キングダム:穿紅の閃光 〜神速の槍と無敵の拳で中華を穿つ〜 作:キング・クリムゾン!!
趙軍の先鋒総大将・馮忌が飛信隊の信によって討ち取られ、その完璧な陣形を側面から狂わせた穿紅軍の名は、一躍、秦軍の各部隊へと轟き渡った。しかし、大戦の初戦を大勝利で飾った高揚感も束の間、馬陽の戦域は急速に不気味な静寂へと沈んでいった。
その日の夜。秦軍は馮忌軍を追撃しつつも深追いを避け、山間の隘路に強固な夜営地を築いていた。
満月の光すら遮るような厚い雲が垂れ込め、周囲の木々は風に不気味な音を立ててざわめいている。
穿紅軍の夜営地の一角では、昼間の激戦による負傷者の手当てと、武具の整備が静かに行われていた。
「みんな、盾の傷をチェックさせて! 趙の槍兵と激しくぶつかったから、鉄板の歪みを直しておかないと、次の戦いで強度が落ちちゃうからね!」
工匠の拓が、小さな松明の灯りを頼りに、兵たちの盾を一つ一つ丁寧に木槌で叩き、修復していく。
「それにしても、昼間の戦いは見事だったな、梁。お前の指示のおかげで、敵の増援を完全に遮断できた」
副将の鉄が、大きな身体を休めながら軍師の梁に声をかける。
「いえ、鉄さんの防衛隊が金良の精鋭を文字通り足止めしてくれたからです。ですが……」
梁は眼鏡の奥の瞳を険しくさせ、手元の戦術地図を見つめた。
「馮忌を失ったとはいえ、趙軍の本隊九万は未だ健在です。総大将の趙荘は、必ずこの夜の闇を利用して、何らかの揺さぶりをかけてくるはず……」
その言葉が終わるよりも早く、夜営地の外周を囲む深い茂みから、音もなく一人の男が滑り込んできた。斥候隊長の厳だった。その顔は、昼間の激戦の時すら見せなかったほどの緊張で青ざめていた。
「百人将……全員、叩き起こせ! 敵襲だ!」
厳の低い、しかし緊迫した声が響く。
「厳、規模と方向は」
貫が即座に立ち上がり、傍らの鉄刀木の槍を手に取る。
「数は約五百。だが、普通の歩兵じゃねえ。足音を完全に消し、闇に紛れて移動する『夜戦特化』の暗殺部隊だ。奴ら、松明も持たずに、この暗闇の中を完璧に見通して進んできてやがる。俺の猟師の鼻が、嗅ぎ慣れた獣の、いや、それ以上のどす黒い血の臭いを捉えた。もう、すぐそこまで来てる!」
「梁、即座に散兵・夜戦防衛陣形を展開。雷は突撃隊を率いて左右の闇へ身を潜めろ。鉄さんは中央の防壁を!」
貫の冷徹な指示の元、穿紅軍の百五人は、声を一切上げることなく、一瞬にして闇の中へと溶け込んでいった。
数瞬の後、夜営地の入り口を塞いでいた急ごしらえの逆茂木が、ガサリと音を立てて崩れ落ちた。
闇の中から、黒い装束に身を包み、光を反射しないよう泥で燻された曲刀を手にした趙兵たちが、文字通り「影」のように溢れ出てきた。
彼らは秦兵が眠っていると信じ込み、天幕へと音もなく近づこうとしたが――その瞬間、闇の奥から梁の鋭い口笛の音が響き渡った。
「かかったな、影鼠どもが!」
左右の茂みから、雷率いる突撃隊が飛び出した。夜戦用に刃を黒く染めた槍が、油断していた趙の夜襲兵たちの胸を正確に貫いていく。
「なっ!? 敵は警戒していたのか!?」
動揺する趙兵たちに対し、鉄の防衛隊が盾を並べて前進し、彼らの退路を完全に遮断した。暗闇の中であっても、互いの位置を口笛と短い合図で確認し合う梁の散兵戦術は、夜襲を仕掛けてきたはずの趙兵たちを、逆に暗闇の檻へと閉じ込めていた。
「フハハハ……面白い。我が『夜哭隊(やこくたい)』の奇襲を、これほど完璧に迎え撃つ百人隊がいようとはな」
夜営地の中央、激しい乱戦の渦中へ、一人の男がゆっくりと歩み出てきた。
細身で、異様に長い両腕を持ち、顔の半分を不気味な鉄の面で覆った男。その手には、月光を吸い込むような漆黒の双曲刀が握られていた。
男の放つ殺気は、ただの武将のそれではなく、これまでに数千人の秦兵を夜の闇の中で暗殺してきた「死神」の冷たさを持っていた。
趙軍が誇る夜戦の達人、千人将――夜哭(やこく)であった。
夜哭は双刀を軽快に交差させ、目の前に立つ貫を面の奥の細い眼で見つめた。
「貴様が、馮忌様の陣を狂わせたという噂の百人将か。これほどの暗闇の中で、一寸の乱れもなく軍を動かすとは、大した器だ。だが、この闇の中は、我が絶対の領域。貴様らの穿光とやらも、光の届かぬ闇の底では、ただの盲目の木偶(でく)に過ぎん!」
