カードキャプターさくら 〜資本主義の暴力で世界をハックする〜 作:鳥ささみ
1. 特典という名の、あまりにも非情な「絶望」
「──なぜだ。なぜこうなった。どうしろって言うんだ、これ……!」
香港、街を一望するビクトリア・ピークのほど近く。鬱蒼たる霊気と、歴史の重みが染み付いた李家(りけ)の大本家。その一角にある、最高級の調度品に彩られた自室のベッドの上で、一人の幼い少年が頭を抱えてのたうち回っていた。
少年の名は、李小狼(り・しゃおらん)。
名門中の名門である魔術家系「李家」の正統なる跡取り息子であり、卓越した魔術の血筋を引く……はずの少年である。
だが、その身体の中に宿る魂は、全く別の世界からやってきた転生者のものであった。
前世の彼は、お世辞にも高潔とは言えない、実に俗っぽくて強欲な男だった。何よりも金が好きで、何よりも可愛い女の子が大好き。しかし、前世では底辺の生活を余儀なくされ、金がないがゆえに女にも全くモテず、うだつの上がらないまま孤独に人生の幕を閉じたのだ。
そんな彼が、死後の謎の空間で「お前に一つ、特別な技能(スキル)を授けて転生させてやろう」と告げられた時、魂の底から反射的に、狂ったように叫んだのは当然の帰結だった。
『とにかく金が稼げる、最高最強の能力をくれ! 富だ! 資本だ! 札束で世界を殴れるような力をくれぇぇぇ!!』
その貪欲な願いは見事に聞き届けられた。脳内にインストールされたその能力の通知を、彼は今でも呪わしいほどに鮮明に覚えている。
【転生特典:至高の経済技能(マスター・エコノミクス)】
・世界のあらゆる市場の動向、微細な資金移動を完全に把握する。
・為替レート、株価、債券、先物相場の変動をミリ秒単位で予測可能。
・あらゆる投資、融資、買収、資本構築における最適解を常に脳内に導き出す。
まさに資本主義社会における「神の目」とも言える究極のチート能力。これさえあれば、ウォール街だろうがロンドンだろうが、パソコン一台で世界の富を全て吸い尽くすことすら不可能ではない。
事実、自分が「李小狼」という、名前に見覚えのある裕福そうな家系の子供に生まれ変わったことを知った直後、彼はガッツポーズを突き上げたものだ。
しかし、その直後に突きつけられた「この世界の真実」が、彼をどん底の絶望へと叩き落とした。
「……ここ、魔術の世界じゃねえかぁぁぁ!!!」
小狼は豪華なシルクの枕に顔を埋め、近所迷惑も顧みずに絶叫した。
毎朝、日の出とともに叩き起こされ、母親である李夜蘭(り・いぇらん)や、4人の恐ろしい姉たちから課されるのは、容赦のない魔術の修行だった。
『小狼、今日の魔力の練り方は甘い!』『呪符に込める精神のキレが鈍っているぞ!』と、容赦なくシバかれる毎日。
そう、この世界を支配する絶対的な力は、オカルトであり、神秘であり、魔術なのだ。
飛び交うのは火炎の呪符であり、呼び出されるのは嵐や水の精霊。そんな脳筋ファンタジーの世界において、「ウォール街で無双できる経済知識」をもらったところで、一体何ができるというのか。
「どうしろと……マジでどうしろって言うんだよ! 敵の魔術師が火球をぶっ放してきた時にさ、『おい、今原油価格が暴落してるから、その火力のコストパフォーマンスは最悪だぞ!』とか叫べばいいのか!? そのまま焼き尽くされて灰になるだけだろ!!」
しかも、彼にはもう一つ、致命的な弱点があった。
それは、原作知識が絶望的なまでに「ゼロ」ということだ。
「カードキャプターさくら」という作品の名前くらいは、前世の薄い記憶の中にあった。なんか、ものすごく可愛い女の子が杖を振り回して、不思議なカードを集める、いわゆる魔法少女モノの超有名アニメだろう──という、極めて浅い、表面的な認識しかない。
