泥濘へ変えられた屋上を、青白い装甲の戦闘ユニットが猛然と踏み荒らしていた。発電設備の列が震え、茶色く濁った飛沫が足元から噴き上がる。放たれる魔力弾は逃走経路そのものを削り取るように着弾し、夕暮れの屋上へ次々と土煙を咲かせていた。その中を、黄金の槍を握る若き冒険者と、紫光を纏う黒衣の男が駆ける。互いに同じ方向へ動いていても、それは共闘ではない。ただ同じ追跡者から逃れているだけだった。
ララクは泥へ沈みかける足を引き抜きながら掌へ魔力を集中させる。
「【ウェポンクリエイト】」
黄金粒子が集まり、新たな槍が形作られた。夕陽を閉じ込めたみたいな黄金色の穂先。流線形の柄には微細な紋様が走り、完成と同時に淡い輝きを放つ。
「サンライズスピア!」
創り出した長槍を握り込み、飛来した魔力弾へ突き出す。黄金の穂先が青白い弾丸を貫き、砕けたエネルギーが火花となって周囲へ散った。焦げた臭いが風へ混ざる。
「器用なものだな」 紫光を纏う怪人が横目で呟く。
「近付かれたら終わりですから!」
「合理的だ」
短い会話の最中も、鋼鉄の追跡者は止まらない。泥を踏み抜きながら迫る巨体は、足を取られている様子がほとんどなかった。
「もっと日ごろから運動をするべきだった。体を動かすということは、脳を活性化させることだな……!」
研究者の発想だけではない。その背後には戦闘用人工知能の演算がある。最も効率的に獲物を追い詰める方法を絶えず提示し続けているのだろう。泥に足を奪われながらも槍使いは走り、黒衣の男も紫色の残光を引きながら位置を変える。頭上を魔力弾が掠め、砕けた設備の破片が夕焼け空へ舞った。
青白い巨体は一歩ごとに優位を広げていく。金属脚が屋上を踏み砕くたび振動が足裏から伝わり、魔力レンズの双眼は逃げる2人を正確に捉え続けていた。その姿は獲物を追い立てる機械仕掛けの狩人だった。
泥に沈みかける足を引き抜きながらララクは走る。夕暮れの空は赤みを残しながらゆっくり夜へ沈み始めていた。学祭帰りの生徒や来客たちは校庭や渡り廊下のあちこちで足を止め、屋上で繰り広げられる異様な光景を見上げている。紫の光を体外へ流しながら逃走する黒衣の怪人。その後方では泥を撒き散らしながら鋼鉄の追跡者が迫る。紋章、人間、人工知能。その全てが混ざり始めた結果が、今まさに目の前で暴れていた。
怪人から聞いた話が正しいなら、このまま同調が進めばプロフェッサーは戻れない。機械を操る側ではなく、自分自身が機械へ取り込まれていく。
その時だった。
学院中のスピーカーから激しいノイズが走る。ガガガガガッという耳障りな雑音が屋上まで響き、その直後、荒い呼吸を押し殺そうとして失敗している声が飛び込んできた。
『ララク先生! 聞こえますか!?』
槍を構えたまま鋼鉄の巨体を睨んでいた少年は反射的に顔を上げる。声の主はカライジだった。
『俺たち、さっき廊下でガルアークを見つけまして! そのあと騒ぎを聞いて校庭へ向かったんです! そしたらプロフェッサーが倒れてました!』
放送室では、息を切らしたカライジがマイクへ身を乗り出していた。学院中を走り回ったのだろう。制服は汗で張り付き、額から流れた汗が顎先を伝って落ちている。それでも声だけは必死に張り上げられていた。
一方、校庭では学祭の来客たちから少し距離を取った場所に簡易的な解析スペースが作られている。芝生の上には意識を失ったモドムが横たわり、その頭部には外された接続装置や配線が散乱していた。
レッツタは地面へ膝をつき、ヘッドギア内部の回路を順番に確認している。焦る様子はない。感情の起伏を感じさせない顔のまま、淡々と数値だけを追っていた。
「脳波接続はまだ維持されてる。完全同化までは進んでないけど、数値の上昇速度が普通じゃない。これ、このまま放置したら戻れなくなる可能性ある」
その隣ではサイフウが端末へ視線を固定していた。指先が迷いなくキーを叩き続け、画面上では膨大な脳波データと魔力波形が次々と更新されている。
「上昇継続。止まっていない」
静かな声だった。
モニター中央には赤い警告表示が点滅している。
それは単なる操作精度ではない。プロフェッサーとガルアークが繋がる度合いそのものだった。思考パターン、判断基準、戦闘感覚、そして紋章情報までが鋼鉄の身体へ流れ込み続けている。人間が機械を操る段階を越え、人間そのものが機械へ転写され始めているみたいな危険な数値だった。
放送室のカライジは送られてくる解析結果を読み上げる。
『先生! まだ方法があります! 今、サイフウさんとレッツタさんが調べてるんですが、プロフェッサーとガルアークの同調率が異常な速度で上昇してます!』
屋上の夕風が吹き抜ける。
その風の中でララクは目の前の鋼鉄兵器を見る。
先ほどまで泥を操り、銃撃を行い、人間顔負けの戦闘判断を繰り返していた巨体。
その理由が少しずつ繋がり始めていた。
『しかも上昇速度がどんどん加速してます! レッツタの話だと、このまま続いた場合、プロフェッサーの意識が完全に向こうへ引っ張られる可能性があります!』
怪人も細めた目で鉄の巨人を見据えている。
彼には理解できていた。
かつて自分の身に起きたことと似ている。
人とアークの境界線が消え始めているのだ。
『それと、ガルアークには強制終了機構があります! でもロックが掛かっていて停止できません!』
カライジは荒い呼吸を挟みながら続けた。
『ただ、そのロックを解除して同調率を下げられれば、プロフェッサーを引き戻せるかもしれません! 確実じゃありません! でも可能性はあります!』
その言葉に、ララクの瞳がわずかに揺れる。
まだ助けられるかもしれない。
完全に手遅れではない。
『だから先生! これ以上同調率を上げさせないでください! ガルアークを止めながら時間を稼いでください!』
放送が途切れる。
屋上へ再び静寂が戻った。
沈みかけた夕日が黒衣の怪人と槍を握る戦士、そして鋼鉄の怪物を赤く照らしている。その中央で立つ巨体の装甲には、なおも紋章が脈動していた。人の身体には本来存在するが、機械には決して宿らないはずの力。それが今、鋼鉄の右腕で不気味に明滅している。
ララクは拳を握る。
目の前にいるのは暴走兵器だけではない。
あの中には今もなお、プロフェッサー・モドムがいる。
機械へ飲み込まれながらも、まだ完全には消えていないのだ。