男女比1対30の世界で女装潜入中。男とバレても転生者とバレても死ぬ俺の学園生活   作:ヤッくん

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第2話 やると決めたら全力で

「待て」

 

 静かな声だった。さっきまでと同じ、感情の読めない声。

 

 なのになぜか、背筋に冷たいものが走った。

 

 ぴたり、と足が止まった。

 

 (……まずい)

 

 心臓が、一拍跳ねた。

 

 (バレたか? さっきからの言動が不自然すぎたか?「ちっちゃ」と言ったのも、任務書を読んで固まったのも、全部おかしかったはずだ)

 

 (この人はきっと見た目通りの年齢じゃない。人を見る目だって、それ相応のはずで——)

 

 (もしここで「お前、リクじゃないな」と言われたら。俺はなんと答えればいい)

 

 背中に、じわりと汗がにじんだ。

 

 ゆっくりと、振り返る。

 

 エルミアの琥珀色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。

 

「あれを忘れておるぞ」

 

 (……あれ?)

 

 心臓が、ほっと一拍落ち着いた。

 

 バレていない。どうやら、バレていない。

 

 (よかった……)

 

 安堵したのも束の間。

 

 (あれって、なんだ)

 

 また焦りが戻ってきた。リクの記憶を探る。何も出てこない。

 

 (ダメだ。思い出せない)

 

 ここは——社会人として十数年で身につけた技術を使うしかない。

 

 相手の言葉を繰り返す。それだけで会話は続く。

 相手が答えを持っているなら、待てばいい。

 

「あれ……ですよね」

 

「そうじゃ。いつものあれじゃ。まさか忘れたとは言わせんぞ」

 

 エルミアが腕を組んで、じっとこちらを見ている。

 

 (いつものあれ……)

 

 もう一度繰り返す。焦りを顔に出すな。

 

「いつものあれ、ですか……」

 

 静かに、待った。

 

 エルミアの目が、わずかに細くなった。

 

 ——少しの間があった。

 

 

 

 

 

「『おかあさん、きょうもすきよ。チュっ!』……じゃろうが!」

 

 エルミアが若干得意げな表情で言い放った。

 

 (え? えぇぇぇぇ???ちょ、待て待て待て待て待て)

 

 俺は絶句した。

 

 (いや待て。落ち着いて整理しよう)

 

 幼いころに拾った、と言っていた。つまり育ての親ということか。血はつながっていない。義理の親子だ。

 

 (……それにしては、距離が近くないか)

 

 義理の親子でこれを要求するか。普通。

 「おかあさん」呼びはまだわかる。

 だが「チュ」はどこから出てきた。

 

 

 でも——言わないと何をされるかわからない。言うしかない……のか。

 

 覚悟を決めろ、俺。

 

 どうせやるなら、とことんやれ。

 

 社会人時代に散々叩き込まれた話だ。中途半端が一番よくない。やると決めたら全力でやれ。それだけだ。

 

 俺は立ち上がった。

 

 エルミアの前まで、まっすぐ歩いた。

 

 しゃがんで、目線を合わせる。

 

 エルミアが少し目を丸くした。

 

「……なんじゃ、急に——」

 

「おかあさん、きょうもすきだよ」

 

 そのまま、顎に手を当てて、少し上に向かせる。そしてエルミアの口に唇を当てた。

 

 ぷちゅ。

 

 

 一秒。

 

(……やわらかい)

 

 思ったよりも、ずっと。

 

 マシュマロみたいだ。いや、それより瑞々しくて、ぷるぷるで——

 

 クッション性が高くて、吸いつくような——

 

 (いや待て、こんな状況で冷静に分析している自分……)

 

 くちびるを離す。

 

「「………………」」

 

 エルミアとクロエが、同時に石になる。

 

 そして、部屋がしんと静まりかえった。

 

「……っ、っっ……///」

 

 エルミアの顔が、見る見るうちに赤くなっていく。とがった耳の先まで。

 

「なっ……な、な……ワシは……お前……これは……///」

 

 言葉になっていない。

 

 ローブの袖で口元を押さえて、そのまま椅子にぐるりと背を向けた。

 

 これで良かったんだよな?とりあえず今の緊迫した状況からいち早く抜け出したい。

 

「……失礼します」

 

 俺は静かに立ち上がった。

 

 クロエが、完全に固まったまま俺を見ていた。目が点になっている。

 

「で、では、失礼します」

 

 クロエも促されるようにして立ち上がり、部屋を出る。

 

 バタンッ! 分厚い扉が閉まった。

 

 その瞬間、扉の向こうからエルミアの声が聞こえてきた。

 

「……っ/// な、なんじゃ今の……ワシは育ての親じゃぞ……?なのになんでどきどきしておるんじゃ……///……もしかしてワシのことを、一人の女として……///……たしかに血はつながっておらぬが………」

 

 なにかゴニョゴニョと聞こえたがよくわからなかった。

 

 クロエが唐突にこちらを見た。それから、口を開く。

 

「……ねえ」

 

「はい」

 

「エルミア様がああいう風にふざけるのはいつものことだけど」

 

 なんだ。そういうノリということか。毎回ああいう感じなのね、エルミア様は。

 

 (道理でクロエが動じていないわけだ)

 

 俺は内心でひとつ納得した。

 

「……あなた、今日おかしいわよ」

 

 クロエが静かに続けた。

 

「いつもは無視してるのに。なんで今日は——」

 

 (し、しまったぁぁぁ!そうだったのか!)

 

 俺は内心で盛大に頭を抱えた。

 

 そうか。無視するか適当にあしらう方向が正解だったかぁ……

 

 しかし社会人魂よ、よりによってなぜ今ここで目覚めた。

 

 (……思えば前世の会社の飲み会を思い出すな)

 

 罰ゲームで同僚にキスをしたり、カンチョーしたり。男同士の飲み会だとけっこう盛り上がる。

 

 (……その癖が、裏目に出た)

 

 ここは適当にごまかそう。

 

「……エルミア様の魅力に惹きつけられまして」

 

「……今後は気をつけなさい。それにしてもゴニョゴニョ」

 

「……はい?」

 

「なんでもないわよ。まったく」

 

 クロエは深いため息をついて、歩き出した。

 

 (次からは加減を覚えよう)

 

 俺はその背中を追いながら、静かに誓った。

 

 長い廊下を歩きながら、クロエが俺の顔をまじまじと見て、少し首を傾けた。

 

「ねえ、リク。あなた、化粧したことある?」

 

「……は?」

 

「明日から女の子として学園に入るんでしょ。今夜、私が教えてあげる」

 

 俺は、もう一度天井を仰いだ。

 

 (こ、ことわりてぇ)

 

 長い夜になりそうだった。

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