自分がその作品の「小狼」という主要キャラクターに転生していることには気づいたが、具体的にどのようなストーリーが進み、どんな強敵が現れ、世界にどんな危機が訪れるのか、具体的なイベントの知識が全くなかった。
「ただでさえストーリー展開が分からなくて不安なのに、俺に与えられた武器が『株取引の才能』って……。李家の過酷な修行に耐えられるわけがないだろ。俺はもっと、こう……一撃で大陸を沈めるような『爆裂魔法』とか、あらゆる概念を切り裂く『魔剣の才能』とかが欲しかったんだよ!」
李小狼としての肉体に宿る魔力量は、子供としては確かに優秀な部類だった。しかし、精神の調和や自然界の陰陽五行を重視する李家の正統な東洋魔術は、彼自身の本質である「無類の金好き・女好き」というギラついた俗物の精神と、致命的なまでに相性が悪かった。結果として、彼の魔力出力は常に不安定で、周囲からは「李家の血を引きながら、どこか出来の悪い異端児」として扱われかけていた。
「クソッ、このままじゃ、ただの『ちょっと魔術が使えるだけの、金勘定が得意なクソガキ』として、歴史の闇に埋もれて終わる……。それだけは絶対に御免だ! 俺は、この人生を最高に謳歌したいんだよ! 湯水のように金を稼いで、死ぬほど可愛い女をたくさん囲って、贅沢の限りを尽くして死ぬんだ!!」
絶望のどん底から這い上がろうとする彼の、底知れない強欲さと執念。そして、脳内に宿る「至高の経済技能」が、ここで最悪の、そして最高に狂った化学反応を起こし始める。
「……待てよ?」
小狼は、のそりとベッドから起き上がった。その鋭い三白眼に、怪しい、ギラギラとした資本主義の光が灯る。
「魔術のエネルギー源は『魔力』だ。じゃあ、その魔力の本質って一体何だ?」
李家の古い文献には、自然界に満ちる気、精神の流動、万物をつなぐ絆、などと高尚な言葉が並んでいた。だが、小狼の超高スペックな経済脳がそれを翻訳すると、全く異なる答えが導き出された。
「要するに、それって『流動性のある、交換可能な価値(リソース)』ってことだろ?」
経済学において、価値とは姿形を変えて循環するエネルギーそのものである。
通貨、労働、商品、信用、有価証券。それらはすべて、社会というシステムを稼働させるためのリソースだ。
「なら……魔術という世界のシステムを、『現代経済学』のフィルターを通して再構築(リビルド)したらどうなる?」
彼の中に眠る「経済技能」が、凄まじいギアを上げて回転を始めた。
通常、魔術師は自分の血肉を削るようにして体内の魔力を練り、呪符や呪文という伝統的な媒体(デバイス)を通して現象を起こす。これは経済学的に見れば、自給自足の原始的な物ブツ交換であり、極めて非効率的な自家発電に過ぎない。
「効率が悪すぎる。なぜ自分の命のコストを払ってエネルギーを自給しなきゃいけないんだ? 現代社会には、もっと安定的で、強力で、明確な数字として可視化された『純粋な価値の結晶』があるじゃないか」
それこそが──日本円(キャッシュ)。
そして、電子の海を巡る口座残高(デジタル・マネー)だ。
「俺自身の体から出る限定的な魔力をエネルギーにするんじゃない。俺が完全に所有し、世界が価値を認めている『合法的な資産』そのものを、ダイレクトに世界のシステム(物理法則)へ叩き込んで、現象を直接『買収』すればいいんだ」
思い立ったら吉日。小狼は李家の図書室から無断で持ち出してきた、基礎的な術式構成の古文書を広げ、脳内の経済技能をフル稼働させて、魔術回路の根底からの書き換え作業に着手した。
目指すのは、世界で唯一の、そして最も邪悪で冷徹な魔術。
「体内の魔力回路を、銀行の『オンライン口座』と完全に同期させる。そして、発生させたい現象の強度を1円単位で『価格設定(プライシング)』し、世界に対して『決済(チェックアウト)』を実行する術式……」
