一触即発の空気となった、その時。
「武器を下ろせ、パトリオット」
低い女の声が、路地の入口から届いた。
同時に、燃え残った廃材の周囲へ白い霜が広がっていく。
炎に熱せられていた石畳から蒸気が立ち昇り、宙を漂っていた灰が細かな氷の粒に絡め取られる。冷気は遊撃隊と巨人たちの間を抜け、ダキールの足元まで達した。
その場にいた者たちの視線が、一斉に声のした方向へ向けられる。
崩れかけた建物の陰から、白い少女――フロストノヴァが姿を現した。
彼女の背後には、武器を手にしたスノーデビル小隊の隊員たちが続いている。全員が戦闘を終えた直後らしく、装備には傷が刻まれ、白い衣服にも煤と血が付着していた。
だが、彼女たちだけではない。
その隊列の中には、ロドスの装備を身につけた二人の男がいた。
「
ハルトが声を上げた。
疲労の滲んだ顔に、隠しようのない安堵が浮かぶ。手にしたラスガンの銃口は地面へ向けられているが、その指は未だ引き金の近くに置かれていた。
その隣を歩くAceもまた、ヴァレリウスの姿を確かめるように目を細める。
「どうやら、帰還したという報告は間違いじゃなかったようだな」
「Ace、ハルト伍長」
ヴァレリウスは二人の名を呼んだ。
機械処理された声に大きな変化はない。それでも、ほんの僅かに張り詰めていたものが緩んだことを、長く彼と行動を共にしていたハルトは感じ取っていた。
だが安堵したのも束の間、ハルトはヴァレリウスの左右に立つ二人の巨人へ目を向けた。
「……なっ」
思わず声が漏れる。
どちらも深緑の装甲を身に纏っていた。
一人はヴァレリウスを上回るほど巨大で、頭部を覆い隠すように張り出した両肩と、分厚い胸部装甲を備えている。もう一人も同様に重厚な装甲を纏い、片腕にはテラの銃器とは比較にならないほど巨大な多銃身火器が装着されていた。
装甲の形状や細かな型式までは、惑星防衛軍の一兵士であるハルトには分からない。
それでも、その鎧が帝国において極めて限られた戦士にしか与えられないものであることは知っていた。
「アスタルテス……それも、二人も……?」
マクラーグの防衛に当たっていた頃でさえ、ハルトが彼らを間近で目にする機会はなかった。
戦団の中でも長い戦歴を重ねた古参兵が身に纏い、敵の最も強固な防衛線や、退路の存在しない戦場へ投入される歩く要塞。一般兵にとっては、通常のアスタルテス以上に伝説に近い存在だった。
ハルトは無意識に姿勢を正しかけたが、周囲で武器を構える遊撃隊を思い出し、その場で動きを止める。
Aceもまた、二人の存在を見落としてはいなかった。
ヴァレリウスだけでも、テラの常識から大きく外れた巨体を持っている。その彼よりも更に分厚い装甲と重火器を備えた戦士が、今は二人も路地に立っていた。
Aceの視線が、トゥシャンのパワーフィストからダキールのアサルトキャノンへ移る。
どちらの武器も、一度振るわれれば周囲の兵士だけでなく、狭い路地そのものへ甚大な被害を与えかねない。
「……お前の同胞か?」
「そうだ」
ヴァレリウスは短く答えた。
「サラマンダー戦団第一中隊所属、カール・トゥシャン。隣にいるのがシャル・ダキールだ。私と同じく、別の戦場からこの惑星へ転移した」
「別の戦場から……」
Aceは僅かに眉を寄せた。
ヴァレリウスとハルトだけでなく、異なる場所から新たなアスタルテスが転移している。その事実が意味するところを問いただしたい気持ちはあった。
だが、今は遊撃隊と巨人たちが互いに武器を向け合っている。
「聞きたいことは山ほどあるが、後だな」
「賢明な判断だ」
トゥシャンがAceとハルトへ僅かに頭を動かす。
ダキールだけは二人を見なかった。
彼の赤いレンズは、隊列の先頭に立つフロストノヴァへ向けられていた。
フロストノヴァの姿を認めたダキールが、アサルトキャノンの砲身を持ち上げようとする。だが、その動きはトゥシャンのパワーフィストによって止められた。
