夏の訪れを奏でるような雨音が聞こえる。
雪や霙は空の上で初夏の暖かさに溶かされ、固まる事はなく雨となり季節の移り変わりを私たちに告げていた。
そんな天からの恵み物は、見る人間の殆どが気分を落ち込ませるような暗いグラデーションを雨と雲によって景色に施し、窓枠という額縁に納められた風景を私に見せている。
窓枠の劣化具合と縁に引っかかっている鳥の羽が何処かアンティークな雰囲気を醸し出している気がした。
そんな景色を私は濡れたタオルを首にかけ見つめていた。
用意してもらった服が肌に馴染まないのがわかる。
服が悪いのではない、ただ今日のために用意した服ではなく、この簡素な服を着る事になった事に苛立ちを覚え、その気持ちが心理的にこの服を受け付けていないのだろう。
思わず指で机を叩いてしまう。苛立ちを隠さず、正面に会話相手がいるというのに、窓に視線を向ける行為。
私らしくない正しくない行為だ。
だが、同じ部屋で何度も同じ話をしているとこうもなる。
そんな私のぼんやりとした景色の鑑賞行為と苛立ちの発散は、今日何度目かもわからない言葉によって止められた。
「ちょ、ちょっと待ってね?ごめんね?全然話についていけないんだけど...」
暗く彩られた景色から私は視線を正面に戻す。
私と同じ鉄パイプでできた椅子に座った彼女は困ったように眉を顰め呻いている。
この部屋にあるのは一つの机とそれに向かい合った二つの椅子。
私の対面には、くたびれたスーツを着た女性が一人。
その女性は艶やかさをなくした髪と萎れた表情から彼女の精神的肉体的疲れを見るだけで感じさせている。
おそらく私よりも一回りは年上だろうが、その疲れからかもっと年上にも見えた。
そんな彼女は恐る恐る私に問いかけてくる。
「えーと...二階堂ヒロちゃん...」
「二階堂でもヒロでもいいです刑事さん」
恐る恐る問いかけられた言葉に私は答える。
本当なら年上に対してしっかりとした礼儀正しい態度をしなくてはならない。
だが、この数時間の状況から私から敬語以外の礼儀は消え去ろうとしていた。
そんな私の思いが乗った素っ気ない言葉に目の前の女性はビクリと肩を振るわせながら再度口を開く。
「な、なら二階堂ちゃん。えーと君が今話した内容が数時間前に起きた内容であってる?」
「そうですね。あの時、貴方と別れてすぐに起こったことです。ずっと同じ事を聞かれ喋っていると思いますが」
「ご、ごめんね?何時間も拘束しちゃって...何か予定でもあった?」
「久しぶりに会う友人と遊びに行く予定でした」
「えっと...本当にごめんね?」
「別に...構いません。犯罪者を捕まえるためならいくらでも協力します」
申し訳なさそうに謝る刑事に対して私は告げる。
そうだ、この行為は罪を裁くために必要な行為だ。
それはわかる。わかるが、被害者である私がなぜこうも数時間拘束されているのだろうか。
そんな気持ちが顔に出ていたのであろう。刑事は申し訳なさそうにしながらも、今日何度目かもわからない言葉を私に投げかけてくる。
「えっと...それなら改めて聞くんだけどさ。」
「はい」
「その話が...傘泥棒が目の前から突然消失した事に繋がるんだよね?」
「はい」
「見失ったとかじゃなくて」
「はい」
「追いかけたら、魔法みたいに、雨の中、消え去った」
「はい」
「......」
「......」
「...ごめんもっかい最初っから話してもらっていい?」
「これ、何度目ですか?」
「ごめんをマジごめんって」
「正しくない...」
「いや、マジで本当にごめんね...」
謝る刑事を見ながら深い深いため息をつく。
なぜ私がこんな目に遭っているのだろう。
私はただ、罪を犯した人間を咎めようとしただけなのだ。間違った事はしていない。
そんな地震の揺るがない信念と、エマとのお出かけが台無しになった後悔が入り混じる胸中をなんとかの見込み共に私は再び口を開いた。
「あそこか...」
激しい雨の中、目的のコンビニをやっと見つけた事で思わず言葉が私の口からこぼれ落ちた。
滝のような雨は傘をさしていても、容赦なく私の服を徐々に濡らしている。
久しぶりの再会のために用意した服がお披露目する前に汚れてしまう事実に気持ちが沈んでしまう。
だがそれも彼女...エマと出会えば解決してしまうだろう。
そんな彼女のために私は雨傘を求めて目の前のコンビニに向けて足を向けた。
『ごめんヒロちゃん!今駅から出ようとしたら雨が降ってきて駅から出れなくなっちゃった!』
そんなメッセージがエマから届いたのは待ち合わせ時間の30分前であった。
待ち合わせ場所の喫茶店、マーゴがおすすめしてくれた店でコーヒーに舌鼓を打ちながら私は呆れた顔を隠しきれなかった。
突然の、にわか雨ならばまだ理解できる。
だが、本日は昼前から激しい雨が降ると散々前日の天気予報で言っていたのにこの始末。
それに、突然のにわか雨だったとしても、天気の移り変わりの激しいこの季節。日頃から折り畳み傘を持っていればこんな事にはならなかったはずだ。
色々エマに説教を送りたくなる。だが、それは直接遭った時に一言言うだけにしておこう。
それに、傘がないならコンビニで買えばいい。
だからこのまま動かず待っていればいいのだが...