数日間の完全なる徹夜。李家の人間たちが「小狼がまた部屋に引きこもってサボっている」と呆れる中、彼は自らの精神の奥底に、人類の歴史上誰も見たことのない、悍ましい魔術基盤を構築してしまった。
それは、陰陽五行の調和でもなければ、西洋の錬金術の等価交換でもない。
「中央銀行の決済システム」と「超高速為替取引」の概念をそのまま魔力回路へとコンバートした、外道の極みのようなオリジナル魔術──。
小狼は、枕元に置いてあったスマートフォンを開き、個人で管理している子供用の銀行口座の残高を確認した。前世の知識を活かす前、お年玉や小遣いをコツコツ貯めただけの、わずか「15,000円」の残高。
「よし、実験だ。まずは最小単位、超ローリスクの取引からいくぞ」
小狼は部屋の隅にある、古びた木製の椅子に狙いを定めた。
本来の小狼なら、ここで火の呪符を取り出し、東洋の呪文を唱えて燃やすところだ。だが、今の彼は呪符など持っていない。ただ、右手を椅子の方向に突き出しただけだ。
「術式発動。対象、前方の木製椅子。引き起こす現象、摩擦熱の強制操作による局所的な発火。──『決済(チェックアウト)』。設定金額、300円」
キィン、と。
世界が、一瞬だけ電子マネーの決済音が鳴り響いたかのような、奇妙な静寂に包まれた。
次の瞬間、小狼の脳内で「口座残高:14,700円」という通知が引かれると同時に、前方の椅子の脚から、ボッと真っ赤な炎が勢いよく噴き上がった。
「うおっ!? ま、マジで燃えた!!」
小狼は慌てて近くにあった洗面器の水をかけ、ジュッと音を立てて消火した。黒焦げになった椅子の脚を見つめながら、彼の全身は、言葉にできないほどの興奮でガタガタと震えていた。
「これだ……これだよ! 呪文も、精神統一も、小難しい呪符の生産コストも何もいらない! 俺の口座からデジタル上の数字が引かれると同時に、世界がその『対価』として、正確無比な物理現象をよこしてくる! まさに資本主義の勝利、市場原理の極みだ!」
さらに、脳内の経済技能の恩恵により、彼は引き起こす現象の「コストパフォーマンス」を完璧に算定することができた。
「300円でこれか。ってことは、最小単位の1円ならどうなる? ──『決済』、1円。現象、室内のそよ風」
ふわり、と部屋のカーテンが優しく揺れた。
「素晴らしい……1円単位で完璧に出力を制御できる! 通常の魔術は、術者の精神状態によって出力がブレたり、無駄な魔力をロスしたりするが、俺の経済魔法は1円の無駄もなく、支払った金額に対して100%正確な等価の現象が返ってくる。燃費が良いなんてレベルじゃないぞ」
さらに彼は、この魔術が秘める、本質的な「狂気」に気づき、ゾクリと背筋を凍らせた。
「これ……もし俺の口座に、数億円、数兆円っていう、国家予算レベルの資産があったら……一体どうなる? 100万円を決済(一括払い)すれば、家一軒を消滅させる大魔術がノータイムで発動できる。1億円なら、街一つを消し飛ばす天変地異が買える。……そして、もし『世界の富』を完全に掌握してブチ込んだら……世界の理、因果律そのものを力づくで買い叩いて、俺の都合のいいように書き換えられるんじゃないか?」
それは、魔術の世界における「ガチの経済テロ」そのものだった。
札束で世界の顔を引っ叩き、物理法則すらも「対価」によって奴隷のように従わせる、極悪非道の大魔術。あまりのヤバさに、今のところ名称すら決めていない。というか、恐ろしすぎて「名称不明」のまま、彼だけの絶対的な切り札として隠匿することにした。
「……だが、現時点での致命的な問題があるな」
小狼は冷や汗を流しながら、スマホの画面に表示された残高「14,699円」を見つめた。
「金が、圧倒的に足りない。300円で椅子を焦がす程度じゃ、実戦に出たら一瞬で破産(デス)して終わる。この魔術を真に最強にするためには、何よりもまず、世界をハックできるほどの『圧倒的な資本(キャッシュ)』が必要だ」
