VTuberショック!!〜絶望の未来へ飛ばされた俺は、最推しのVTuberの歌と力で世界を救う〜   作:ゴマ醤油

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いかづちちゃん

 殺伐とした共用スペースに突如として、透き通った少女の声が軽やかに通り抜ける。

 

 何事かと、迫っていたはずの拳に身構えていた愛斗。

 だが、数秒経っても殴られていない自分に、そして目の前でピタリと拳の動きを止めたVTuber──カケルに、どうしたのだろうと首を傾げてしまう。

 

 カケルと呼ばれた男の拳は、愛斗に届く寸前で、ピタリと固まってしまっている。

 それだけじゃない。愉悦と憤慨をごちゃ混ぜにしたようであったはずのカケルの顔は、まるでスタンガンでも当たったかのように苦悶を浮かべてしまっている。

 

 まるでリードを引っ張られた飼い犬のように。

 唐突にスイッチを切られてしまった機械のように。

 

 動きたくとも動けない。逆らいたくとも逆らえない。

 そんな苦々しげな表情。愛斗を睨みながらも、その眼差しには、恐れが宿ってしまっていた。

 

 ……そして、それはカケルに限った話ではない。

 

 愛斗のすぐそばで、歯痒そうに顔を伏せていたはずの萩原も。

 そんな様を各々の表情で眺めていただけの、残り三人のVTuberも。

 

 愛斗以外の皆等しく、顔を染めるは畏怖の青。

 まるで目の前すぐそばに、雲もないのに雷が降り落ちてきたみたいな。

 迫る天災を間近にしたような、そんな畏れと恐れをない交ぜにしたような、固い表情だった。

 

「い、いかづちぃ……!!」

「ちゃんを付けて、いかづちちゃん。それがないと、可愛くないでしょ?」

 

 カケルが苦悶の中で震えた声でその名を叫べば、みずからを「いかづちちゃん」と呼んだ少女は驚くほど簡単に答えを返す。

 ゆっくりと声の方向へ顔を向けた愛斗が目にしたのは、青緑色の髪をした小さな少女だった。

 

 空虚な青緑の瞳。麦わら帽子に白のワンピース。

 夏の向日葵畑が似合いそうな、儚げな雰囲気を纏う小さな娘。

 荒事など腕相撲でさえ向いていなさそうな、浮き世離れした、華奢で小柄な美少女。

 

 だというのに。

 見惚れはすれど、共有スペースの一角は、刺激を許さないほどの緊張に包まれる。

 まるで麦わら帽子のVTuberに恐怖を抱いていない愛斗こそが、何よりの異物であるかのように。

 

「……よういかづちちゃん。こんな場所までお越しだなんて、人間共へ?」

「偶然。外からの帰りに、たまたまここを歩きたい気分だった。それだけよ、グズクマ」

 

 ゆっくりと腰を上げ、いかづちちゃんへと声を掛ける黒狼の獣人──グズクマ。

 カケルと違い、声に震えはない。警戒はしていようと、気負いのない、平常のままの声音。

 ただし両者の間にある視線は、穏やかなそれとは真逆。

 火花が可視化されそうなほど、今にも互いに手が伸びそうなほど緊迫感に、愛斗は息を呑む他ない。

 

「それで退()いてくれる? 目障りなの。わたしの前で、そういうの」

「おいおいいかづち、そんなに見たくないのならさっさと通ればいいじゃないか。それにさ、今この純人間にここでの生き方を教えてあげてるんだ。これは善意なんだ。なのにどうして僕達が責められなきゃならない? なあ?」

 

 そんな二人の会話に割って入ったのは、硬直から脱したカケル。

 胸ぐらを掴む手を軽く揺らしながら、侮蔑を隠そうともせずにやけ、愛斗へ同意を求める。

 愛斗は押し黙る。決して答えてやるものかと口を固く結び、代わりに鋭い目を以て返答してみせる。

 

 カケルはピキリと、額に怒りを浮き上がらせながら、胸ぐらを掴む力を一層強めていく。

 天野(あまの)一与(いよ)特製のジャージでさえも、引き千切れてしまいそうな握る力。

 

 愛斗の顔が歪む。喉を押さえつけられ、呼吸が苦しいとか細くなる。

 それでも目は揺らがない。カケルを睨む瞳の熱は一向に潰えず、なおも静かに猛るのみ。

 そんな目は、カケルにとって何よりも屈辱。最大級の不興を買ったと、カケルは再度拳を──。

 

 

「……そう。──ならちょうどいいから、わたしも二つ教えてあげる、ここのルールを」

 

 

 ──振りかざそうとした。

 そんな二人を前に、いかづちちゃんは小さく息を零し、人差し指を向け──軽く、弾く。

 

 バチリと、弾けるような音が迸るは刹那。

 次の瞬間には、カケルの腕は──愛斗を掴んでいた左腕一本は、意図も容易く空へと弾かれる。

 寸分違わず肘から下を。愛斗に影響を与えることなく。子供が紙を裂くように、あっさりと。

 

「ぐ、て、てめえ……!!」

「一つ、わたしのことはいかづちちゃんと呼ぶこと。一つ、何人もわたしに(さわ)るべからず。これは物理的に限らず、気にも触れないって意味。分かった?」

「このっ、漢字違えだろうが、低学歴のクソガキがっ……!!」

「そうね。けれどわたしが言えば、ここでは同じ意味。知らなかったの、高学歴(インテリ)さん?」

 

