少し離れた場所には、大昔の見張り台が今も残っていた。石積みの塔は半ば崩れ、階段には苔と蔦が絡みついている。それでも最上部だけは人の手が入っているらしく、風雨をしのげる程度には整えられていた。そこへ1人の男が駆け込んでくる。獣耳は持たない。額から伸びた2本の角が特徴的な魔人族だった。
「ファーザー、簡易報告します」
「申せ」
低い声が返る。
見張り台の奥には重厚な椅子が置かれていた。そこへ腰掛ける男は狼人だった。狼の耳が頭上に伸び、全身には古い戦装束が残されている。鎧は錆び、傷だらけになっていたが、それでも長年使い込まれた威圧感を失っていない。
「ガスで撤退を余儀なくされたアジトですが、脅威源だったスミロドンの死亡を確認しました」
報告を聞いたファーザーは窓の外へ目を向ける。遠くではまだ白い煙が空へ昇っていた。
「そうか……だが、自然には息を引き取らないだろう、あの古獣は」
「お察しの通りです。兵士たちが討伐したようです。故に目をつけられた可能性があります」
その言葉に男はしばし沈黙する。やがて肘掛けを指で叩きながら静かに告げた。
「もうあそこには立ち寄れない、とファミリーに伝えてくれ。古代人の施設は居心地が良かったが、失ったことは受け入れよう」
悔しそうな様子はない。ただ事実として処理しているだけだった。
「……今は新たな革命に目を向けるとしよう」
そう言ってテーブルへ手を伸ばす。積み上げられた資料の中から1枚の古紙を取り出した。
羊皮紙には精密な絵が描かれている。
首輪だった。
ただの装飾品ではない。複雑な紋様と魔法陣が幾重にも刻まれ、見ているだけで不気味な存在感を放っている。
「これの情報と現品を得るために、購入費用が多額に必要だ」
ファーザーは首輪の絵を見つめながら続ける。
「……狙うべきは古の財宝。我らがファミリーの躍進のためにな」
古紙の下部には名称が記されていた。
〈マリオネット・チョーカー〉
見張り台を吹き抜ける風が紙を揺らす。
そして誰もいないはずの闇の奥で、まるで何かが笑ったかのように木材が小さく軋んだ。
◇◇◇
後日。再び迷宮を訪れたハンドレッドと依頼主のイジネ・ジィは、以前とは空気そのものが変わっていることに気付いていた。湿った石畳には爪痕や焼け焦げが残り、壁には戦闘の衝撃で生じた新しい亀裂が走っている。それでも、耳を澄ませば以前は絶え間なく聞こえていた咆哮や足音はほとんど消え失せ、広大な迷宮には不気味な静寂だけが漂っていた。
「先日と比較すると、明らかにモンスター数が減少していますね」
ララクが周囲を見渡しながら呟く。
「死体も転がり放題だしな」
ゼマが足元の骸骨を軽く避ける。腐敗しかけた肉塊や折れた牙があちこちへ散らばり、通路そのものが墓場へ変わっていた。
「排除が目的なら、回収は必須じゃないらしいからね~。ほら、ロゥガさん過労してるじゃん?」
その静けさを作り出した理由は明白だった。迷宮からモンスターを排除する存在が急激に増えたのである。ララクたちが討伐した数も多い。そして何より兵士ロゥガ・ロウの存在が大きかった。ノルマ対象は終えていても、害獣同然のモンスターまで見逃さず狩り続けているのだろう。今も別の通路を全力で駆け回っている姿が容易に想像できる。一方で死骸がそのまま残されている理由も、この迷宮ならではだった。五感を襲う罠が至る所で作動するため、回収作業そのものが命懸けになる。ならば危険を冒すより自然に朽ちるのを待つ方が合理的だった。
3人はさらに奥へ進み、やがて行き止まりへ辿り着く。そこは他の袋小路とは明らかに違っていた。床一面には巨大な牙が無数に散乱し、半ば食い散らかされた肉塊や白骨が幾重にも積み重なっている。乾ききって黒ずんだ血痕が岩肌へ染み込み、長年ここが巨大捕食者の巣だったことを物語っていた。