魔術の世界で「経済技能」というハズレ特典を引いたと絶望した少年は、その瞬間、世界を資本の力でハックする「経済テロリスト」へと完全な変貌を遂げた。
「見てろよ、世界。俺の能力をハズレだと笑った神サマだか何だか知らないが、資本主義の真の恐ろしさを教えてやる。まずは……この『李家』の有り余る歴史的財産を、俺の軍資金として徹底的にハックしてやる!」
こうして、李小狼の、世界のルールを無視した「資産運用バトル」の幕が静かに上がった。
2. 李家の財産を100倍にする漢(10歳のポートフォリオ)
「小狼、本日もお前の魔力運用は不安定ですね。これでは李家の名を継ぐ者として、あまりにも心許ない。もっと厳しく自分を律し、血に恥じぬ鍛錬を積みなさい」
香港の本家大広間。李家の現当主であり、小狼の母親である李夜蘭は、冷徹なまでの威厳を放ちながら、上座から息子を見下ろしていた。
その背後には、4人の姉たち(芙蝶、雪蝶、桃花、黄蝶)が並び、心配そうに、あるいは「またお母様に怒られてる」と呆れたように小狼を見つめている。
本来の小狼なら、ここで悔しそうに歯を食いしばり、「はい、母上! 申し訳ありません!」と殊勝に答えて、さらに過酷な修行へ戻るところだろう。
だが、現在の転生小狼の頭の中は、全く別のことで一杯だった。
(……相変わらず、母上の着ている最高級シルクのチャイナドレス、スリットが深くてスタイルが強調されててめちゃくちゃエロいな。姉貴たちも全員タイプの違う美人だし、李家の遺伝子優秀すぎだろ。将来、俺のハーレムに……いや、今はそんな不敬なことを考えている場合じゃない)
小狼は、スッと真面目なポーカーフェイスを作り、一歩前に出た。
「母上。日々の魔術の鍛錬も重要ですが、私は今、李家の『未来』を激しく憂いております」
「……何?」
夜蘭の美しい眉が、ピクリと不快そうに動いた。わずか数歳の子供が、歴史ある李家の未来を語るなど、片腹痛い。
しかし、小狼の目は、大人のそれすら圧倒するほどの真剣そのものだった。
「李家は、偉大なるクロウ・リードの血を引く魔術の名門。ですが、現代社会において、魔術だけで組織を維持することは絶対に不可能です。日々の研究費、呪符の材料費、本家の莫大な維持費、そして世界中に散らばる門下生やエージェントたちへの手当て……。これらはすべて、霊力ではなく『お金』によって賄われています」
「何を言い出すかと思えば。李家の財政なら、代々伝わる莫大な土地資産と、いくつかの関連企業からの配当で十分に安定している。お前が心配することではない」
「安定、ですか。それは衰退への第一歩、ただの『現状維持』に過ぎません」
小狼は不敵な笑みを浮かべ、懐から一冊の分厚い資料を取り出した。それは彼が「至高の経済技能」をフル活用し、李家の財務諸表と、現代の世界経済の動向をミリ秒単位でクロス分析してまとめた、極秘の『資産運用提案書』だった。
「現在の李家のポートフォリオは、あまりにも保守的(コンサバ)すぎます。香港の不動産と、伝統的な国債・債券が中心。これでは、近く訪れる世界的な金融危機、そしてアジア市場の急激な地殻変動に対応できません。はっきり言います。このままでは、あと10年もすればインフレと市場の波に飲まれ、李家の資産価値は実質的に半減します」
「な……!?」
姉の一人が息を呑んだ。
夜蘭は無表情のままだが、その鋭い瞳の奥に、明らかな動揺が走ったのを小狼は見逃さなかった。李家は魔術の名門であるがゆえに、経済に関しては外部の専門の会計士に丸投げしていた。そこに、現代の最先端金融知識を持った「経済技能の化身」が、子供の皮をかぶって切り込んできたのだ。
「小狼、お前は何が言いたいのです」
「母上。李家の全資産の運用権を、一時的に私に一部委託(デリゲーション)してください。私が、李家の財産を現在の『100倍』にしてみせます」
