女装スパイは今日もバレそう~男とバレても転生者とバレても死ぬ俺の学園生活~ 作:やっくん。
目が覚めた瞬間、わかった。
ランプの橙色の光が石壁に揺れている。
窓の隙間から差し込む光は青白く、外はまだ夜明け前らしかった。
最初に感じたのは、自分の知っている夜とここの夜は匂いが違うということだ。
ここは、どこかおかしい。
胸元を見ると、見慣れない黒い服が自分の体を包んでいる。
細身で動きやすそうな作りで、デザインが妙に凝っている。
まるでコスプレ衣装みたいだな……
次に、手元を見てみる。
明らかに見慣れない手が、自分の意思で動いていた。
どこだ……ここは……
石造りの壁。鉄の燭台。正面には大きな執務机。
そしてその奥には、どっしりとした椅子がある。
その椅子に座る小さな人影が一つ。
おかっぱに揃えられた金色の髪の少女が座っている。
彼女は深緑のローブを羽織っており、明らかにサイズが合っていない。
そして、小さな足が椅子の上でぶらぶらと揺れていた。
一見、普通の美少女。とある点を除いては。
耳が長い――
そう。耳だけが人間のものではなかった。
両耳は細く、長く、上へと伸びている。
ジッ――
琥珀色の瞳がこちらをじっと見つめている。
どちらさまですか?
口から言葉が出かけたが、自分の中で何かが引っかかる。
社会人として十数年。
会議室でも、取引先でも、飲み会でも、場の空気というものは、口を開く前に読むものだと叩き込まれた。
今この部屋の空気は、明らかに正常な空気感ではない。
理由はうまく説明できない。でも、長年の勘がそう言っている。
「ここはどこですか」「私は誰ですか」などと口走った瞬間、何かが取り返しのつかない方向へ転がる気がした。
まずは状況を把握しよう。情報を集めるんだ。
口を閉じてじっと待つ。
俺は、先ほどまで普通の日本人だった。
名前は……まあ、今はどうでもいい。普通のどこにでもいる男だった。
それが今、なんの前触れもなく、広く、薄暗い部屋の真ん中で片膝をついている。
「……聴いておったか、リク。これ、返事をせんか」
リク……俺の名前か?
見た目よりも落ち着いた、静かな声だった。
声と同時にぴょんと椅子から飛び降りた。
彼女がこちらに向かって、とてとてと近づいてくる。
ピタッ。
俺の目の前で止まる。
彼女の背丈は俺の腰……いや、膝に近いか……
「……ちっちゃ」
思った瞬間、口が動いていた。
あ……っ。
声に出ちゃった。
「「………………」」
一秒。二秒。三秒。
少女の目がすっと細くなる。
「……ほぉ」
さきほどの声より低い。目も笑っていない。
次の瞬間——
ぺちっ。
何かが顔に当たった。
柔らかくて、ひんやりとして、気持ちいい。
……足裏。
少女の裸足の足が俺の顔にぴたりと押し当てられていた。
そのまま、ぐりぐりと押し付けられる。
「これは侮辱した罰じゃ」
「は、はい……」
目線を前に向けると、そこにはローブの裾から見える白い物体が。
か、かぼちゃパンツ……っ!
片膝をついた姿勢の俺の顔は、ちょうど少女の足の届く高さにあったため、もろに見える形となる。
「……」
「ちっちゃくて、なんじゃったか?」
足の裏越しに声が聞こえる。
「もう一度言ってみい」
ぐりぐりぐりぐり。
「なんでも……ないです」
俺はそっと目を閉じ、
「ありが――いえ、すいませんでした」
「ふんっ、まあよいわ」
もう――いや、ようやく足がどかされた。
一拍の沈黙のあと、隣から声がした。
「た、大変失礼いたしました、エルミアさまっ!!!」
いつの間にか、そばに女性が立っていた。
け、気配を感じなかった……
青みがかった髪にアーモンド型の大きな目。綺麗系の整った顔をしているのに、今は般若みたいな形相でこちらを睨んでいる。
「キサマも頭を下げろ、リクッ!!!」
痛ぇ……
思いっきり俺の頭が床に押しつけられた。
「す、すいませんでした! ちょっとした出来心で……!」
「出来心で、ボスに向かってチビ呼ばわりだとっ!?」
少女が深いため息をついた。
「幼いころに拾ったリクが今や反抗期とは……じゃが、母への侮辱に対しては教育的指導が必要かのぉ……」
ん? 拾われた?
