キングダム:穿紅の閃光 〜神速の槍と無敵の拳で中華を穿つ〜 作:キング・クリムゾン!!
蛇甘平原の戦いは、いよいよその最高潮とも言える狂気の渦へと突入していた。秦軍第四軍を率いる千人将・縛虎申の突撃は、背後の退路を完全に断ち切った文字通りの特攻であり、その一陣が目指すのは魏軍の副将・宮元が陣取る、急峻な丘の本陣だった。
上空からは絶え間なく魏軍の弓兵が放った矢の雨が降り注ぎ、斜面を駆け上がる秦兵たちの肉体を容赦なく貫いていく。それでもなお、縛虎申を先頭とした秦軍の残光は、立ち止まることすら死を意味する突撃の奔流となって、泥を蹴り上げていた。
郭千人将に率いられた残存部隊、そして貫たち五人の伍は、その激流の側面から滑り込むようにして、突撃の列へと合流を果たした。
「おい、死に損ないども! 遅れるな! 立ち止まった奴から矢の餌食になるぞ!」
前方を駆ける縛虎申隊の将校が、血を吐き散らしながら怒号を上げていた。その凄まじい熱気に気圧されそうになりながらも、雷は持ち前の俊足を活かして、貫のすぐ隣を並走していた。
「貫! 凄えな、これが本隊の突撃かよ! 周り中、全員が狂ってやがる!」
雷は飛び交う矢を紙一重で躱しながら、興奮と恐怖が入り混じった声を張り上げた。
「これだけの数の人間が一つの目的に向かって命を捨てているんだ、狂気に見えて当然さ。だが、この狂気こそが敵の分厚い本陣を食い破る唯一の牙だ」
貫は激しく上下する胸を押さえ、痛む両腕の関節を庇いながら応じた。
先ほどの素手による戦車破壊の反動は、未だに貫の肉体を苛んでいた。熱を持った両腕の筋肉は鉛のように重く、ただ槍を握っているだけでも神経を突き刺すような激痛が走る。管がない今の状態では、いつもの神速の突きを放つことはできない。しかし、貫の瞳から光が消えることはなかった。
その時、突撃の列のすぐ右側から、ひときわ激しい怒号と共に敵陣を切り開く一団が接近してきた。その先頭を走っていたのは、先ほど貫が視界に捉えた、あの少年兵――信であった。
信は手にした錆びた剣を荒々しく振り回し、立ち塞がる魏兵の盾を力任せに叩き割りながら、凄まじい推進力で丘を登っていた。その野生味溢れる戦い方は、周囲の兵たちを巻き込み、一つの巨大な渦を作り出している。
信は敵を一人斬り伏せると、ふと左側に並走する貫の姿に気づき、その目を大きく見開いた。
「おい! お前、見ねえ顔だな! その肩の赤い布……どこの伍だ!?」
信が走りながら、突き刺すような視線と共に大声を上げた。
「臨時の伍だ! 所属を気にする暇があるなら、前を見ろ! 上から次の防衛隊が来るぞ!」
貫はそう言い返すと、槍を前方へと構え直した。
丘の中腹、宮元本陣を守る魏軍の重装歩兵隊が、長大な槍の壁を形成して突撃隊を迎え撃とうと立ち塞がった。魏兵たちの盾は分厚く、坂の上という圧倒的な地理的優位を活かして、秦軍の勢いを完全に止めようとしていた。
「邪魔だァァァ!!」
信が叫び、魏兵の槍の壁に向けて正面から跳躍した。その恐るべき跳躍力と力任せの一撃が、魏兵の盾を強引に叩き潰す。
しかし、一人が穴を開けた程度では、魏軍の強固な防陣は崩れなかった。信が着地した瞬間、左右から無数の槍が彼の胴体を狙って一斉に突き出された。空中にいる信には、それを躱す術はない。
「信――っ!」
後方から尾平らしき兵の悲鳴が上がる。
だが、その槍が信の肉体を貫くよりも早く、一枚の「赤」がその隙間に割り込んだ。貫だった。
貫は手にした安物の槍の柄を使い、放たれた三本の槍の刃先を、円を描くような滑らかな軌道で絡め取った。流水岩砕拳の極意。坂の上から放たれた強烈な突きの力が、貫の槍を伝ってぬるりと外側へと受け流される。槍同士が激しく擦れ合い、魏兵たちの体勢が面白いように前へと崩れた。
「なっ……何だ、この吸い付くような感覚は!?」
魏兵が驚愕の声を漏らす。
「雷、鉄さん、今だ!」
貫の鋭い号令が飛んだ。
「しゃあぁぁっ! 貰ったァ!」
雷が貫の背後から弾かれたように飛び出し、体勢を崩した魏兵の喉元を正確無比な突きで貫いた。同時に、鉄が残った片手で敵の槍を掴み、力任せに引き寄せると、その首筋を自身の刀で深く斬り裂いた。
「拓、梁! 足元を固めろ! 崩れた隙間を押し広げるんだ!」
梁の沈着冷静な声が響き、拓が巨大な体躯を活かして、隣の魏兵の盾に全力で体当たりを敢行した。ドシン、という凄まじい衝撃音と共に、魏軍の強固だった槍の壁に、決定的な大穴が空いた。
その一連の鮮やかな連携を、間近で着地した信は、息を呑んで見つめていた。
「てめえら……ただの歩兵の伍じゃねえな。その左手の動き、一体何なんだよ!」
信が驚嘆の声を上げる。信の戦い方が「圧倒的な個の暴力」であるならば、貫たちの戦い方は「極限の技術と、それを完全に信頼しきった組織の暴力」だった。
「ただの武術さ。それより、穴は空いたぞ。一気に駆け上がるぞ、信!」
貫はそう告げると、両腕の激痛に顔をしかめながらも、再び先頭に立って斜面を駆け上がり始めた。
「ハッ、おもしろ境遇じゃねえか! 貫って言ったな、どっちが先に敵の大将の首を獲るか、勝負だ!」
信は不敵な笑みを浮かべると、貫の赤い布に負けじと、さらに速度を上げて丘の頂上へと突き進んでいった。
二つの若き火が、互いに競い合うようにして魏軍の本陣を焼き尽くしていく。その背後では、鉄が、雷が、梁が、そして拓が、貫の背中を決して見失わないよう、死に物狂いで敵の追撃を遮断していた。
丘の頂上、魏軍副将・宮元の本陣は、すぐ目の前まで迫っていた。そこには、全身に無数の矢を浴びながらも、鬼神の如き形相で敵を屠り続ける縛虎申の壮絶な姿があった。
蛇甘平原の決着の瞬間が、いよいよ秒読みの段階へと入ろうとしていた。貫の研ぎ澄まされた拳と、拓の誓った新たな管の未来が、この戦いの後にどのような変化を世界にもたらすのか。大長編の歯車は、凄まじい音を立てて回り続けていた。
次回:第8話 宮元本陣の死闘と交わされる名