キングダム:穿紅の閃光 〜神速の槍と無敵の拳で中華を穿つ〜 作:キング・クリムゾン!!
咸陽の大練兵場に沸き起こる熱気は、昇ったばかりの太陽の光を浴びて、さらにその温度を上げていた。
蛇甘平原の激戦で名を馳せた新任百人将たちが、それぞれ自身の軍旗を掲げ、集まってきた膨大な数の志願兵たちを選別する。
その喧騒の最奥で、一際鮮烈な「赤」が風にうねっていた。
白抜きで大きく「穿」の一文字が刻まれた、穿紅軍の軍旗である。
「素手で戦車を粉砕した化け物百人将の隊だっていうから来てみれば……おいおい、ただのガキじゃねえか」
集まった志願兵たちの間から、隠しきれない落胆と疑念の声が漏れ聞こえていた。
彼らの前に立っていたのは、真新しい百人将の甲冑を身に纏い、肩に赤い布を巻いた若者――貫だった。
その少年の面影を残す端正な容姿は、戦場で死線をくぐり抜けてきた荒くれ者たちにとっては、およそ「戦車を壊した猛者」には見えなかったのだ。
「なんだよ、お前ら! 貫の本当の恐ろしさを知りもしねえで、ガタガタ抜かしてんじゃねえぞ!」
突撃隊長に任命された雷が、槍を地面に叩きつけながら怒号を上げた。
「不満があるなら、この俺が相手になってやってもいいんだぜ!」
「雷、落ち着け。彼らが疑うのは当然だ。戦場での噂など、大抵は誇張されて伝わるものだからな」
軍師の梁が、木簡に目を落としたまま冷静に雷をなだめる。
しかし、その隣に立つ副将の鉄は、集まった兵たちの視線を冷徹に見据え、いつでも刀を抜けるよう重心を落としていた。
「噂が本物かどうか、この俺が試してやろうか」
ざわつく志願兵の群れを割って、一人の男がゆっくりと前へ進み出てきた。
年齢は三十前後。
日に焼けた褐色の肌に、無数の細かい傷が刻まれた野生味溢れる男だった。
その背には猟師が使うような大弓と、腰には一際肉厚な長刀を下げている。
その男の持つ独特の気配――気配を完全に消し去る隠密の呼吸と、獲物の急所を冷酷に見据える粘り強い眼光に、貫の『流水岩砕拳』の感覚が鋭く反応した。
「俺の名は厳(げん)。元は北方の山々を荒らし回っていた猟師であり、一時期は一匹狼の賊としても生きてきた男だ。軍の退屈な規律が嫌いでな、今回の募集も『化物百人将』の噂が面白そうだから乗ってやっただけだ。だが……出てきたのがこんな青二才じゃあ、興が削げる。おい、百人将。もし本当に戦車を素手で壊したってんなら、俺のこの刃、素手で受け流してみせろ」
厳はそう言うと、腰の長刀を滑らかな動作で引き抜いた。
無駄のないその抜き付けの速度は、そこらの歩兵とは一線を画していた。
周囲の志願兵たちが一斉に息を呑み、固唾をのんで事の顛末を見守る。
「貫、無茶はよせ。お前の腕はまだ完全に治りきって……」
鉄が止めようと一歩前に出かけたが、貫はそれを左手で静かに制した。
貫の左腕には、拓が二日間不眠不休で叩き上げ、磨き上げた『鋼鉄の管』が鈍い黒光りを放ちながら装着されていた。
「いいだろう、厳。お前のその鋭い眼、俺の隊にはどうしても欲しい力だ。全力で来い。ただし、俺が勝ったら、お前は俺の隊の斥候として、その命を俺に預けてもらう」
貫は武器を持たず、両手を静かに胸の前で円を描くように構えた。
流水岩砕拳の呼吸が、大練兵場の喧騒を貫の意識から完全にシャットアウトする。
「大きく出たな、ガキが!」
厳の身体が、爆発的な推進力で前へと弾けた。
猟師特有の、重心を極限まで低くした変則的な踏み込み。
放たれた長刀の一撃は、最短距離を通り、貫の首筋を容赦なく刈り取る軌道を描いた。
