夕闇へ沈み始めた学院の空。その中心で鋼鉄の巨体が両脚を折り畳んだ。
「一度、上から見下ろしてみようか」
モドムの声と同時に脚部や背面の排出口が開く。次の瞬間、圧縮蒸気が轟音と共に噴き出した。白煙が発電設備の間を駆け抜け、並ぶソーラーパネルを激しく震わせる。背面装甲は削れ、各所には深い傷が刻まれている。それでも出力は衰えていない。蒸気を尾さながらに引きながら戦闘兵器は高度を上げ、あっという間に屋上の遥か上へ到達した。
「まだ飛べるのか」
怪人はそう漏らしながらも即座に追撃へ移る。上昇機構など持たないはずの身体だったが、その加速は異常だった。屋上端を砕き、設備の支柱を蹴り、壁面の突起へ飛び移りながら高度を稼ぐ。その動きは飛翔というより強引な連続跳躍だったが、それでも距離はみるみる縮まっていく。
ララクとゼマもそれに続き、風を纏った少年と結晶棍棒を構えた戦闘医が別方向から包囲を狭めていった。
だが、その流れを断ち切るように鋭い破裂音が空に響く。
肩部や胸部、脚部を覆っていた装甲が内側から弾け飛んだ。ただ壊れたわけではない。高速回転する装甲片が巨大な刃となり、3人へ向かって降り注ぐ。
怪人は空中で軌道を変え、ララクは身を捻り、ゼマは棍棒で弾き飛ばすが、その対応だけで接近の流れが断ち切られる。ほんの数秒。しかし、その数秒がモドムには十分だった。
「これが私の3つ目のアクションスキルだ」
深い傷が刻まれた装甲の各所から、黒褐色の泥が滲み出し始める。肩部や関節部、胸部はもちろん、削れた外殻の割れ目からも次々と泥が這い出し、それらは重力を無視するかのごとく宙へ浮かびながら胸部中央へ集まっていった。ぐじゅりと粘つく音を響かせながら圧縮され、回転し、濃縮されていく泥塊を見た瞬間、ララクの表情が険しくなる。
防御でも拘束でもない。
あれは純粋な攻撃だと本能が警鐘を鳴らしていた。
「【マッドレーザー】」
放たれた泥は流れではなかった。
超高速で回転する泥の奔流。
濁流そのものが一本の巨大な槍へ変じたかのごとく一直線へ伸びる。空気を巻き込みながら回転することで凄まじい唸りを上げ、その軌道上に残っていた蒸気さえ吹き飛ばしながら突き進む。
茶褐色の奔流は発電設備ごと飲み込みそうな質量を保ったまま3人へ襲い掛かり、怪人は横へ跳び、ゼマは棍棒を支点にして身体を流し、ララクも脚へ風を集中させて回避へ移る。
だが避けただけでは終わらなかった。
通過した泥流は空中で砕け散り、豪雨さながらに屋上全体へ降り注ぐ。床面はもちろん、設備の支柱や配管、発電設備の表面まで泥がこびり付き、足場が一気に悪化していく。
動きを鈍らせるための戦場そのものが形成される中、上空へ浮かぶ鋼鉄の怪物だけが悠然とその光景を見下ろしていた。自分以外の全員を泥沼へ沈めることこそが最善手だと理解しているかのごとく。
上空で回転する泥の奔流を見上げながら、ララクは思わず声を漏らした。
「早熟構成、羨ましい限りです!」
プロフェッサーの言葉が正しければ、モドムはまだレベル20台。それにもかかわらず、あの規模のレーザー系統を扱っている。普通ならもっと燃費が良く扱いやすい能力から揃うものだが、どうやら彼は違うらしい。
だからこそ少しだけ羨ましくなる。
自分の場合は隠れスキル構成だった。
長い間何も得られず、それでも積み重ねて今へ辿り着いた。だから無いものを嘆くつもりはない。今できることをやるだけだった。
ララクは両手を前へ突き出す。
泥に濁された空気がざわつき始めた。屋上を吹き抜ける風が一箇所へ集まり、舞い上がる雨粒を巻き込みながら唸りを上げる。そこへ青白い雷光が走り、渦の内部を何度も駆け抜けた。
「【テンペストレーザー】!」
放たれた瞬間、それは嵐そのものだった。
暴風と豪雨を押し固めた奔流が泥のレーザーへ正面から激突する。空気そのものが軋むみたいな激突音が空へ響き、弾け飛んだ泥が周囲へ降り注ぐ。雷光がその中心を貫くたび泥は削られ、吹き飛ばされ、それでもなお濁流は押し返そうと前進を続ける。両者のぶつかる空間では風圧が暴れ回り、近くの発電設備さえ悲鳴を上げて震えていた。
その攻防の最中、ゼマもまた武装を切り替える。
「〈クリエイティブロッド・モード鎖混〉!」
結晶棍棒の中央が展開し、内部から太い鎖が吐き出された。分離した両端の結晶塊は鈍い輝きを放ちながら宙へ躍り、ゼマが腕を振るうたび大気を切り裂いていく。
さらに【伸縮自在】が発動した。
振り回されるたび鎖は長さを増し、描く軌道も広がっていく。結晶塊が通過するたび空気が押し退けられ、遅れて衝撃波が設備群を揺らした。頭上には巨大な縄張りが形成されていく。そこへ踏み込めば、装甲ごと叩き砕かれることは誰の目にも明らかだった。
「えーんしーんりょく!」
楽しそうに叫ぶ戦闘医の横で、怪人もまた決着へ向けて力を集めていた。
「【ウォーターフォース】」
淡い光が右腕の剣へ流れ込む。
続いて。
「【ストーンフォース】」
刀身を覆う金属が軋み、内部から別の武器が生まれるみたいに輪郭が変わっていく。厚みを増した刃には岩肌を思わせる凹凸が浮かび上がり、ただの大剣だったものは攻城兵器じみた威圧感を放ち始めた。振るえば斬るより先に相手の骨格を押し潰し、そのまま地面へ叩き込んでしまいそうな質量が宿っている。
そして怪人はさらに魔力を注ぎ込む。
「【シルバークリエイト】」
周囲へ散っていた銀色の粒子が引き寄せられ、重厚な砲弾へ姿を変えていく。生み出された銀塊は刃の周囲をゆっくり巡り始め、そのたび低い金属音が空気を震わせた。巨大な剣を中心に砲弾が従う姿は、武器というより移動砲台そのものだった。
「あんたどんだけ盛るんだよぉ!」
「3人分だからな」
その返答を聞いた瞬間、ララクの胸中で何かが繋がった。
そうか。
紋章が3人分存在する。
それは単純に魔力が増えているわけではない。
本来なら別々の人生を歩み、別々の方向へ成長していたはずの可能性が、今の怪人へ集まっているのだ。
だから戦い方が読めない。
だから次々と未知の能力が飛び出してくる。
そして、それこそが現在のプロトアーク最大の強みだった。
泥と嵐がぶつかり続ける空の下、銀の砲弾を従えた破城剣がゆっくりと持ち上がる。結晶鎖を振り回すゼマも、魔力を解放し続けるララクも、その動きを見逃さなかった。
今まさに、それぞれが抱える最大火力が戦場の中央へ集まりつつあった。次の一撃がぶつかれば、屋上そのものを巻き込む激突になることを、その場の誰もが理解していた。