そうして次の日、今代の隠れ家を躊躇なく焼き払ったヒコさんと共に旅に出た。
魔女が旅に出るとき、自らの痕跡と研鑽を残さないように燃やしてしまうというのを聞いたことはあったが、それでも初めて見るお家ファイヤーに言葉を失ってしまったが、それはそれだ。
しばらく歩き、休み、獣を仕留め、また歩き。
そうして繰り返すことしばらく。ついに町が見えてきた頃、ヒコさんは小さな黒猫へと姿を変えた。
「で、ヒコさん。どうして猫の姿になったんですか?」
「戯けめ、私は拒絶の魔女ヒニグだぞ? バレたら市中引き回しで良い感じに挽かれた後に火刑だぞ? 別に死ぬことなんてないが、死ぬほど苦しくグロテスクなのに変わりはないんだぞ?」
ぴょんと俺の小さな肩に乗り、額を肉球で叩きながら進めと命じてくるヒコさん(猫)。
最近人里と関わっていなかったせいか忘れていたが、そういえば魔女は基本的に忌避と畏怖の対象だったっけか。
魔女。それは性別関係なく、呪われし魔法使いの総称である。
例えば恐れを知らず、魔に奥へ踏み込みすぎた者。
例えば竜や悪魔などの理を超えた存在に目を付けられ、呪いや祝福という名の加護に縛られた者。
例えばきっかけなどなく、世界の巡りや偶然にもそうなってしまった者。
過程はたくさん、種族問わず。されど共通している点と言えば、等しく超常をその身に刻みつけていること。
人の理を外れ、在り方は歪み、心はズレ、さりとて人であった頃の願いに弄ばれる。
魔女とは未練の怪物だと、かつて魔女から脱却したある魔法使いの成れの果てはそう語ったほどの生き物。故に魔女は人でない者と恐れ敬われているのだと、そんな風なことをかつてヒコさんは言っていたはずだ。
「おいおいおい待ちなーおーい!? そこのガキンチョに子猫ちゃんよぉ! おーい!」
そんなこんなで町に入ろうと、入り口まで辿り着いたのだが。
いざ町へ入ろうとしたとき、バタバタと町から出てきた複数人の男女に取り囲まれてしまう。
「あらあらあら! 可愛い顔してるじゃなーい! 僕ちゃんいくちゅー? お母さんどこかにゃー?」
「猫、ん猫ちゃーんがいるーん! ほれほれ、小魚でちゅよー!?」
「可愛い顔してるな坊や! ハッハー、あどけない顔してんじゃねえか! 母性殺しかこの馬鹿野郎がー!?」
それぞれ涎を垂らしたり、目がいっちゃってたりと妙なテンションでこちらを囲んでくる一同。
手には鍋やら干し魚やら、おおよそ戦うための物ではない物ばかり。
中には戦えそうな者もいるが、大体は戦闘とは縁のない一般市民であろうと推測する他ない。控えめに言って、とてもまずい。
ちらりと門番らしき人に視線で助けを求めてみるが、まるで絶望で魂の抜けたような顔で見向きさえしてくれず。
このまま挨拶して握手でもしたら解放して町へ入れてくれるという気配でもなし、どうしたものか。
「えっと、出来れば通して欲しいんですけど」
「そいつは叶わねえ申し出よ! ここは愛を失う町ネトリン! 仲良しこよしの僕ちゃん達、どちらかを失う覚悟がないなら来た道を戻ることを進めるぜー!? ヒャッハー!」
駄目だ、会話がまるで通じない。一番まともそうな正面の人も、とても正気とは思えない。というかまず正気ではない。
男の言う愛を失う町というのはよく分からないが、それにしたって通してくれる気はないらしいのだけは何となく察してしまえた。
『くくっ、相も変わらず変人と厄介事を招き寄せる。モテモテだな、憎いやつめ』
どうしたものかと肩を落としながら悩んでいた所、黒猫のヒコさんは音から脳への念話に切り替えながら、肩の上で愉快そうに微笑んでみせる。
どうやら一切手を出す気はなく、この場は飼い猫として完全に観戦に徹するらしい。魔女とバレるわけにもいかないが、それにしたって相変わらず悪趣味な魔女だ。
しかしどうしようか。この町に泊まれないとなると、少しばかり困ってしまう。
何せヒコさんがそろそろお風呂に入りたそうな気配を漂わせている。入りたくないときは梃子でも動こうとせず、川の水なんて嫌だと駄々をこねるヒコさんの体を洗うチャンスはそう多くない。最悪宿泊は無理でも、お風呂だけでもいただかなかければ。
となれば選択肢は二つ。蹴散らして押し通るか、大人しく尻尾を巻いて逃げ出すか。
まだこの体のスペックを把握し切れていないが、それでもそこまで強くもなさそうだし蹴散らすことは出来るだろうが、人里について早々荒事を起こしてあまり良いこともない。
……まあでも、こちらが妥協してやる道理もなし。
金不足で門前払いを食らうならともかく、こんな訳も分からない立ち往生なんて勘弁。殺さない程度に空へ放り投げて、その隙にでも通るとしよう。
「待ちな馬鹿共! 寄って集って子供いじめるたぁ、惨め晒すのも大概にせえよ!」
仕方ないので拳を握ろうとした、その瞬間だった。
ぶるぶると、周囲一帯を震わすほどの大声量。太く張りのある女性の声が、場の空気を一変させたのは。
「お、女将! 決して奪われることのないこの町の誇り、未亡人の女将じゃないか!」
「黙らっしゃい! いい加減にしないとしばくよガキ共! ほらどきな!」
町から現れた声の主。女将と呼ばれた彼女は、割烹着を着た恰幅が良い貫禄ある女性でだった。
ドシドシと、堂々たる足取りと態度で囲んできていた人達をどかした女将は、俺達の前まで歩きぁしをを止めた。
「うちの馬鹿共が済まなかったねぇ。怖かっただろ? もう大丈夫だから心配しな?」
女将は大人達へ向けた荒い言葉とは真逆の優しい笑顔を見せ、同じ目線になるように屈んでそっと抱きしめてくる。
まるで泣いている子供を慰めるかのような、慈愛に満ちた女将の人柄を感じてならない。
直感だが、彼女はきっと良い人なのだろう。最早古ぼけた記憶でしかない、何一つ孝行してあげられなかった自分の母親を思い出してしまった。
「この子はうちで引き取ろう。馬鹿共、異論はないね?」
「で、でもよぉ女将! こいつら、こいつら可哀想じゃんかよ! こんなに、こんなに仲良さそうなのに、もしあいつが来ちまったら……!」
「だからってこんな子を大の大人が囲んで追い返しちまったら、それこそ人として終わりだろう!? それに
女将は反論しようとした男をぴしゃりと黙らせ、さあおいでと俺の手を取って町の方へと歩き出す。
年齢面で多少の誤解をさせてしまっているようだが、所詮は一拍だけの関係。
何はともあれ穏便に町に入れるようになったのだから、今はそれでいいかと女将の導くままに付いていくことにする。
『……ふうん?』
「ヒコさん?」
『気にしなくていい。つくづくお前は私の娯楽だなと、再認識させられただけさ』
一瞬、どこか空を見つめていたような気がしたヒコさんだが、訊いてもくつくつと笑うのみ。
いや、そんなこと言われたら嫌な予感しかしないんだよなと思いつつ。
それでもどうせ答えてくれはしないだろうし、一応の警戒はしなければと諦めるしかなかった。