男女比1対30の世界で女装潜入中。男とバレても転生者とバレても死ぬ俺の学園生活 作:ヤッくん
目が覚めた瞬間、わかった。
ランプの橙色の光が石壁に揺れている。窓の隙間から差し込む光は青白く、外はまだ夜明け前らしかった。
最初に感じたのは、自分の知っている夜と、ここの夜は匂いが違うということだった。
ここは、どこかおかしい。
自身を見渡すと、見慣れない黒い服が自分の体を包んでいる。
細身で動きやすそうな作りだが、デザインが妙に凝っている。まるでコスプレ衣装みたいだ。
そして、手が違う。
自分のものではない手が、自分の意思で動いていた。
(どこだ……? ここは、なんの部屋だ)
石造りの壁。鉄の燭台。正面には大きな執務机。
そしてその奥に、どっしりとした椅子がある。
その椅子に、小さな人影がいた。
金色の髪が、おかっぱにそろえられている。深緑のローブは明らかにサイズが合っておらず、裸足の小さな足が椅子の上でぶらぶらと揺れていた。
整った顔立ちの、美しい少女だった。ただ、耳だけが人間のものではなかった。細く、長く、上へと伸びていた。
琥珀色の瞳がこちらをじっと見ている。
(ここはどこだ。俺は、誰なんだ。)
口から出かけた。
本当に、出かけた。
でも——何かが引っかかった。
社会人として十数年。会議室でも、取引先でも、飲み会でも。
場の空気というものは、口を開く前に読むものだと叩き込まれた。
今この部屋の空気は——正直に言っていい空気じゃない気がした。
理由はうまく説明できない。でも、長年の勘がそう言っている。
「ここはどこですか」「私は誰ですか」などと口走った瞬間、何かが取り返しのつかない方向へ転がる気がした。
まず状況を把握する。情報を集める。それからだ。
俺は口を閉じた。
俺は、つい先ほどまで普通の日本人だった。名前は……まあ、それはどうでもいい。普通の、どこにでもいる男だった。それが今、なんの前触れもなく、広く、薄暗い部屋の真ん中で片膝をついていた。
「……聴いておったか、リク。これ、返事をせんか」
(リク……俺の名前か?)
想像よりも低く、静かな声だった。見た目と全然合っていない。声と同時に、ぴょんと椅子から飛び降りた。とてとてと近づいてくる。
俺の前で止まった。
俺の腰……いや、膝に近い。
ちっちゃくてかわいいな。
思った瞬間、口が動いていた。
「……ちっちゃ」
(あ)
出た。
「「………………」」
一秒。二秒。三秒。
少女の目が、すうっと細くなった。
「…………そうか」
低い声だった。笑っていない。
次の瞬間——
ぺちっ。
何かが顔に当たった。
柔らかくて、小さい。
(……足裏)
少女の裸足の足が、俺の顔にぴたりと押し当てられていた。そのまま、ぐりぐりと。
片膝をついた姿勢の俺の顔は、ちょうど少女の足の届く高さにある。
見上げると、ローブの裾がひらりと揺れた。その奥に、かぼちゃパンツが見えた。
(………)
「ちっちゃくて、なんじゃったか?」
足の裏越しに、声が聞こえた。
俺はそっと目を閉じた。
「す、すいません」
「もう一度言ってみい」
ぐりぐりぐりぐり。
「なんでも……ないです」
「ふんっ。まあよい」
ようやく足がどかされた。
——一拍の、沈黙があった。
「た、大変失礼いたしました、エルミアさまっ!!!」
声がした。俺の隣から。
いつのまにか、すぐそばに女性が立っていた。青みがかった髪。アーモンド型のくりくりとした大きな目。キレイな顔をしているのに、今は般若みたいな形相でこちらを睨んでいる。
「きさまも頭を下げろ、リクッ!!!」
思いっきり俺の頭が床に押しつけられた。
「い、いたっ……す、すいませんでした! ちょっとした出来心で……!」
「出来心でボスに向かってチビ呼ばわりするやつがどこにいる!」
少女——エルミアが、深いため息をついた。
「幼いころに拾ってやったというのに、よもやそのような口を利くとはのぉ。拾った甲斐がなかったかのぉ」
拾われた。
つまり目の前のこの少女が、リクを——今の俺を育てた人物ということか。
