「そりゃ~私が悪かったかも知れないけど、実の娘に散弾銃ぶっ放す母親がどこにいるわけ?」
「そんな台詞は自分の顔を見て言いなさい。全く、我が娘ながら欲望に取り付かれてあんな醜い顔を浮かべてたなんて、母として恥ずかしくなるわ」
親子愚痴合戦は、あっさり母親の勝利に終わった。
今みんなはバチカン内部の病院に、仲良く並んで入院していた。病名は霊気過剰消耗症候群。霊能者が限界を遙かに超えた霊気を放出した際に反動で生じる全身麻痺である。程度にもよるが、一日から三日程度安静にしていれば治るので、病気とは言えないかも知れない。
ラプラスによって全員が異次元に飛ばされたとき、現実ではいきなりラプラスの檻の前で倒れたのである。付き添いの枢機卿があわてていると、すぐにラプラスの声がかかった。
「お前達の知らないところで、今世界は救われた。詳しくはここに書いておいたよ。あとで教皇にでも見せるといい。そうそう、そいつらは今そのせいで霊気を過剰消費している。しばらく安静にしてやってくれ」
そういって彼は、日記帳を物入れに放り込んだ。
枢機卿があわてて飛び出していったのは、いうまでもないことである。
「で、結局母さんはどうしたわけ」
「一応みんなの持ってきた未来を見せて貰いましたけどね、令子、あなたのが一番酷かったわよ」
四人並んだベッドのうえで、お互いのぼやきが始まっていた。症状は美智恵さんが一番軽く、全身に軽い痺れが残っている程度である。隣に置かれているひのめの世話も、何とか出来るようになっている。
おキヌちゃんも起きあがれるようにはなった。まだ自力でベッドから出ることは出来ないが、食事は自分でとれるし、トイレも何とかなる。
対して美神さんと横島君は重体であった。先ほど意識が戻り、何とか口がきけるようになったところである。可能性の海の中でそれとは意識せずに霊力を使いまくり、最後は大決戦、とどめに横島は神通棍の一撃を、美神さんは散弾銃を喰らって、めちゃめちゃに霊気を消耗してしまったのである。
もちろん美智恵さんが撃った散弾銃は、可能性の海から取り出した、霊的な衝撃を与えるものであった。美智恵さんのいうことには、
「最初はハリセンのつもりだったんだけど、あまりにも令子が欲望に取り付かれた顔をしてたので、それじゃ足りないと思って」
だそうだが、美神さんにしてみればたまったもんではない。ホントに死ぬ訳じゃないといっても、痛みや全身を引き裂かれる感覚は、本当に撃たれたのと変わらなかったのである。
「あたしたぶん、二度と銃を人に向けられないわね」
美神さんはしみじみとそういった。
「でもこんな事を言うのは何ですけど、それより酷いことをしようとしてたんですよ、美神さん」
「……反省してるわよ」
ちょっと顔を赤くして、美神さんは言った。美智恵さんの分析によれば、美神さんの持ってきた未来が実現した場合、確かに美神さんは世界一の大金持ちになれるが、同時に世界恐慌が起こって途上国では大量の餓死者が発生し、先進国でも失業率が三〇パーセントを突破するような未曾有の事態になっていたというのである。
「ま、全く無視したりするのも可哀想だから、少しはいい目を見られる部分を組み込んでおいて上げたわ。感謝しなさいよ」
美智恵さんは事態を理解すると、真っ直ぐに世界樹の根本に向かっていた。そしてすぐそばにある未来を実体化させて、樹に繋いだのである。
可能性の低さと距離が比例するならば、一番起こりうる可能性の高い、ごく自然な未来は木の根本にある。そう判断しての行為であった。
「流石はICPOの知恵袋。引っかからなかったか」
『接ぎ木』が無事に終わり、時の流れが元に戻ったとき、ラプラスは美智恵にそう言った。
「悪魔の言うことをまともに信じるほどあたしは愚かなつもりはないわ。あなたが嘘偽りを言っていないことも、本気で未来を開きたいと思っていたことも分かってはいた。でもあなたが力を振るう以上、何かの罠はあると思っていたのよ。あなたは見届けるもの。あなたにとっての楽しみは、人の愚かさを眺めること。だとしたら、あたし達の未来を、より面白い方向に誘導するはずだと思ったのよ。あと百年は退屈しないくらいにね」
