女装スパイは今日もバレそう~男とバレても転生者とバレても死ぬ俺の学園生活~ 作:やっくん。
「スパイは、すっぱい経験も糧にするのよ」
「……」
周囲の温度が体感で数度下がった。
上司の顔を立てて笑うべきか……
この世界に来てから、ある意味では一番の難問に直面しているかもしれない。
俺の取った選択は——
「はっはっはっはっ」
とりあえず、笑うことにした。
「や、やったっ! 初めて笑いが取れたっ!」
初めて?
「ようやく、ようやくよ。長年努力したかいがあったわ……」
……長い間、誰も笑ってなかったのか……
「なによ、その顔」
「いえ。なんでもないです」
「はい、用が済んだら出ていく!部屋にもどって早く寝なさい!」
「わかりました。じゃあ失礼しました」
バタン!とドアが閉まる。
あ……彼女に聞き忘れた。
「おれの部屋ってどこ?」
◆
リクが部屋に戻り、明かりが消えた頃
廊下の突き当たり、エルミアの部屋には今だランプが灯っていた。
「それで、クロエよ。お前が直接ワシに質問に来るとは珍しいのぉ」
エルミアは大きな椅子にどっかりと座り、足をぶらぶらさせながら言った。
彼女の足は全く床に届いていない。
「お時間を取らせてしまい申し訳ございません……ひとつ、聞いてもよいですか、エルミア様」
「なんじゃ」
「今回の任務、私たちではなく、なぜリクを選んだんですか」
エルミアはぴたりと足を止めた。
それから、にやりと口の端を上げた。
「聞きたいか?」
「聞かせてください」
「ふむ。まあよい、教えてやろう」
エルミアは椅子の上でふんぞり返り、指を一本立てた。
「理由はみっつある。まず一つ目」
「はい」
「あやつには才能がある」
「才能……ですか」
「そうじゃ。魔法の才能、剣術の才能、人を惹きつける才能。それが今はまだ原石のままじゃ。学園に放り込んで、揉まれて、磨かれてくれば、もっとよくなる」
「可愛い子には旅をさせろ、ということですか」
「そういうことじゃ。ぬるま湯に浸けておいても成長せん。わっちはあやつに強くなってほしいんじゃよ」
クロエは静かにうなずいた。
「二つ目の理由は?」
エルミアは指を二本に増やした。
「リクはな、このまま普通に生活させておくのが逆に危険なんじゃ」
「……どういうことですか」
「考えてみろ。この世界の人口は三千万人。そのうち男は百万人。おおよそ三十人に一人じゃ」
「はい、そのくらいは把握しています」
「では、リクはどのくらいの確率の存在か、考えたことがあるか?」
クロエは少し首を傾けた。
「魔法を使えるものは、百人に一人と言われています。リクはそれに該当しますね」
「そうじゃ。それだけではない」
エルミアは指を折りながら言った。
「あの顔じゃ。男の中でも、あれほど整った顔立ちは百人に一人もおらん。それに加えて、性格がいい。裏表がなくて、人の話をよく聞いて、自然と人が寄ってくる。これも百人に一人の話じゃ」
「男はみんな無愛想だったり、プライドが高かったりしますからね」
「そうじゃろうて。男が三十人に一人、その中で魔法の才能が百人に一人、顔が百人に一人、性格が百人に一人。全部かけ合わせると」
エルミアは指でとんとんと肘掛けを叩いた。
「三千万分の一じゃ。実質、この世界に一人か二人しかおらんという計算になる」
クロエは絶句した。
「……そんな計算に、なりますか」
「なるんじゃよ」
エルミアはため息をついた。ただし、どこか誇らしそうな顔で。
「あやつを普通に生活させてみろ。すぐに嗅ぎつけられる。貴族に囲われるか、どこかの国に買われるか、あるいは物騒な連中にさらわれるか。どれにしても、ろくな未来じゃない」
「だから……女装させて、身を隠させると。なるほど……まさに盲点でした。もう目が点です」
「……(このジョークさえなければのぉ、お前は本当に優秀なんじゃがのぉ……)」
「説明すると今のは盲点ともう目が点とで……」
「わかっとるわい! 話を戻すぞ。リクが女として生きていれば、少なくとも男として狙われることはない。学園という守られた場所に潜り込ませて、そこで力をつけさせる。一石二鳥じゃろ」
クロエはしばらく考えてから、ゆっくりとうなずいた。
「……なるほど。確かに、理にかなっています」
「じゃろ?」
「三つ目の理由は、なんですか?」
エルミアは指を三本に増やした。
「あやつの天性の人たらしじゃ」
「人たらし?」
「意識せずに人を惹きつける才能のことじゃよ。本人は何もしていないつもりでも、気づいたら周りに人が集まっておる。あやつにはそういう素質がある」
「……確かに」
クロエは思い当たることがあったのか、少し遠い目をした。
「有力貴族が集まる学園で、その才能を使えば」
「情報を引き出すのも、こちら側に引き込むのも、たやすいもんじゃろうて。相手がたとえどんな堅物でも、じゃ」
「……それで、女装を」