大広間が、氷ついたように静まり返った。
100倍。それは、ただの子供のホラ話にしか聞こえない数字だ。現在の李家の総資産は、世界中に散らばる隠匿資産も含めれば、日本円にして数百億円規模に達する。それを100倍にするということは、数兆円規模の資産を築くという意味だ。国家の予算に匹敵する額である。
「……狂ったか、小狼。魔術の修行から逃れるために、そのような大言壮語を」
「ホラだと思うなら、3ヶ月の試験期間をください。李家の予備費から、私が動かせるだけの資金を貸し付けてください。もし3ヶ月以内に、それを『10倍』にできなければ、私は一生、母上の言う通りに一切の文句を言わず、魔術の修行だけに身を捧げます。ですが、もし成功したら……」
小狼は顔を上げ、傲然と言い放った。
「李家の全資産の運用権、そして私の行動の完全な自由を認め、時期が来たら私を日本へ留学させてください」
夜蘭は、じっと息子を見つめた。
そこにいるのは、かつての未熟で、自分の魔力に振り回されていた息子ではない。まるで、ウォール街の大物ヘッジファンドマネージャーが乗り移ったかのような、圧倒的な自信と覇気をまとった「未知の怪物」だった。
「……いいでしょう。面白い。そこまで言うのなら、李家の秘密口座から『1億円(相当の香港ドル)』を動かす権利を与えます。3ヶ月で10倍、つまり10億円にしなさい。できなければ、お前の自由は二度とありません」
「契約成立ですね。賢明なご判断、感謝します、母上」
小狼は深く頭を下げながら、内心で激しいガッツポーズをキメていた。
(勝った。1億円も原資(種銭)があれば、「至高の経済技能」を持つ俺にとって、世界市場はただの暗証番号なしのATMだ!)
その日から、李小狼の「世界ハック」が本格的に始まった。
彼は魔術の訓練の合間(というか、母の目を盗んでほとんどサボりながら)、自室にマルチモニターのPC環境を(一部の資産を転がして得た裏金で)構築し、世界の金融市場へエントリーした。
彼の武器は、未来の株価や為替の動きを100%見通せる「経済技能」だ。
通常の投資家なら、リスクヘッジを考え、レバレッジを抑えて手堅く運用するところだが、小狼にその必要は一切ない。なぜなら、「負ける確率が完全なる0%」だからだ。
1週目: 為替市場(FX)にて、ドル・円・ユーロの超短期スキャルピングを決行。レバレッジを限界までかけ、1億円の原資をわずか3日間で5億円に増やす。
2週目: アメリカ市場株で、これから数日後に爆発的な成長を遂げる(現時点では誰も注目していない)ITベンチャー企業の未公開株やオプションを買い漁り、直後の業務提携ニュースが流れた瞬間に高値で全売却。資産は一気に30億円へ。
1ヶ月目: 原油の先物取引および、金(ゴールド)の相場を完璧にコントロール。市場の裏にいる大口のヘッジファンドの動きを完全に予測し、彼らの仕掛けた罠を逆に利用して資金を根こそぎカモにすることで、資産は150億円に到達。
この時点で、李家の抱えていたお抱えの老会計士たちは、送られてきた口座の数字を見て泡を吹いて倒れた。
「お、お頭……! 小狼様が、わずか1ヶ月で予備費を150倍に増やされました! 意味が分かりません! チャートの神が憑依したとしか思えません!」
夜蘭も、送られてきた中間報告書を二度見し、三度見した。冷徹な彼女の顔が、驚愕と戦慄で歪んでいた。
しかし、小狼の進撃は止まらない。彼は増えた莫大な資金を元手に、今度は「合法的な経済テロ」に近い手法を取り始めた。
「至高の経済技能」は、単に相場を読むだけではない。「どのタイミングで、どの銘柄に、どれだけの資金を大量投入すれば、市場全体がどうパニックを起こし、他人がどう動くか」を完璧にコントロールできるのだ。
