龍門工業地区は、既に戦場へ変わっていた。
夜空へ突き出した無数の煙突からは黒煙が立ち昇り、その下では製鉄炉と源石動力設備が赤い光を放っている。平時であれば夜間も絶えず稼働し、金属を打つ音と大型機械の駆動音に満たされている区域だったが、今はそれらに爆発音と銃声、負傷者の呻きが重なっていた。
警報を示す赤い照明が各所で回転し、工場から避難してきた労働者たちが、近衛局隊員や地区警察の誘導を受けながら大通りを移動している。その頭上では運搬用の軌道と巨大な配管が複雑に交差し、破損した蒸気管から噴き出した白煙が視界を遮っていた。
地区の中心に位置する製鉄プラント及び隣接する源石発電施設は、龍門工業区へ建築資材と機械部品、そして必要な電力を供給する重要施設である。
内部には複数の大型炉と圧延設備、莫大な量の金属資材が保管され、発電施設とは専用の送電網で繋がっている。ここをレユニオンに制圧されれば、工業地区の生産機能が失われるだけでなく、炉や源石設備を意図的に暴走させられる危険もあった。
近衛局と地区警察は、プラント正面へ続く資材搬入路に防衛線を築いていた。
貨物車輌を横倒しにした即席の遮蔽物。
金属製の盾を並べた近衛局隊員。
その背後からクロスボウを構える地区警察の警官たち。
彼らの前方には、既に何人ものレユニオン兵が倒れていた。しかし、防衛側の損害も少なくなく、爆発によって破壊された遮蔽物の周囲では負傷者が応急処置を受けている。
「正面から新たな敵部隊!」
監視塔の上から声が飛ぶ。
「数、およそ六十! 術師を確認!」
「盾を上げろ! 負傷者を第二防衛線まで運べ!」
近衛局の分隊長が叫んだ。
搬入路の向こうでは、建物と資材置き場の陰からレユニオン兵が次々と姿を現している。前方には盾を持った兵士が並び、その後ろからクロスボウ兵と術師が続いていた。
製鉄プラントを守る側は既に消耗している。
次の攻撃を防ぎ切れるかどうかは、誰にも分からなかった。
その時、上空から凄まじい轟音が降り注いだ。
赤い警告灯と炎に照らされていた工業地区が、頭上を横切る巨大な影によって一瞬暗くなる。
「な、何だ!?」
「上だ!」
防衛線にいた者たちが顔を上げる。
複雑に張り巡らされた配管と煙突の間を、深緑色の巨大な飛行機械が低空で通過していた。複数の推進器から噴き出す炎が夜空を照らし、機体の側面には炎を吐く竜の紋章が描かれている。
サンダーホーク・ガンシップは製鉄プラントの上空で速度を落としたが、そのまま着陸することはなかった。
周囲には巨大な炉、煙突、資材運搬用の軌道が密集しており、サンダーホークの巨体を下ろせるだけの空間が存在しない。無理に降下すれば主翼が設備へ衝突し、推進器の噴流だけでも配管や周囲の建物へ被害を与える。
サンダーホークは資材搬入路から少し離れた、貨物集積所の上空で静止した。
下方へ向けられた推進器が白熱した噴流を放ち、地面に積もっていた煤と金属粉を巻き上げる。資材を覆っていた防水布が引き剥がされ、空の容器や木箱が周囲へ転がっていった。
「スワイヤー警司から連絡! 上空の機体は味方です!」
通信機を握っていた近衛局隊員が叫ぶ。
「繰り返します! あれは友軍です! 攻撃しないでください!」
「友軍だと!?」
「中に何が乗っているんだ!」
答えが返されるより早く、サンダーホーク下部の強襲用ハッチが開いた。
赤い機内灯の中に、巨大な人影が現れる。
最初の巨人が、地上へ身を投じた。
深緑色の巨体が暗闇を切り裂きながら落下し、貨物集積所の中央へ着地する。
轟音と共に厚いコンクリートの地面が砲弾を受けたように陥没し、砕けた破片と粉塵が周囲へ円状に吹き飛んだ。衝撃は地面を伝って防衛線まで届き、近衛局隊員や警官たちの足元を揺らす。
落下してきたのは、シャル・ダキールだった。
インドミタス型ターミネーターアーマーの両脚を沈み込ませ、片膝をついた姿勢で着地している。装甲内部の衝撃吸収機構が作動し、関節部から白い蒸気が噴き出した。
