女装スパイは今日もバレそう~男とバレても転生者とバレても死ぬ俺の学園生活~ 作:やっくん。
「なんで?」
さっきとは違って、トーンが下がった声。
再び、俺の背筋に冷たいものが走った。
困った。これは疑われてる、な……
沈黙していると、彼女の方から口を開いた。
「らしくないわね」
「えっ」
彼女の手が止まる。
「いつものあなたは、あんなことしない。おかしいわよ……ボスの部屋のときから、ずっと……」
なんと答えたもんか……
「なにか……悩みでもあるの?」
……悩みか
一瞬だけ真実を言うべきか迷った。
でも、やっぱり本当のことは言えない。
彼女には悪いけど、ここは誤魔化そう。
「……正直に言うと……任務に行きたくないんです。怖いんです」
ちなみに、怖いと思っているのは本当だ。
「……はぁぁ」
彼女は嘆息するが、俺は続ける。
「頭がおかしくなったと思われたら、任務から外してもらえる――そう思ったんです」
「はぁぁぁぁ」
彼女は天井を仰いで、もう一度大きなため息をついた。長くて深いため息だった。
「あなたは私の何?」
「……上司、ですか?」
「そう」
彼女は静かにうなずいた。
「あなたは私の部下。私のかわいい部下よ」
そのまま、ふわりと抱きしめられた。
え……
彼女の腕が俺の背中にそっと回る。
「悩みがあるなら、まず私に相談しなさい。それが上司というものでしょ」
……大切にされてるな、リク
「ありがとうございます」
彼女はゆっくりと離れた。それから俺の顔をまっすぐ見た。
「それとね、私がいつも言ってること、覚えてる?」
「……なんですか」
「失敗の中に学びはある」
クロエは続けた。
「だから、たくさん失敗しなさい。それが、あなたを成長させるから。それとおぼえておきなさい」
「な、なにを?」
「失敗しても私はずっとあなたの味方」
「……」
もとのリクが彼女を好きになったのも分かる気がする。
——胸の奥がちくりとした。
「いつでも相談してきなさい。週末の休みはこっちに帰ってこれるんだから」
「はい。ありがとうございます」
でも——ふと、思う。
失敗してもいいというが、学園で男だとバレたら時。正体がバレた時――
それは取り返しのつかない失敗になるのではと。
「次は口ね」
化粧の続きであることを完全に忘れていた。
クロエが小さな筆に薄い赤を含ませる。
「口を少し開けて、力を抜いて」
「……こうですか」
「そう、その調子で動かさないで」
唇の輪郭をゆっくりなぞっていく。
鏡を見ていると、顔がどんどん変わっていく。
さっきまで中性的な少年だったものが少しずつ、少しずつ——
「……はい、できた」
クロエが筆を置いた。
鏡の中に知らない誰かがいた。
最初に目に入ったのは目元だった。
くっきりと縁取られたまつ毛が、目を大きく、深く見せている。
次に唇。
薄い色が乗っているだけなのに、顔全体が締まって見える。
よく見れば、顔の造りは変わっていない。
同じ黒髪で、同じ輪郭で、同じ目鼻立ちのはずだ。
なのに——全然違う人間に見えた。
男には絶対に見えない。
でも、か弱くもない。
凛としていて、どこか近寄りがたくて、それでいてなぜか目が離せない。
なんと言えばいいのか……
街で偶然すれ違ったら、つい振り返ってしまうような顔だった。
「……」
「どう?」
クロエが腕を組んで、満足そうに鏡を見ている。
「女の子にしか見えない……」
「そうでしょ。似合うでしょ」
似合う、の言葉の意味を考えた。
「これ、男には見えないですね……」
「見えないわ。百人いたら百二十人が女と答えるわね」
分子が分母を超えてますよ。
「反則ですね…」
「エルミア様が『顔は使える』って意味がわかった? 今のあなたなら、女でも惚れる人がいるかもね」
「……そ、そうですか」
鏡の中の自分をもう一度見た。
これで学園に入るのか……
「……バレないですかね、これ」
「普通にしてれば大丈夫よ。問題は顔じゃなくて行動だから」
「行動?」
「男の子って無意識に男の動きをするのよ。歩き方とか、座り方とか、言葉遣いとか」
「なるほど」
「あとは声かしら。あなたの声はもともと高いけれど、それでも女性の声よりは低い」
声……か。たしかにな。
「だから気をつけて。とくに緊張したときとか、驚いたときとか——地が出やすいから」
「……肝に銘じます」
「よろしい」
彼女は俺の肩を軽く叩いた。
「明日までに少し意識しておきなさい」
「……わかりました」
「ま、あなたならできるわよ。エルミア様が直々にあなたを指名したんだから」
そう言いながら、彼女は道具を片付け始めていた。
このタイミングを利用して、他にも情報を聞き出したいところ。
特に明日から始まる任務について。
「……クロエさんはこの任務をどう思ってますか」
「どうって?」
「無茶だとか、無理があるとか……」
彼女は片付ける手を止めた。
「思わないわけじゃないけど」
それから、ふっと笑った。
「エルミア様がやることには無駄がないのよ。あの方はね、全てを考えた上で動いてるの。私たちには見えていないだけで」
「そ……そうですか」
「そういうこと。それに——」
クロエは俺の顔をまっすぐ見た――後輩思いの優しい目で。
「あなたならできる。私はそう思ってる」
「……ありがとうございます」
「勘違いしないでよ。情で言ってるんじゃないわ」
クロエはすっと視線を外した。
「私の直属の部下が失敗したら私の評価に関わるの。それだけよ」
「はい、期待を裏切らないように頑張ります」
彼女が小瓶を棚に戻しながら、ふと口を開いた。
「はい、用が済んだら出ていく!……あ、その前にこれを食べなさい」
棚から小さな果物を取り出して、こちらに放ってきた。
黄緑色の見たことない果物だ。
「なんですか、これ」
「ミルフェ。この地方でとれるフルーツよ。栄養があるから食べておきなさい」
俺はひとかじりした。
「すっぱっ」
思わず顔がゆがんだ。
目に涙がにじむくらいの酸味が口の中いっぱいに広がる。
「ね」
クロエが腕を組んだ。
「スパイは、すっぱい経験も糧にするのよ」
「…………」
周囲の温度が体感で数度は下がった。
上司の顔を立てて笑うべきか……
この世界に来てから、ある意味では一番の難問に直面しているかもしれない。
俺の取った選択は——