あまり似合わないかもしれないが、本を読む行為は嫌いではない。
元々勉学とは無縁の村で育ち、追い求めた本物のマジカルチ◯ポへの手がかりに飢えていたからだろうか。夢のために学びを得られるという実感が、俺はとても好きだったりする。
とはいっても、別に俺の頭はいいわけでもなく、魔女の弟子になった所で変わらず悪い。
ヒコさんに文字を習い、どうにか現代の本を読めるようになりはしたが所詮はそれだけ。
ヒコさんが教えてくれる魔法や薬の内容と同じように、学んだ内容が頭に入りやすいわけでもないし、一周読めばそれで覚えきれるというわけでもない。
──つまりはそう。如何に無数の本に囲まれたとて、収穫がない方が当たり前なのだ。
「……はあっ」
ツムリの夜道。
設置された魔灯の優しい光の照らされた宿までの道を歩きながら、ついため息が零れてしまう。
結局適当に積み上げた数冊の中で、まともに読めたのはたったの一冊だけ。
それも本物のマジカルチ◯ポに結びつくような中身ではなく、あまり集中も出来なかったから無駄骨と言っていいくらいには何も得る物はなかった。
『やはり良い。時の流れによる人の通説や理屈の変化は実に刺激となってくれる。しかしメディアロップめの魔法百問の半分を解かれていたのにも驚いたが、グリコ草の人工培養による大量生産まで可能になっていたとは本当に脱帽だ。やはり人間の進歩というのは、時に魔女さえ置いていくほどの躍進よな』
そんな残念な俺とは違い、それはもう捗ったらしいヒコさんはご満悦とばかりに目を輝かせ、今日得た知識を一人歌うように反芻している。
何について言ってるのかは三割も分からないし、マジカルチ◯ポに繋がらないならどうでもいいことだが、とにかく人類の魔法技術にはめざましい進歩があったらしい。
俺の隣で熱心に本を捲る青い小鳥という、言葉にすれば珍妙でほっこりする絵面だったが、実際には本が千切れそうなほどの勢いで読み進めていたので弁償にならないかひやひやしたほどだ。
……まあヒコさんならば、本が破けた程度なら直すことなど造作もないだろうがそれはそれ。
この自分本位な魔法バカの師匠の飼い主と認識されるであろう俺的には、結構な視線を集めていたことが居心地悪すぎて勉強どころじゃなかったな。
「……いいですよねヒコさんは。こっちは何の成果もなかったってのに」
『私とお前では出来が違うんだから当然だろ? ……まあそう落ち込むなよ。私の読書ついでにお前が積み上げた本にも目を通してやったが、理想のマジカルチ◯ポとやらに繋がりそうな記述はなかったからよ』
……一応フォローしてくれているのだろうが、そこまではっきり言われると落ち込むよな。別の意味で。
『……それにしてもやはり妙だ。一日観察してみたが、まったくもって意図が読めんな』
「何がです?」
『私の弟子ならもう少し周囲を窺えるよう進歩して欲しいのだが……まあいい。気になったのはこの街の珍妙な覆いのことだ』
自分と師との性能差や進展なしの事実に、割と結構打ちひしがれながらも。
まあ初日の成果なんてこんなもの、明日頑張ればいいしそれよりお腹が減ったから何か食べたいなと切り替えていると、ヒコさんは俺の肩で気に入らなさそうに空を見上げている。
覆い……っていうと、この街を囲むドーム状の白い膜のことか。
街に入る前に近くで見たから分かるのだが、これは壁というよりは膜に近いくらいには薄い。
『さて質問だ私の娯楽。お前はこの夜空を見てどう思う?』
「えっと……今日も星が綺麗だなとか、今夜は満月だなとか?」
『百点であり零点だな。そこまで分かったのなら少しぐらい妙だと思えよ、まじで』
気づけって言われたってな。本当に普通の夜空でしかないのだから、これ以上コメントのしようがないんだよな。
だってほら、本当になんの変哲もない夜空。今日は雲だってないから、あの綺麗な月だって遮られることなく……あれ?