左腕には多銃身式のアサルトキャノン、右手には巨大な戦鎚が握られている。
サンダーホークの兵器庫へ予備装備として保管されていたサンダーハンマーだった。
ダキールは工業地区での戦闘に備え、右腕へ装着していたヘヴィーフレイマーを取り外し、その代わりとしてサンダーハンマーを装備していた。火災と可燃物の多い工業地区では、炎を撒き散らす武器は味方や設備を巻き込む危険が大きい。一方、サンダーハンマーであれば、威力を使用者の判断によってある程度制御できる。
もっとも、その重量だけでも通常の人間には持ち上げることすら不可能だった。
ダキールが立ち上がる。
ターミネーターアーマーの外装へ工業地区の炎が映り、両肩に刻まれたサラマンダー戦団の紋章が赤く揺らめいた。
直後、二人目の巨人が落下する。
カール・トゥシャン。
古いカタフラクティ型ターミネーターアーマーに身を包んだ彼は、ダキールよりもさらに大きく、横幅も通常のアスタルテスを大きく上回っている。
二度目の着地と共にコンクリートが砕け、貨物集積所に新たな亀裂が走った。
トゥシャンは片膝をついた姿勢から立ち上がると、右腕の巨大なパワーフィストを身体の前へ構えた。もう一方の腕にはヘヴィーフレイマーが組み込まれているが、周囲の環境を確認した彼は、武器の安全装置を解除しなかった。
二人の巨人が並ぶ。
近衛局隊員たちは、事前に友軍だと伝えられていたにもかかわらず、思わず後退した。
全身を覆う深緑色の重装甲、人間を片手で握り潰せるほど巨大な籠手、携行兵器とは思えない多銃身火器と、長身の兵士すら一撃で粉砕しかねない戦鎚。
ヴァレリウスの姿を報告で知っていた者でさえ、その二人が青い巨人を上回るほど分厚い装甲を身に纏っていることに息を呑んでいる。
地区警察の一人が、反射的にクロスボウを持ち上げかけた。
「下ろせ!」
近衛局の分隊長が、その銃身を掴んで地面へ向けさせる。
「味方だと連絡があっただろう!」
「で、ですが……あれが、本当に……」
困惑する警官たちへ、トゥシャンが歩み寄る。
一歩ごとに地面が鳴り、ターミネーターアーマーの重量を受けたコンクリートへ細かな亀裂が刻まれていく。近衛局隊員の中でも大柄な者でさえ、トゥシャンの胸部装甲に頭が届かない。
「我々は敵ではない」
兜の発声装置を通した声が、周囲へ重く響いた。
「龍門を守るため、スワイヤーという指揮官の要請を受けて来た。東部第三区へ向かった青い戦士の同胞だ」
ダキールが続ける。
「この発電施設を防衛する。現地の指揮官は誰だ」
近衛局隊員たちは顔を見合わせる。
やがて先ほどの分隊長が意を決し、二人の前へ出た。
「自分が、この防衛線の指揮を任されています」
「状況を報告してくれ」
トゥシャンの声には、相手を見下すような響きがなかった。
分隊長はその事実に僅かに驚きながらも、すぐに表情を引き締める。
「敵は三方向からプラントへ接近しています。正面の部隊が最大ですが、西側の資材置き場と、南側の労働者居住区にもレユニオンが侵入しました。こちらは負傷者が多く、正面防衛線を維持するだけで精一杯です」
「民間人の避難は?」
「製鉄プラント内の労働者は大部分が避難しました。ただ、周辺の居住区にはまだ住民が残っています。警察部隊が誘導に向かっていますが、連絡の途絶した班もあります」
トゥシャンとダキールが、互いに顔を向ける。
「まず正面を押し返す」
トゥシャンが判断した。
「ここを破られれば、敵はプラント内部へ流れ込む。短時間で敵の足を止め、その後に居住区へ向かう」
「異論はない」
ダキールはサンダーハンマーを持ち上げる。
「近衛局は我々が敵陣を崩した後、動けなくなった者を拘束しろ。弩弓使いと術師を優先して無力化するんだ」
分隊長は二人の巨人を見上げた。
「敵陣を崩す、と言われても……どうやって?」
「見ていれば分かる」
ダキールが正面を向く。
レユニオンの部隊は既に防衛線の目前まで迫っていた。
