侵食
「二人とも、遅くないか?」
龍門行政区の高層ビル群に囲まれた広場。
夕暮れの柔らかな陽光がガラス張りの外壁へ反射し、石畳の歩道を黄金色に染めていた。行き交う市民の姿も多く、チェルノボーグで目にした廃墟とは対照的な、都市としての活気がそこにはあった。
その一角で警戒に当たっていたハルトが腕時計へ目を落とし、小さく息を吐く。
「心配するな。ケルシーが居るんだ、話が少し長引いているだけだろう」
隣で周囲を見回っていたAceが肩を竦めた。
そう言いながらも、彼自身も時折ビルの入口へ視線を向けていた。
今回の龍門訪問は、ロドスと龍門との正式な協力関係を築くための重要な交渉である。護衛任務とはいえ、万一ここで何か起これば双方に与える影響は計り知れない。
だからこそ、二人とも世間話を交わしながらも警戒だけは一切解いていなかった。
ハルトはふと周囲を見渡す。
ライトアップされた高層建築群。
綺麗に整備された道路。
静かに路面を走る車両。
爛々と輝く街灯。
綺羅びやかな広告看板。
都市全体が秩序立って機能している。
帝国のハイヴ・シティとは違う。煤煙もなければ、終わりの見えない人口過密もない。人々の表情には疲労こそあれ、恐怖は少ない。
(……平和だな)
思わずそんな感想が浮かぶ。
もちろんレユニオンという問題は抱えている。それでも少なくとも、毎日のように異端者や異種族との戦争へ駆り出される帝国よりは遥かに穏やかな世界だった。
その時、自動扉が静かに開いた。
中から姿を現したのはドクター、アーミヤ、ケルシー、そしてチェンの四人。
表情を見る限り、大きな問題は起きていないらしい。
Aceは僅かに肩の力を抜き、歩み寄る。
「ドクター、話は付いたのか?」
「ああ。契約は結ばれた、一先ずは龍門に滞在できるはずだ」
ドクターはAceの問いかけに短く答え、彼も安堵したように息を吐く。
だが、その一方でケルシーは歩みを止めることなく、一人の青年へ静かに視線を向けていた。
感情の読めない碧眼が彼を静かに観察している。その沈黙に耐えかねたハルトが姿勢を正し問いかけようとした矢先、ケルシーが口を開いた。
「……君が異世界からやってきたという兵士か」
言葉を遮るように、ケルシーが静かに言った。
その声は落ち着いているが、瞳には僅かな興味が宿っていた。
「全て報告で把握している。本来なら君の世界について詳しく話を聞きたい。未知の文明、未知の技術、未知の歴史。それらは我々にとっても無視できない情報だ……だが生憎、その時間はない」
彼女は歩き出した。
「明日から君達には早速任務へ参加してもらう。説明は移動しながら行う。付いて来てくれ」
「り、了解しました!」
ハルトは反射的に敬礼し、その後ろへ続く。ケルシーの雰囲気は、軍人気質の彼をどこかそうさせるような重いものがあった。
ハルトに続いて、ドクター達も歩調を合わせるように歩き始める。
その時だった。
「……一つ、忠告がある」
それまで沈黙を貫いていたチェンが足を止めた。
全員が振り返る。彼女は腕を組んだまま、真っ直ぐドクター達を見据えていた。
「最近、龍門やその周辺都市で夜間での原因不明の失踪事件が多発しているようだ。近衛局のパトロールを増強してはいるが……」
そして、一拍置く。
「……君達も夜間の単独行動は避けた方がいいだろう」
チェンは短くそう締め括った。
「……忠告、感謝する」
Aceが静かに感謝を述べる。
ドクターもまた無言で頷き返した。
それが単なる治安悪化による事件なのか、それともレユニオンが関与しているのか。この時点では誰にも分からない。
彼女の言葉にドクター達は少しばかりの不穏な予感を感じながらも、ビルを後にした。
ウルサス帝国領内、とある辺境の寒村。
昼間であるにもかかわらず、空は黒煙によって覆われ、陽光はほとんど地上へ届いていなかった。焦げた木材の臭いと生肉が焼ける臭気が冷たい風に乗って漂い、辺り一帯を満たしている。
その惨状を高台から見下ろしていたのは、皇帝の近衛兵――皇帝の利刃の一人であった。
近頃、帝国内では原因不明の失踪事件が相次いでいた。辺境の集落が丸ごと姿を消し、調査へ向かった部隊すら帰還しない。皇帝は事態を重く見て、最も報告が集中する地域へ密かに利刃を派遣したのである。
そして彼は今、その答えを目の当たりにしていた。
「なんだ、この悍ましい生物は……」
村は既に滅びていた。
木造家屋は炎に包まれ、屋根は崩れ落ち、石畳には無数の血痕が黒く染み付いている。逃げ惑う人影も、助けを求める悲鳴も、既に存在しない。
生きているものは、ただ一つ。紫色の甲殻に覆われた異形の怪物達だけだった。
それらは獲物を狩るでもなく、戦うでもない。
地面へ転がる村人の亡骸を引き裂き、家畜を喰らい、畑の作物を根ごと噛み砕き、果ては焼け残った樹木の幹すら削り取るように貪っている。
まるでこの地に存在する有機物という有機物を、一片たりとも残すまいとするかのようだった。
そして彼等の体表には大量の源石が煌めき、身体を深く侵食していることが分かる。だがそれを丸で意に介さず、ひたすらに貪り食うことを辞めない。
利刃は無言のままその光景を見据える。
そして同時に、彼は異変を感じ取っていた。
身体の奥底から這い上がるような不快感と、精神の均衡を乱す異様な圧迫感。それが自分自身と、そして閉じ込めている悪魔さえも目の前の怪物を本能的に拒絶している。
利刃は鎧の中で、僅かに目を細めた。
長い間利刃として務めてきて、ここまでの異様な圧を感じたのは初めてだ。
強敵への恐怖だとか、精神への干渉などでもない。もっと別次元の、根源的な何か。
彼は本能的に理解する。
これは放置してはいけない。
国家や種族の枠組みでは定義できぬ、破滅的な存在。今ここで確実に滅さなければ、取り返しの付かないことになる、と。
「穢らわしき獣どもめ……偉大なるウルサスの国土を穢し、その大地を無断で踏み荒らしたこと、悔いて死に絶えるがいい……!!」
低く響く宣告とともに、利刃の足元から濃密な黒き瘴気が静かに溢れ出す。
周囲のあらゆる物をを黒く穢し、静かに怪物――ティラニッドの個体群の元へと広がっていく。
異変を察知したティラニッドが、一斉に捕食の手を止めた。
無数の複眼が、音もなく利刃へ向けられる。
唸るような鳴き声が重なり、ティラニッド・ウォリアーによる命令が瞬時に共有される。次の瞬間、獲物を見定めた無数の刃が、一斉に彼へと向けられた。
利刃は一歩も退かない。
静かに腰の剣へと手を添え、その刀身を鞘から引き抜く。
鋼が擦れる澄んだ音と悍ましい怪物の咆哮が、瓦礫の山と化した村に響いた。
・〈
ティラニッドのハイヴ・マインドが放つサイキックパワーに近い何か。帝国の学者はハイヴ・マインドと、下位個体やシナプス個体が精神的な繋がりを保つ過程で放たれるエネルギーの一種であると考えており、従来の〈歪み〉のエネルギーとは決定的に異なることが指摘されている。〈