「天井があるのに、夜空が見える……?」
『まあ赤点スレスレだが、一応は良しとしよう。ちなみに昼間も太陽を通していたからな。私としては、その時点で何か言及して欲しかったぞ』
『ドーム内の気温や環境は外とほとんど変わらないよう調整され、天井は空をそのまま透過させている。この辺りは降水量に悩まされる地域でもなく、道中で凶暴な魔獣の類が生息していたわけでもない。だからこそ、こんなドームを作った意図が測れんという話だ』
「考えすぎじゃないですか? ヒコさん長生きしてるし……いだっ!!」
『ああそうだよ、どうせ見かけだけの感性ババアだよ! 要は初の都会に浮かれてないでちゃんと頭を回せって言ってるんだ、分かったなこのチ◯ポ脳の馬鹿弟子め!!』
ごめんなさいって。歳のこと言ったのは悪かったから、頬を本気で突かないでよ。血ぃ出ちゃう。
そして失敬な、前もチ◯ポ脳って罵られたけどちゃんとマジカルチ◯ポ脳と呼んでほしい。
大体チ◯ポ脳とか、ただ性欲に振り回されてる変態みたいですごい不名誉なんだよ。
俺はあくまで本物のマジカルチ◯ポを手に入れることを夢としているだけで、それを使って手当たり次第に女を堕としたいとかそういう目的ではない。よってチ◯ポ脳じゃなくてマジカルチ◯ポ脳なんだから。そこんところ分かってくんないかな、ねえヒコさん?
『知らんなチ◯ポマン。そんなことより飯だ飯、ちなみに今日の私の気分はな……くくっ、おいマニス。静かにそこの路地を覗いてみろ、中々面白いものが見られそうだぞ?』
そんな俺の思考を読み取りながら、容赦なく一蹴して食事を急かしてくるヒコさん。
けれど何かを感じ取ったのか、にやりと笑みを浮かべて俺に指示を出してくるので、大人しく物陰に隠れながら路地裏を覗いてみることにする。
──そして暗い通路の先、行き止まりに広がっていたのは見るに堪えない光景だった。
「……ッ!! ごほっ、ごほっ、はあっ……」
三人の男達の背中。そしてその奥には壁に背をつけ、苦悶の表情を浮かべながら顔を覆っている水の玉のせいで溺れてしまっている少女が一人。
ズボンとスカートで異なりはするが同じ制服。恐らくは同じ学校に通っているか、それに近しい環境に身を置いているのだろう。
察するに、これはいじめの現場。弱者を嬲ることを是とした、悪意に満ちた嗜虐の渦中。
さっきまでの楽しい気持ちが一気に冷めてしまうのを自覚していると、少女の顔を塞いでいた水の玉が一気に弾け飛ぶ様を目にしてしまう。
足の力が抜けてしまったのか、ぺたんと地面に座り込んでしまった少女は必死なのに弱々しい呼吸を繰り返しながら、恐怖のみしかない生気のない目で彼ら三人を見上げていた。
『やるなあのガキ共。水で顔を塞ぐのは定石だが、低温の火の縄を用いた指の拘束を一人で両立している。残り二人も消音に徹することで周囲の警戒も万全、あいつら相当に囲い慣れているのだろう』
「……あいつらは?」
『恐らくはガグン魔法学園の生徒だな。制服こそ随分と様変わりしたが、あの味気ない「杖」を学生に配る伝統は残っているらしい。いやしかし、一回の生徒がこの魔法構築なら中々に悪くないな。一生徒でこれならば、魔法の発展にも期待が出来るというものだ』
なるほど、妙に声が聞き取りにくいと思っていたが、消音の魔法を使っているからか。納得。
……胸糞悪いな。ヒコさんは楽しんでいるようだが、これの何が面白いのかさっぱり分からない。
どうせヒコさんは現代の魔法を見学したいだけ。あの光景自体に関心はなく、何なら魔法が見られるのなら推奨して見守るであろうくらいだ。
ヒコさんのことは心の底から尊敬してるし、好きか嫌いかと問われれば躊躇なく好きと答えられる。
それでもヒコさんのこういう所は好きになれない。きっとそこがヒコさんがよく俺に言う、魔女とそうなり切れない者の一線なんだろうな。
