こうしてツムリの街に入った俺達は、道を尋ねながら散策してどうにか宿を確保した。
数件巡り熟慮した結果、少々外観がみすぼらしく、ベッドも硬く食事も付いてこない宿に落ち着いたのは残念だが、懐が心許ない身としては背に腹は変えられないので妥協する他ない。
それでも指で触れれば自動で記載される帳簿や部屋に備え付けられていた蛇口を捻れば大きな雫が全身を包む泡風呂など、魔法の街らしい品物に心躍ってしまうのだから、この後の街巡りが楽しみになるというものだ。
ああでも、せっかくの宿なら食事は付ける方向にすべきだったと後悔はしている。
やはりピュアラの女将の宿は破格すぎた。記憶の薄れるしばらくは比べ続けてしまうだろうな。
「ヒコさーん、あの筆ペン買いましょうよー。さっき宿屋ちゃんとしたのだと魔力をインクに出来て十年は壊れないらしいですよー」
『私はいらん、買いたきゃ自腹で買え。あれにはあまり良い記憶がないんだよ……』
爆発爆発と、念話を忘れてしまうほど苛立たしげに呟き続けるヒコさん。
どうやらヒコさんと魔力羽ペンには、長い時を超えてもなお断ち切れぬほどの因縁があるらしい。まあ九割くらいはヒコさんの逆恨みなのだろうが、さして大事でもなさそうだし触れぬが吉だろうな。うん。
『いいか私の娯楽? ツムリの街を訪れる者の目的は大まかに分けて三つ。観光か、勉学か、魔法研究かだ。まあもちろん、どれであれこの世界のあらゆる場所から足を運ぶ価値のある街ではある。私とて無限に金があるのなら、何年もこの街へ居座り、相応に人が作り上げた魔道具を買い漁っていきたいと思えるほどだ』
途中魔道具の店を見物し、屋台の魔法ロングポテトを購入して腹を満たしながら歩き。
あれも欲しいこれも欲しいとなっていた俺に、ヒコさんはつらつらと、浮かれる俺を窘めるように語り始めた。
『だがそれでも、この街の象徴はやはり二つ……そら、見えてきたぞ。例え街並みが移ろおうとも、そこだけは揺らいではならない知識の溜め場。私が訪れた二百年前には既にその名を呼ばれていた世界の宝。大生図書館、通称全知の樹だ』
そうしてヒコさんが正面を向き、その長いくちばしで示した先にあったのは一本の巨大な樹だ。
周囲の、この街で見たどんな建物よりも、もしかしなくとも今まで見た建物の中で最も大きな樹。
豊潤な生気と神秘と押し潰してくるみたいな大迫力にただただ気圧され、目を奪われてしまうばかりだった。
「で、でっけえ……。建物ってより、自然の樹なのか……?」
『そうとも、この図書館は生きている。あの大きな樹──魔法樹エックスは人の発展と循環に合わせるように未だ成長を続けている。いつからあるかは誰も知らんが、恐らくこの世界でも最年長の一つだろうな』
立ち尽くして見上げてしまった俺の頬を突き、我に返らせてきたヒコさんははよ進めと肩に爪を食い込ませてくる。
割と声を上げそうなほど痛かったので、つい手でヒコさんを払ってしまいそうになるが、後が怖かったのでなんとか堪えつつ図書館の中へと進んでいく。
一歩足を踏み入れれば、感じるのは涼やかな空気と無数に行き交う人の数。
中央は巨大な吹き抜けになっており、天井である生い茂る緑の葉が豆粒に見えてしまうくらい小さく、更にはその空間を魔法や魔道具で飛行しているたくさんの人を目にすることが出来る。
これほど空に人がいるのを見るのは初めてで、やはりこれも魔法の街らしい光景なのだろう。
自然と命の象徴たる大樹の中。だというのに、満ち溢れているのは対極とも言える喧騒と活気。
まるでツムリの街の中にもう一つ街があると、そう思えるような光景だった。
「ご利用ありがとうございます。お伺いしますが、初めてのご来館ですか?」
「は、はい。調べたいことがあって、街までやってきたのですが……」
「ありがとうございます。でしたら本図書館を利用する際、如何なるお客様も会員証が必要となりますので、あちらで登録の方進めさせていただきます。どうぞこちらへ」
さて、どこから向かうべきかと困惑していた所、ぬるりと背後から女性に声を掛けられる。
中々綺麗なお姉さん曰く、どうやら会員にならないと利用出来ないとのことで、ならばと頷けばすぐさま彼女は空いていた受付へと誘導してくれる。
