誰かは願う
そこは確かに木の柩のみが置かれただけの、石の壁に囲まれた小さな部屋。
遠い昔に眠りについた者の入る、柩だけがある小さな部屋──だというのに、そうではなく。
充満するは寒気のするほど冷たい空気。
満ちるは気味の悪いほどの静寂。
そして染めるはどこまでも深く、底なしに人を堕とす気配。
まるで日の当たる世界の裏、陽光の届かない影の中。
人が目を背けたくなる欲の象徴。何もないはずなのに全てがそこにある、そんな魔性を秘めた部屋。
そんな部屋の中にコツコツと、何かを呟きながら踏み入る男がいた。
腕も足も鍛え抜かれた豪傑のそれでありながら、その目からは一切の輝きと信念が感じられない。
欲望に染まった目。夢想に魅入られた目。現実を捨て去った目。
何もかもを失った落伍者や生まれさえ選べなかった浮浪者と同じ目をした男は柩の前まで歩き、抱きかかえていた肉の塊──愛らしい幼子であった者を、ゆっくりとそばへと置いた。
一歩、二歩、三歩と後ろへ退いた男は、石を手に小さく言葉を口ずさむ。
刹那、柩は淡い青白の光を灯したと思えば僅かに震え、次の瞬間、蓋が開いて現れ出でた巨大な光の手が肉塊を掴み、そのまま柩の中へと引きずり込んでしまう。
グニュグニュと、咀嚼するように数度音を鳴らし、それから再び部屋には静寂が戻る。
まるで何も起きなかったかのように、柩など開かず、そこに人の骸など置かれなかったかのように。
「これで十二。あとは『目印』の発見を。そして『鍵』の成熟はもう間近。……ふふ、はは、ハハハッ!!」
そんな柩の所業を虚無の瞳で見つめていた男は呟き、抑えきれなくなったように笑い出す。
狂気染みた哄笑。悪意なき嘲笑。──或いは助けを求めるような、子供のような泣き笑いながら。
「嗚呼、どうか見ていておくれツキス。待っていておくれ、ナオ。もうすぐ、もうすぐ連れ戻してみせるから……!!」
そうして男は柩に躙り寄り、まるで最愛の人に寄り添うように抱きつきながら決意を呟く。
そこにいない誰かへ謝るように、いつまでも、いつまでも。
──告げる。愚者の一族の末裔の妄念は、いつか必ず禁忌の扉へと至れり。
贄、穴を開くに至るための汚れなき十二の魂と肉は既に黒柩の中に。
至るための欠片。
門を自在とする鍵とこの世界を見失わないための目印。
そして門となる器は、忌むべき贋作は、既にそこに。
約定はまもなく果たされり。約束の成就は訪れり。身に余る願望への到達は、いずれ来たり。