校庭ではサイフウが端末へ視線を落としていた。表示される波形は先ほどまで暴れ続けていたものとは別物になりつつある。ガルアーク側へ深く沈み込んでいた意識反応が揺れ始め、強引に引き伸ばされていた糸が少しずつ巻き戻されるみたいに、数値が肉体側へ戻り始めていた。学院の窓に明かりが灯り始める中、画面の光だけが青年の横顔を白く照らしている。
「戻ってる。このままなら引き剥がせる」
短く告げる声の隣で、レッツタは横たわるプロフェッサー・モドムの身体を見つめていた。先ほどまで抜け殻みたいだった肉体には変化が現れている。閉じられた瞼の下で眼球が動き、指先には微かな力が戻り、呼吸も深くなり始めていた。
「反応も上がってる。完全じゃないけど戻り始めてる。このままなら記憶も残せる可能性が高い。少なくとも機械側へ全部持っていかれた状態じゃない」
サイフウは制御画面を確認する。解除不能だった項目は書き換わり、出力制御権限も戻っていた。
「ロック外れた。出力も落とせる」
そう呟いてボタンを押し込む。すると膨れ上がり続けていた同調回路が収縮を始め、ガルアーク側へ伸びていた意識を今度は肉体へ引き戻そうとする力が働き始めた。
その時だった。
泥塊が空気を裂きながら飛来する。
反応する暇もない。
【マッドショット】はレッツタの肩へ直撃し、その身体を地面ごと吹き飛ばした。芝生を抉りながら転がった青年はすぐに起き上がる。
「まだ交戦する気ですか。このままなら戻れます。記憶も残る可能性が高い。僕みたいに過去を背負うことになったとしても、その方がずっとマシです。それともまだ続けるんですか」
放ったのはガルアークではない。肉体へ戻り始めていたプロフェッサー・モドム本人だった。
研究者は苦笑する。
「引き返せないからね。ここまで来たんだ。最後まで見届けたい」
「今度こそ本当にガルアークと一体化するかもしれませんよ」
「構わないさ。一体化するだけなら案外どうでもいい。生活できるなら問題ないかもしれない」
そう言った後、モドムの表情は少しだけ曇った。
「怖いのは記憶だよ。私が私でなくなることだ。研究も友人も失敗も成功も、全部失われるのが怖い」
それでも研究者の目から執念は消えていない。
「まだ終わらない。私の研究は終わらないんだ」
周囲の泥が再び動き始める。しかしその瞬間、校舎側から何かが一直線に飛び出してきた。地面を踏み砕きながら最短距離を突っ切ってきたのは巨大な斧を担いだカライジだった。
「プロフェッサー!」
叫びながら立ち止まる。
「ここまで本当にお疲れ様です。でも見ての通り状況は変わりました! 僕は守ります。この場を。そのためにプロフェッサー・モドム、あなたと戦わなきゃいけないなら、俺は覚悟を決めてこの斧を振ります!」
さらにその側にいるサイフウも意気込む。
「私も戦えますから……!」
レイピアを構える姿は決して多大なるプレッシャーを与えるものではない。しかし、逃げる気はないという、気迫は感じる。
モドムは二人を見た。
集まり始めていた泥を見る。
そして小さく笑った。
発動しかけていたスキルが止まる。泥は重力へ従うように崩れ落ち、静かに地面へ沈んでいった。
「冒険者志望の学生相手に正面から勝てる自信はないからね」
そう言って両手を上げる。
「ガルアークがなければ、私はただの学者なんだ」
学院の明かりが次々と灯る中、その場に立っていたのは暴走した怪物ではなく、自分の限界をようやく認めた一人の研究者だった。