キングダム:穿紅の閃光 〜神速の槍と無敵の拳で中華を穿つ〜 作:キング・クリムゾン!!
白珪城を包んでいた深い霧が完全に晴れ渡り、国境の山々には抜けるような青空が広がっていた。魏軍の残党である馬剛の一隊を、一人の死者も出すことなく討ち果たした穿紅軍の噂は、瞬く間に近隣の村々へと伝わっていった。略奪と虐殺の恐怖に怯えていた領民たちは、咸陽からやってきたという「赤い布」を纏った若き百人将とその兵たちを、まるで救世主のように出迎えた。
城の麓にある集落では、ささやかながらも心のこもった宴が催されていた。兵たちは村人から振る舞われた麦飯や干し肉を美味そうに頬張り、初陣の勝利の余動に浸っている。
「いやあ、本当に凄かったな! 梁の旦那の指示通りに動いていたら、敵が勝手に孤立して、こっちの槍の餌食になるんだからよ!」
新兵の一人が、興奮した様子で隣の戦友の肩を叩く。
「ああ、それに百人将のあの一撃だ。あの巨大な斧を持った化け物みたいな大男を、一瞬で突き殺しちまった。あの左腕の黒い筒、一体どんな仕掛けになってるんだ?」
兵たちの視線は、集落の端にある木陰で、静かに自身の武器を点検している貫へと集まっていた。
貫の左腕には、拓が魂を込めて作り上げた『鋼鉄の管』が、変わらぬ漆黒の輝きを放ちながら装着されている。その隣では、拓が小さな木箱から様々な工具を取り出し、管の内壁を特殊な布で丁寧に拭き上げていた。
「どうだ、拓。管の状態は」
貫が尋ねると、拓は布を光にかざし、満足そうに満面の笑みを浮かべた。
「完璧だよ、貫! 馬剛のあの強烈な大斧を受け流したっていうのに、外側にも内側にも、目に見えるような歪みは一切無いよ。魏の装甲戦車の車軸から削り出した鉄は、伊達じゃないね。それに、内側の鏡面研磨もバッチリ効いてる。貫の神速の突きによる摩擦熱にも、この特殊な潤滑油を併用すれば、何百回でも耐えられるよ。……でも、槍の柄のほうが、君の速度に追いつけなくて、少し削れちゃってるかな。次は、槍の柄の材質も、もっと硬くてしなる木か、いっそのこと軽量の金属で作ることを考えなきゃね」
「なるほどな。道具の進化が、俺の武術の限界をさらに引き上げてくれる。頼りにしてるよ、拓」
貫が微笑みながら拓の肩を叩くと、拓は照れくさそうに頭を掻いた。
その時、集落の入り口から、激しい馬蹄の音が響き渡った。地響きを伴うその音の主は、臨時の巡回部隊などではない。数百騎を超える、重装甲に身を包んだ秦軍の本隊であった。その先頭を行くのは、一際巨大な黒馬に跨り、全身に無数の戦傷が刻まれた銀色の甲冑を纏った老将であった。
その圧倒的な威圧感と、背後に翻る「豪」の軍旗を見た副将の鉄は、即座に表情を引き締め、持っていた杯を地面に置いた。
「おい、みんな、片付けろ! 国境守備軍の総大将、豪徳(ごうとく)将軍の本隊だ!」
鉄の声に、寛いでいた兵たちが一斉に立ち上がり、一糸乱れぬ動作で整列を始めた。その迅速な動きを見た老将――豪徳将軍は、僅かに細い目をさらに細め、穿紅軍の様子を値踏みするように見つめた。
馬から降りた豪徳将軍は、白珪城の副長である文を従え、真っ直ぐに貫の前へと歩み寄ってきた。将軍の背丈は貫よりも一回り大きく、その身体から放たれる凄まじい「将気」は、周囲の空気を歪めるほどの重圧を持っていた。
文が緊張した面持ちで進み出た。
「豪徳将軍、こちらが先ほどお話しいたしました、魏軍の残党四百を、僅か百人の兵で、しかも無傷で全滅させたという新任の百人将……貫殿にございます」
豪徳将軍の鋭い眼光が、貫の全身を貫くように注がれた。戦場で数千、数万の命を奪ってきた者にしか持ち得ない、絶対的な強者の眼だった。
貫は将軍のその威圧感を正面から受け止めながらも、背筋を真っ直ぐに伸ばし、秦軍の正式な礼を執った。新しく出会う、この国境地帯の最高権力者に対し、貫は自身の存在と穿紅軍の名を刻み込むように、凛とした、しかし落ち着いた声を響かせた。
「初めてお目にかかります。秦国第四軍所属、新任の百人将であり、この『穿紅軍』を率いる貫と申します。昌文君様、および壁千人将の御命により、白珪城周辺の治安維持任務を拝命し、先の戦闘にて敵将馬剛以下、魏軍残党四百の討伐を完了いたしました。我が穿紅軍の赤き旗は、秦国の国境を脅かすいかなる敵をも穿ち滅ぼすためにあります」