見た目は子どもでも、その目の奥には何百年分もの時間が積み重なっているような、重たくて静かな光がある。
「……申し訳ありませんでした、エルミア様。気が抜けていました」
「ふんっ。まあよい」
エルミアは鼻を鳴らして、ローブの袖から小さな巻物を取り出した。それをこちらへ、ぽいと放り投げる。
「今回の任務書じゃ。読め」
俺は受け取って、広げた。
細かい文字がびっしりと並んでいる。リクとしての記憶はほとんどないが、この体が覚えているのか、文字は読める。目でゆっくり追っていくと——
――中立国ランダリアのアムステル女学園への潜入任務。
――期間:三ヶ月。
――目的:次世代の権力者となりうる学園生徒の情報収集、
および有力者との信頼関係の構築。組織への勧誘。
そして最後の一行。
――注意事項:女装による潜入とする。
「……」
俺は巻物をそっと閉じた。
「なぜ閉じた? きちんと読まんか」
そう言われて、もう一度、開いた。
やっぱり同じことが書いてある。
「……女装」
「そうじゃ」
「女装で、学園に潜入」
「だから、そうじゃというておる」
エルミアはあくびをしながら爪を見ている。全く悪びれていない。
「俺が、女装で……なんで女装なんですか」
「言わんでもわかろう」
俺は固まった。
まったく分からん。それとなく聞いて情報を得よう。
「……つまり、あれですね?」
「そう、あれじゃ」
「あれかぁ」
「そう。あれじゃ」
どれだよ! だか、まだあきらめない。もう一押し。
「あれかとは思いますが、それのパターンもあるかと思い、一応聞いたのですが……」
「ふむ。今回はそれではなく、あれのパターンじゃな」
「なるほど。それではなく、あれだと」
「うむ」
ダメだ。なんもわからん。
ハァ。あとで、タイミングがあったら聞き出そう。
「そんなに気張らずとも良い。目立たず、溶け込み、情報を集める。それだけじゃ」
エルミアはようやく俺の方を見た。
「それに」
じろじろと、俺の顔を見る。
「お前が一番可愛い。だから行け」
……可愛い、と言われても。今の自分の顔も確認できていない。女顔なのか?
俺は頭を整理しようとした。
状況をまとめると、こうだ。
俺は異世界に転生した。転生先は何やら物騒な組織の一員らしい。しかも任務は、女装して学園に潜り込み、将来の権力者になる生徒たちに近づくこと。
このまま機を見て逃げるか?
頭をよぎった。このまま組織を抜けて、一人でこの世界を生き抜く道を探す。
……いや、待て。
俺はこの世界のことを何も知らない。金もない。伝手もない。常識もわからない。それでいきなり飛び出しても、数日で野垂れ死にするのがオチだ。
(ここはとりあえず……乗っかるしかない…か)
リクとして動きながら、この世界の情報を集める。それが今できる一番賢い選択だ。
「……わかりました。やります」
「当たり前じゃ」
エルミアはそっけなく言って、視線を窓の外へ向けた。
それきり、何も言わなかった。
会話は終わった。そういう空気だった。
俺が立ち上がりかけたとき——
「三ヶ月で結果を出せ。細かいことはそこのクロエに聞け」
「クロエ……」
「呼び捨てにするな。また怒られたいのかしら」
さっき俺の頭を床に叩きつけた女性が、眉間にシワを寄せて言い放った。
「さっきからなに? エルミア様にも無礼な態度を取って。死ぬ? 死にたい? 今すぐ死にたいのね? 今すぐ死にたいと言いなさい!」
「し、死にたくないです」
「私は死にたいと言え、と命令したのよ。上司の命令に従わない部下は、死あるのみ」
どうすればいいねん。
「まぁ、クロエ、もうよい。そのへんにしておけ」
「ですが、エルミアさま! これ以上無礼を許すわけには——」
「聞こえんかったか? ワシはもうよいと言ったぞ」
「っ……! た、大変失礼いたしました! リクっ、エルミア様の海より深い寛大な温情に感謝しろ!!!」
「……海より深いおんじょーに、感謝します」
「うむ。それではこれにて解散じゃ」
「はっ! では失礼します」
「しつれーします」
「待て」
静かな声だった。さっきまでと同じ、感情の読めない声。
なのになぜか、背筋に冷たいものが走った。