『なんだ行くのか? どうせ本気で殺すわけでもなし、最後まで見学するのも──』
「生憎ヒコさんほど悪趣味じゃないし、このまま捨て置いたらこの後の夕ご飯が不味くなりそうなので」
ともかく、これ以上は見ていたくないと。
今を楽しむ魔女の誘いに耳を貸すことなく、肩の小鳥を軽く払ってから普通に近づいていき、こちらに気付く前に取り巻き二人の首へ手刀を落として気絶させておく。
「てめえが、悪いんだよ! 家の力で学園に通えているだけの落ちこぼれが、調子に乗って俺達に迷惑かけやがったんだから、このくらいの仕置きは必要だよなぁ。なあっ!?」
「そうだな。俺に迷惑かけたんだから、このくらいのお仕置きは必要だ」
「ああ……ああっ!? んだてめえ、なにもぐべらっ!!」
そうして最後の、主犯格であろう男の振り向きざま顔面へ拳を入れ、壁へと叩き付けてやる。
大分手は抜いたが、それでも殴った瞬間には気絶していたのであろう。
壁に激突しても声さえあげることなく地面に転がる男を一瞥さえせず、呆然と状況についていけていない少女へと手を差し伸べる。
「大丈夫か? 見るに堪えなかったので手を出したが、迷惑だっただろうか」
「え、あ、いえ! ありがとうございますです! ……あ、あの、助けてもらったのはありがたいですけど、こんなことしちゃったらあなたが……」
「気にしなくていいよ。どうせ放浪の身、都合が悪くなったら街から出ればいいだけだから。とにかく、ひとまずここを離れようか」
先ほどまで傷ついていたのは自分だろうに、それでもこちらの身を案じてくるとは。
優しいのか、甘いのか、ズレているのか、いい顔したいだけなのか。……それとももう、頭のネジが外れてしまっているのか。
まあいずれにせよ、この少女とはこの場だけの関わりでしかない。
少女の本質がどうでもいいと、困惑する少女の手を優しく取り、三人が転がる路地裏から離れて表通りへと出ていく。
ここまで来ればひとまずは問題ないはず。
夜とはいえ、そこそこ人の行き交っている道ならば、今日は手を出されることもないだろう。
「ここまで来れば問題ないはずだ。傷の方は大丈夫……どうしたんだ?」
「あ、はい! 怪我は
何故か頬を赤く染めてしまった少女は、にへらと顔を緩めながら弾かしそうに身を捩らせる。
……ああなるほど、思春期相手にいきなり手を掴んだのは良くないことだったな。
思えば村にいた頃に、お前は女や年下の扱いが下手みたいなことをよく友人に言われていた覚えがあるが、どうやら年月だけではあまり成長出来ていないらしいな。
「あっ、もう帰らなきゃです! あの、本当にありがとうございました! お礼はまた後日させてください! それじゃあまた、です!」
「あ、おい……名前も聞かないでお礼とは、随分とそそっかしい子だな」
そうして時間を思い出したのか、勢いよくお辞儀をしてから中々の速さで走り去っていく少女。
後ろへ手を振りながら走っていたせいで、途中一回転びそうになる姿にやれやれとため息をつきながら見守っていると、頭に数本の何かが食い込むような痛みとほんの少しの重みがのし掛ってくる。
……さてはヒコさんめ。さっきの仕返しとばかりに、足の爪を強めに押しつけてきているな。
『くくっ、なるほどなるほど。流石は魔法の街と言うべきか、中々に珍妙なものまで歩いているな』
「えっと、ヒコさん?」
『こっちの話だ、気にするな。それより飯だ飯、私はホロホロにまで煮込まれた肉が食べたい気分だぞ。師匠を雑に払った罰として、そういう感じの店が見つかるまで探すんだな』
そうしてヒコさんは俺の頭の上で容赦なく足踏みをしながら、本当に厄介な課題を出してくるので、思わず大きく肩を落としてしまう。
……こっちに非があるとは言え、まったく知らない街でなんて無茶ぶりを言ってくるんだこの師匠は。この魔女めが。