永劫火継神話 アノール・ロンド -深淵の騎士- 作:海月マル
旅の始まりは、冷たい鉄と錆の中だった。
あったはずの過去は霞み、面影さえ消え去った。
あったはずの未来は潰え、終末まで閉ざされた。
残った空虚な現在は、永遠に変わることはない。
絶望、諦観、喪失、衰退、冷却、死滅、暗闇
希望、楽観、獲得、成長、温暖、生存、光明
灯り、揺らめき、掻き消える火が如く。幾つもの感情が燃え上がり、尽きて灰と化していく。
吹けば崩れるような儚い体に、しかし旅をするほどの熱が残っていたのは何故だったろうか。
─────死にたくない
─────何も残さず、消えたくは……
♦︎
「はい、急な召集でしたが、しっかり集まっていただけて何よりです。こういう事態に慣れてしまっている、とも言えますが」
ストーム・ボーダー管制室。
地球白紙化に抗う汎人類史唯一の組織、ノウム・カルデアの拠点たる艦の中枢。そこに急遽集った主要メンバーに向け、協力者シオン・エルトナムは変わらぬ調子で言葉を紡ぐ。
「前置きはいい、一体どういう状況なのかね! まさか、アルターエゴ・リンボが討たれたとの情報を受け、異星の神の使徒が我々を襲撃に───────」
「先に言っておくと、異星の神の使徒とか異聞帯とか地球大統領とか、そういった用件ではありません。今回は単に大規模な特異点が観測された、というだけです」
シオンに続き、青ざめたゴルドルフ新所長に技術顧問と経営顧問─────レオナルド・ダ・ヴィンチとシャーロック・ホームズが事態を説明する。
「まあ、それでも安心できない事態なんだけどね。今回観測された特異点の規模は、かつて藤丸くんが修復した七つの特異点に匹敵する。つまり、無視してると間違いなく人理に多大な悪影響を与える瑕だ」
「ダ・ヴィンチの言った通り。この特異点を無視すれば、仮に地球白紙化が解決したとしても人理は不安定なまま……あるいは、そのまま腐り落ちるという結末さえあり得るだろう」
特異点とは、人類史の安定を崩しかねない脅威。存在しない過去、歴史上の異常を指す。
そのほとんどは大した脅威にはならない微小特異点だが、今回観測された特異点はその類のものでは無い。正真正銘、世界の脅威となり得る決して見逃せない過去改竄だ。
「……じゃあ、俺はそこにレイシフトして……」
「うん、いつも通り核になっている聖杯を回収して欲しい。ただ……」
「今回の特異点ですが、座標が一向に安定しません。どちらかと言えば海上に該当することが多いようですが、世界の海が混在した第三特異点の反応と比較すると寧ろ合致する部分はほとんど無いというか……少なくとも、特異点の大半が海なんてことは無いでしょうね」
「更に言うと、時代もブレが酷くてね。中世や近現代では無いのは確定してるんだけど、紀元前11〜数十世紀を行ったり来たりしてる。神代ではあると思うんだけど……」
お手上げと言うように困り顔で両手を上げるシオンとダ・ヴィンチ。
しかしホームズは落ち着いた様子で、観測データをじっと見つめ、独り言のように言葉を溢す。
「実に興味深い。人類史における如何なる土地とも合致しないにも拘らず、この特異点は疑いようもなく汎人類史に属するものだ。視覚的にはまるで特異点そのものが神代の地球上を転移し続けているように見えるが、無論それは正しい結果ではない。まるで、存在しない幻影を特定しようと、観測機自体が必死に地球各地から共通点を挙げ連ねているかのような…………」
「ええ、私もホームズ氏の推理と凡そ似た考えです。この特異点は土地を移動したり、あるいはそれぞれの土地が合わさって形成されたようなものではなく、"どの土地にも該当しないが汎人類史上のどこかに存在した神代の特異点"と言うべきかと」
「うーん、まあそりゃ失伝とかで消え去った神話もあったかもしれないけど、にしてもそこで発生した特異点がここまでの規模になるかなあ……」
