女装スパイは今日もバレそう~男とバレても転生者とバレても死ぬ俺の学園生活~ 作:やっくん。
「待て」
エルミアに静かな声で呼び止められる。
心臓が一拍跳ねた。
何か、まずったか……
この少女はきっと見た目通りの年齢じゃない。人を見る目だって、それ相応にあるはずだ。
もし「お前、リクじゃないな」と言われたら、俺はなんと答えればいい……
背中にじわりと汗がにじんだ。
ゆっくりと振り返る。
エルミアの琥珀色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。
「あれを忘れておるぞ」
あれとは……なんだ。
ただ、正体はバレてはいない様子。
心臓がほっと一拍落ち着いた。
安堵したのも束の間。
いや、あれってなんだ……
別の焦りが募る。
ここは——社会人として十数年で身につけた技術を使うしかない。
相手の言葉を繰り返し、会話を続ける。
そうして続いた会話からヒントを得るのだ。
「あれ……ですよね」
「そうじゃ。いつものあれじゃ。まさか忘れたとは言わせんぞ」
エルミアが腕を組んで、じっとこちらを見ている。
いつものあれ……
もう一度繰り返す。
「いつものあれ、ですか……」
静かに待つ。
少女の目がわずかに細くなり、若干得意げな表情で言い放った。
「『おかあさん、きょうもすきよ。チュっ!』……じゃろうが!」
ええええぇぇぇ――っ!?
とりあえず、おちけつ俺。おちつくんだ。
少女は幼いころに拾ったと言っていた。つまりは血はつながっていない。
義理の母ってことだよな……距離感、近くないか……
でも——やらないと正体がバレるかもしれない。
やるしかない……か。
覚悟を決めるんだ、俺。
――やるなら、とことんやる。
それは社会人時代に散々叩き込まれたこと。
中途半端が一番よくない。やると決めたら全力でやる。それだけだ。
俺は立ち上がった。
覚悟を決めてエルミアの前までまっすぐに歩いた。
しゃがんで彼女の目線に合わせる。
エルミアが少し目を丸くした。
「……なんじゃ、急に——」
「おかあさん、きょうもすきだよ」
そのまま顎に手を当てて、少し上に向かせる。
そして、エルミアの口に唇を当てた。
ちゅ――
一秒。
……やわらかい。思ったよりもずっと。
マシュマロみたいだ。いや、それより瑞々しくてぷるぷるしている。
クッション性が高くて、まるで吸いつくような感触。
こんな状況で冷静に分析している自分がいた。
唇を離す。
「「………………」」
エルミアとクロエが同時に石になった。
部屋がしんと静まりかえる。
「……っ!」
エルミアの顔が見る見るうちに赤くなっていく――とがった耳の先まで。
「なっ……なな……わっちは……リク……これは……」
言葉になっていない。
ローブの袖で口元を押さえて、そのままぐるりと背を向けた。
これで良かったんだよな……
とりあえずバレる前に早くここから出よう。
「……失礼します」
俺は静かに立ち上がり扉を目指す。
クロエも促されるようにして立ち上がる。
「で、では、失礼します」
バタンッ!
分厚い扉が閉まった。
その瞬間、扉の向こうからエルミアの声が聞こえてきた。
「……ななな、なんじゃ、今のはっ!……ワシは育ての親じゃぞ……あやつはわっちのことを一人の女として見ておったのか………」
なにかゴニョゴニョと聞こえたが、よく聞こえなかった。
クロエが唐突にこちらを見た。
「……ねえ」
「はい」
「エルミア様がふざけるのはいつものことだけど」
なんだ、いつものノリだったのか。毎回ああいう感じなのね、エルミア様は。
クロエが静かに続けた。
「今日のあなた、おかしいわよ……いつもは無視してるのに。なんで今日に限って——」
し、しまったぁぁぁ! そうだったのかぁっ!
俺は内心で盛大に頭を抱えた。
無視するか、適当にあしらう方向が正解だったかぁ……
しかし、社会人魂よ、よりによってなぜあそこで目覚めた。
……思えば前世の会社の飲み会を思い出す。
罰ゲームで同僚にキスをしたり、カンチョーしたり。男同士の飲み会だとけっこう盛り上がる。
……その癖が、裏目に出たか……
ここは、適当にごまかすしか道はない。
「……エルミア様の魅力に惹きつけられまして」
「……今後は気をつけなさい。それにしてもゴニョゴニョ」
「……はい?」
「なんでもないわ、まったく」
クロエは深いため息をついて歩き出した。
次から気をつけよう。俺はその背中を追いながら静かに誓った。
長い廊下を歩きながら、クロエが俺の顔をまじまじと見て少し首を傾けた。
「ねぇ、リク。あなた化粧はしたことある?」
「……は?」
「明日から女の子として学園に入るんでしょ。今夜、私が教えてあげる」
俺はもう一度天井を仰いだ。
こ、ことわりてぇ……
今日は長い夜になりそうだ。