嫌な予感がする。
この予感を無視しても良かったが、私はコーヒーを飲み干して立ち上がることにした。
すると、友人が後から来ると言っていたのに席を立ったのを不審に思ったのだろう。店主が手に持った文庫本から視線を上げて私を見つめていた。
店の中には私と店主である老婆しかいない。
読書を中断させてしまった事を謝りながら私は店主に事情を説明すると、会計はいいから早く迎えに行ってやんなと言われてしまった。
会計を済まさずに店を出る事を躊躇したが、追い出されるように店の外に出されてしまう。
まったく。強引だ...
だが、今は感謝しておこう。
そう考えた時だった。
エマから再びメッセージが届く。
視線を画面に向けるとそこにはびっくりしているキャラクターのスタンプ共に
『どうしようヒロちゃん!駅のコンビニ!傘が売り切れてる!』
という文字列が見えた
...はぁ、やっぱりな。
そんなため息をついた数分後、土砂降りの雨の中やっと私はコンビニにたどり着いたのだった。
都心部なら珍しくもない、よくあるコンビニエンスストア。
入り口の前に着くと擦れるような音と共に自動ドアが開き、同時に独特なメロディーが私の来店を告げる。
すぐにでも雨から抜け出して店内に入りたかったが、私は急がず傘を閉じ、水をふるい落としてから一つだけビニール傘が入っている傘立てに傘を入れる。
ふと、視線を傘立ての水受け皿に向けると、水がほとんど入っていない。
そんなどうでもいい事を確認しながら私は店に入店する。
入店したコンビニはオフィスビルの一階に鎮座するコンビニであり、少々特殊な形をしていた。
簡単にいえば『L』字だ。
入り口は『L』の書き初めの部分にあり、『L』字の縦線はいくつかの机が置かれた休憩スペースになっている。そして『L』字の横線に商品やレジが並んでいる。
つまり店に入ってすぐは休憩スペースしか見えず、角を曲がらなければ買い物ができない。
そのため、商品を買うために休憩スペースを通らないといけないのだが...
不審な点を4つ...いや4人の怪しい人物がいたと言った方がいいだろうか。
1人目の怪しい男。
サングラスをかけ、びしょびしょに濡れた黒い服装に身を包んでいる黒ずくめの男だが、不審な点はそこではない。側には山のようにカップ麺の空の器の山が築かれているところだろう。
こんな昼前から、雨の日にコンビニでカップ麺を食い散らかすのは正しくないわけではないが普通ではない。明らかに不審な人物だ。
関わらないでおこう。
2人目の女性。
スーツ姿の大人の女性刑事。大体20後半か30代であるのがわかるが、疲れた表情で缶コーヒーを片手に外を見ている。
なぜ刑事であると分かるのか。
机の上に堂々と警察手帳が置かれてある。
勤務中だろうにその態度でいいのだろうか?
それにあんなあからさまに警察手帳を置いておいていいのか?
良くない。警察官としての態度として明らかに正しくない。一言言ってやりたい。
3人目と4人目。
近くの高校の制服を着た私と近い年齢だろう2人に感じた不審な点は視線。
入り口にあった傘立てに傘を入れ自動ドアからコンビニの中に入った時から不躾な視線を感じていた。
チラリとそちらに目を向けると、視線は合わなかったが少女2人がニヤニヤしながら私を見つめていた。
不審で不愉快な視線。そして何処か嫌な懐かしさを感じる視線。
内なる正義の心が私の体を動かそうとする。
不真面目や不審や不愉快を正せと心が叫ぶ。
----だが私はその視線を訝しみながらも、エマに雨傘を買うために私は休憩スペースにの脇を抜けて店の奥に歩みを進める事とした。
エマが立ち往生しているのは自業自得だが、彼女が困っているのを私は昔から見逃せない。
それに私自身早く彼女に会いたいのだ。
そんな気持ちが不躾な視線をぶつける彼女らや正しくない警官にぶつけたい一言を心の内に潜ませ封じ込める。
叱りたい、正したいが、彼女達は明確な悪を成したわけではない。不快ではあるが。罪を犯しているわけではないのだ。
それに、私は思い知ったはずだろう。正しさを求める激情に流された結果どうなったのか、あの屋敷で学んだはずだ。
そんなモヤモヤとした気持ちと共に内から溢れる正義を抑え私は店の角を曲がったのだ。
視界に広がるのは平凡なコンビニエンスストアの商品棚。目的の雨傘はレジ横に並べられていた。
後はそれを手に取りレジに渡すだけ、数分もかからない。
急ぐならばすぐに商品を手に取るべきだ。
そう、手に取るべきだったのだが...