「行き止まり……自体は他にもありましたけど」
「なんか巣っぽいね」
「デイノスクスはここを越えられなかったんだね」
古代鰐型モンスター・デイノスクスは、おそらく近隣の川や森林から迷宮へ入り込み、この場所を住処としていたのだろう。兵士の巡回も届きにくく、侵入者さえ近付かなければ安全な隠れ家だった。
イジネは慎重に巣の奥へ歩いていく。鼻を突く獣臭は強烈だったが、先日浴び続けた異臭トラップに比べればどうということはない。嗅覚が慣れてしまったのか、平然と壁へ近付き、積もった埃を手で払う。すると薄汚れた石壁の下から人工的に刻まれた文字が浮かび上がった。
「まさか、製作者のメッセージ?」
ララクも壁へ近付き、文字を指でなぞる。この迷宮は自然洞窟ではない。侵入者を迷わせ、排除するために設計された巨大要塞。その考えがますます強くなる。
「なんだろう、この疑問文」
「なになに~」
ゼマが横から顔を突き出し、風化した文字を声に出して読んでいく。
「えっと、ケルア・オガオ……アルケ……の財産とは?」
そこには、それだけが刻まれていた。
『ケルア・オガオ・アルケの財産とは?』
文字は長い年月で掠れていたものの、十分読み取れる状態だった。
「オガオ、という部分がニックネームで通称なんですよね」
「……ここでその名前が残ってるとは……」
「知ってんだ、この回文野郎の事」
「歴史上の国民、全員が知っているよ。だってこの人、超超古代の七星だから」
「! 七星って、確か君のお兄さんと同じ最上位ランクの兵士の事だよね?」
「常に7名しか登録はされていないけど、歴代は数多くいるからね。その中でも、豪傑として有名な偉人だよ」
「へ~、んじゃああんたならこの問題解けるの?」
「意味不明なので教えてくださーーい」
イジネが壁へ向かって両手を添え、大声で叫んだ。
その声が迷宮の奥へ何度も反響した直後、壁の向こうで鈍い歯車が噛み合う音が鳴る。石壁が細かく震え、天井や壁の隙間が一斉に開いた。
「伏せて!」
ララクが叫ぶより早く、暴風のような勢いで大量の矢が放たれる。鏃には青白い液体がべっとりと塗られていた。
【スリーピングアロー】。
眠りへ誘うスキル付きの矢である。
「【ウィンドシールド】! スリーズ!」
ララクの前に幾重もの風壁が重なり、飛来した矢を次々と受け止める。金属音が迷宮へ響き渡り、弾かれた矢が床へ雨のように降り注ぐ。数十本、数百本もの矢を吐き出した罠は、やがて石壁の奥で静かに停止した。
「もしかしてこれは、合言葉のような物なんじゃないか?」
ララクは壁から目を離さないまま呟く。
「……不正解だと、トラップが発動……てことはもしかして、ヒットしたらこの壁が開くとか!」
「開けゴマっ……とかじゃないよね、あっぶねー」
ゼマは慌てて自分の口を押さえる。何気なく口にした言葉で再び矢の嵐が飛んできたら笑い話では済まない。
「今度の目標が決まったね。イジネちゃん、このオガオという人物について調査してみようか」
「……本人は当然デッドしているけど、その七星家系なら交流があるよ。まぁまぁ、アタイへの好感度高いと思う」
「あんたさぁ、結構貴族?」
「割りと貴族」
胸を張って頷くイジネに、ゼマは半ば呆れながら吹き出した。
こうして3人は、古代七星ケルア・オガオ・アルケが遺した謎を解くため、新たな調査へ動き出す。一方その頃、別の場所では同じ財宝を狙うファミリーも静かに行動を開始していた。双方の目的はまだ交わらない。だが、その先に待つ答えは、確実に同じ場所へ繋がっていた。