どっこいせと腰変えれば、正面へと座った受付のお姉さんから手渡されたのは石の板。
言われたとおりに手を翳してみれば、ほんの少しだけ魔力が座れた感触を一瞬感じてしまうが、果たして何をされているのだろうか。
「……はい、もう大丈夫です。ではお客様、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「ああはい、マニスです」
「マニス様ですね? それではそちらのお名前で登録させていただきますが、登録証の発行に少々お時間をいただきますので、その間に館内について簡単に説明させていただきますね」
カタカタと、受け取った石の板を軽く何かを操作したお姉さんは図書館について説明してくれる。
なんでも受付のお姉さんの話では、この図書館は計五十にも及ぶ階層に分けられているらしい。
当然到底一日じゃ回りきれないほどの広いのだが、階層ごとに本の種類が決まっており、更には案内図や各階層に設置されている検索台で目当ての本を探すのは比較的難しくないとのことだ。
ちなみに上の方に行きたい場合は、館内の設置された専用のエレベーターや中央の吹き抜けを飛行して移動するのが一般的らしい。もちろん歩きたい人は階段を使ってもいいらしいのだが、大変なのでとあまりおすすめされなかった。……魔法の街だからだろうけどあんまり一般人には優しくないよな、これ。
「あ、あの……ちなみに動物って館内入っちゃっても大丈夫な感じですか?」
「そちらの小鳥様でしたら大丈夫ですよ。ただし何か利用規則に反した場合や本の破損が見られた場合、一切の責任と賠償が飼い主様にかかりますのでその点はご留意くださいね」
問題ないと、にこやかな笑みと共に教えてくれたお姉さんにほっと息を撫で下ろす。
あー良かった。これでヒコさん締め出しだったら絶対不機嫌になるだろうし、そうなったら大変だからね。具体的には俺の胃と心と時間が。
『何か言ったか?』
ひっ、何でもないです。ええ、本当に、ヒコさんは今日も尊敬すべき師匠です。はい。
「お待たせいたしました、こちらマニス様の会員証となります。一般会員の方は四十階以上には入れませんのでご注意ください。それではどうぞごゆっくり、何かあれば気兼ねなく職員にお声がけくださいませ」
思考に割り込まれてビクっとしてしまい、受付のお姉さんに変人を見るような怪訝な目をされてしまいながらも、どうにか手続きを終えたので会員証を受け取り。
ようやく本腰入れて本探しに取り組めそうだと、ちょっと凝った体を解しながら改めて吹き抜けを見上げてみる。
「しかし広いなぁ。本だけでこんなたくさんの場所を使うだなんて贅沢ですよね」
『図書館などと名付いているが、実際はそれだけではないからな。古い巻物や解析や復元を続けている書物、或いは学術性の高い杖なども置かれている財産保管庫というのが真実。……実は地下には閲覧禁止の書庫があったりするんだが、まあ一般客は知るきっかけさえないだろうよ。くくっ』
そんなド級の秘密を何故知っているんだと。
くつくつと、相変わらず特徴的に笑うヒコさんにそう思わなくもないが、切り込む方が怖いので触れずにいようと思ったのだが、こういうときに聞かないでスルーすると、それはそれで不機嫌になるのを思い出してしまう。
「……随分詳しいですけど、ヒコさんも昔会員になって利用したんです?」
『戯け、持っているわけないだろう。そんな面倒でわざわざ痕跡を残すだけの愚択を、この拒絶の魔女が取るわけがないだろうが。ばーか』
ひどいや。既に時効なのかもしれないけど、根本的には違法読書してるヒコさんが悪いのに。
『さて私の娯楽、魔女の弟子のくせに簡単な飛行さえ出来ない落ちこぼれマニスよ。この何十階にも及ぶ大図書館、飛べもしないお前がどう移動する?』
「当然跳びますよ。近道があるのなら、使わない手はないですからね」
試すように尋ねてくるヒコさんに答えながら、数回屈伸をし、上の階を定めて跳躍する。
飛べなければジャンプで上ればいい。この程度なら魔力なんてなくたってマイフレンドマッスルパワーで一っ飛びだ。
そうして意気揚々と跳び上がり、周囲の注目を集めてるなと少し居心地の悪さを感じながら、図書館を上がっていった。