なぜ視線が合わなかった?
そんな疑問が私の足を止めた。
私は角を曲がりそこで立ち止まっていた。
不自然な行動だと今でも思う。
だが、その時の私は入店時の2人の視線が無性に気になってしまっていた。
彼女は不躾な視線を私にぶつけていた。
だが、彼女らを私が見た時、彼女らと私は視線が合わなかった。
つまり...彼女らが見ていたのは私ではない。
なら何を見ていた?
この雨の中、入店してきた私ではなく、わたし以外に何を見ていた?
嫌な予感がした。
休憩スペースにいた彼女たちの笑みが、妙に気になった。
だからなのだろう。その時の私はすぐに踵を返し、再び角を曲がった。
その瞬間だった。音が鳴ったのは。
先程耳にした独特なメロディーと自動ドアの開閉音。
そちらに視線を向ける。
そこには数秒前に見た少女たちがいた。
彼女たちは傘を持って外に出ようとしていた。
彼女達、1人1つの傘が握られていた。
片方はビニール傘。
もう一つは------私の傘だ。
窃盗犯
悪
「そこを動くな」
叫び声ではない。重く響く声が私の肺から吐き出される。
そんな抑えきれぬ私の激情を込めた声と共に私は早歩きで彼女達に向かう。
一昔前ならば、手が出ていた。
数ヶ月前なら叫んでいた。
叩きのめしていたとすら思う。
だが今は違う。
さまざま経験から成長している私はまず目の前の犯罪者どもの話を聞こうとしていた。
昔の最初から火かき棒で殴りかかる私とは違うのだ。
私にも心のブレーキはある。
罪を犯したものにも理由はある。一応弁明は聞いてやるべきだ。
そう自問自答。自らの正義心にブレーキをかけて足を踏み出す。
その時の私は急な下り坂でアクセルとブレーキを踏み込んだ車のようだったと思う。
今思い返してみても、犯罪者への最大限の譲歩。そして自身の成長を思い返せる行動だったと思う。
だが、そこで話が終われば私は今ここにいない。
出口から出て傘を開こうとしている二人組が私に振り返った。
その表情は驚きでも、罪を見つかった焦りでもない。
ニヤニヤとした笑みがそこにはあった。
詫びれもしない、人を悪意で揶揄う醜悪な笑み。
罪を突きつけられたのに反省もしないその笑み。
この笑みを見たのは久しぶりだ。
----ああ、思い出した。
私はこの笑みを見ていた。
私は中学の時にこの笑みを何度も見た。夢の中で何度も思い返した。
何度注意しても何度も叱りつけても、すぐにまた繰り返し私の友人に向けられた笑み。
ユキに向けられていた笑みだ。
それを認識したが故に。
その時の私は激情を抑えることなどできなかった。
「悪は死ね!」
私は怨嗟の声と共に二人組に手を伸ばし猟犬のような速さで走る。
その時の私は今思えば明確な殺意を帯びていた気がする。
だからだろうか、二人組の表情が不快な笑みから、恐怖に怯えた表情に変わったのは。
2人は尻に火がついたかのように土砂降りの中傘もささずに逃げ出した。
傘をさしたままだと逃げれないと判断したが故の行動だろう。
そのまま彼女立ちは濡れ鼠になって雨の中をかけていく。
私もそれに続けば、大量の雨が今日のために用意した私の服を瞬時に台無しにするだろう。
そんな心残りが私の行動にブレーキをかけようとする。
降り注ぐ大きな雨粒と風が、体温を下げ体調を悪化させ、足元を掬い転ばせ怪我をするかもしれない。
そんな視覚情報が私の行動にブレーキをかけようとする。
だがその時の私にブレーキあれど、機能などしていなかった。
---逃がしてなるものか!
