「……ここは?」
美神は自分が奇妙な空間に浮かんでいるのに気が付いた。無数の光が乱舞する、サイケデリックな空間。何重、何百、いや、何万何億ものスポットライトの乱舞する空間とでも言おうか……決して言葉では表現できない世界であった。
「流石だな。ちょっと心を落ち着けろ。見やすくしてやる」
低い男の声と共に、ちくりとした痛みが美神の額の裏側に走った。と同時に光が急速に収束し、理解できる姿に変わっていった。光の乱舞が、一つのスクリーンに何重にも重ねて映画を上映しているような妙なものに、そしてそれが回転縮小し、自分の足下の空間に固定された四角い板のようなものに変化していった。
同時に自分の周辺に浮かぶみんなの姿も見えた。横島、おキヌちゃん、母さん、ひのめ……みんな気を失ってはいるようだが、異常はなさそうであった。
そしてもう一人、ラプラスが目の前に浮いていた。
「心配するな。今お前は特殊な次元にいる。元に戻れば、殆ど時間も経たないはずだ」
「何なの、ここは」
そう問う美神さんに、ラプラスはまあまあと手を振った。
「他の奴らの目を覚まさせる方が先だろうが。しかし流石はタイム・スライダーだな。俺より先に意識を取り戻すとは」
「何よ、タイム・スライダーって」
だがラプラスはそれには答えず、倒れて浮いているみんなに向かって、第三の目から発せられる閃光を次々彼らにぶつけていった。
それが当たると同時に、彼らは目を覚ましていった。
「あつつつ……あれ、ここは」
「……どこですか、ここ」
「……」
全員の目が覚めたのを(ひのめは寝たままだったが)確認すると、ラプラスはみんなの方に改めて向き直った。
「みんな大丈夫? なんともない?」
流石に心配になって美神はみんなの方によっていく。
「さて、美神令子。お待ちかねの謎解きの時間だぜ」
ラプラスはクククと小さな笑い声を漏らしながら言った。
「未来、ってのは何だと思う?」
奇妙な空間の中で、ラプラスは腕を組み、どっかりとあぐらをかきながら言った。
その行為に釣られるように、美神さんをはじめとする一同は、何となくその場に腰を下ろした。
不思議なことに、そこに目に見えない床があるかのように、自然と座ることが出来た。
「みらい……ね。これから来る、未だ来たらぬもの、と言うのが字からの意味だけど」
答えたのは美智恵さんであった。
「ふ……まあ30点ってトコだな。人間としては100点だが」
ラプラスはそういうと、改めて美神の方を見た。
「で、その未来を決定する、最大のものは何だと思う?」
「そんなもん来なきゃ分かんないでしょう」
「それがそうではない、と言ったらどうする? 実は人間には、全ての未来が用意されているとしたら」
「……何が言いたいわけ?」
美神さんの目が鋭くなった。横島も、おキヌちゃんも、美智恵さんも、じっとラプラスの方を注目する。
「そもそも俺にお前等人間が付けた名前……『ラプラス』っていうのは数学者の名前だ。『ラプラスの悪魔』……無限速の計算能力を持ち、この世の全ての物質の物理量を計算できる算術の悪魔。完全な計算能力により、この世界の全ての事象を確定し、予言できるとされた仮想の悪魔。俺が完璧な予知が出来るゆえに、人間は俺にラプラスの名を与えた。だが物理学の世界でも不確定性原理により、ラプラスの悪魔の存在は否定された。逆に言えば、未来は予知できないと、お前達の学問は結論を出した。では何故俺はその未来を知ることが出来ると思う? 更にもう一つ。予知した未来を告げると、その瞬間、不可避のパラドックスが発生する。そう、『予知は絶対に当たらない』というパラドックスだ。どんな予知でも、それを告げられたものはその予知を否定する行動が出来る。ゆえに物理的に不可避の現象はともかく、選択の余地のある事象に対する予知は決して当たらないと言う理論が成り立ってしまう。だが俺の予知はその可能性があったにもかかわらず、ことごとく的中した。何故だと思う?」
横島も、おキヌも、美神も、美智恵も、そういわれてじっと考え込んでしまった。ラプラスの予知は絶対。ゆえに人は未来を奪われる。そう思いこんでいたのに、当の相手から「俺の予知は何故当たる」などと言うとんでもない言葉が飛び出してしまったのだから。
「もしかして……」
しばしの後、顔を上げたのはおキヌちゃんであった。