「待て、ブラザー」
「しかし、あの女は……」
「我々の敵意を承知した上で、武器を下ろして現れた。まずは話を聞く」
トゥシャンの言葉を受けても、ダキールはすぐには火器を下ろさなかった。
赤いレンズがフロストノヴァを見据える。
彼女の姿と共に、チェルノボーグで最後に見た光景が蘇っていた。身体を貫かれ、立っていることさえ不可能だったドラク。それでもヘヴィーボルターを構え、兄弟たちを逃がすために、炎の中へ一人で残った戦友。
そして、その場所に立っていた白髪の少女と、タルラの姿をした何か。
ダキールの装甲内部で、低い呼吸音が鳴る。
「尊厳の守り手よ、この者は明らかに異能を操っている。先ほどの者たちとは比較にならぬ力を持つ妖術師だ」
アイゼンヴァルトがヴァレリウスへ顔を向けた。
「承知している」
「ならば――」
「動くな、イニシエイト」
ヴァレリウスの声が、アイゼンヴァルトの言葉を遮った。
アイゼンヴァルトは不満を隠そうともしなかったものの、チェーンソードの柄から手を離した。鋸歯は既に停止しており、血に濡れた刃から赤い雫だけが石畳へ落ちていく。
フロストノヴァは周囲を見渡した。
傷ついたレユニオン兵たち。
盾の中央をボルト弾によって抉られたパトリオット。
見覚えのない黒いアスタルテス。
そして、チェルノボーグで黒蛇と戦っていた青い巨人と、あの時より一人少なくなったサラマンダーたち。
彼女は最後にパトリオットへ視線を戻した。
「もう一度言う。武器を下せ」
「理由を、聞こう」
パトリオットは槍を構えたまま答えた。
フロストノヴァの言葉であっても、無条件に従うつもりはない。背後には負傷した部下たちがいる。少しでも相手が攻撃の兆候を見せれば、その巨体を盾として前へ出るつもりだった。
「その青い巨人は、私たちが考えていたような敵ではない」
「タルラから、命令を、受けたはずだ」
「受けた。発見した場合は捕縛。抵抗するなら殺害しろ、と」
フロストノヴァは認めた。
その言葉を聞いた瞬間、ダキールのアサルトキャノンが小さく駆動音を上げる。
周囲のスノーデビル小隊も身構えたが、フロストノヴァは後ろを振り返らなかった。
「だが、その命令自体がおかしい」
「……何があった」
パトリオットの問いに答えたのは、Aceだった。
「少し前、俺たちが彼女たちと睨み合っていたところへ、ロドスから通信が入った。ヴァレリウスが本艦へ帰還し、簡単な補給と修理を済ませて龍門へ向かったという報告だ」
Aceはヴァレリウスの青い装甲を見上げる。
「それをハルトから説明した。マクラーグから転移してきたことも、チェルノボーグでロドスの撤退を助けたこともな。そうしたら、向こうも妙な話を出してきた」
「妙な話?」
トゥシャンが尋ねる。
「タルラが、ヴァレリウス一人を異常なほど警戒していることだ。ミーシャの確保と並行して、青い巨人を捜し出せと命令していたらしい」
Aceの説明を引き継ぐように、フロストノヴァが口を開く。
「生死を問わない命令だった。タルラは、彼を恐れている。レユニオンの作戦を妨害したからというだけじゃない。もっと別の理由で、何があっても消さなければならないと思っている」
「当然だ」
アイゼンヴァルトが低く言う。
「誇り高き〈尊厳の護り手〉を敵に回し、その存在を恐れぬ者などいるものか」
「口を慎め、イニシエイト」
ヴァレリウスはフロストノヴァから視線を外さずに告げた。
「……続けろ」
フロストノヴァは僅かに目を細めた。
「チェルノボーグに来てから、タルラは変わった」
路地を冷たい風が抜けていく。
遊撃隊員たちは誰も声を発しなかった。
「タルラは以前から、目的のためなら犠牲を受け入れていた。必要なら自分の手を血で汚すこともあった。でも、今とは違う。昔のタルラは、死んだ感染者の名前を覚えていた。何故その人が死ななければならなかったのか、自分が何を命じたのかも忘れなかった」
