窓越しに雨の音が聞こえる。
だが、その音は先程までよりも落ち着いており、昼頃の雨音に近い音程だ。
そろそろ雨も止んでしまうだろう。
急がなければ。
流行る気持ちを抑え、私はできるだけ早く、違和感を抱かれないように廊下を歩く。
カツンコツンと廊下に足音が響く。
大雨特有のじめっとした湿気が廊下の空気に充満している。
途中幾人かとすれ違うが気にもされていない。
それはそうだろう。人は全く見覚えがないものがいつもの場所に現れれば気にするが、少しでも見覚えがあれば気にしない。
そう、人は皆、人や物が消えても消えたその時は気にするかもしれないが、結局はすぐに忘れてしまう。
それがどんなに大事なものだとしても、どんなに重要なものだとしても、すぐに気にしなくなる。
だから、急がないと。
雨音に急かされるように足を動かす。
そうして、やっと辿り着いたのは警察署の隅の部屋。
その入り口の締め切った扉の前に私は立ち、一息入れる。
この扉の向こうに、彼女が…二階堂ちゃんがいる。
この扉を開けた後の状況を思い浮かべる。
おそらく彼女は今、呆然としてパイプ椅子に座っているはずだ。
ここの来た理由が消失しているがゆえに、なぜここにいるのかわかないはずだ。
不安に思っているはずだ。困惑しているはずだ。
だから私は優しく言うのだ。
『とりあえず家までパトカーで送ってあげるよ。外は夜だし雨が降っているからね』
そして、彼女を雨の中に連れ出す。
違和感はない、おかしな行動ではないはずだ。
これで、彼女も助けられるはず。
だから、この行動は間違いでは無い。
彼女を、あの怪鳥から救うにはこの行動しかない。だから彼女を騙すようなこのやり方は間違いでは無いはずなのだ。
もう一度深呼吸をする。
そして私はドアノブを掴む。
これでまた一人助けられる。私が助けなければならない。
自分に言い聞かせる。自分の今までやっていた事を正当化する。
だから、だから私がやり切らないといけないのだ。
そんな強い使命感と共に、私は扉を開いた。
「待っていた」
扉を開けた先の彼女は予想していたようにパイプ椅子に座っていた。
だが、予想していたものとは違う。
彼女は私がくる事を確信していたかのような表情で、呆然となどしておらず、その姿は毅然としており迷いなどない。
自分がこの部屋にいる事に違和感を何一つ持っていない姿で
———肩に怪鳥を乗せている。
マスコットのようなぬいぐるみの様な鳥型の何か。
それが二階堂ちゃんの肩に隠れもせず止まっている。
冷や汗が湧き出る。
数多の悲劇を告げてきたフクロウ。少女たちを地獄へ呼び込む不幸鳥。
私が知るのはただそれだけ。だがそれだけで、この怪鳥が私の敵であると判断するのに十分な情報だった。
そんな鳥が今目の前にいる。二階堂ちゃんの傍にいる。、目の前ので二階堂ヒロの肩に止まっている。
「どうした?この鳥が気になるのか?それとも、先ほど私と話した時にいなかったこいつが今いる事に驚いているのか?」
二階堂ちゃんはそういい、肩にいる怪鳥を撫でる。
その姿はまるで二階堂ちゃんの使い魔のようだった。
——覚えていないはずだ。
窃盗犯の二人はいなくなった。だから彼女がここにいる理由もいなくなった。
故に二階堂ちゃんは自分がなぜここにいるのか分からず、困惑しているはずなのだ。
覚えているはずがない。だから、さっき私と話したことなんて覚えているわけがないのだ。
でも、彼女は今、まるで先ほど私と話していた事を覚えているような事を喋った。
ハッタリだ。ハッタリに決まっている。
なぜ私に二階堂ちゃんはハッタリをかます?
——怪鳥と二階堂ちゃんは繋がっている?