しかし、貫の瞳には、その刃の軌道がまるでスローモーションのように映っていた。
貫は刃が届く直前、流水の如き滑らかな歩法で、自らの上体を僅かに右へと傾けた。
厳の放った決死の一撃は、貫の赤い布の端を僅かに揺らしただけで、虚空を切り裂く。
「なっ……!?」
厳が驚愕した瞬間には、すでに貫の右手が動いていた。
貫は厳の持つ長刀の側面に、自らの掌をぬるりと滑らせるように接触させた。
流水岩砕拳の受け流しの真髄。
厳が放った強烈な一撃の推進力を、貫は自らの円運動によって完全に反転させ、そのまま厳の体勢へと送り返したのだ。
厳は自らが放った力の衝撃をそのまま我が身に受ける形となり、体勢を激しく崩して、地面の泥の中に派手に転がった。
刀が手から離れ、乾いた音を立てて地面を転がる。
「……う、嘘だろ。厳の兄貴が、触れられただけで吹っ飛んだぞ……!」
志願兵たちの間から、今度は疑念ではなく、本物の恐怖と驚嘆が入り混じった悲鳴が上がった。
貫は泥まみれになりながらも信じられないといった表情で自分を見上げる厳に対し、静かに歩み寄り、右手を差し伸べた。
そして、新しく自らの牙となるであろう男に対し、一寸の淀みもない誠実な声で自己紹介を述べた。
「改めて自己紹介をさせてくれ。俺がこの穿紅軍を率いる百人将、貫(かん)だ。我が家に伝わる特別な古流武術と、相棒の拓が作ったこの鋼鉄の管を以て、いかなる敵陣をも穿ち貫く。俺の目的は、この隊の全員を一人も無駄死にさせず、中華の頂へと駆け上がることだ。厳、お前のその隠密の技と索敵の能力、俺の穿紅軍の『眼』として、力を貸してほしい」
厳は貫の差し伸べた手をじっと見つめ、その後、フッと自嘲気味な、しかし晴れやかな笑みを浮かべた。
「……へっ。噂以上の化け物じゃねえか。わかったよ、百人将。この厳の命、お前のその『赤』に預けてやる。お前が天下を穿つその瞬間まで、最高の眼になってやるよ」
厳が貫の手を強く握り返し、立ち上がった。
この一戦により、志願兵たちの疑念は完全に吹き飛んだ。
「俺も入れてくれ!」「戦車破りの隊で戦いたい!」と、大勢の荒くれ者たちが我先にと押し寄せ、穿紅軍の百人の枠は瞬く間に埋め尽くされた。
こうして、貫を頂点とし、鉄、雷、梁、拓、そして新しく加わった厳を幹部とする、総勢百五人の『穿紅軍』が正式に発足した。
百人の兵を集めた翌日から、咸陽の郊外にある荒れ地で、穿紅軍の本格的な練兵が開始された。
貫が目指すのは、単に個々の武力が高いだけの集団ではない。
現代の高度な軍事理論と、キングダム世界の強靭な肉体を融合させた、一糸乱れぬ組織的な戦闘集団の構築だった。
「全員、整列! 陣形の維持が遅い! 隣の男との歩幅を常に一定に保て!」
軍師の梁が、高台の上から鋭い声を響かせる。
梁が考案したのは、古代中華の常識にはない『散兵戦術』と『局地数的優位』を組み合わせた異質な陣形だった。
百人を十人ずつの小部隊に分け、それぞれが独立して動きながらも、敵の一点に対して波波と波が押し寄せるようにして、常に「十人で一人の敵を囲む」状況を作り出す訓練である。
兵たちは最初、その複雑な動きに戸惑っていたが、梁の的確な指示と、副将の鉄による徹底的な基礎体力の底上げにより、徐々にその動きを身体に染み込ませていった。
「ほらほら! 足が止まってるぞ! 突撃隊の命は『速度』だ! 俺の背中に遅れる奴は、戦場じゃ真っ先に置いていくからな!」
雷は自身の突撃隊を引き連れ、荒れ地を何十周と走り回っていた。