「そう、それに加えて、これはゲームだった。さすがの俺の予知も、この空間内では原理的に全く働かない。そしてお前達は、この中で自由に行動が出来る。そう、俺は初めて、『予期せぬ未来』というものに触れることが出来たのさ。だから仕掛けた。最初っから樹の根本の未来を繋げばいい、と言えばいいところを、ご丁寧に時空の構造を解説した上で、好きな未来を選ばせた。そしたら奴ら、あっさり未来を探しに行った。これが俺の『予知』の変形とも気が付かずにな。楽しみだったぜ、お前達がどんな未来を選ぶのかは」
「さ、あなたも充分に楽しんだでしょ。そろそろあたし達を元の世界に戻してくれる?」
ラプラスは頷いた。そしてひのめを美智恵に返すと、にやりと笑っていった。
「一つだけ言っておこう、これは予言ではなくて忠告だ。その娘、尋常ではない力を秘めている。管理に気をつけんと、物心付く前に人を殺すぞ」
「ありがたく受け取っておくわ」
「いいってことよ。俺としてもその娘が殺人者になる未来は、見ていて面白くない。出来ればそうでない方の未来を見たいんでな」
「……納得できる動機だこと」
そしてみんなは現実へと戻ってきたのである。
全身を襲う激痛に悩まされるハメになったが。
「そう言えば美智恵さ~ん、俺の持ってきた可能性は~」
横島が隣でわめいていた。
「残念だけどそのまま海の藻屑となったわ。けどあなたがあそこまで持ってきたということは、可能性の距離が縮まった……つまり遙かに実現の可能性が高まったっていうことになるわね」
「そうか……無駄じゃなかったんですね」
「何を持ってきたのよ」
美神さんが横目でぎろりと睨む。横島は何も答えようとはしなかった。
「くう~っ! 身動きできない自分が腹ただしい~っ!」
そんな二人の様子を見ていた美智恵さんは、ふと大切なことを言うのを忘れていたことに気が付いた。
「そうそう、おキヌちゃんには言ってあったんだけど、あたし達はもう、『タイム・スライダー』としての力は完全に消えたそうよ。時間移動能力はまた発現する可能性があるけど、ずーっと周囲の時を無視するような現象はもう起こらないわ」
「あ、そう?」
美神さんが声だけで頷く。
「で、未来を繋ぐ際、その辺の事情がおかしくならないように、少しだけ手を入れたわ。ここ数年の、まわりの記憶が少し混乱するかも知れないけど、社会的な矛盾は消えている筈よ」
「そうすか。そりゃ良かった。俺の誕生日とかもまともになったんすね」
「ええ」
美智恵さんは軽く首を縦に振ると、何故か悪戯っぽく笑った。頬に立てた人差し指を当て、妙に少女っぽい仕草で、「てへ」といったポーズを取る。
「ただね、どうしても消しきれない矛盾が残っちゃったんで、ちょっと裏技を使っちゃったの」
美神さんはひっじょーに悪い予感がするのを感じた。今でこそICPOの懐刀、日本GS界の重鎮として名を馳せている美智恵さんであるが、若い頃は美神さんをも上回る無茶をする人物であったことを、唐巣神父から聞いている。
「いったい、なにをしたの……」
おそるおそる聞く美神さんに、美智恵さんは壁の一点を指さした。美神さんと横島にとっては後ろに当たる。苦労して首を反対側に向けた二人は、そのまま顔が引きつるのを止められなかった。
そこにあったのは、何の変哲もないカレンダーであった。イタリア語の、月めくりのカレンダー。
そこには、こう書かれていた。
2000.5
「横島さん、あたし日本に帰ったら二年生になってるんです。横島さんは三年生ですね。でもこれで、去年のクリスマスが消えずにすみました」
「そう言うことなの、御免ね。詰め込むことが多すぎたのと、ループの痕跡でやたらに矛盾が出てたのを解消するために、無理矢理一年進めちゃったわ。1999年にしておくと、蛇が残りそうだったし」
(あたし……まだまだ母さんには勝てそうにないか、こりゃ)
美神さんはちらりと横島のことを横目で見ると、そのまま眠りについた。
そして横島も……
彼は夢を見ていた。
「はぱ、あたしおおきくなったら、ぱぱのおよめさんになる!」
「ははは、嬉しいことを言ってくれるね。でも、残念だけど、パパはお前のお婿さんにはなれないんだよ」
「ぶー、どうしてー」
「だって、パパはママのお婿さんなんだよ」
「あっ、そうか。ぱぱはばいやくずみだったんだー」
「おいおい、どこでそんな言葉を覚えたんだい?」
「ままのまんがー」
やれやれ、と思いつつ、男は綺麗な黒髪をした愛娘を、肩に担ぎ上げた。
それが、横島の選んだ未来であった。