つまり、目の前の少女――エルミアが、リク——今の俺の育ての親なのか?
見た目は子どもでも、歳は見た目通りではなさそうだ。
「……申し訳ありませんでした、エルミア様。気が抜けていました」
「まあ、よい。あっ、そうじゃ」
エルミアは指を鳴らして何かを思い出した様子。
彼女はローブを捲し上げて、かぼちゃパンツに手を突っ込み、小さな巻物を取り出した。
「……」
それをこちらへ、ポイと放り投げる。
「今回の任務書じゃ。読め」
「いやです」
俺の隣にいる美人の女が叫ぶ。
「ボスの命令よっ!開きなさいっ!」
「は、はい」
俺はできるだけ持つ手の面積を少なくするようにして開いた。
広げると、細かい文字がびっしりと並んでいる。
リクとしての記憶はない。
だが、この体が覚えているのか文字は読める。
文字を目でゆっくり追っていく。
――アムステル女学園への潜入任務。
――期間:三ヶ月。
――目的:生徒の情報収集。有力者との信頼関係の構築。組織への勧誘。
そして最後の一行。
――女装による潜入とする。
「……」
俺は巻物をそっと閉じた。
「なぜ閉じた? きちんと読まんか」
そう言われて、もう一度開いた。
書いてある内容は変わらない。
「女装……ですか」
「そうじゃ」
「女装で学園に潜入……ですか」
「だから、そうじゃと言うておろう」
エルミアはあくびをしながら、自分の手を広げて自身の爪を見ている。
「質問させてください……なんで、女装なんですか」
「言わんでもわかろう」
俺は固まった。
まったく分からん。
それとなく聞いて、情報を得るか。
「……つまり、あれですね?」
「そう、あれじゃ」
「あれかぁ」
「そう、あれじゃ」
どれだよ!
だが、こちらも簡単にはあきらめてはやらない。
「あれかとは思いますが、それのパターンもあるかと思い、一応聞いたのですが……」
「ふむ。今回はそれではなく、あれのパターンじゃな」
「なるほど。それではなく、あれだと」
「うむ」
ダメだ。なんもわからん。
はぁ……あとで、機会があれば聞き出そう。
「リクよ……そんなに気張らずとも良い。目立たず、溶け込み、情報を集める。それだけじゃ」
エルミアはようやく俺の方を見た。
「それに」
じろじろと俺の顔を見る。
「それに、その顔を使わんでどうする」
……どういう意味だ。
俺は今の状況を整理しようとしたが、情報が多くてまとまらない。
このまま機を見て逃げるか。
この組織から抜け出して、一人でこの世界を生き抜く道を探すか。
……いや、待てよ。
俺はこの世界のことを何も知らない。
金もないし、伝手もない。常識もわからない。
それでいきなり飛び出しても、数日で野垂れ死にするのがオチだろう。
ここは、乗っかるしかない……か。
リクとして動きながら、この世界の情報を集める。
それが今できる、一番マシな選択だ。
「……わかりました。やります」
「当たり前じゃ」
エルミアはそっけなく言い放ち、視線を窓の外へ向けた。
それきり何も言わなくなった。
言うべきことは言い終わった――そういうことだろう。
この場を去ろうと、俺が立ち上がった時。
「三ヶ月で結果を出せ。細かいことはそこのクロエに聞くんじゃ」
「クロエ……」
「呼び捨てにするな。また怒られたいのかしら」
さきほど俺の頭を床に叩きつけた女性が、眉間にシワを寄せていた。
「さっきから何? エルミア様にも無礼な態度をとって。死ぬ?死にたい?今すぐ死にたいと言いなさいっ!」
「し、死にたくないです」
「私は死にたいと言え、と命令したのよ。上司の命令に従わない部下は、死あるのみ」
どうすればいいねん。
「クロエ、もうそのへんでよいぞ」
「ですが、エルミアさま! これ以上、無礼を許すわけには——」
「聞こえんかったか? ワシはもうよいと言ったぞ」
「……っ! た、大変失礼いたしました! この失態、私の死をもって償います」
「だから、それをやめんかぁっ!」
「は、はいっ! リク、エルミアさまの海より深い温情に感謝しろ!」
「はい、感謝します!」
「うむ、ではもう行ってよいぞ」
「はっ!では失礼します」
「しつれーします」
やっと終わったか。
俺は踵を返して扉の方向へ向いた。
「待て」
エルミアに静かな声で呼び止められる。
背筋に冷たいものが走る。
俺はゆっくりと、振り返る。