「あなたは悪魔なんですよね。人を苦しめるための存在。だとしたら、ひょっとして逆なんじゃ……未来が決まってるんじゃなくって、あなたが予言したがゆえに、その人の未来が決まってしまうんではありませんか?」
「いっ!」
残りの三人が、一斉におキヌちゃんを見た。
「どういうこと?」
「正解だ」
美神さんが問う前に、ラプラスが言った。
「そう、俺が本当に見ることが出来るのは、そいつの目の前にある未来の可能性……特に実現性の高い可能性だ。だが最終的にどの道かを決めるのかは結局本人次第なのさ。だが俺の言葉を聞いた人間は、それを聞いてしまったがゆえに自らその道を限定してしまう。まさにシュレディンガーの猫だ。俺の予言を聞くのは、猫の入ったふたを開けるのと一緒なのさ。俺の言葉を『信じた』とき、そいつは自分の未来を自分で選んじまう。こうなると否定も意味がない。否定するって事は、その前提として俺の告げた未来を信じているからに他ならないって事だからな」
「この間見ていたテレビで、手品の特集をしていました」
おキヌちゃんがラプラスの言葉を受け継ぐように語る。
「その中に『フォース』って言うテクニックがありました。いろんな方法で相手を誘導して、相手に自分の望み通りの行動をさせてしまう方法。これならあなたの予言は絶対に外れないんじゃないかって思ったんですけど……」
「まさしくその通りだ。やはりお前達のチームは他の人間とは違う」
ラプラスは大きく頷いた。そして、美神の方をじっと見る。
「な、なによ」
うろたえる美神さんに、ラプラスは妙に優しげな笑みを浮かべていった。
「さて、あまり長話も何だ。と言っても、貴様らに説明しておかねばならないことは多い。勿体ぶるのは止めよう。見せてやるよ。『時間』の正体をな。
そのとたん、下に固まっていた板のようなものが、再び発光した。
「!!!!」
同時に強烈な吸引力がそこから発生する。一同は為すすべもなく、その中に取り込まれていった。
ラプラスも含めて。
美神の目の前に、再びサイケデリックな空間が展開していた。だが最初のようなめまいはしない。
「なに、ここ……」
だが美神は、不思議と不安を感じなかった。ここが初めての場所ではないような感じがしたのだ。
「美神さん……なんか覚えがありませんか、ここ」
「横島クン……あなたも?」
横島と美神は思わず顔を合わせた。
「あなた達、覚えがあるの?」
「私は初めてだと思いますけど……」
美智恵さんとおキヌちゃんも、二人のそばにやってきた。
そこにもう一つの声が重なった。
「その二人は知っているはずだ。アシュタロスの事件の中で、こことそっくりな空間に入り込んでいるからな」
「「コスモ・プロセッサ!!」」
ラプラスの指摘に、美神と横島の声がハモった。
「そういえばこの気配……あの中によく似ている……」
「ルシオラが言ってた……コスモプロセッサの中には、無数の可能性がつまっているって……それを現実と置き換えるのが、コスモプロセッサの力だと……」
「そうだ」
二人のつぶやくような声に、ラプラスは律儀に答えた。
「だがあの程度のシステムに、無限の可能性を作り出す事など出来るわけがない。アレはあくまでも、世界をこの次元に繋げるためのシステムだ。ただ奴らには俺のようにこの世界を認識する力はなかった。だからあれだけの演算能力を持ったシステムが付随していたのだ。大したモンだったな。この世界から可能性を選定、抽出するには、半端じゃない計算能力がいるんだぞ」
「と言うことはコスモプロセッサと同じ力を、あなたは有しているというの!」
美智恵さんが鋭く切り込んでいく。が、やや引きつり気味のその顔を、ラプラスはやれやれと言った顔で眺めていた。
「あわてるな……まあ聞け。お前達は『世界』っていう永劫不変の器の中に自分たちが存在している……そう認知しているだろう。だがな、実際の世界を超次元的に見ればこうなる。そう、お前達が認識している『現在』というのは、この無限の可能性の中から、お前達が勝手に『認知』した一つに他ならない。『過去』も、『未来も』本当はどこにも存在なんかしていない。お前達意志を持つ者が『認知』した『可能性』に過ぎないのさ……」
「そんな!」
再びくつくつと笑うラプラスに、美神さんは衝撃を受けていた。
「それじゃあたし達が現実と思っていることは、夢だとでも言うの!」
「いいや、そんなことはないさ。ルイス・キャロルとかいう小説家が、うまいことをいってたな」