彼らもまた、上空から降下した二人の巨人を目にして動揺している。
「何だ、あいつらは……」
「遊撃隊じゃないぞ!」
「龍門の新しい重装兵か!?」
前列の足が止まり、後方にいた兵士たちまで動きが乱れる。
しかし、完全に戦意を失ったわけではなかった。
「止まるな! たった二人だ!」
レユニオンの指揮官らしき男が叫ぶ。
「どれだけ大きくても、装甲の中身は同じだ! 撃て!」
クロスボウ兵が一斉に武器を構えた。
弦が弾かれ、数十本の矢が夜空を切り裂く。
「伏せろ!」
近衛局の分隊長が叫び、盾兵たちが防御姿勢を取る。
だが、ダキールは動かなかった。
降り注いだ矢が、インドミタス型ターミネーターアーマーへ次々と命中する。
胸部に、肩に、頭部に、腕部に。
硬質な衝突音が連続しいくつもの火花が飛び散った。
だが、それだけだった。
鋼鉄の鏃は装甲表面へ僅かな傷を刻むことすらできず、先端から潰れていく。木製の矢柄は衝撃に耐え切れず、命中した瞬間に折れ、砕けた破片がダキールの足元へ降り注いだ。
一本の矢が兜の赤いレンズへ正面から命中する。
鏃が潰れ、矢柄が折れる。
レンズには傷一つ付いていなかった。
ダキールは顔を僅かに動かし、肩へ引っかかっていた折れた矢を振り落とす。
「……原始的な弩弓か。だが、威力は既知のものよりも大きい」
低い声が漏れた。
近衛局と地区警察の双方が、言葉を失っていた。
レユニオンが使用するクロスボウは、テラ人の身体能力に合わせて作られている。一般人でも簡単に扱える単純な構造ながら十分な距離に近づけば、防弾装備や金属板を貫通できる威力を持っている。
それを数十発受けながら、目の前の巨人は一歩も動かなかった。
「術師、撃て!」
レユニオンの指揮官が叫ぶ。
後列にいた術師たちが杖と術具を掲げ、オリジニウムの光が集束していく。
一人が青白いエネルギーを放ち、別の術師が複数の火球を生み出す。放たれたアーツはダキールを避け、隣に立つトゥシャンへ集中した。
青白い光弾が胸部装甲へ到達する。
その直前、何もなかった空間に半透明の膜が浮かび上がった。
カタフラクティ型ターミネーターアーマーに組み込まれた防御用フィールドが起動したのだ。光弾が装甲へ触れる数センチ手前で停止し、表面に青い波紋を広げる。続いて火球が次々と衝突し、トゥシャンの上半身が爆炎に包まれた。
熱と衝撃が周囲へ吹き荒れ、防衛線にいた者たちが思わず顔を覆う。
だが、炎はトゥシャンへ届いていない。
装甲の周囲へ展開されたエネルギーフィールドが、火球の熱と爆発を全て外側へ受け流していた。炎が消えた後も、深緑色の装甲には煤すら付着していなかった。
トゥシャンは何事もなかったように立っている。
赤いレンズが術師たちを捉えた。
「出力に異常なし」
彼は淡々と呟いた。
その場にいた者たちの中で、驚いていないのはトゥシャンとダキールだけだった。
近衛局隊員も、警官も、レユニオン兵も、互いが敵同士であることさえ一瞬忘れたように巨人を見つめている。
「馬鹿な……」
「アーツが、全部……」
術師の一人が後退する。
トゥシャンが前へ出た。
巨大な装甲靴が搬入路を踏み、重い音を響かせる。
レユニオン兵が我に返り、再びクロスボウを構えようとした時には、彼は既に両陣営の中間へ到達していた。
右腕のパワーフィストが持ち上げられる。
籠手の表面に刻まれた回路が青白く輝き、拳の周囲へ破壊力場が形成された。空気が歪み、近くに落ちていた金属片が甲高い音を立てながら震え始める。
レユニオン兵たちは、自分たちが殴られると思った。
盾兵が身体を固め、後列の兵士たちが逃げようとする。
しかし、トゥシャンが拳を向けた先は彼らではなかった。
パワーフィストが地面へ叩き込まれ破壊力場が接触した瞬間、分厚いコンクリートの分子結合が崩壊した。
轟音と共に地面が爆ぜ、トゥシャンの拳を中心として円状に亀裂が走り搬入路の表面が内側から持ち上がった。コンクリートと敷設されていた金属製の軌道が同時に砕け、巨大な破片が宙へ舞い上がる。