恐ろしい可能性に肝が冷える。
それならば二階堂ちゃんは助けるべき対象ではない。敵だ。
それなら、私は二階堂ちゃんに対して初対面のように接しなければならない。
ハッタリに乗ってはならない。
内から湧き出る焦りと恐怖を抑え、私は口を開く。
「ん?こんな部屋になんでいるの君?ここは一般市民は入っちゃダメだよ〜。あ、名乗るのが遅れたね初めまして私は—」
「下手な芝居はいい」
言葉が切り落とされる。
静かで、落ち着いていて——怒りを含んだ声。
「初めましてではない。そうだろう?」
そう彼女は言い切る。
ハッタリではない圧を感じる。
確信を持って彼女が話しているのだと、理解してしまう。
覚えている——の?
信じられない。『いなくなった』はず。
例外はないはず。
だがいくらそう考えようとも、彼女は言葉は止まらない。
「座ってもらおうか。今日3人も消して好き勝手したんだ。話ぐらい聞いてもらおう。さっきみたいにな」
彼女はそう言い切ると、首を振りもう一つのパイプ椅子に座る事を促す。
その椅子は私が数時間前座っていた椅子。
二階堂ちゃんは澱みなく迷いなく、私がハッタリを芝居をしているのだと確信して行動をしている。
——この子は覚えてる。
そう私は確信を……いや、そんなわけがない。
確信を得るにはまだ早い。
確かに私は『いなくなった』
だが、今日消した3人のようには完全にではなく半端にだ。
私の事をかすかに覚えていても、残りの3人の事を覚えているわけがないのだ。
今までも全てそうだった。
だから二階堂ちゃんが覚えているわけがないのだ。
ゆえに二階堂ちゃんのこの言葉と仕草はハッタリだ。
これは二階堂ちゃんと、あのフクロウが私を嵌める罠に違いない。
だから話を無視していい。付き合わなくてもいい——だけれど
———もし本当に覚えていたら?
二階堂ちゃんが一才忘れておらず覚えていたら?
その瞬間から私は人助けをすることができなくなる。
私が隠した子達も目の前の不幸鳥に連れてかれてしまう。
そんな事許されるわけがない。私は託されたのだ。
ならどうする?
その時は——目の前の彼女達に本当の意味でいなくなってもらう必要がある。
目の前の二階堂ちゃんを見る。
怪鳥は私の事を忘れるのは今までの経験から分かっている。
どうにかするなら二階堂ちゃん。ヤルなら二階堂ちゃんだ。
凶器を持っているようには見えない。ただの少女だ。
いざとなれば、暴力を使う。
彼女はそんな直接的な暴力など経験がないはずだ、怯え抵抗もできないだろう。
つまり、いざとなればどうとでもできる。
なら——私は知るべきだ。
二階堂ちゃんがどこまで把握して、どこまで記憶しているのか気になる。
一部しか覚えておらず、ただのはったりなら
もし消したはずの事柄を覚えており、それを『いなくなる』魔法を使っても記録が残る方法で記録を残しているのなら---私も覚悟をする必要があると。
「え〜?何を言ってるのかわかんないけれど、まぁいいよー。言いたいこと言い終わったらお姉さんと親御さんのところにいこっか。迷子でしょ?君」
聞き分けのない子供に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
そして促された椅子に座った。
数時間前に座った時と変わらぬ感触。
だがあの時とは違うのは、目の前の彼女が私に対して怒りと殺意を向けていること。
再び彼女の目を見る。
清水のような綺麗な瞳。澱みも感じず、ただ美しく正しい光を放っている。
そんな彼女はニヒルに笑う。
「好きに誤魔化すといいさ。だが無視できないはずだ。なにせ君の秘密を、君が消した全てを私は全部知っているのだからな」
背筋が凍るような事を言う。
嘘か真かわからない。
嘘のはずだ。真のわけがない。
だがその確信が持てない。
だから….いいよ。付き合ってあげる。
「話してみなよ。君言う全部ってやつを。戯言を」
その言葉で私は彼女の語りに耳を傾ける。
君がどこまで覚えていて、どうして私を怪しんでいたのか。
お姉さんに教えてほしいな。
ーーーーーーー
話してみなよ。君言う全部ってやつ——か。
目の前の女性の言葉に内心笑ってしまう。
何一つわからない。覚えていない。
それが現状だ。
目の前に座る女を観察する。
私の対面には、くたびれたスーツを着た女性が一人。
その女性は艶やかさをなくした髪と萎れた表情から彼女の精神的肉体的疲れを見るだけで感じさせている。
おそらく私よりも一回りは年上だろうが、その疲れからかもっと年上にも見える。
初めて目にする人物だ。互いに話したことも見たこともない。記憶に何一つ該当しない人物。
——ではない。
私はおそらく目の前の彼女に会い、話している。
それを忘れているだけだ。
そう今の私は思い込んでいる。
ありもしない記憶を信じ、思い込む。
自分を信用できなくなるような不信感や不快感が自身の体から湧き上がるのを感じるが、それを抑え込む。
記憶と一切合致しないモノを真実と断言してそれ以外を否と判断する。
あまりに馬鹿らしい。狂人のような愚行。
だがそれでも私はそれを、目の前にいる初対面の女と私は数時間前にこの部屋で会い、話しているのだと断言する。
それはなぜか?
