キングダム:穿紅の閃光 〜神速の槍と無敵の拳で中華を穿つ〜 作:キング・クリムゾン!!
蛇甘平原を焦がした硝煙と血の匂いがようやく薄れ、秦国の首都・咸陽には、勝利の凱歌と共に莫大な軍功を挙げた兵たちが集結していた。戦後の論功行賞。それは、泥をすすりながら戦場を這い回った歩兵が、一躍して富と名声を掴み取る唯一無二の機会であり、王宮の広場は独特の熱気と喧騒に包まれていた。
貫たちの両腕を覆っていた包帯はすでに外されていたが、皮膚の各所には内出血の跡が微かに残り、あの過酷な戦車粉砕の代償を生々しく物語っていた。それでも、最先端の体幹トレーニングによって鍛え上げられた貫の回復力は凄まじく、関節の可動域はすでに完全に元の状態へと戻っていた。
広場の一角で待機する貫たち五人の前に、重厚な甲冑を着た役人が歩み寄り、冷徹な声で告げた。
「第四軍所属、歩兵の貫。およびその伍の者たち。昌文君(しょうぶんくん)様がお呼びである。大極殿の裏手、謁見の間へ直ちに向かえ」
その言葉に、雷がごくりと唾を飲み込んだ。
「おいおい、冗談だろ……。あの昌文君様って、王様の側近中の側近、大物中の大物じゃねえか。俺たちみたいな歩兵が直接会えるようなお方なのかよ」
「雷、声を落とせ。ここは咸陽の王宮内だ。不敬があれば首が飛ぶ」
梁がいつもの冷静な口調で釘を刺したが、その瞳にも隠しきれない緊張の色が浮かんでいた。
「大丈夫だよ、みんな。貫があれだけの化け物戦車を倒して、敵の千人将まで討ち取ったんだ。悪いようにはされないさ」
拓が自分を落ち着かせるように、大きな盾を持たない両手をぎゅっと握り締めた。
伍将の鉄は、ただ静かに貫の横顔を見つめていた。一兵卒として長く戦場を見てきた鉄だからこそ、今回の呼び出しが単なる恩賞の授与に留まらない、貫の「異能」に対する宮廷上層部の品定めであることを察していた。
豪奢な装飾が施された長い回廊を渡り、通された謁見の間には、威厳に満ちた一人の老将が佇んでいた。頑強な体躯、歴戦の傷跡が刻まれた顔、そして全てを見透かすような鋭い眼光。秦国の大臣であり、かつて武名を中華に轟かせた宿老、昌文君であった。その傍らには、先日天幕を訪れた壁千人将も控えており、貫たちに小さく目配せを送った。
昌文君の前に進み出た貫は、少しの淀みもなく片膝をつき、深く頭を下げた。新しく出会うこの国の最高幹部に対し、自らの名を刻み込むように、静かで、しかし凛とした声を響かせる。
「初めてお目にかかります。秦国第四軍所属、歩兵の貫と申します。先の蛇甘平原の戦いにて、縛虎申千人将の突撃の端に連なり、微力ながら魏の装甲戦車五台を破り、副将宮元の側近である乱角千人将の首を挙げました。我が武術は、秦国の覇道を切り拓くためにあります」
昌文君は、貫のその一寸の揺らぎもない佇まいと、洗練された礼の美しさに、僅かに眉を動かした。歩兵の出身であれば、王宮の威圧感に気圧され、声が震えるのが当然である。しかし、目の前の若者からは、まるで一軍を率いる将軍のような、底知れない落ち着きが放たれていた。
「面を上げよ、貫」
昌文君の重々しい声が室内に響いた。
「壁、および郭千人将からの報告は受けている。素手で戦車を大破させ、敵の猛将を掌一つで葬り去ったとな。最初はその報告を疑った。軍師の誇大妄想か、あるいは戦場の幻覚ではないかとな。だが……今、君の前に立ってその構えの残滓を見れば、それが紛れもない事実であると得心がいった。君の身体の軸、そして呼吸法、普通の武芸者のものではないな」
「恐れ入ります。これらは我が家に伝わる古流の武術に過ぎません」