貫の自己紹介を聞き、豪徳将軍はしばらくの間、無言で貫を見つめ続けた。その沈黙は、周囲の兵たちが息を吸うことさえ忘れるほどに重苦しいものだった。
やがて、豪徳将軍の分厚い唇がゆっくりと開いた。
「……百人将、貫と言ったな。文からの報告を聞いた時は、耳を疑った。蛇甘平原で戦車を壊したという噂の小僧が、今度は四倍の敵を無傷で全滅させたと。手向けの誇大妄想か、あるいは白珪城の連中が自らの無能を隠すための嘘ではないかとな。……だが、お前の前に立ち、その軍の統制を見れば、それが紛れもない事実であると分る。新兵を集めて僅か数ヶ月で、これほど一糸乱れぬ陣形と、張り詰めた気を放つ軍を作れるわけがない。何より……お前自身のその構えの芯、そして呼吸の流れ。ただの百人将の器ではないな」
豪徳将軍は貫の左腕の『鋼鉄の管』に目を留め、フッと不敵な笑みを浮かべた。
「その奇妙な鉄の筒と長槍、それがお前の武術の正体か。馬剛といえば、魏国でもそれなりに名の知れた猛将であったはず。それを一撃で葬り去るとは、恐るべき穿光だな」
「恐れ入ります。これらは我が軍師の梁が考案した散兵戦術と、我が仲間の拓が作り上げた道具、そして全員の生き残る執念がもたらした結果に過ぎません」
貫は傲ることなく、淡々と答えた。その謙虚でありながらも、決して将軍の威圧に怯むことのない態度に、豪徳将軍はさらに深い感銘を受けたようだった。
将軍は背後の副官に手を挙げ、一通の重厚な書状を取り出させた。
「貫よ、お前たちの挙げたこの戦果は、直ちに咸陽の昌文君様へと私の名で正式に報告する。この国境地帯の憂いが一つ消え去ったのは、お前たちの功績だ。……だが、喜んでばかりはいられんぞ。中華の情勢は、今、激しく揺れ動いている」
豪徳将軍の表情が、一気に険しいものへと変わった。
「魏国だけではない。東の趙国、そして南の楚国も、我が秦国の動向を不気味に伺っている。蛇甘平原の勝利によって、秦国がさらに勢力を拡大することを、他の六国が黙って見ているはずがない。近いうちに、この中華全土を巻き込む、これまでとは比較にならんほどの巨大な大戦が勃発するだろう。その時、お前たちのような『新しい力』が、秦国の命運を握ることになる」
将軍はそう言うと、貫の目をじっと見つめ、その大きな掌を貫の肩へと置いた。
「まずはこの地での任務を完遂し、咸陽へ戻るがいい。昌文君様もお前たちの帰還を心待ちにしているはずだ。貫、次に会う時は、君が千人将、あるいはそれ以上の地位に就いていることを期待しているぞ」
「はっ。そのご期待に添えるよう、さらに精進いたします」
貫が深く頭を下げると、豪徳将軍は満足そうに頷き、再び黒馬へと跨った。本隊を引き連れ、砂煙を上げて去っていく将軍の後姿を、穿紅軍の全員が静かに見送っていた。
「ふぅ……。心臓が止まるかと思ったぜ。流石は将軍様だな、放つ空気が違いすぎる」
雷が首の後ろをさすりながら、大きく息を吐き出した。
「だが、これで俺たちの『穿紅軍』の名は、国境守備軍のトップにも完全に刻まれた。貫、将軍の言う通り、次なる戦場はきっと、俺たちの想像を超える規模になるぞ」
梁が眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、次なる戦略の構築のために思考を巡らせ始める。
「どんな戦場が来ても、俺たちが貫の盾になり、槍になるだけさ。な、百人将?」
鉄が優しく笑いながら、新しい大盾の調子を確かめる。
貫は左腕の鋼鉄の管をカチャリと鳴らし、遠く咸陽の方向、そしてその先にある中華の広大な大地を見つめていた。
初陣を完璧な勝利で終え、宿将からの確かな評価を得た穿紅軍。しかし、彼らの前に広がる未来は、さらに過酷で、血湧き肉躍る大戦乱の渦中へと繋がっていた。若き穿光・貫の率いる赤き一団の伝説は、この白珪城の地から、いよいよ中華全土へとその歩みを加速させていくのであった。
次回:第14話 総司令の盤面と新たなる波