「……考察や議論は大事だが、そう悠長に構えていられることでもあるまい。例えば、特異点の攻略中に急に残る異聞帯が敵意を剥き出しにしてくる、なんてこともあり得なくは無いだろう。問題解決は迅速に行うべきだ、議論はひとまず終えて次の話に移りたまえ」
ゴルドルフの声を聞くと、両顧問とシオンは会話を止め、藤丸とマシュへの説明を再開する。
「確かに、今は正確な説明と準備を何より優先すべきだね。まあとにかく、今回の特異点はいろいろ不安定ってことがわかればいいさ」
「ああ。他特異点と区別して『幻影特異点』としておくが、幻影特異点内部で我々との通信は不可能。あるいは一時的にしかできないと思ってもらいたい。恐らく、物資の補給なども難しいだろう」
「じゃあ、特異点に入ったら今まで以上に資源を節約する必要があるね」
「任せてください先輩、私の料理スキルは年々上昇しておりますので、食材が限られていても一定以上の質は保ってみせます!」
「うんうん、元気で何より。特異点の座標が安定しない以上ストーム・ボーダーによる侵入も難しいけど、君たち二人の存在証明については今までの経験上問題無いだろう。……で、お待ちかねの同行サーヴァントについてだけど」
「もしや、特異点が不安定なのも相まって適性があるサーヴァントがいらっしゃらないとか……」
「いや、今回は多くのサーヴァントに適性がある。ただ、一緒に行ける人数は2人までとのことでね。悩んだけど、今回は──────」
♦︎
多くの剣が地に突き立ち、一つの墓標を囲っている。
昼日中でありながら日の光の届き切らない暗い森、虫の声の鳴り止まない古びた砦に一つ、大きな影があった。
「おや、久しい顔だね。それも、本物だ」
「君は相変わらずだな、アルヴィナ」
黒い森のアルヴィナ。
森を仕切る狩猟団の長にして、広く裂けた口を巨体に備えた人語を解する怪猫。古びた砦は彼女の住処であり、森の奥地に通ずる関所のようなものでもある。
「そりゃそうさ。人も神も世も変わるんだ、あたしくらいは変わらずにいた方が丁度いいってもんだろう?」
「……ならば、礼は言わずにおこう。代わりに、この森は私の命に変えても守る」
「……へえ」
古びた砦跡の上で、愉快そうに猫は笑う。
影は騎士の姿をしていた。剣を備え、盾を持つ。ならば土地を守護することはそう不自然なことでもない。
だが、アルヴィナは躊躇いもなく笑った。
「今のあんたがかい。まあ、狩猟団が生きてるんだ、その言葉は本物だろうさ。それに、あんたが吐いた言葉を裏切ったのはウーラシールの時だけだ。文字通り命懸けってのは、よく知ってるよ」
「…………」
「だがね。もしシフのやつに負い目が……なんて思ってるなら、余計なお世話というやつだよ。あいつは、そうしたくてやったんだ。あんたにも、そうしたいことがあるはずだろう?」
「……返す言葉も無い。では、挨拶だけで済ませよう。それが、今の私がやりたいことだ」
「そうしとくれ。せめて、あんたがまた此処に来ないことを願ってるよ」
その言葉を最後に、騎士は砦を抜け、奥に至る。
それはかつて深淵を狩ったという英雄の墓、ある灰狼の最期の地。歩む騎士の背を猫は眺め、鼻を鳴らせばゆっくりと視線を逸らす。
黒い森の庭。
騎士と猫の会話は、森の黒に溶けていき……残るものは何も無い。
♦︎
カルデア一行のレイシフト後。
幻影特異点、内部──────空中。
「久しぶりだなー、この感覚」
目の前には素晴らしい晴天が広がっていた。燦々と輝く太陽に、遙か下に聳える街並み。そう、紛れもなく落下中である。
「先輩、手を! 久々ですが、宝具を使用して……」
オルテナウス装備に身を包んだマシュが大盾を片手に、空中で藻搔く自分に精一杯手を伸ばしている。
必死に体を動かし、マシュの右手を力強く握りしめたかと思うと──────途端、ふわりと体が持ち上がるような感覚が急に訪れる。落下速度も急速に落ち、姿勢も即座に安定して……。
「宝具を使う必要は無いさ、だって私がいるからね!」
「ありがとう、キルケー……!」