貫は淡々と答えた。現代の知識や前世の記憶を語るわけにはいかないため、ここでは伝統の武術という形で処理するのが最適だった。
「ふむ、世にはまだ見ぬ奇才が眠っているということか。縛虎申を失った第四軍において、君たちの挙げた武功は、戦況を決定づける特大の輝きであった。よって、王の御名において、君に特別な恩賞を与える」
昌文君は一度言葉を区切り、より一層強い声音で告げた。
「歩兵の身分から飛び級とし、君を『百人将』に任命する。同時に、君の伍の者たちも、それぞれ相応の役職と恩賞を与えるものとする。どうだ、この大抜擢、受ける覚悟はあるか」
「ありがたき幸せ。謹んでお受けいたします」
貫は再び深く頭を下げた。
百人将。それは、一兵卒から脱却し、初めて自身の「軍」を持つことを許される第一歩だった。原作において、主人公の信が歩んだ道と全く同じ速度で、貫もまた中華の表舞台へと躍り出たのだ。
謁見を終え、咸陽の宿舎に戻った五人は、支給されたばかりの真新しい百人将の甲冑や、軍資金の詰まった袋を前に、これからの体制についての話し合いを始めていた。
「百人将か……。一気に百人の部下を持つことになるんだな」
雷が新しい革の甲冑の手触りを確かめながら、感嘆の息を漏らした。
「ああ。これからは、俺たち五人だけで戦うわけじゃない。百人の命を背負うことになる」
貫は机の上に広げた秦国の地図を見つめながら、仲間の顔を見渡した。
「そこで、みんなに新しい役職に就いてもらいたい。まず、鉄さん。俺たちの伍将であり、最も戦場を熟知している鉄さんには、この隊の『副将』として、前線の指揮と全体の統率を任せたい」
鉄は驚いたように目を見開いたが、すぐに自身の大きな拳を胸に当て、力強く頷いた。
「俺のようなしがない老兵を副将に据えるとは、贅沢なガキだ。だが、お前が本陣を離れて無双するとき、背後の百人を守り抜く盾が必要だろう。その役目、俺が命に代えても果たしてやる」
「頼みます。次に雷。お前のその圧倒的な足の速さと瞬発力は、敵の陣形を崩す最大の武器だ。お前には『突撃隊長』を任せる。俺が道を穿った後、敵の混乱をさらに広げる役割だ」
「しゃあ! 待ってました! 俺の槍で、敵の陣形をごちゃごちゃにかき回してやるよ!」
雷が嬉しそうに拳を突き上げた。
「そして梁。お前のその優れた観察眼と知性は、この隊の頭脳になる。お前には『軍師兼副将』として、戦況の分析と、俺への進言の役割を任せたい。俺が熱くなりすぎたときは、お前が手綱を引いてくれ」
梁は静かに微笑み、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「荷が重い役目だ。だが、貫の武術を最大限に活かすための戦術なら、もう頭の中でいくつも組み立ててある。喜んでその知恵、君に貸そう」
「最後に拓。お前には『工匠兼輜重の長』になってもらいたい。俺たちの武器の管理、そして何より、俺の戦い方に耐えられる道具の開発は、お前にしかできない」
「うん、任せて! 貫の腕がボロボロにならないための道具、絶対に完成させるから!」
拓が力強く胸を叩いた。
「よし。百人の規模になれば、俺たちの軍には名前が必要になる。昌文君様への申請はすでに済ませてある。俺たちの軍の名は……『穿紅軍(せんこうぐん)』だ。旗印は『穿』、色は俺が戦場で巻いていた『赤』で統一する。中華全土に、俺たちの赤を響かせるぞ」
貫の宣言に、四人の初代幹部たちが「おおお!」と地鳴りのような歓声を上げた。穿紅軍の、これが真の産声の瞬間であった。
