っていた【アイシクルランス】が轟音と共に射出された。【アイシクルフォース】の影響を受けた氷槍は飛翔中にも巨大化し、周囲の冷気を巻き込みながら白い軌跡を残して一直線に突き進む。それに合わせてララクも炎を纏う【灼牙剣フレアファング】へ雷を重ねた。
「【ライトニングスラッシュ】!」
刀身へ青白い稲妻が走り、赤熱する炎と絡み合う。火花を撒き散らしながら回転する剣をそのまま投擲すると、氷と炎雷、2つの武器が挟み込むようにデイノスクスへ迫った。
「投擲は家系の伝承技ですか?」
「偉大な兵士先祖からのな」
だが当たらない。通路を埋め尽くすほど巨大な体が、不自然なほど滑らかに反り返った。首が横へ流れ、胴体が沈み、背中が波打つ。巨大な鰐の肉体が粘土細工のように歪み、避けられるはずのない挟撃をするりと回避する。氷槍は岩壁へ突き刺さり、炎剣は天井を抉って爆ぜた。
「!? あの質感は……【軟体】!」
「巨物のくせに柔軟かよ。いや……スケールが巨大だからこそか……?」
ウロアの推測は正しかった。デイノスクスは大きすぎるが故に生存競争で不利になった古代生物だった。敵の攻撃を避けられず、獲物も逃しやすい。その欠点を克服するため獲得したのが【軟体】。骨格も筋肉も内臓も柔軟化し、巨大な体そのものを自在に変形させる進化を遂げていた。今やその肉体は鰐の姿を保ちながらも別種の生物に近い。首はあり得ない角度まで曲がり、胴体は水面の波のようにうねり、尾は巨大な鞭となって空間を裂く。
黄色い瞳がぎらりと光る。巨大な顎がゆっくりと開き、その奥に並ぶ牙の列が姿を現した。欠けていた部分では肉が蠢き、白い牙が音を立てながら伸びていく。
【牙再生】。
根元から生えたばかりの牙は血に濡れたまま成長を終え、次の瞬間には発射態勢へ入る。何十本もの牙が震え、獲物へ向けられる。
ララクとウロアは同時に構えた。
水銀ガスが漂い、五感を狂わせる迷宮の罠が休みなく襲い続ける中、その中心には上位任務級の古代捕食者がいる。再生した牙が一斉に軋む音を響かせ、デイノスクスは新たな【ファングショット】を放とうとしていた。
それに対してララクは掌を突き出した。
「【ホーミングライトニング】!」
放たれた電光は獲物を見失うことなく追尾し、複雑な軌道を描きながらデイノスクスへ迫る。普通の相手なら逃げ場はない。しかし巨大な鰐は全身をぐにゃりと曲げた。肋骨も関節も存在しないかのように胴体が湾曲し、首が異様な角度まで捻じれ、雷撃は寸前を掠めて通り過ぎる。追尾する電光も執拗に食らいつくが、迷宮内は狭い。方向転換を繰り返した末に壁へ激突し、岩肌を焦がして消滅した。
(接近戦が得策なんだろうけど……この罠だらけの場において、それを警戒する余裕もほしい)
ララクは横へ飛び退く。直後、床から立ち上った異臭の魔力が鼻先を掠め、別方向からは舌を痺れさせる苦味の波動が押し寄せた。さらに耳障りな高音まで反響してくる。敵だけを見ていればいい戦場ではない。デイノスクスへ意識を向ければ罠への反応が遅れ、罠を警戒すれば巨大な顎が迫る。迷宮そのものが敵だった。
「回避性能極振りの相手に乱打は厳禁だろ。大技、数発でしまいにする」
「この迷宮を埋め尽くすほどの、ですね」
「あたしプランは、冷暖だ。合わせられるんなら合わせな」
「同系統の合同発動は、得意分野です」
ウロアが両腕を広げる。
「〈突貫氷槍〉!」
空間を埋めるほどの【アイシクルランス】が生成される。さらに【アイシクルフォース】が発動し、周囲の冷気と氷が槍へ吸い寄せられていった。何十本もの氷槍が融合し、圧縮され、やがて迷宮の通路そのものを貫く巨大な氷柱へと変貌する。もはや槍ではない。攻城兵器にも匹敵する質量だった。
「【刺突】!」
轟音と共に巨大氷槍が射出される。その瞬間、ララクも魔力を解放する。
「【アイシクルレーザー】!」
極寒の光線が氷槍の軌道へ重なりながら一直線に走った。デイノスクスは回避しようとする。粘土のように体を曲げ、壁へ張り付き、天井へ逃げようとする。だが今回は違う。氷槍が通路を埋め、レーザーが壁と天井ごと凍らせる。回避先そのものが消失していた。
瞬く間に巨大な鰐は氷塊の中へ封じ込められる。厚い氷が鱗の隙間へ食い込み、巨体を迷宮へ縫い付けた。その間にも2人は止まらない。
ウロアは大きく息を吸い込む。しかしトラップの影響で舌へ流れ込んだのは強烈な塩味だった。
「……しょっぺぇ! っが、爆熱の息吹だぁ!」
吐き出された熱風が一直線に氷塊へ叩き込まれる。
ララクも顔をしかめていた。
「こっちは酸味……ですが、魔力操作に問題はない! 【サラマンダーダイレクト】!」
炎が集まり、巨大な蜥蜴の姿を取る。灼熱の鱗を纏った炎の魔獣は唸りを上げながら飛翔し、爆熱の息吹へ重なるように氷塊へ突撃した。
直後、凍結と灼熱が正面から衝突する。分厚い氷が悲鳴を上げるように軋み、次の瞬間には爆発的な蒸気が迷宮を埋め尽くした。白煙の中でデイノスクスの鱗が砕け散る。【軟体】による柔軟な肉体も、極寒と高熱を一度に叩き込まれれば耐えられない。再生途中の牙が吹き飛び、装甲のような鱗が剥離し、巨大な肉体が激しく震える。
やがて黄色い瞳から力が失われる。巨体が傾き、床石を砕きながら倒れ込んだ。轟音が迷宮中へ反響し、氷片と蒸気が舞い散る中、上位任務級モンスター・デイノスクスは完全に沈黙する。