眼前の相手────キルケーに空中で感謝の言葉を口にすると、まるで透明の階段を降りていくようにゆっくりと、マシュと手を繋ぎながら地上に降りていく。
キルケーは今回の特異点攻略に同行するカルデアのサーヴァントの一騎だ。幻影特異点が神代、あるいは神代に限りなく近い環境であると推定されたため、あらゆる神秘・魔術に関連する問題に対応可能なサーヴァントということで抜擢されたのだとか。
「これくらい、朝飯前というやつだよ。出し惜しみは良くないが、ここは既に特異点の中だからね、気軽に宝具を使っては切り札がバレる可能性もある。他に手段があるなら使うべきだろう?」
「キルケー殿の言う通り。当方も既にルーンを使用し、着地予定の地点より周囲の反応を確認したが、大した脅威は無さそうだ。……無論、神話の時代を基準として、ということになるが」
キルケーが神秘的な長髪を靡かせながら微笑むと、装着した
カルデアのサーヴァント、戦士シグルド。
二騎しかサーヴァントが同行できないということもあり、特に高い戦闘力とあらゆる状況に対応できる叡智、そして
空中でマントをはためかせながら、短剣を片手に握り、もう片方の手で宙にルーンを刻んでいる。
戦乙女ブリュンヒルデから授かったという原初のルーンは、大魔女が行使する魔術と遜色がないどころか上回る場合もある。確かに、マシュが宝具を使用する必要が無いほどに、この二騎の備えは万全だ。
「とりあえず着地して、現地人に話を聞こう。どうやら私たちは街の郊外に降りるみたいだしね」
「はい、この幻影特異点がどのような状況なのか、とにかく話を聞いてから──────」
瞬間、空全体が眩く光る。
同時に耳を劈く轟音。即ち、
「ッ!!」
マシュの盾が何かを弾いた音を発する。否、弾いたのかさえ定かではない、空間が破裂したような音だった。
全身を強く打たれたかのような衝撃。言葉を発することはできず、先ほどまでしっかりと繋いでいたマシュの手を思わず離す。
先ほどまでの優雅な空中歩行を実現させていた魔術は、その尽くが灼かれ吹き飛んだ。
シグルドが顕現させた魔剣グラムとマシュの盾が雷を弾いていなければ、今頃自身の体はバラバラに散っていただろう。
「無事だね! よし、さっさと地上に落ちるぞ! あんな雷撃、そう何度も───」
「否! この迸り、二度目が来る!」
キルケーが声を上げ、シグルドが構えた直後。再びの落雷は、確とこの目で視認できた。
それは自然の雷ではない。雷で創られた槍だった。穂先があり、刃があり、確実に対象を貫くもの。
ソレは、マシュの盾に一直線に降り注ぎ……。
「キルケー殿!」
「わかっている!」
雷の槍が着弾する直前、キルケーに手を引かれると聞き取れない速度で未知の言葉が耳元で囁かれる。
恐らくは高速神言、神代の魔術師のみが発せられる独自言語だろう。キルケーの魔杖が光り輝き、空中に幾つかの層の魔術障壁が展開された。サーヴァントの有する下手な対軍宝具なら防ぎ切れるほどの代物、この微かな時間で発動できる最高の防壁。
それが、雷の槍が盾に着弾し弾けたと同時。甲高い音を立てたかと思えば、僅かに輪郭だけを残し砕かれる。
盾より生じた突風が自身とキルケーを襲いながら、光が視界を覆い尽くすと……マシュとシグルドの姿は、もうそこに無く。
「マシュ─────!」
「仕方ない、私たちだけで落ちるぞ! あの二人と合流するのは地上に降りてからだ!」
キルケーが背の羽を広げ、片手で俺を掴んだまま魔術を行使すると、地上に向け信じられない速度で"引っ張られる"。
急に重力が増したかのようで、衝撃に顔を顰めながら口を開けることもできず─────────カルデアは、呆気なく分断された。
落ちゆく先は暗い森。
二人の所在もよくわからぬまま、藤丸立香とキルケーはただ落ちるしかない。
♦︎
……そうさね。
神々の王は炉より戻り。
騎士たちは再び城に集う。
火は盛り、闇は砕かれ、神の栄光は大地に灯る。
我らの轍を星に刻むため。