その日の夜、拓は咸陽の軍造兵廠の一角にある、高熱の炉が爆発的な音を立てる鍛冶場にこもっていた。郭千人将の計らいと、壁千人将からの紹介状によって、特別に高純度の鉄と、最上級の鍛冶設備を使用する許可を得ていたのだ。
炉から放たれる真っ赤な光が、拓の汗ばんだ顔を照らし出す。拓は、蛇甘平原の戦場から必死で持ち帰ってきた、魏軍の装甲戦車の鉄の車軸を取り出した。何トンもの重量を支え、数多の戦場を駆け抜けたその鉄は、尋常ならざる硬度を誇っていた。
「普通の鉄じゃ、貫の『流水』の回転と、あの神速の突きで生まれる強烈な摩擦熱に耐えきれずに、すぐに歪んじゃうんだ。だったら、この戦車の芯に使われていた一番硬い鉄を溶かして、何度も、何度も叩いて、不純物を限界まで追い出すしかない……!」
拓は大きな槌を振り上げ、真っ赤に熱された鉄の塊へと力強く振り下ろした。
カキィィン! カキィィン! と、夜の咸陽に小気味良い打撃音が響き渡る。
臆病で、いつもいじめられていた拓の姿はそこにはなかった。一人の天才工匠としての執念が、その槌の一振り一振りに込められていた。
鉄を限界まで叩き伸ばし、筒状に丸めていく。
さらに、内側を鏡のように滑らかにするため、拓は特製の研磨石を使い、手作業で数千回、数万回と内壁を磨き上げた。指の皮が破れ、血が滲んでも、拓が手を止めることはなかった。内側の摩擦を真の「ゼロ」に近づけること。それこそが、貫の尾張貫流槍術の速度を極限まで高め、かつ貫の肉体への負担を最小限に抑える唯一の方法だったからだ。
丸二日間の不眠不休の作業の末、ついにそれは完成した。
漆黒の鈍い光を放つ、重厚でありながらも洗練されたフォルムを持つ筒。魏軍の最硬の鉄を使用し、内側を極限まで研磨した、世界に一つだけの武器。
「鋼鉄の管(くだ)」が、ここに誕生した。
翌朝、練兵場の一角で、貫はその鋼鉄の管を初めて左腕に装着した。
カチャリ、という、これまでとは明らかに違う、重厚で精緻な金属音が響く。肌に伝わる鉄の冷たさが、心地よい緊張感をもたらした。右手には、新しく支給された上質な秦軍の長槍を携える。
「いくぞ、拓」
貫が静かに構えた。
流水岩砕拳の呼吸法により、大気中のエネルギーが貫の体幹へと集約されていく。
次の瞬間、貫の右腕が駆動した。
シュバアァァァッ!!!
空気を切り裂く音が、これまでのような「高い音」ではなく、空気が爆発したかのような「重い轟音」へと変化していた。
放たれた槍の穂先は、前方に設置されていた厚さ数寸の木製の標的を一瞬で消し飛ばし、その背後にあった頑強な石壁をも深く穿ち、凄まじい蜘蛛の巣状の亀裂を走らせていた。
そして、一瞬の後には、槍の刃先はすでに貫の手元へと寸分の狂いもなく引き戻されていた。
「……す、凄い。速度が、これまでの倍以上だ。それに……」
貫は自身の右腕を動かし、その感覚に目を見開いた。
「腕への負担が、ほとんど無い。管の内側が完全に滑らかだから、槍の柄が全く抵抗なく滑っていく。これなら、何百発、何千発と突きを放っても、肉体が悲鳴を上げることはない」
「やった……! やったよ、貫! 成功だ!」
拓がその場に飛び上がって喜んだ。
「これで君は、もう自分の体の限界を気にしないで、思いっきり戦えるよ!」
「ありがとう、拓。お前は本当に、最高の相棒だ」
貫は鋼鉄の管を愛おしそうに撫で、親友と固い握手を交わした。最強の武器を手に入れた穿光の槍は、いよいよ中華の戦場において真の無双を演じる準備が整ったのだ。
