男女比1対30の世界で女装潜入中。男とバレても転生者とバレても死ぬ俺の学園生活 作:ヤッくん
「なんで?」
さっきまでとは違う、少しトーンが下がった声だった。
再び、俺の背筋に冷たいものが走った。
(……困った。さっきからなんか疑われてる。どう答えるべきか……)
黙っているとクロエが口を開いた。
「それにしてもらしくないわね」
彼女の手が止まった。
「あなた、いつもはあんなことしないじゃない。ずっとおかしいわよ。ボスの部屋のときから、なにか……悩みでもあるの?」
(……悩みでもあるの、か)
言うべきか言わないべきか、一瞬だけ迷った。
でも、やっぱり——本当のことは言えない。
「……正直に言うと、任務に行きたくないんです。怖いんです。」
本当のことは言えない。だけど、怖いと思っているのは本当だ。
「……はぁ」
「急にとちくるって頭がおかしくなったと思われたら、そしたら行かなくてよくなるかな、と思ったんです」
「はぁぁぁぁ」
天井を仰いで、クロエが、もう一度大きなため息をついた。長い、深いため息だった。
「あなた、私の何だと思ってるの」
「……上司、ですか?」
「そう」
クロエは静かにうなずいた。
「あなたは私の部下。私のかわいい部下よ」
そのまま、ふわりと抱きしめられた。
(……え)
クロエの腕が、背中にそっと回っている。力は強くない。でも、確かに温かかった。
「悩みがあるなら、まず私に相談しなさい。それが上司というものでしょ」
(……大切にされてるな)
素直に、そう思った。
「ありがとうございます」
クロエはゆっくりと離れた。それから、俺の顔をまっすぐ見た。
「それとね、私がいつも言ってること、覚えてる?」
「……なんですか」
「成功からは何も学べない。失敗からは学びがたくさんある」
クロエは続けた。
「だからたくさん失敗してきなさい。それがあなたを強くするから。それに失敗しても私はずっとあなたの味方よ」
(……こういうところだよな)
こういう言葉を、さらりと言える人だ。
元のリクが彼女を好きになったのも、わかる気がした。厳しいのに、根っこが温かい。
それと同時に——胸の奥がちくりとした。
(こりゃ、中身がおっさんだなんて言えないな。少なくとも今は……)
「いつでも相談してきなさい。週末の休みはこっちに帰ってこれるんだから」
「はい。相談させてください」
俺は素直に答えた。
でも——ふと、思った。
(失敗してもいい、か)
学園で男だとバレたら、クロエは「退学は当然。最悪、攫われたり売られたりする」と言っていた。
それに——これだけ大切にされているリクの中身がおっさんだとバレたときも、
きっと同じ結末が待っている。
(失敗から学ぶ前に、死ぬことになるのでは?)
俺は内心で静かに、でも盛大にツッコんだ。
「次は口ね」
まだ化粧の続きだったことを完全に忘れていた。
クロエが小さな筆に薄い赤を含ませる。
「口を少し開けて、力を抜いて」
「……こうですか」
「そう。動かさないで」
唇の輪郭を、ゆっくりなぞっていく。鏡を見ていると、見慣れない顔がどんどん変わっていくのがわかる。さっきまでただの中性的な少年だったものが、少しずつ、少しずつ——
「……はい、できた」
クロエが筆を置いた。
鏡の中に、知らない女の子がいた。
黒髪で、目元がくっきりとして、唇に淡い色がある。肌が白くて、輪郭が細い。男には見えない。でも、か弱い感じでもない。どこか凛として、それでいてきれいな——
「……」
「どう?」
クロエが腕を組んで、満足そうに鏡を見ている。
「……俺ですか、これ」
「そうよ。似合うでしょ」
似合う、という言葉の意味を少し考えた。
「これ、男に見えますか」
「見えないわ。百人いたら百二十人は女と答えるわね」
いや分母!分子が分母を超えてるから。
「反則ですね…」
「だから言ったじゃない。エルミア様が『顔は使える』って。あなた、女でもほれる顔してるわよ」
「……そうですか」
「きれいなだけじゃないわ。ご令嬢からお姉様と仰ぎたくなる感じ。そしてお姉様方からはどこか意地悪したくなるような可愛さも残っている。って思わせる顔よ。近づきたくなる顔、とでも言うのかしら」
どんな顔だよ。でも………
街を歩いていたら、普段は声なんてかけないような奥手な男でも、思わず足を止めて声をかけてしまうんじゃないか。そう思えるくらいには、鏡の中の顔は——かわいかった。
クロエは少し考えてから、続けた。
「損得で人が動くのは男も女も同じ。その顔は、その入口になれる」
なんとも言えない気持ちだった。ただ、一つだけ言えるのが……
(化粧の力ってすげー!)
鏡の中の自分を、もう一度見た。
(……俺が言うのもなんだが)
「……学園で、バレないですかね」
「普通にしてれば大丈夫よ。問題は顔じゃなくて行動だから」
「行動?」
「男の子って、無意識に男の動きをするのよ。歩き方とか、座り方とか、物の取り方とか」
クロエは俺の肩を軽く叩いた。
「そっちの方が危ないわ。明日までに少し意識しておきなさい」
「……わかりました」
「あと、声。もともとの声は高いけど、それでも女性の声よりは低い。だから気をつけて。緊張したときとか、驚いたときとか
——地が出やすいから」
「……肝に銘じます」
「よろしい」
クロエは道具を片付けながら、さらりと言った。
「ま、あなたならできるわよ。エルミア様が直々にあなたを指名したんだから」
「……クロエさんは、この任務のこと、どう思ってますか」
「どうって?」
「無茶だとか、無理があるとか……思いませんか」
クロエは片付ける手を止めて、少し考えた。
「思わないわけじゃないけど」
それから、ふっと笑った。
「エルミア様がやれと言うことに、無駄なことはないのよ。あの方はね、全部ちゃんと考えた上で動いてるの。私たちには見えていないだけで」
「……そうですか」
「そういうこと。それに——」
クロエは俺の顔をまっすぐ見た。いつもの冷たい目じゃなくて、少しだけ、後輩思いの優しい目。
「あなたならできる。私はそう思ってる」
「……ありがとうございます」
「勘違いしないでよ。情で言ってるんじゃないわ」
クロエはすっと視線を外した。
「私の直属の部下が失敗したら、私の評価に関わるの。それだけよ」
クロエは俺の顔をもう一度見て、今度は本当に小さく、ほとんど独り言みたいに言った。
「がんばってきなさい」
「はい、ありがとうございます」
クロエが小瓶を棚に戻しながら、ふと口を開いた。
「はい、用が済んだら出ていく!……あ、その前に、これ食べなさい」
クロエが棚から小さな果物を取り出して、こちらに放ってきた。
黄緑色の、見たことない果物だ。
「なんですか、これ」
「ミルフェ。この地方でとれるフルーツよ。栄養があるから食べておきなさい」
俺はひとかじりした。
(…………)
「すっぱっ」
思わず顔がゆがんだ。目に涙がにじむくらいの酸味が、口の中いっぱいに広がっている。
「ね」
クロエが腕を組んだ。
「スパイは、すっぱい経験も糧にするものよ」
(…………)
どこからともなく、きーんという音が聞こえた気がした。
笑うべきか。笑わざるべきか。
この世界に来て、ある意味、一番の難問に直面しているかもしれない。
俺の取った選択は——