「Ace、右だ!」
ハルトの鋭い声が、瓦礫と廃材が積み重なるスラム街の裏路地に響いた。
声に反応したAceは振り向きざまに巨大な戦鎚を薙ぎ払う。迫っていたレユニオン兵は盾ごと吹き飛ばされ、鈍い衝突音と共に石壁へ叩きつけられた。その隙を逃さずAceは数歩飛び退き、ハルトと背中を預け合う位置へ滑り込む。
互いの荒い呼吸だけが一瞬だけ耳に届く。
しかし、それを待つように周囲では鉄パイプや鉈、粗末な弩を構えた人影がじりじりと距離を詰めていた。
路地の入口も屋根の上も、退路になり得る場所には既にレユニオン兵と彼らに呼応したスラム住民が陣取り、獲物を囲い込むように包囲網を狭めている。
「……数が多すぎる。このまま殴り続けても埒は明かんな」
Aceが短く吐き捨てる。
「ああ、こちらもそろそろ限界だ。ラスガンを温存したままでは押し切られる」
ミーシャを無事に脱出させるため、ドクターとアーミヤ、さらにリスカム達BSWとペンギン急便の面々へ護衛を任せ、自分たちは殿を引き受けた。
その判断自体は正しかった。しかし敵は予想を遥かに超える数で押し寄せ、時間と共に包囲は着実に完成へ近づいていた。
ラスガンを使えば、この膠着は容易く打ち破れる。
だが、その威力はあまりにも過剰だった。
テラの兵器とは根本から異なる帝国製ラスガンは、人間を相手にすれば致命傷を与えかねない。だからこそハルトは事前にアーミヤと話し合い『真に必要な状況以外では使用しない』という約束を交わしていた。
もっとも、その必要な状況は今この瞬間だったのだが。
ハルトは通信機へ手を伸ばす。
「こちらハルト。アーミヤ、応答を頼む」
『……ハルトさん! ご無事だったんですね!』
通信の向こうから安堵を滲ませた声が返る。その背後では戦闘音が絶え間なく響き続けていた。
「そちらの状況は?」
『私たちも交戦中ですが、防衛線は維持できています。そちらは?』
「敵に完全に足止めされた。……これ以上は近接戦だけでは持たない、ラスガンの使用許可を求める」
短い沈黙が流れる。
ハルトにも分かっていた。
この許可は、人命を守るために別の誰かへ重大な危険を負わせる決断でもある。
だからこそ、アーミヤも即答できなかった。
『……分かりました。ハルトさんとAceさんの安全を最優先してください。ラスガンの使用を許可します。……どうか、ご無事で』
「……了解、恩に着る」
通信が切れる。
ハルトは肩に掛けていたラスガンを静かに構えた。
その無機質な銃身を見たAceが横目で尋ねる。
「……切り札か」
「ああ。敵さんには悪いが、ここからは遠慮していられない」
レユニオン兵たちは、その見慣れぬ武器を警戒しながらも前進を止めない。
「構うな! 二人しかいないんだ!」
「囲め! 一気に押し潰せ!」
怒号が飛ぶ。
ハルトは深く息を吸い、照準器越しに先頭を走る一人の脚部へ照準を定めた。
そして、引き金を引く。
閃光。
光速で射出された一条の赤い熱線が路地を貫き、レユニオン兵の右脚を正確に撃ち抜いた。
一瞬、誰も何が起きたのか理解できなかった。
「……え?」
男は数歩踏み出したところで膝を折る。
次の瞬間、焼き切られた脚部から凄まじい激痛が神経を焼き、絶叫が路地中へ響き渡った。
「ぐあああぁぁぁぁっ!! 脚が……俺の脚がぁぁっ!!」
傷口からは血より先に白煙が立ち上る。超高熱で焼灼された断面は炭化し、焦げた肉の臭いが辺りへ広がっていく。
その惨状に、包囲していた者たちの足が止まった。
「な、何だ……?」
「あ、あれはアーツなのか……?」
動揺は瞬く間に広がった。未知への恐怖は、どんな命令よりも人間の足を鈍らせる。
Aceもまた、その一撃を見据えたまま低く息を吐いた。
「……とんでもない代物を隠していたな」
「説明は後だ、敵が怯んでいる今しかない」
ハルトはトリガーから指を離さず、照準を覗きながら周囲を見渡す。そして口を開いた。
「突破口は?」
Aceは敵の陣形を一瞥し、即座に答えた。
「……西側だな、包囲が一番薄い」
「了解した。俺が道を開く援護するから、あんたはそのまま押し潰してくれ」
静かに頷き、二人は同時に地を蹴った。
先頭を走るハルトのラスガンが次々と敵の脚部を撃ち抜き、包囲網に穴を穿つ。敵が崩れたその隙間へ、Aceが鋼鉄の盾を構えたまま突撃した。
巨大な戦鎚が唸りを上げる。
盾ごと、人ごと、瓦礫ごと。
進路上に存在したものすべてが圧倒的な膂力によって薙ぎ払われ、狭い裏路地は一瞬にして突破口へと変わった。
ハルトは振りながらスガンを撃ち続ける。
放たれる熱線が狭い路地を一直線に貫き、追撃してくるレユニオン兵の足元や壁面を正確に穿つ。焼け焦げた石材が弾け、悲鳴と怒号が交錯する中、敵は容易に距離を詰めることができない。