「ふん、この欧州のメガバンク、内部で巨額の不正融資を隠蔽してるな。──よし、徹底的な空売り(ショート)だ。それと同時に、泳がせておいた関連会社の株を買い占めて、流動性を極限まで枯渇させる」
小狼がPCのエンターキーを静かに叩くたびに、世界のどこかで巨大なヘッジファンドや大企業が悲鳴を上げ、その莫大な富が吸い上げられるようにして、李家の秘密口座へと濁流のように流れ込んできた。
彼は、表舞台には一切出ず、複数のペーパーカンパニーを複雑に経由して、電子の海から世界経済をハックし続けた。
そして、約束の3ヶ月後──。
約束の期日、小狼は大広間で再び夜蘭と対峙した。
小狼が差し出した最新のスマートフォンの画面には、李家の秘密口座の残高が表示されていた。
そこにあった数字は──当初の約束である「10億円(10倍)」や、李家の総資産の100倍である「数千億円」などという生易しいものではなかった。
【総資産残高:1,000,000,000,000円(1兆円)】
「……1兆……円……?」
姉の一人が、ついに現実逃避するように白目を剥いて床に倒れた。
夜蘭の手が、かすかに、しかし確実に震えている。
1億円を、3ヶ月で1兆円。すなわち、「1万倍」である。李家全体の総資産すらも遥かに超越する、国家の国家予算レベルの巨万の富を、この10歳にも満たない少年は、部屋に引きこもってパソコン一台で叩き出したのだ。
「約束通り、李家の財産を(本家の資産も含めて)100倍以上に増やしました。……文句はありませんね、母上?」
小狼は、最高にゲスで、最高に不敵な笑みを浮かべた。
夜蘭は長い、本当に長い沈黙の後、深くため息をつき、完全なる敗北を認めるように目を閉じた。
「……お前の勝ちです、小狼。お前はもう、李家という古い枠に収まる器ではない。……約束通り、お前に完全な行動の自由を認めます。そして……留学の手続きも、お前の望む通りに進めましょう」
「ありがとうございます、母上」
小狼は慇懃に一礼した。
これで、無限に近い「軍資金」が手に入った。彼の開発した、口座残高を消費して現象を起こす「名称不明の経済魔法」は、この1兆円という圧倒的なキャッシュ(原資)を得たことで、世界を物理的に滅ぼしかねない、ガチの経済テロ魔術へと完全な進化を遂げたのだ。
(よし、資金調達は完璧だ。経済基盤(インフラ)は整った。次は……『女』だ! 前世の薄い記憶によれば、日本にはなんか俺の運命のヒロイン(めちゃくちゃ可愛い女の子)がいるらしいからな。原作知識はないが、俺の全財産とこの最強の経済魔法を使って、どんな手を使ってでも俺の女にしてやる!)
3. 年幼き美鈴との時間と、静かなる胎動
李家の財産を100倍にし、事実上の自由を手に入れた小狼だったが、日本への留学が決定するまでには、まだ少しの猶予があった。なぜなら、彼が探している「運命のイベント(クロウカード関連の何か)」が世界で発生する気配が、まだ魔術的にも経済的にも観測されていなかったからだ。
そんな中、香港での彼の日常に、一人の少女が頻繁に割り込んでくるようになった。
「小狼ーーーっ!! 今日も私の特製点心を持ってきたわよ! ちゃんと全部食べなさいよね!」
バン、と部屋のドアを勢いよく開けて入ってきたのは、小狼の従妹であり、婚約者を自称する少女、李美鈴(り・めいりん)だった。
彼女は李家の血を引きながらも、生まれつき一切の「魔力」を持たない。その代わりに、人一倍の努力で拳法を極めようとしている、非常に勝気で一本気な女の子だ。
本来の小狼なら、彼女の猛烈なアプローチに困惑したり、冷たくあしらったりするところだろう。
だが、現在の転生小狼は「無類の女好き」である。
(くっ……相変わらずツインテールが最高に似合ってて可愛いな、美鈴。魔力がない? そんなもん、俺の1兆円の口座残高の前には何のアドバンテージにもならんわ。可愛い女の子はそれだけで、存在するだけで正義、圧倒的なプラス資産なんだよ!)