「『鏡の国のアリス』ね」
すかさず美智恵さんが答えた。
「誰が夢を見ているかなんて、誰にも分からないわ。自分が見ているのか、それとも自分も本当は誰かの夢の登場人物なのか」
「ま、そうあわてるな」
ラプラスは皆をなだめるかのような、優しい声を出した。
「現実は存在する。なぜならそれこそが、お前達に過去と未来……『時間』という名の幻想を与えているのだからな」
「……訳わかんなくなってきたわ」
「俺はもう諦めてます」
「情けないわね。これはラプラスとあたし達の知恵比べでもあるのよ」
ほとんどたれパンダになっている美神と横島に、美智恵は活を入れた。
「最初っから説明すればこういうことだ」
ラプラスがそう言うと同時に、再び周囲の空間が変化した。今の空間が圧縮されたと思われるパネル状の板を取り囲んで、みんなが座っている。
光に呑まれる前の光景だった。
その中でラプラスは、パネルの一点を指さした。
「これは美神と横島がコスモプロセッサの中で見た、『無限の可能性』の一部だ。ここには全てが……過去も未来も、そして栄光も挫折も、何もかもがここにはある。但し、ここにはそれがただ等価なものとして存在しているに過ぎない。全てではあるが、何物でもないのだ。可能性は可能性であり、結果ではないと言うことだ」
そこまで言うと、ラプラスはパネルを指さした。その先からレーザーのような真っ直ぐな光が延び、パネルの一点を指し示した。
「だがここに、『意志』が現れる。魂や霊と言ってもいいだろう。それは『存在』をもち、無限の可能性の中から、ただ一つを『現実』として選択し、認知する。その瞬間、この『可能性』も変化する。『認知』された『可能性』は、存在が等価でなくなる。より高い可能性になるのだ」
そしてラプラスは指を動かした。パネルの中の点も、それにつられて動き、一筋の線を描き出した。
「意志による認知は一定しない。常に変化する、というか、認知によって周辺もまた変わってしまうので、とどまれないという方が正しい。そしてこの変化を、意志は『時』という形で認識するのだ。お前達が記憶している過去というのは、この過程にすぎん」
「少しずつ分かってきたわ」
美神さんの目に光が戻ってきた。
「つまりあたしの見ている現実はあくまであたしが認知しているもので、それが横島君のものと同じとは限らないってわけね」
ラプラスは首を縦に振った。
「その通り。だがそれだけでは君達が現実と考えている物が何故存在しているかは分からないだろう。ここに幾つかの法則が存在する。この世界の認知は、決して無秩序に行われているのではない。そしてその法則が、君達の考えている『世界』を存在させているのだ」
そういって再びパネルの方を注目する。
「一つ。『可能性』は起こりやすいことほど『近く』に存在する。
二つ。『認知』は無限に行えるものではなく、ある種のエネルギーを消費する物理現象に近いものである。
まずはこの二つだ。この『無限の可能性』だが、これは無秩序に可能性がつまっている液体のようなものではない。『可能性』は無限であっても、それは『蓋然性』という法則によって秩序立てられた形で配置されているのだ。このパネルではそれを『距離』に置き換えてお前達の認識に表現している。起こりやすいことは近くに、そうでないものは遠くにある。そして二つ目。お前達が世界を『認知』するとき、普通なるべく力を消費しない『可能性』を『認知』する。物理学や化学で、物体はエネルギー的に低い位置で安定するようなものだ」
「お水は低いところにたまるって事ですね」
おキヌちゃんがそう補足した。
「よく分かるな~」
感心する横島に、おキヌちゃんはあくまでにこやかに微笑みながら言った。
「学校の授業で習いませんでした? このくらい分からないとテストで赤点になっちゃいますよ」
横島ががっくり落ち込んだのは言うまでもない。
一方ラプラスは話の続きに入っていた。
「この二つがお前達個人個人に、一つの『世界』を提供する。お前達が特に意識しなければ、それほど変化のない認知が連続するからな。このレベルの認識をお前達は『夢』という形で体現している。割と何でも出来るが、あくまでも自分だけの認識でしかないわけだ」
「とすると、『夢』に対する『現実』というレベルがあることになるわね」
パネルを見つめながら、美智恵さんがつぶやいた。