「男と知られれば大騒ぎになる。女として自然に溶け込んでもなお、あの才能が活きる。もちろんリスクはあるがの」
クロエはひとつ息をついた。
「さすがです、エルミアさま!」
「当たり前じゃ」
クロエは、どこからか忍ばせた空き缶を取り出す。
「まさに圧巻です!あっ、缶です」
「……口が減らんやつじゃのぉ、お前は」
エルミアは呆れた顔をしている。
クロエの表情が真面目なものに変わる。
「……ちなみに、エルミア様」
「なんじゃ」
「実は……今日のリクの様子が、少し気になりまして」
「というと?」
「ずっとおかしいんです。エルミア様に対しての無礼……加えて、化粧を教えながら話をしていても、どこか要領を得ない感じで――まるで別人みたいに」
「ほぉ、別人みたい、とな」
エルミアは目を細めた。
「はい。自分の性格を聞いてきたり、自分でわかっていそうなことをわざわざ確認するような質問が多くて」
「ふむ」
エルミアはしばらく黙った。ランプの火が、ゆらりと揺れる。
「それと、ミルフェを知りませんでした」
「ふむ。ミルフェを知らんとな。何度か食べさせたことがあったと思ったが」
クロエは少し眉をひそめた。それから少し間を置いた。
「……まさか、とは思うんですが」
「なんじゃ」
「テンセーシャ、では?」
部屋が、しんと静まりかえった。
ランプの火が、再び揺れた。
「……なんじゃと」
「冗談です。おとぎ話の話ですし」
「当たり前じゃ」
エルミアは鼻を鳴らした。
「テンセーシャなどというものは、子どもを怖がらせるための作り話じゃ。実際にそんなものがおるなら、とっくに誰かが見つけておる」
「ですよね」
「そうじゃ、おとぎ話じゃ」
「……子どものころ、親からも言われましたね。悪い子はテンセーシャに魂くわれて乗っ取られるぞ〜、って」
「そうじゃろうて。どこの親も同じことを言う」
エルミアは小さく笑った。
「昔からある話じゃ。子どもを言い聞かせるには、ちょうどいい怪談じゃからのぉ。お前は心配性すぎじゃよ、クロエ」
エルミアの足が、ぴたりと止まった。
「もし、万が一、本当に万が一の話じゃが」
「はい」
「ワシのかわいいリクが、どこかの得体の知れない輩に魂を食われていたとしたら」
声のトーンが、一段低くなった。
「その輩を探し出して、食った魂を吐き出させる。それができないというなら——」
ただ、当たり前のことを言うように。
「この世界から消す」
「ワシのかわいいリクを喰らった。それだけで、万死に値する。どこの誰であろうと、何の事情があろうと関係ない」
エルミアの琥珀色の瞳が、ランプの光を受けてきらりと光る。
クロエは何も言わず、それを当然のように聞いている。
「まあ、おとぎ話じゃがのぉ。ほっほっほ。」
エルミアはあっさりと言って、また足をぶらぶらさせはじめた。
「……そうですね。おとぎ話ですね。うふふ。」
張り詰めていた緊張感が解け、その場の雰囲気が弛緩した。
「……そうじゃ、お主に聞きたいことがあるんじゃが」
「何でしょうか。私に分かることであれば何でも」
クロエは首を傾けた。
「リクはなぜ
――わっちにキスしたと思う?」
「あ、それはですね。実は任務が嫌だったらしく、頭がおかしいと思われるために——」
「やはり、わっちの女としての色気と魅力が、リクを惑わせてしまったと思ってのぉ」
「い、いえ、そうではなくて——」
「わっちはこれからも母として接するべきじゃと思うておる。じゃが、あやつの初恋を無下にもできん」
クロエは再び口を開いた。
「あの、ちがくて——」
「リクのやつが本気なら、わっちも真摯に向き合わねばならんと、そう思っておるんじゃ……」
パク、パク、パク。
クロエの口は、何か言いたげに何度か開いては閉じてを繰り返す。
「……は、はい。そう……思います」
しかし、彼女は静かに諦めた。
「うむ。また進展があれば話をするからの」
エルミアは満足そうにうなずき、それから、ふと窓の外に目をやった。
「む……もうこんな時間か。お寝むの時間じゃ」
椅子からぴょんと飛び降りて、ローブの裾を整えた。
「では解散じゃ」
「はっ。では——」
二人は背筋を伸ばした。
「「クルクルクルッピに栄光あれ」」
声がぴたりと揃った。
静寂。
エルミアが満足そうに鼻を鳴らした。
「うむ。よい掛け声じゃった」
「はい、失礼いたします」
扉が静かに閉まった。
部屋に一人残されたエルミアは、しばらくランプの火をぼんやりと眺めていた。
エルミアはランプの火をぼんやりと眺めながら言った。
「リクのやつが学園でうまくやれば——次世代の権力者たちが、気づかぬうちにワシらの手の中に収まる。今まで何十年もかかると思っておった計画が」
口の端が、にやりと上がった。
「年単位で縮まるかもしれんのぉ」
ランプの光が、琥珀色の瞳をゆらりと照らした。
「——世界征服」