その思いに頭を支配された私も、後を追うように店内から雨の中に躍り出る。
滝のような雨が私に襲いかかる。
雨風が私の視界を遮り、瞬く間に服が濡れて重しになる。
だが、そんなものその時の私の障害になりもしなかった。
悪が二歩進むなら、4歩進み。
悪が振り返る隙を見せるなら、その間に5歩進む。
悪が街角を曲がる際スピードを落とすなら、私はスピードを上げながら街角を曲がる。
そうして、わたしは雨の街の中、2人の真後ろまで追いつき、片方の肩まで手を伸ばして----
「そして、窃盗犯が消えました。雨の中、目の前から、瞬時に、忽然と」
そう言って私は話を締めくくる。
すると再び部屋に雨音以外の音が消える。
なんとなしに窓を見ると、相変わらず先はどど変わらず暗いグラデーションが映し出されていた。
いや、少し変わっている。
羽がない。
----やっとか
「え、えーと...それ以外に何かあったりしたかな?」
困惑し、困りきった声の主に視線を向けると女刑事が頭を抱えていた。
それはそうだろう。事情聴取をしていたら超常現象が出てきたのだ。こうもなる。
だが、同情はしない。それにそろそろ退場してもらいたい。
「そうですね。何度も話していますが、それ以外ありません」
わたしはそれ以外語る必要はないと言いたげに話を締め括った。
だが女刑事は質問を飛ばしてくる。
「いや、ね?私の聞き間違いじゃなければ突然人が消えたんだけど?」
「消えましたね」
「え?...何かで逃げたとかじゃなく。瞬間移動みたいに?」
「はい。魔法みたいに。目の前から」
「...嘘言ってたり?」
「窃盗犯の片割れはなんと言っていますか?」
「...錯乱してるけど君と同じ事言ってるね」
「でしょう?」
「...君たちが口裏合わせてたり工作してり」
「窃盗犯が消えた後、すぐに貴方が来ましたよね」
「...だね」
「工作してるような暇はなかった」
「ね」
「そもそも貴方が職務中にコンビニでサボっておらず、コンビニの入り口で窃盗が行われた時に止めていればこんなことにならなかったのでは?」
「...」
「それに貴方はのんびり傘をさして追ってきた。目の前で窃盗が行われたのにも関わらず、現行犯であるのにも関わらず、のんびり歩いてきた」
「こ、小走りではあったよ?」
「警官としての業務を怠っているのでは?」
「...一旦やめよっかこの話」
女刑事がタハハと乾いた笑いと共にそう言い席を立ち上がる。
明らかな『逃げ』
罪を追求し捕まえる者がこんな態度でいいのだろうか。
よくはない。
だが、今その行動は私にとって好都合だった。
「話疲れました。休んでもいいですか?」
私は心底疲れ切った顔でそう言い不貞腐れるように顔を背けた。
その仕草に聞き疲れていたであろう女刑事もホッとした表情をする。
「そ、そうだね〜。一旦休もっか!」
「はい」
「じゃ、じゃあお姉さん、上司と話してくるからちょっと待っててねー!」
彼女はそういうと、そそくさと部屋から扉をあけて出ていく。
バタン!
焦るように閉じられた扉の音が部屋に響く。
これで部屋に残るのは私のみ。
激しい雨の音だけが部屋を奏でる。
私は腕を組み、目を瞑り、『奴』がくるのを待つ。
10秒、20秒。
無意な時間が過ぎていく。
勘違いだっただろうか?
そんな疑問が頭に浮かぶ。
だが、私の判断は正しかった。
雨音に紛れて僅かに聞こえる羽ばたく音と同時にコンコンと窓を叩く音が私の耳に入る。
私は立ち上がり、『ソレ』を認識すると共に窓に近寄り、鍵を開け窓に手をかけ、開けた。
ガコンと音を立てて引っかかりながらも窓が開く。
それと共に外の湿気を感じ気分が悪くなるが、原因は湿気だけではないのだろう。
「はぁ...こんな天気でもお構いなしに飛ばされるなんて、鳥使い荒いと思いませんかねぇ?」
2度と聞く事はないと思っていた声共に、『ソレ』は窓から部屋に入ってきた。
顔が90度傾いた独特な顔。
マスコットの様なぬいぐるみの様な体。
だが、過去の記憶から一切の愛らしさを感じる事はない。
「久しぶりですねぇ、二階堂ヒロさん」
体についた水分をふるい落とし、『ソレ』は私に語りかけてくる。
無気力で無機質な声。
私はその声に顔を顰めながら答えた。
「2度と会いたくなかったよゴクチョー」
「それは残念でしたね。私もです」
フクロウは羽ばたき言った