「おう、美鈴。いつも悪いな。お前の作った点心なら、いくらでも食ってやるよ」
小狼がニヤリと笑って彼女の頭をポンポンと撫でると、美鈴は一瞬だけ顔を真っ赤にし、すぐにそっぽを向いてフンと鼻を鳴らした。
「な、何よ、急に素直になっちゃって気持ち悪いわね!……でも、美味しいって言ってくれるなら、明日も作ってあげなくもないわ」
美鈴は魔力を持たない自分に強いコンプレックスを抱いていたが、この小狼は彼女のそんな部分を一切気にしなかった。それどころか、オフの日には彼女を連れて、香港の高級ショッピングモールやアミューズメントパークへ繰り出し、自らの財力(経済魔法の実験も兼ねた裏金)を使って、彼女の欲しいものを何でも買い与えて遊んだ。
「ちょっと小狼、これ高すぎるわよ!? 私、こんな服……」
「気にするな美鈴。可愛いお前がそれを着ることで、その服の価値が何倍にも跳ね上がるんだ。これは俺投資(インベストメント)だからな」
「と、投資ってなによもう……! バカ小狼!」
美鈴をからかい、彼女の豊かな表情を見て楽しむ時間は、過酷な経済テロのスキームを組み立てる小狼にとって、唯一の癒やしの時間でもあった。原作知識がない小狼は、美鈴が将来どんな役割を果たすのかも知らなかったが、「可愛いからヨシ!」の精神で、彼女との時間を存分に満喫していた。
しかし、そんな平和な時間は、唐突に終わりを告げることになる。
ある夜、香港の夜空に、異様な「霊気の乱れ」が観測された。それは、地球の魔力の循環システム(レイライン)のバランスが、極東の地を中心としてガラガラと崩壊を始めた合図だった。
小狼の脳内に構築された経済魔術のインジケーターが、激しいアラートを鳴らす。
【警告:極東エリア(日本)にて、世界最高峰の魔術資産『クロウカード』の封印が解除された模様。市場への莫大な魔力インフレ、および因果律のデフレが発生中】
「……ついに来たか」
自室のPCモニターに映し出された、日本の地図──その中の「友枝町」という小さな町の一角を指差しながら、小狼は不敵に呟いた。
時を同じくして、本家の大広間に呼び出された小狼は、母親の夜蘭から、冷徹な命令を下される。
「小狼。日本、友枝町にて、かつてクロウ・リードが作った魔法の結晶『クロウカード』の封印が解かれました。放置すれば世界に災いが訪れます。李家の跡取りとして日本へ渡り、すべてのカードを回収(キャプチャー)してきなさい」
「御意に、母上。全ては、我が資本の計画通りに」
小狼は深く頭を下げた。
時に、小狼は小学3年生。
あまりにも若すぎる、だが世界で最も危険な資本を持つ「魔王」が、ついに日本へと解き放たれる瞬間だった。
(待ってろよ、日本。そして俺の運命のヒロイン。原作知識はないが、俺の全財産と、1円単位で世界をハックするこの最凶の経済魔法で、その『クロウカード』とやらも、お前たちの運命も、全て綺麗さっぱり買い叩いてやる!!)
莫大な富と、世界を滅ぼしかねない経済破壊魔法を引っ提げ、小学3年生の経済テロリスト・李小狼は、満を持して日本行きのプライベートジェットへと乗り込んだ。
世界の理が、資本主義の暴力によってガタガタと崩壊を始める足音が、すぐそこに迫っていた。