フロストノヴァの足元で、霜が僅かに厚くなる。
「今の彼女は、兵士が何人死んでも数としてしか見ていない。仲間を守ろうとした者まで、邪魔になったという理由だけで焼いた」
ダキールの指が動いた。
「それは、ブラザー・ドラクのことか」
押し殺された声だった。
フロストノヴァはダキールを見上げる。
「……そうだ」
「ならば答えろ。彼を殺したタルラとやらはどこにいる」
アサルトキャノンの砲身が、ゆっくりと回転を始める。
スノーデビル小隊の隊員たちが武器を構え、遊撃隊の盾兵が再び足を踏み締めた。
「ダキール。彼女はドラクを殺していない」
ヴァレリウスが名を呼ぶ。
「……だが、見ていた」
「彼女の部下はドラクに救われた。我々が撤退する際、彼女は追撃しなかった」
ダキールは答えない。
フロストノヴァも弁明しなかった。
やがて、アサルトキャノンの回転が止まった。
火器そのものは下げられていなかったが、少なくとも即座に発砲する意思は抑え込まれている。
ヴァレリウスはパトリオットとフロストノヴァを交互に見た。
「汝らの感じた違和感は正しい」
「何を、知っている」
パトリオットの声が一段低くなる。
「タルラと呼ばれる女の精神には、別の存在が巣食っている」
遊撃隊の間に、小さなどよめきが走った。
フロストノヴァだけは声を上げなかった。ただ、その瞳が僅かに見開かれている。
「別の……存在?」
「私がチェルノボーグで、直接その存在と交戦したのは知っているはずだ。そして、最初に対峙した時点ではタルラ自身の意識も完全には失われていなかった。だが、内側に潜む者へ呼びかけた直後、表出する人格と戦闘能力が大きく変化した」
ヴァレリウスの脳裏に、あの時の光景が蘇る。
白銀から深紅へ染まっていった髪。
人間らしい感情の消えた瞳。
仲間の損害を省みず、自分を確実に殺すためだけに炎を振るった存在。
「あれはタルラの記憶と感情、そして肉体を利用している。宿主の意識を沈め、外側からは同一人物に見えるよう振る舞っているのだろう」
「――
アイゼンヴァルトが問う。
先ほどまでの激情は薄れ、その声には強い警戒が込められていた。
「〈歪み〉に棲むものならば、一刻も早く肉体ごと焼き払うべきだ」
「否」
ヴァレリウスは即座に否定した。
「混沌の腐敗とは異なる。私は数世紀にわたり、悪魔や堕落した者どもと戦ってきた。あの存在からは〈歪み〉の痕跡を感じなかった」
「しかし、他者の魂に寄生する存在であることに変わりはない」
「だからこそ危険だと言っている。既知の悪魔ではない以上、帝国の知識と経験がそのまま通用する保証はない」
アイゼンヴァルトは沈黙した。
ヴァレリウスが混沌の脅威を軽視しているわけではないと理解したからだ。むしろ、既知の分類へ安易に押し込めることを拒んでいる。
「やはり……あれは、タルラではなかった」
フロストノヴァが呟く。
その声は、自分自身に言い聞かせるようでもあった。
「全てが別人だったとは限らん」
ヴァレリウスは言った。
「寄生する者が、どこまで宿主の意識を支配しているかは不明だ。タルラ自身の怒りや憎悪を利用している可能性もある。だが、少なくとも今、肉体の主導権を握っているのは別の意志だ」
フロストノヴァは俯き、手を強く握った。
驚いている。だが、完全に予想外だったわけではない。
説明のつかなかった命令も、かつてのタルラならば決して選ばなかった行動も、その内側に別の存在がいると考えれば繋がってしまう。
パトリオットもまた、長い沈黙の後で僅かに頭を動かした。
「私も、変化には、気付いていた」
「父さん……」
「だが、確証が、なかった。タルラ自身が、変わったのか。それとも、別の何かが、いるのか」
巨大な槍の穂先が、僅かに下がる。
「今の話で、疑念に、形は与えられた」