その隙にAceが先導し、二人は複雑に入り組んだ裏路地を駆け抜けた。
曲がり角を幾つも越え、廃材の山を飛び越え、ようやく背後から聞こえていた足音が遠ざかっていく。
追跡は途絶えた。
張り詰めていた空気が僅かに緩み、ハルトは壁へ片手をついて深く息を吐いた。
「っ……はぁ、はぁ……やっぱり、こういう時は身体能力の差が堪えるな……!」
肺が焼け付くように熱い。
防衛軍時代から鍛え続けてきた肉体とはいえ、アスタルテスはもちろん、テラ人と比べても持久力では劣る。全力疾走と戦闘を繰り返した疲労は、容赦なく全身へ蓄積していた。
対するAceは呼吸こそ多少乱れているものの、その足取りは依然として力強い。
「お前さんの世界の人間と、テラの連中じゃ身体の出来が違うらしいからな。そこは割り切るしかないさ」
「慰めになってるようで、全然なってないな……」
苦笑を浮かべながらも、ハルトは呼吸を整えて立ち上がる。
Aceもすぐに表情を引き締めた。
「休んでいる暇はない、アーミヤたちと合流するぞ。二人だけで動き続けるには限界がある」
「ああ、その通りだ」
ハルトは通信機へ手を伸ばす。
「こちらハルト。アーミヤ、応答してくれ。敵は振り切った。これより――」
『ドクター! 早く退避を――きゃあっ!?』
「アーミヤ!」
通信を接続した瞬間に聞こえてきたのは、アーミヤや同じオペレーター達の悲鳴と怒号、そして時折聞こえる銃声と
ハルトが幾ら問いかけても返事はなく、戦闘音だけが響く。
深刻な状況にあると瞬時に察した二人は顔を見合わせ、頷いた。
彼女達が向かっていった方向へ身体を向け、駆け出そうとした瞬間。
「な、何だ……?」
肌を撫でる空気が変わった。
生暖かかった路地の空気が、一瞬で熱を失っていく。
吐く息は白く染まり、石畳には薄い霜が広がる。廃材の山も建物の壁も、まるで時間を巻き戻すように白く凍り付き始めていた。
ハルトは思わず立ち止まり困惑する一方、Aceは冷や汗を掻いていた。
レユニオン側の人間で、こんな芸当をできる存在は一つしか心当たりがなかったからだ。
「……まさか、既に龍門に潜伏していたとはな」
その呟きと同時に周囲の建物が氷の花を咲かせるように急速な凍結を始め、退路が塞がれる。
ハルトの目が見開かれ、Aceの疑惑が確信に変わった。
「スノーデビル、小隊……!!」
彼がそう呟いたときには、既に姿を表していた。
普通のレユニオン兵とは違う、白いコートに身を包んだ十数人の人影と、雪のような白い肌に白い髪のコータスの少女。
「先ほどの通信――どうやら、あの石頭は上手くやっているようだ」
コータスの少女……フロストノヴァが口を開くと共に、ハルトがラスガンを構え、Aceが戦槌と盾を構える。
だが直ぐにフロストノヴァは攻撃を開始せず、一人で一歩彼等へ歩み寄った。
少女が一歩踏み出すたび、靴底が触れた石畳は薄く凍り付き、その冷気は波紋のように周囲へ広がっていく。吹き抜ける風は白い吐息を巻き上げ、彼女の髪を静かに揺らしていた。
「……タルラが青い巨人の行方を追っている」
その言葉が出た瞬間、二人の目が見開かれた。
「あの事件以来、彼女は取り憑かれたように巨人の行方を追っている。私達が此処へ来たのも、それが理由だ。……アレはお前達の仲間なのだろう?」
フロストノヴァの問いに、Aceが答えた。
「悪いが、俺達も行方は知らない。チェルノボーグで別れて以来、一向に姿を表していない。こちらでは半ば戦死と判定されいるような状況だ」
返答を聞いたフロストノヴァは小さく瞼を伏せた。その表情に落胆とも安堵ともつかない微かな陰が差す。
「……そうか」
短く漏れたその一言とともに、周囲の空気がさらに冷え込む。
氷が軋む音が路地中へ響き、建物の壁面には新たな霜が幾重にも重なっていく。足元へ広がる白い氷は、まるで生き物のようにゆっくりと二人へ迫り、吐き出す息さえ白く霞ませた。
ハルトはラスガンを握る手へ力を込め、Aceも盾をわずかに持ち上げる。
――情報だけを引き出し、ここで始末するつもりか。
そう判断した、その時だった。
「……姐さん」
一人のスノーデビル隊員が足早に歩み寄り、フロストノヴァの耳元へ何事かを囁く。
彼女は黙って耳を傾けていたが、その瞳がわずかに揺れた。
「……遊撃隊がまだ“鍵”を捕捉できていない、だと?」
その言葉に、今度はAceとハルトの表情が変わる。
パトリオット率いる遊撃隊がミーシャを押さえていない。
ならば、先ほど通信越しに聞こえていた銃声と怒号、そしてあの異様な駆動音の主は、一体何者なのか。
冬のような静寂が満ちる路地に、新たな不確実性だけが重くのしかかった。
次回『黒き騎士』
そういえば、エターナル・クルセイドって響きカッコいいですよね(唐突)