キングダム:穿紅の閃光 〜神速の槍と無敵の拳で中華を穿つ〜 作:キング・クリムゾン!!
戦車の残骸から立ち上る黒煙を背に、貫たち五人は、千人将・郭の率いる残存部隊と共に荒野を駆けていた。
大地を揺らす地鳴りは、先ほどよりも一層激しさを増している。彼らが向かっている先は、秦軍の第四軍を率いる千人将・縛虎申が魏軍の副将・宮元の布陣する「丘」へ向けて、苛烈な突撃を仕掛けている主戦線だった。
戦況は混沌を極めていた。
魏軍の強固な防陣に対し、縛虎申隊は自らの命を顧みない特攻に近い形で突撃を敢行しており、その周囲には無数の死傷者が転がっている。
「はぁ、はぁ、はぁ……。おい、貫、本当に大丈夫なのかよ。顔色が最悪だぞ」
雷が走りながら、貫の顔を覗き込んで心配そうに声を上げた。
貫の呼吸は荒く、全身から滝のような汗が流れ落ちていた。
素手で戦車五台を粉砕するという、常人の肉体ではおよそ不可能な芸当を成し遂げた代償は、想像以上に貫の肉体を蝕んでいた。
流水岩砕拳によって衝撃を受け流したとはいえ、完全には相殺しきれなかった凄まじい運動エネルギーが、彼の両腕の筋肉や関節を内側から激しくきしませている。
一歩足を踏み出すたびに、全身の繊維が千切れるような鈍い痛みが走っていた。
「気にするな、雷。足はまだ動く。……それに、ここで立ち止まれば、先ほどの戦車を壊した意味がなくなる」
貫は奥歯を噛み締め、痛みを精神力で押さえ込みながら答えた。
「貫の言う通りだよ、雷。今は一歩でも前に進んで、本隊の分厚い陣形の中に潜り込むのが先決だ。……千人将! 前方のあの激しい砂塵が、縛虎申様の突撃隊ですね!」
梁が冷静に周囲の戦況を見極めながら、前方を走る郭千人長へと声を張り上げた。
「間違いない! 縛虎申の狂犬め、相変わらず無茶な攻め方をしておる! だが、あの突撃が魏軍の本陣を揺るがしているのも事実だ。我らもあの突撃の『波』に乗り、敵の側面を食い破るぞ!」
郭千人将が血まみれの剣を掲げて応じる。
しかし、運命は彼らに息をつく暇を与えなかった。
主戦線へと合流しようとする郭部隊の動きを、魏軍の側面防衛を担う一隊が見逃すはずがなかった。
突如として、丘の麓の林から、数百人の魏軍歩兵が槍を揃えて躍り出てきたのだ。彼らは、縛虎申の突撃によって乱れた戦線の隙間を埋め、秦軍の増援を遮断しようとする防壁だった。
「敵襲――っ! 側面から魏の槍兵隊だ!」
秦兵の悲鳴が響き渡る。
正面から向かってくる魏兵たちの鋭い槍の密林。
郭部隊は度重なる戦闘で疲弊しており、正面からぶつかれば一たまりもないのは明白だった。
「クソッ、ここまで来て……! 全員、迎撃の構え! 盾を出せ!」
鉄が即座に大盾を構え、最前線へと躍り出た。
ベテランとしての本能が、今ここで防波堤にならなければ全員が全滅すると告げていた。
「貫、お前は後ろに下がってろ! ここは俺たちが守る!」
雷が槍を強く握り直し、貫の前に立ちはだかるようにして叫んだ。
その表情には、恐怖を乗り越えた強い決意が宿っていた。
いつも貫に助けられてばかりだった若き野生児が、初めて「貫を守る」ためにその牙を剥いたのだ。
「雷……」
貫が声を漏らした瞬間、魏兵の第一陣が激突した。
ガキィィィン、と金属と木が激しく衝突する音が響き渡る。
鉄は大盾に凄まじい衝撃を受けながらも、泥に足を深く沈み込ませて耐え抜いた。
その隙間から、雷が持ち前の俊足を活かした鋭い突きを放ち、迫り来る魏兵の喉元を正確に貫く。
「うおおお! 舐めるなよ、魏の雑魚どもが!」
雷の怒号が響く。
「拓、私の後ろから石を投げ続けて! 敵の二陣の足元を狙って!」
「う、うん! わかった!」
梁の的確な指示を受け、拓がその怪力を活かして、戦場に転がっている拳大の岩を次々と投げつけた。
拓の放つ岩は、下手な弓矢以上の破壊力を持って魏兵の兜や膝当てを打ち砕き、敵の進軍の勢いを確実に削いでいく。
伍のメンバーたちが、貫のいないところで、自らの力だけで完璧な連携を見せ、格上の魏兵たちを押し返していた。