「ならば、命令には従えない。一度部隊を退かせて、タルラ本人に――」
フロストノヴァが言う。
「それは、できない」
パトリオットは静かに遮った。
フロストノヴァが顔を上げる。
「何故?」
「我々は、既に龍門へ、兵を入れている。多くの部隊が、作戦に従い、動いている」
パトリオットは背後の遊撃隊員たちへ視線を向けた。
「指揮官への疑念だけで、全軍を止めることは、できない。撤退命令もなく、我々だけが持ち場を離れれば、他の部隊が、孤立する」
「だが、その命令を出しているのがタルラではないなら――」
「それでも、レユニオンは、存在している」
パトリオットの声は低く、重かった。
「タルラ一人のためではない。感染者が、生きる場所を、得るために。戦っている者たちが、いる」
フロストノヴァは反論しようとしたが、言葉が続かなかった。
指導者が別の存在に支配されているとしても、その事実だけでレユニオンという組織全体が消えるわけではない。龍門へ入った兵士たちは戦っている。負傷し、追い詰められながらも互いを頼りながら命令を遂行している。
彼らを置き去りにして、自分たちだけが戦場から離れることはできなかった。
「彼の判断は妥当だ」
意外にも、パトリオットへ同意したのはヴァレリウスだった。
フロストノヴァが青い巨人を見る。
「貴方も?」
「敵指揮官の精神が侵食されているという情報は重大だ。だが、それだけで進行中の作戦が消滅するわけではない。指揮系統を突然停止させれば、命令を受けて展開している兵士が最も大きな被害を受ける」
ヴァレリウスは損傷した遊撃隊の装備と、周囲に横たわる負傷者を見回した。
「タルラの状態と、龍門における戦闘は分けて考えるべきだ。少なくとも、今この場ではな」
「俺も同意見だ」
Aceが続いた。
「俺たちはロドスとしてミーシャを保護する。そっちはレユニオンとして彼女を確保する。その目的がぶつかっている以上、タルラに何が起きていようと、全てが今すぐ解決するわけじゃない」
「……分かってる」
フロストノヴァは短く答えた。
その時、電子音が鳴った。
Aceの携帯端末と、ヴァレリウスの装甲へ接続されていた通信装置が、ほぼ同時に信号を受信する。
ヴァレリウスの視界に、ロドスの識別符号が表示された。
「こちらAce。聞こえるか」
『Aceさん……!』
雑音混じりの通信から、アーミヤの声が返ってきた。
『よかった。通信が繋がりました。ハルトさんも一緒ですか?』
「ああ、無事だ。こっちは少し妙な状況になってるがな」
『妙な状況……?』
Aceは周囲を見た。
パトリオットと遊撃隊。
フロストノヴァとスノーデビル小隊。
四人のアスタルテス。
それぞれが武器を手にしながら、一時的に言葉を交わしている。
「説明すると長くなる。それより、そっちの状況を教えてくれ」
『はい。ドクターも私も無事です。それから――』
アーミヤの言葉が一度止まる。
『ミーシャさんの身柄を、近衛局へ引き渡しました』
その報告を聞いた瞬間、遊撃隊の空気が変化した。
パトリオットの槍を握る手に力が込められる。フロストノヴァの背後では、スノーデビル小隊の一人が息を呑んだ。
レユニオンが龍門で確保しようとしていた最優先目標は、既に近衛局の管理下へ移されている。
『今は合流地点へ向かっています。それと、先ほど救難信号を受け取りました。エクシアさんたちが負傷しているんですね?』
「そうだ。四人とも治療が必要だ」
『医療班がそちらへ向かっています。到着まで、もう少しかかると思います』
そこで通信に小さな雑音が入った。
アーミヤが何かを確認するように黙り込む。
『……ヴァレリウスさんも、そこにいるんですか?』
「ここにいる」
ヴァレリウスが通信へ答えた。
その声を聞いたアーミヤは、しばらく何も言わなかった。
『本当に……無事だったんですね』
「完全な状態ではないが、戦闘行動に支障はない」