その理由は一つだけ。
この部屋に入った時のカマ掛けに引っかかったから。
ただそれだけだ。
彼女はゴクチョーを見た時、隠そうとしていたがわずかに表情が変化していた。
そして、私の戯言に耳を傾け、目の前に座った。
普通の警官なら、警察署内に不審者がいる場合、外に追い出すか確保するだろう。
だが目の前の彼女はそうしなかった。
こうして私の話を聞こうとしている。
その行為は、彼女が私がどこまで話を把握しているのか確認しようとしている行為だと私は推測する。
つまり、彼女が状況を把握しようとしている『消失の魔女』である可能性は高い。
馬鹿らしい
そしてあまりに証拠の乏しい理由。
だがそれでも私は進まなければならない。
なぜならば、それ以外の手がないからだ。
私は呼吸を整え、あらためて確認する。
私がやるべきことは3つ
1つ。『消失の魔女』の魔法を止める。
2つ。消えた少女達の奪還。
3つ。————私の大切な『 』の救出。
私が大切にしている存在『 』
『 』が誰なのかは一切思い出せない。
だが忘れてはいけない存在なのは、今の私の穴だらけの記憶が証明している。
そんな彼女が消え去った。
ゴクチョーは忘れ去り、牢屋敷の仲間も幾人かの記憶から完全に消えていた。
私たちの地獄のような苦しみにまみれた希望の記憶から完全に『 』は消えていた。
許さない。
許されるわけがない。許すわけがない。
『 』を消した『消失の魔女』を許してたまるものか。
今すぐにも頭をかち割って殺してやりたい。
だが、そうはいかない。
『 』を元に戻すには、『消失の魔女』の魔法が必要である可能性が高い。
それは、消せるのなら元に戻せるはずという私の願望に近い推測だ、
だがそれができるのだと私は信じて進むしかない。そうでなければ私は耐えられない。
だから私は目の前にいる推定『消失の魔女』を離さなければならない。
事件の首謀者である彼女と話し、消えた『 』達を返してもらわなければならない。
そのためにはどうするか。
まずは目の前の彼女が『消失の魔女』だと自白してもらう。
次に、なぜ彼女は少女達を消す理由を知る必要性があり、その理由がなんであろうともそれを曲げて消した少女達を返してもらうよう説得しなければならない。
そのための手札は….ろくに存在しない。
私が持っている手札は
今まで消えてきた彼女達の残された資料。
穴だらけの今日の事件の記憶。
牢屋敷の記憶。
あまりに乏しい手札。まるで絵札のないハイカード。
つまりだ。
今から私は、証拠も弱みも一切持っていない状態で目の前の『消失の魔女』に自分の正体と反抗を自白させ、隠してきた少女達を解放させなければならない。
無理だ。不可能だ。達成不可能だ。
だが、なんて———覚えのある状況だ。
追加の情報を手に入れる時間がない——あの時も裁判が始まってから情報を集めていた。同じだ。
証拠も弱みも持っていない——あの時も嘘と偽証で乗り切った。同じだ。
失敗したら『 』を失う——あの時は命を失っていた。同じだ。
ミスの許されない一発勝負。フォールドすべき手札でオールインするしかない状況。同じだ。
こんな同じ状況、何度も私は乗り越えてきた。
牢屋敷で嫌と言うほど体験した。
だから——今回も私はこの状況を正す。
「なら聞いてもらおうか。あなたが少女達を消した魔女であるという事を」
私はそういい背筋を正し、目の前の『魔女』を見る。
さぁ、また始めよう。
魔女裁判を。