 腕の断面を押さえ、苦悶で顔を歪めながらも元凶たるいかづちちゃんを睨むカケル。

 けれどいかづちちゃんは何処吹く風と……否、そもそもカケルの怒りなど、眼中にさえなく。

 一瞥さえせず指を下ろしながら、冷めきった眼差しをグズクマへと向ける。

 

 けほけほっと、解放され息を整える愛斗には、今の一瞬で何が起きたのか理解出来なかった。

 胸ぐらを掴んでいた手の力が強まったと思った瞬間、カケルの腕が飛び、解放されて尻もちをついてしまった。その認識しかなかった。

 ただ理解したのは、ほんの一瞬だけ、何かが弾けるような音を耳が捉えたこと。

 例えるのなら、冬にドアノブへ手を掛けた瞬間、静電気が発生したあの瞬間に酷似していた。そんな漠然とした認識と、彼女──いかづちちゃんが助けてくれたという現状だけであった。

 

「それでどうするの? ここで()るのなら、別に構わないけど」

「ちょっとちょっといかづちちゃん。えっ、まさかあーし達とやる気? 私闘禁止のルール知らないわけじゃないでしょ?」

「そうね。けれどわたしはルール(それ)に縛られない。ここであなた達を皆殺そうが、一帯のVを全員敵に回そうが、その日からわたしの住処が少し静かになるだけ。どうする?」

 

 淡々と、心などないかのように平坦と。

 いかづちちゃんは簡単に言ってのける。そしてグズクマの、この場の全員の顔が一層強ばる。

 

 数瞬でしかないはずなのに、永劫のように感じてしまうほど圧ある無言の緊張。

 やがて、先に動いたのはグズクマ。

 大きなため息を吐き、戦闘の意志を露わにせず、愛斗達──何よりいかづちちゃんへと背を向けた。

 

「……ずらかすぞ。カケル、とっとと荷物運べ」

「け、けどボス! このまま舐められっぱなしじゃ、いくらなんでも──ひっ!?」

「聞こえなかったのか? 別にお前が死のうがどうでもいいが、こんな些事でいかづちちゃんと交えるなんざ割に合わないんだよ。……二度も言わせるなよ?」

 

 決して強くはなく、だからこそ圧あるグズクマの一声。

 振り向くことさえないまま告げられた命令に、座っていた二人が後に続く。

 そしてカケルは震えるほどに強く拳を握ったあと、舌打ちしながらダンボールを抱え、親の仇を見るかのように愛斗を睨みつける。

 

「……ちっ。おいお前、顔覚えたからな。ここで暮らす気なら、精々覚悟することだな!」

 

 追い詰めていたはずのカケルが、去り際に吐いたのは負け惜しみ一つ。

 けれど、それ以上は何も出来ず。

 四人のVTuberが去ったあと、共用スペースに安らかな静けさが戻り、愛斗はどっと安堵の息を零しながら、ゆっくりと立ち上がっていかづちちゃんの方へ近づくが、彼女の小さな手がそれを止める。

 

「近づかないで。……ごほん。──わたしに触ると、火傷しちゃうぜ☆」

「は、はあ……?」

 

 喉を整え、クルリと一回転してから、片手で作ったピースを目に当ててみせるいかづちちゃん。

 顔色一つ変えず、声色一つ揺らさず。

 先ほどまでVTuber達を圧倒していたとは思えない、あまりにも今の空気に場違いな決めの台詞とポーズをやってのけた青緑髪の少女を前に、愛斗はポカンと大口開けてしまう。

 

「あ、あの、ありがとう……ございます」

「お礼は不要。あなた含め、通り道に邪魔な石ころが落ちていた。それだけだから」

 

 なかったことにしようと。

 愛斗は気を取り直してお礼を言うが、ポーズを解いたいかづちちゃんは簡潔に拒絶する。

 

 嘘ではないと、目の前の少女の視線を受けた愛斗の直感はそう感じた。

 彼女の拒絶は決して謙遜でも照れではなく。髪と同じ色をした瞳の虚無は、こちらに一切の興味もなく。

 目の前の少女は、本当に路傍の石を片付けた程度にしか思っていない。それを理解した愛斗はゾッと、服の裏に氷を入れられたみたいな冷たい感覚を背筋に感じてしまう。

 

「……それにあいつらの言い分も一理ある。力のない人間が健やかに生きたいと駄々をこねるのなら、わざわざ出る杭にはならないよう立ち回ることね」

「あ、あの! 何かお礼を……!!」

「必要ない。あなたにわたしの求める物を用意出来るとは思えない。出来ない期待は、ただの無駄」

 

 じゃあねと、にべもなくそれだけ言い残し。

 愛斗へ背を向けたいかづちちゃんは、小さな歩幅でこの場を立ち去ろうとした。

 

 ──その瞬間だった。

 共用スペースにキュルキュルと、腹の虫のような、可愛らしい音が鳴り愛斗の耳に届いたのは。

 

「……お礼と言うなら、ちょうど欲しい物がある。持っていれば、別にいいけど」

 

 足を止め、数秒の後に振り向いたいかづちちゃんは、愛斗へ静かにそう尋ねる。

 一切感情の読めない、虚無の面持ちは変わらず。

 けれど今のいかづちちゃんの声には、ほんの少しだけ恥じらうかのように、微弱に揺らいでいた。

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