『そういう意味ではありません』
僅かに震えた声だった。
『帰ってきてくれて、よかったです』
ヴァレリウスはすぐには答えなかった。
兜の赤いレンズが静かに明滅する。
「……心配をかけたようだ」
『はい。……とても』
アーミヤの声には、安堵と、僅かな責めるような響きが混ざっていた。
Aceが小さく笑う。
「再会の話は戻ってからにしよう。こっちは医療班を待つ」
『分かりました。気をつけてください』
通信が切れる。
路地に再び静寂が戻った。
パトリオットはしばらく動かなかったが、やがて長槍の穂先を完全に地面へ向ける。
「鍵の、確保は、失敗した」
その言葉に、遊撃隊の誰も反論しなかった。
「これ以上、ここで戦う理由はない」
フロストノヴァがパトリオットを見る。
「負傷者を連れて離脱しよう。ロドスとは、少なくともこの場では戦わない」
「異論は、ない」
パトリオットはヴァレリウスへ向き直った。
「この場を、離れる。追撃しないなら、我々も、攻撃しない」
「……受け入れよう。汝らが攻撃を再開しない限り、我々も武器を向けない」
ヴァレリウスは即答した。
アイゼンヴァルトが不満げに声を上げる。
「尊厳の守り手よ! 異端者を見逃すというのですか」
「これは逃走を許すのではない。双方の負傷者を回収するための一時的な停戦だ」
「しかし――」
「戦闘を継続すれば、我々もロドスの負傷者を巻き込む。サンダーホークの火器を使用すれば、この区画そのものが崩壊する可能性もある。それが貴様の望む戦いか」
アイゼンヴァルトは周囲を見た。
倒れているエクシアたち。
遊撃隊によって回収されるレユニオン兵。
左右から迫る老朽化した建物。
ここでアスタルテス同士を含む戦闘が再開されれば、無関係な住民や負傷者にも被害が及ぶ。
ブラックテンプラーは納得していなかった。
それでも、オナーガードの判断を正面から否定することはできなかった。
「……御意」
アイゼンヴァルトはチェーンソードを腰部の固定具へ戻した。
パトリオットも背後へ合図を送る。
「負傷者を、運べ。動ける者は、周囲を警戒」
遊撃隊が一斉に動き始めた。
倒れている兵士を担ぎ上げ、盾の内側へ収容していく。歩けない者は簡易担架へ乗せられ、重傷者には術師が応急処置を施す。
スノーデビル小隊も彼らに合流した。
ハルトはその場へ残り、ヴァレリウスの近くまで歩いてくる。
「本当に、ご無事で何よりです」
「汝も生き延びたようだな、兵士よ」
「はい。ロドスの皆に何度も助けられました」
ハルトは少しだけ迷い、自分の肩部装甲に付けられたロドスの識別章へ触れた。
「それから、正式にロドスのオペレーターになりました。閣下の許可もなく、申し訳ありません」
「許可を求める必要はない」
ヴァレリウスは答えた。
「汝自身が決断したのであれば、それでよい。今の我々には、帰還すべき帝国軍の部隊も存在しない」
「……ありがとうございます」
「ただし、軍規と鍛錬を怠るな」
「も、勿論です!!」
ハルトが姿勢を正すし、ビシッと敬礼をした。
その様子をAceが少し離れたところから苦笑して見守っていた。
やがて遊撃隊の撤退準備が整う。
パトリオットが先頭へ立ち、盾を構えた兵士たちが負傷者を囲んだ。スノーデビル小隊もその隊列へ加わり、フロストノヴァは最後尾近くに立つ。
「行くぞ」
パトリオットの号令を受けて部隊が動き始め、規則正しい足音が路地に響く。
ヴァレリウスたちは追わなかった。
トゥシャンは武器を下ろしたまま彼らを見送り、ダキールもアサルトキャノンの砲口を地面へ向けている。
だが、フロストノヴァだけはすぐに隊列へ続かなかった。
彼女は周囲の者たちから距離が開くのを待ち、ヴァレリウスの前へ歩み寄る。
「少し、聞きたいことがある」
声は小さかった。
「話せ」
「タルラの中にいるものを、貴方は見つけられた」