その後、貫たちは百人の兵を募集し、自らの隊を形成するために咸陽の大練兵場へと向かった。そこは、新任の百人将たちがそれぞれの旗を掲げ、集まってきた志願兵たちを選別する活気に満ちた場所だった。
「おーい! 貫じゃねえか!」
聞き覚えのある大きな声が響いた。振り返ると、そこには貫たちと同じく百人将の甲冑に身を包んだ少年――信が、満面の笑みを浮かべて手を振っていた。
「信か。お前も無事に百人将に任命されたようだな」
貫が歩み寄ると、信は不敵に笑いながら、貫の肩を小突いた。
「おうよ! 俺の隊の名前は『飛信隊(ひしんたい)』だ! 王様から直々に名前を貰ったんだぜ! お前の方はどうなんだよ、貫!」
「俺の隊は『穿紅軍』だ。旗印は赤。戦場で嫌でも目立つことになるさ」
貫が答えると、信の瞳にライバルとしての熱い炎が灯った。
「穿紅軍か、格好いいじゃねえか。だが、次の戦いでは、俺の飛信隊が一番に敵の将軍の首を獲るからな! 負けねえぞ!」
「ああ、望むところだ。互いに高め合おう」
二人の若き百人将が、未来の大将軍への誓いを交わすように視線を交錯させた。
その時、信の背後から、物静かで小柄な一人の少年兵が歩み寄ってきた。衣服の裾を長く引きずり、その瞳は深く、周囲の喧騒から完全に孤立しているかのような独特の静寂を纏っている。
その少年――いや、少女である羌瘣(きょうかい)は、信の隣を通り過ぎようとした瞬間、突如としてその足をピタリと止めた。
羌瘣の鋭い視線が、信ではなく、その隣に立つ貫へと注がれる。
彼女の持つ暗殺集団「蚩尤(しゆう)」の鋭い感覚が、貫の身体から発せられる尋常ならざる「呼吸」と「気」の流れを瞬時に察知したのだ。
貫の呼吸は、流水岩砕拳の極意によって、周囲の自然のうねりと完全に同調していた。それは、彼女が知るいかなる武芸者のものとも違う、恐るべき完成度を誇る「気」の運用だった。
「……お前、普通じゃない」
羌瘣が鈴を転がすような、しかし冷徹な声で呟いた。
「その呼吸……体の中の『気』が、まるで深い底の底を流れる水のように、淀みなく回っている。緑色の気の系譜ではない……。お前、一体何者だ」
貫は、この後に信の最大の副将となり、自身にとっても重要な存在となるであろう奇才に対し、静かに向き直った。そして、己の甲冑の胸を軽く叩き、誠実な自己紹介の言葉を述べる。
「初めてお目にかかる。俺は新任の百人将、貫という。同じ蛇甘平原の激闘を生き抜いた戦友だ。俺の武術は、この体と、相棒の作った管によって完結する。お前が信の隊の者なら、これからも戦場で何度も顔を合わせることになるだろう。よろしく頼む、羌瘣」
羌瘣は、貫が自分の名前を(まだ名乗っていないはずなのに)自然に呼んだことに僅かに目を見開いたが、すぐにいつもの感情の消えた瞳に戻り、小さく頷いた。
「……私は羌瘣。貫……お前のその水の呼吸、戦場で邪魔をしないなら、それでいい」
そう言い残すと、羌瘣は静かに信の背後へと戻っていった。
「おいおい、羌瘣が自分から他人に声をかけるなんて珍しいな! 貫、お前やっぱり、何か不思議な奴だな!」
信が不思議そうに首を傾げながらも、ワハハと豪快に笑った。
「ただの歩兵さ。……さあ、お互いに最高の百人を集めよう。次なる戦場が、俺たちを待っている」
貫はそう告げると、鉄や梁、雷、拓を伴って、自らの『穿紅軍』の旗が翻る募集幕へと歩みを進めた。
鋼鉄の武器、信頼できる初代幹部、そして並び立つ宿命のライバルたち。全ての要素が揃い、若き穿光・貫の「中華統一」への大長編ロードマップは、ここから本格的な、そして圧倒的なスケールを持って加速していくのであった。
次回:第11話 百人の赤と、胎動する牙