「そう、それが三つ目の法則、『干渉』だ。この中に存在する『意志』が一つきりなら、それは『夢』になる。主観時間はあるが、自分の『意志』だけで全てが自分の思い通りになる空間。だが『意志』は決して一つではない。そして複数の『意志』が存在するとき、以下の『干渉』の法則が働く。
一つ、複数の意志に認知された可能性はより安定して存在する。
二つ、認知は『肯定』だけでなく『否定』もあり、『否定』された可能性は安定しなくなる。
三つ、安定度の高い可能性は、その分認知に必要な力が小さくてすむ。
とまあ、早い話がたくさんの『意志』が認知する『可能性』はよりいっそうその存在が濃くなり、濃くなった『可能性』にはさらにたくさんの認知が集まる、そういうフィードバックが働きだすと、その可能性はどんどん安定していく。この安定度が一定レベルを超えると、『意志』と『可能性』の逆転現象が起こる。可能性が安定しすぎて、平均的な力の『意志』には、それ以外の可能性を認知できなくなってしまうのだ。こうなった『可能性』が、お前達の認知している『現実』だ。ちなみに今お前達が認知している『現実』には、理性による高度で多様な認知をする人間の他にも、動物や植物、果ては鉱物のような無数のものが存在している。ちょっと抽象的だが、お前達の現実に存在しているものは、石一つ、原子一つに至るまで、この可能性の中では『存在すること』を『認知』している。すべての『現実』は認知によって存在するわけだからな。
で、そういう全ての認知が合わさると、こういうものが出来る」
ラプラスが再び指をパネルに向けると、今度は千近い点が浮かび上がった。最初はふらふらと勝手に動いていた点がだんだんと引き合い、やがて集合して一筋の流れを刻んでいった。
それはまるで……
「川……いえ、木みたい……って、これは……ユグドラシル!」
美神さんは思わずそう叫んでいた。
目の前のパネルには、枝分かれしながらも太い幹を持つ樹の姿がくっきりと浮かび上がっていた。
「そう言った奴もいたな」
ラプラスは少し遠い目をしていった。
「以前別の人間にここを見せたとき、そいつは俺にこう言ったぜ。
『現実に戻っても、ここを見られるようにしてくれるのなら、儂はここに自分の目を置いていくぞ』
ってな」
「ひょっとしてその人間、オーディンとか言ってなかった?」
美神さんがげんなりしてつぶやいた。
「よく分かったな」
ラプラスの感心した様子にも、美神さんはさしたる感動を覚えなかった。
「ミーミルの泉か……確かにそれだけの価値はありそう」
「これを見せた、あるいは見た人間は別にお前達だけでは無いがな、みんないろんな言い方でこれのことを呼んでいたな。アカシック・レコードとか、アラヤシキとか……」
「その気持ち、よく分かるわ」
美神さんは目の前の樹を見ながら言った。
「これって説明のための、いわば簡略図なんでしょ。あんたが現実に見ているのだと、どんな風になるの?」
「これくらいだ」
その瞬間、目の前のパネルは、広大な海の中に沈む巨木に変じた。『可能性の海』はあくまで広く深く、そしてその中の樹は果てしなく巨大かつ複雑であった。
更にその樹は、一つではなく、無数に沈んでいたのである。
「お前は樹のイメージでここをとらえていたから、それに合わせて模式化した。あの特にでかいのがお前達のいる『現実』だ。他の樹は別の可能性……一種の異次元だな。お前達からしてみれば。」
「あの樹にあたし達の全てがね……」
しみじみそういう美神さんに、ラプラスは告げた。
「ちなみに普通お前達が考える樹のイメージとは違って、あれは根を伸ばしていくと考えるのが正しい認識だ。見えている『樹』の部分は、お前たちの世界全てが体験してきた、『記憶』の集合体だな」
そしてラプラスは樹の『根』のあたりを指さした。
「そろそろ本題だ。俺が貴様に頼みたいこと、それはあれだ」
「なになに」
そちらを見た瞬間、美神さんは絶句した。つられた横島やおキヌちゃんも、そして美智恵さんも開いた口がふさがらなくなった。ずっと眠っていたひのめすら、泣き出さんばかりだ。
木の根本に、異変が生じていた。幹の一部が大きく枝分かれして延び、細長くねじ曲がってその先が蛇に変じていた。そしてその蛇は、根の先端部に食いついていたのである。
「ヨルムンガルド……」
「あれをどうにかするのが、お前への依頼だ」
「む、無茶言わないでよー!!」
異次元空間に、美神さんの悲鳴がこだました。