「その存在を感知しただけだ。正確な性質までは分からん」
「それでも、私たちより多くを知っている」
フロストノヴァは一度、遠ざかっていくパトリオットたちを見た。
それから再びヴァレリウスを見上げる。
「タルラを、取り戻せるか?」
ダキールの頭部が僅かに動いた。
聞こえていたが、彼は何も言わなかった。
ヴァレリウスは沈黙した。
安易に答えられる問いではない。
人の魂に巣食い、人格と記憶を利用する存在。それを宿主の肉体から引き剥がすには、精神へ直接干渉する手段が必要になる。
帝国であれば、強力なサイカーや戦団の司書官、あるいは異端審問庁の専門家へ助力を求めることもできた。
だが、今の彼らには何もない。
不死の黒蛇がどのようにタルラへ入り込み、どこまで魂と結びついているのかさえ不明だった。
「保証はできない」
ヴァレリウスは答えた。
フロストノヴァの表情が僅かに曇る。
「寄生している存在だけを排除できるか、タルラの意識がどこまで残っているか、現時点では判断できん。方法を誤れば、宿主の精神や肉体も共に破壊することになる」
「……そう」
「だが、タルラ自身がまだ内側に存在しているのなら、殺さずに取り戻す方法を探すつもりだ」
フロストノヴァが顔を上げる。
「何故?」
「今のタルラは、私にとっても放置できない脅威だ。内なる存在を排除できるならば、それが最も確実な解決となる」
ヴァレリウスはそこで言葉を切った。
「それに、あの肉体の本来の主が未だ抵抗しているのであれば、救出を試みる理由はある」
フロストノヴァは黙ってヴァレリウスを見上げていた。
その表情から何を感じ取ったのか、外から知ることはできない。
やがて彼女は小さく息を吐く。
「……分かった」
踵を返しかけ、足を止める。
「それと……ありがとう」
フロストノヴァは僅かに視線を逸らす。
ぎこちない言葉だった。
ヴァレリウスが返事をするより早く、彼女はパトリオットたちの後を追って歩き出す。
白い背中が、遊撃隊の隊列へ合流する。スノーデビル小隊の者たちが彼女を迎え入れ、そのまま一団は路地の奥へ消えていった。
後には、踏み砕かれた石畳と、薄く残る霜だけが残された。
「信じるのか、オナーガード。タルラという女が、まだ内側に残っていると」
ダキールが尋ねる。
「確証はない」
「ならば、あの者を救うために、ブラザー・ドラクの仇を生かすことになるかもしれん」
「そうだ」
ヴァレリウスは否定しなかった。
ダキールの手が強く握られ、鋼鉄が軋んだ。
「だが、ドラクを殺したのが内側に巣食う存在ならば、宿主ごと殺すことが真の復讐になるとは限らん」
しばらくの沈黙の後、トゥシャンがダキールの肩へ手を置いた。
「今は答えを急ぐ時ではない、ブラザー」
「……分かっている」
ダキールは低く答えた。
遠くから車輌の駆動音が聞こえてくる。
ロドスの紋章を付けた小型車輌が路地の入口で停止し、複数の医療オペレーターが担架と治療器具を手に駆け込んできた。
「救難信号を受けて来ました! 負傷者はどこですか!」
「こちらだ」
ヴァレリウスが身体を横へ動かす。
その背後では、テキサスたちが壁際へ集められていた。
医療班は二人のターミネーターとブラックテンプラーの姿を見て一瞬だけ立ち止まったが、すぐに負傷者の元へ走る。
「四名。全員が強い打撃を受けている。黒髪の者は頭部と脚部、盾を持つ者は左腕、狐に似た特徴を持つ者は腹部の損傷が大きい」
「分かりました。すぐに処置します」
医療オペレーターたちは手分けして状態を確認し、止血と固定を始める。
「うぅ……もう少し優しくしなさいよ……」
「喋れるなら大丈夫です。でも、動かないでくださいね?」
フランカの弱々しい抗議に、医療オペレーターが手を止めずに答える。
テキサスは担架へ乗せられながら、ヴァレリウスを見上げた。
「レユニオンとは、もう戦わないのか?」
「少なくとも今はな」