その姿は、もはや戦場に怯えていた新兵のそれではなく、立派な「戦士」のものだった。
しかし、数の暴力はあまりにも圧倒的だった。
魏軍の指揮官らしき重装の男が、長大な大斧を振り回しながら、鉄の構える盾へと躍りかかってきたのだ。
「邪魔だ、秦の小蠅どもがァ!」
魏の将校が放った大斧の強烈な一撃は、鉄の大盾を中央から真っ二つに叩き割った。
凄まじい衝撃に、鉄の体が大きく吹き飛ばされ、荒野の泥の中に転がる。
「伍長――っ!」
雷が助けに入ろうとするが、彼の前にも三人の魏兵が槍を突き出してきており、身動きが取れない。
鉄の盾を破壊した魏の将校は、勝ち誇った笑みを浮かべ、地面に倒れ伏す鉄の首を目がけて、再び大斧を振り下ろそうとした。
「しまっ……!」
鉄が死を覚悟し、目を細めたその瞬間だった。
魏の将校の視界に、一条の「赤」が飛び込んできた。
凄まじい風圧と共に現れたのは、満身創痍のはずの貫だった。
彼の左手には、もはや「管」はない。右手にあるのも、先ほど拾い上げたばかりの、穂先が少し欠けた普通の槍だった。
「俺の仲間に、触れるな」
貫の冷酷な声が戦場に響く。
魏の将校は、素早く大斧の軌道を変え、向かってくる貫へと叩きつけた。
まともに受ければ、貫の持つ安物の槍など一瞬でへし折られる破壊力。
しかし、貫の脳内にある『流水岩砕拳』の極意は、管がなくとも、肉体が悲鳴を上げていようとも、完全に機能していた。
貫は放たれた大斧の刃に対し、自身の槍の柄を、斜め45度の角度で滑らせるように接触させた。
キィィン、という高い金属音が響き、大斧の破壊的な力は、貫の衣服のわずか数寸横の地面へとぬるりと受け流された。大斧が地面に深く突き刺さり、魏の将校の体勢が大きく前に崩れる。
「なっ……我が一撃が、滑った……!?」
将校が驚愕に目を見開いたときには、すでに勝負は決していた。
貫は受け流した勢いのまま、瞬時に槍を突き出した。
管がないため、いつもの「神速」とまではいかない。
しかし、長年の鍛錬によって磨き上げられた尾張貫流の正確無比な足さばきと、最短距離を撃ち抜く突きの技術は、体勢を崩した将校の心の隙間を完璧に捉えていた。
プツン、と肉を裂く静かな音がした。
貫の放った槍の刃は、将校の喉仏の真中央を、寸分の狂いもなく貫通していた。
「ガハッ……、あ……」
魏の将校は口から大量の血を吐き出し、大斧を手放してその場に崩れ落ちた。
「伍長、立てるか」
貫は槍を引き抜きながら、地面に倒れていた鉄に手を差し伸べた。
「あ、ああ……。助かった、貫。お前、その体でまだそんな動きができるのか……」
鉄は驚嘆しながら貫の手を握り、立ち上がった。
将校を討ち取られたことで、魏の歩兵隊に一瞬の動揺が走った。
その好機を、郭千人長が見逃さず、残った手勢を率いて一気に魏兵たちを突き崩していく。
激しい乱戦の末、郭部隊と貫たちの伍は、ついに魏軍の側面防衛線を突破することに成功した。
防壁を突き破った彼らの目の前に、突如として壮大な光景が広がった。
そこは、縛虎申隊が魏軍の副将・宮元の本陣へとまさに肉薄せんとしている、主戦線の最前線だった。
数千、数万の兵たちが入り乱れ、血で血を洗う大激戦が繰り広げられている。
その激流のような戦場の中央で、一人の少年兵が、狂ったように剣を振り回して敵陣を切り開いているのが見えた。
小柄な体躯でありながら、その瞳には決して折れることのない強烈な「火」が灯っている。
後に秦国の歴史を大きく変えることになる少年――信(しん)だった。
信は周囲の魏兵を圧し斬りながら、ふと、側面から凄まじい勢いで突入してきた郭部隊、そしてその先頭で一際目立つ赤い布を巻いた貫の姿を、その視界の端に捉えた。
「運命の歯車が、ここで噛み合ったな……」
貫は激しく上下する胸を押さえながら、戦場の中央で暴れる信の姿をじっと見つめていた。
大長編の物語において、二人の若き才能が初めて同じ戦場に立ち、互いの存在を認識した瞬間だった。
ここから、彼らの競い合いと、中華統一への果てしない旅路が、より一層激しく加速していくことになる。
次回:第7話 丘へ駆ける二つの火