貫は夜哭の放つ、蛇のようにねっとりとした不気味な殺気を正面から受け止めながらも、体幹の軸を微塵もぶらすことなく、鉄刀木の槍を静かに構え直した。新しく出会う、この闇に潜む凶刃の将に対し、貫は己の存在と穿紅軍の覚悟を完全に刻み込むべく、冷徹で、淀みのない声を夜のしじまに響かせた。
「初めてお目にかかる。秦国軍総司令直轄、特殊遊撃百人隊『穿紅軍』を率いる百人将、貫(かん)だ。我が家に伝わる古流武術『流水岩砕拳』の呼吸法と、この左腕の『鋼鉄の管』、そして仲間の知恵が宿る鉄刀木の槍を以て、いかなる深い闇をも穿ち貫き、勝利の道を照らし出す。貴様らがどれほど闇を好もうと、我が穿光の前に、隠れ通せる影など存在しない」
貫の傲る高ぶることのない、しかし絶対的な光を宿した自己紹介を聞き、夜哭は面の奥で狂気的な笑い声を漏らした。
「ククク……ほざけ、百人将! その若き首、我が双刀で闇の贄にしてくれるわ!」
夜哭の身体が、まるで軟体動物のように不気味にしなり、闇の中へと完全に同化するように消えた。
次の瞬間、貫の死角――背後の影から、音もなく二条の漆黒の刃が、その首筋を容赦なく刈り取る軌道で繰り出された。目で見ることの不可能な、完璧な無音の闇の奇襲。
しかし、貫の流水岩砕拳の呼吸は、皮膚に触れる僅かな空気の振動、そして夜哭が放った『殺気の流れ』を、暗闇など関係なく完璧に捉えていた。
(流水岩砕拳――暗流・裏受け流し)
貫は振り返ることもなく、自らの左腕の『鋼鉄の管』を、背後から迫る双刀の軌道へと正確に滑り込ませた。
キィィィィン!!! という、闇を切り裂くような鋭い金属摩擦音が響く。
夜哭が放った必殺の暗殺剣は、鋼鉄の管の滑らかな表面によってその力のベクトルを完全に逸らされ、貫の鉄甲の表面を虚しく滑り落ちた。
「な、何だと!? 見えぬはずの我が刃を、完全に受け流しただと!?」
夜哭が驚愕に目を見開いた瞬間、貫の身体が、独楽(こま)のように鋭く反転した。
(尾張貫流槍術――管槍・闇穿光)
右手で握られた鉄刀木の柄が、鋼鉄の管の内壁を滑る。
目による照準ではない。流水岩砕拳によって感知した、夜哭の「存在の核」に向けて、寸分の狂いもない一直線の神速の突きが放たれた。
シュバアァァァッ!!!
夜の闇を完全に吹き飛ばすような、重く鋭い真空の爆音。
放たれた槍の穂先は、夜哭が鉄面で防御を試みるよりも早く、彼の喉笛を正確に貫通し、その背後の大木へと深く突き刺さっていた。
「ば、化け物……め、闇の、中で……これほどの……」
夜哭の口から大量の鮮血が溢れ出る。双曲刀が手から落ち、闇の支配者と恐れられた男の身体は、鉄刀木の槍に縫い付けられたまま、二度と動かなくなった。
「夜哭将軍が……討ち取られたぞ!! 我が夜哭隊の闇が破られた!!」
頭を失った五百の夜襲部隊は完全にパニックに陥り、そこへ梁の指示を受けた穿紅軍の各部隊が容赦なく襲いかかった。残党どもは一人残らず、この秦軍の夜営地の土へと沈んでいった。
戦いが終わり、夜襲部隊を完璧に撃退した穿紅軍の兵たちが、勝利の歓声を上げようとした――その時であった。
ズ、ズシン……。
地鳴りとも、天の怒りともつかぬ、尋常ならざる「重い足音」が、遥か遠方の山脈の深奥から響いてきた。
その瞬間、夜営地を包んでいた空気が、一瞬にして凍り付くような圧倒的な『絶対の死の気配』へと変貌した。それは、先ほど倒した夜哭や、昼間に破った馮忌などとは比較にすらならない、文字通り「人類の天敵」とも言える怪物の気配。
斥候隊長の厳が、ガタガタと細かく身体を震わせながら、山の闇を見つめて呟いた。
「……百人将。来た。……本物の、本物の化け物が、山を降りてくる……!」
貫は左腕の鋼鉄の管をカチャリと鳴らし、鉄刀木の槍を強く握り締め直した。その瞳には、これまでにない戦慄と、それを遥かに凌駕する武者震いの輝きが灯っていた。
夜哭の凶刃を破り、夜戦をも完全勝利で飾った穿紅軍。しかし、彼らの前に、ついにあの馬陽の絶対的な絶望――「武神」龐煖(ほうけん)の影が、その巨大な姿を現そうとしていた。大長編の第ニ幕は、これまでにない真の死闘の渦中へと突き進んでいく。
次回:第19話 武神降臨、理を穿つ槍