「……そうか」
それだけ答えると、テキサスは目を閉じた。
緊張が途切れたことで、蓄積していた疲労が一気に押し寄せたらしい。
Aceは医療班と共に負傷者の搬送を手伝い始める。ハルトもラスガンを背負い、担架の片側へ手を添えた。
ヴァレリウスは上空を滞空しているサンダーホークへ通信を繋ぐ。
「ヴァロクス、応答せよ」
『受信。地上での交戦反応が停止したことを確認している』
「戦闘は終了した。最寄りの着陸可能地点を算出しろ」
『既に算出済み。現在位置より西方六百三十七メートル。放棄された貨物集積所に必要面積を確認。地盤強度は不明。着陸時の推力を分散させる必要あり』
「そこへ機体を移動させろ。我々は地上から向かう」
『了解』
通信が切れると同時に、上空のサンダーホークが旋回を始めた。
機首が西へ向き、推進器から噴き出した熱風がスラムの屋根を震わせる。巨大な機体は黒煙を引きながら建物の向こうへ姿を消した。
「我々も一度、ロドスの作戦拠点へ戻る」
ヴァレリウスはトゥシャンとダキールへ告げた。
「負傷者の収容後、情報を整理する。タルラの状態、この惑星で発生している転移現象、そして新たに発見された同胞についてもだ」
最後の言葉と共に、ヴァレリウスの視線がアイゼンヴァルトへ向けられる。
ブラックテンプラーは無言で立っていた。
チェーンソードは収められているが、白い肩当てに刻まれた黒十字は、周囲の全てを拒絶するように炎の光を受けている。
「異論はあるか、イニシエイト」
「ありません、オナーガード」
答えとは裏腹に、その声には不満が残っていた。
「ただし、私はこの地の者どもを信用したわけではない」
「それで構わん。必要なのは信頼ではなく、状況を理解するまで命令に従う理性だ」
「皇帝陛下への忠誠を疑われる行いには従えません」
「その時は、改めて刃を抜け」
ヴァレリウスは踵を返す。
トゥシャンが続き、少し遅れてダキールとアイゼンヴァルトも歩き出した。
その頃には、エクシアたちは担架へ乗せられ、ロドスの医療車輌へ運び込まれていた。Aceは最後の一人が収容されたことを確認し、車輌の扉を閉める。
「先に拠点へ戻る。そっちも寄り道するなよ」
「そのつもりだ」
「ハルト、お前はどうする」
Aceに問われたハルトは、ヴァレリウスと医療車輌を交互に見た。
「負傷者に付き添います。拠点へ戻れば、閣下とも合流できますから」
「分かった。乗れ」
ハルトが車輌へ乗り込み、Aceも助手席へ向かう。
医療車輌が走り出す。
赤い後部灯が路地を離れ、やがて瓦礫の向こうへ消えていった。
ヴァレリウスたちは、サンダーホークが待つ貨物集積所へ向かう。
龍門の各所からは、未だ銃声と爆発音が聞こえていた。
この場の戦いが止まっただけで、都市全体の作戦は続いている。
タルラの内側に巣食う存在が明らかになっても、ロドスとレユニオンの対立が消えたわけではない。パトリオットとフロストノヴァも、疑念を抱えたまま部下たちの元へ戻っていった。
それでも、僅かな変化は生じていた。
彼らは今、同じ存在を見ている。
名も正体も分からないまま、タルラの肉体を操り、レユニオンを内側から変えつつあるもの。
貨物集積所へ近づくにつれて、サンダーホークの推進器が発する轟音が大きくなっていく。
壊れた倉庫の向こうに、深緑の機体が見えた。
補修された着陸脚を地面へ下ろし、機体後部のハッチを開いている。赤い非常灯に照らされた機内では、ヴァロクスとサーボスカルが帰還者を待っていた。
ヴァレリウスは一度だけ足を止め、背後を振り返る。
パトリオットたちが去った路地は既に建物の陰へ隠れていた。
――タルラを取り戻せるか。
フロストノヴァの問いが、耳の奥に残っている。
答えはまだない。
だが、その問いを無視することもできなかった。
ヴァレリウスはサンダーホークへ向き直り、開かれたハッチへ足を踏み入れた。