雷の圧倒的なスピードに引っ張られるようにして、兵たちの走力と瞬発力は限界を超えて磨き上げられていく。
そして、拠点となる天幕の一角では、工匠の拓が、全員の武器や防具の調整に追われていた。
「みんなの盾の裏側に、この特製の鉄板を仕込んで補強しておくね。これで魏の戦車の刃が当たっても、一瞬なら耐えられるはずだから!」
拓は汗まみれになりながらも、兵たち一人一人の装備を丁寧に仕上げていった。
さらに、穿紅軍の象徴として、全員の甲冑の肩や胸元に、鮮烈な「赤布」が配備された。
百人の兵が同じ赤を身に纏い、一斉に動く様は、それだけで敵に強烈な心理的圧迫感を与えるための梁の計略でもあった。
貫自身もまた、新調された鋼鉄の管を使い、自身の尾張貫流槍術の精度を極限まで高めていた。
シュバッ、シュバッ、と、空気を爆発させるような重い轟音が、連日荒れ地に響き渡る。
鋼鉄の管のおかげで、どれほど神速の突きを放っても右腕に余計な負荷がかかることはなく、貫の技術は真の完成へと近づいていた。
斥候隊長となった厳は、その貫の鍛錬を影から見つめながら、「とんでもない主を拾っちまったな」と、嬉しそうに弓の弦を響かせていた。
過酷な練兵を始めてから三ヶ月が経過した頃、穿紅軍の元に、一枚の緊迫した伝令が届いた。
差出人は、王宮の昌文君、そして先日出会った壁千人将の連名であった。
「貫、入るぞ」
鉄が天幕の布を上げ、神妙な面持ちで入ってきた。
その手には、秦国の国境付近の地図が握られている。
「伝令だ。魏国との国境近くにある小規模な城塞『白珪城(はくけいじょう)』の周辺地域において、魏軍の落人や臨時の小部隊が混ざり合った、数百規模の武装集団が略奪を繰り返しているらしい。近隣の村々が次々と焼き払われており、本隊を動かすほどではないが、放置すれば国境の防衛線が脅かされる。……昌文君様からの御命だ。我が『穿紅軍』に対し、この武装集団の討伐、および周辺地域の治安維持の任務が下った。これが、百人隊としての俺たちの初陣になる」
鉄の言葉に、天幕内に集まっていた雷や梁、拓、厳の表情が一気に引き締まる。
「相手は数百か。こちらの数倍の規模だな」
雷が不敵な笑みを浮かべ、槍の柄をなじませる。
「敵の構成は烏合の衆に近いようですが、略奪で肥え太っており、油断はできません。ですが、俺たちが三ヶ月間鍛え上げてきたこの陣形と戦術を試すには、格好の舞台です」
梁が地図の白珪城周辺の地形を指差しながら、すでにいくつもの作戦を組み立て始めていた。
「貫、みんなの装備は万全だよ。いつでもいける」
拓が力強く頷く。
「俺が先に現地へ飛び、敵の配置と規模、動向を完全に洗い出してやるよ。百人将、命令を」
厳が自身の長弓を肩にかけ、貫の指示を待った。
貫は静かに立ち上がり、腰の鋼鉄の管をカチャリと鳴らした。
その瞳には、かつて蛇甘平原で戦車を素手で壊したときのような、冷徹で圧倒的な輝きが灯っていた。
「よし。これより穿紅軍、初の実戦任務へ向けて出陣する。厳は直ちに先行し、敵の偵察を行え。梁は行軍ルートの確保。鉄さんと雷は、兵たちの士気を高めて出陣の準備を。……俺たちの『赤』が、中華の戦場においてどれほど鮮烈に輝くか、魏の残党どもにその身を以て教えてやろう。全軍、出陣だ!」
「おおお!!!」
幹部たちの地鳴りのような咆哮が、天幕を揺らした。
咸陽の地を離れ、国境の激戦地へと向けて進軍を開始する百五人の赤い一団。
若き穿光・貫の率いる穿紅軍の、これが中華の歴史に真の名を刻むための、本格的な大長編の第ニ幕の始まりであった。
次回:第12話 白珪城の霧、穿光の洗礼