衝撃波がレユニオンの隊列へ到達した。
前列の盾兵たちが足元から跳ね上げられ、後方にいたクロスボウ兵や術師へ倒れ込む。地面は無数の段差と亀裂に分断され、立っていることのできた者も足を取られて転倒した。
破壊力場の効果範囲は、トゥシャンの制御によって地面だけに限定され、直撃した者はいない。
だが、組織的な隊列は一撃で完全に崩壊した。
「今だ!」
ダキールが叫ぶ。
近衛局の分隊長が即座に反応した。
「全隊、前進! 術師を優先して拘束しろ!」
金属盾を構えた近衛局隊員が、一斉に防衛線から飛び出す。
地区警察も後へ続いた。
起き上がろうとしていたレユニオン兵へ盾が叩きつけられ、武器を持った腕へ警棒が振り下ろされる。クロスボウ兵が狙いを定めるより早く近衛局の矢が手元へ命中し、術具を構えた者には拘束用の網が投げかけられた。
足場を失い、隊列を崩されたレユニオン兵に抵抗する余裕はなかった。
それでも、戦意を失っていない者たちがいる。
「感染者を舐めるな!」
一人の兵士が瓦礫を乗り越え、トゥシャンへ斧を振り下ろす。
トゥシャンはパワーフィストの破壊力場を切った。
巨大な籠手を斧の軌道へ差し出し、刃を正面から受け止める。金属製の斧は籠手へ傷を付けることもできず、逆に刃の方が大きく欠けた。
トゥシャンは斧の柄を摘まむように掴む。
僅かに手首を捻るだけで、武器がレユニオン兵の手から引き抜かれた。そのまま籠手の外側で胸元を押し、力を抑えながら後方へ突き飛ばす。
兵士の身体が数メートル飛び、積まれていた空の麻袋へ叩きつけられた。
骨を折るほどの衝撃はあったかもしれないが、生きている。
ダキールもまた乱戦へ踏み込んでいた。
サンダーハンマーの破壊力場を起動せず、長い柄を使って複数の武器をまとめて払い落とす。横から槍を突き出した兵士には、ターミネーターアーマーの肩を向けたまま突進し、身体ごと隊列の外へ弾き飛ばした。
別の兵士が背後から剣を振り下ろす。
刃がダキールの背部装甲へ命中し、半ばから折れる。
ダキールは振り返ると、アサルトキャノンを使う代わりに、空いている左腕で兵士の胸倉を掴んだ。
「降伏しろ」
「くそっ……離せ!」
「その返答は推奨できん」
ダキールは兵士を地面へ放り投げた。
装甲の重量で直接踏み潰さないよう、足元から離れた場所へ投げている。それでも兵士は地面へ叩きつけられた衝撃で意識を失い、二度と立ち上がらなかった。
二人のターミネーターは、周囲の味方を巻き込むアサルトキャノンもヘヴィーフレイマーも使用しなかった。
敵と友軍が入り乱れた場所へ踏み込み、膨大な力を慎重に制御しながら、殴打と体当たりだけでレユニオン兵を無力化していく。
ロドスと龍門当局からは、既に市街地全体が戦場となっていることを理由に生命を守るために必要であれば敵の殺傷も許可されていた。
しかし、トゥシャンは可能な限り殺さなかった。
武器を失った者には降伏を促し、倒れた者へ追撃することもない。ダキールもまた、強い苛立ちを抱えながら兄弟の姿勢に従っていた。
サラマンダー戦団は、人類を守るために戦う。
その人類に、テラの人々を含めるべきかという議論は既に終わっていた。
獣耳や角、尾といった特徴を持っていようと、彼らは言葉を交わし、家族を持ち、恐怖を感じ、互いを守ろうとする。
それだけで十分だった。
製鉄プラント正面のレユニオン部隊は、数分のうちに制圧された。
生き残った者は武器を捨てて投降し、負傷者と共に地区警察へ拘束されていく。近衛局側にも新たな負傷者は出たものの、死者はいなかった。
「これが、ロドスの巨人……」
近衛局の分隊長が呆然と呟く。
ダキールは足元に転がる折れた矢を踏み砕き、周囲を見回した。
「感心している時間はない。居住区の状況は」
「は、はい! 南側へ向かった警察班から、まだ応答がありません!」
「案内しろ」
トゥシャンが命じる。
「動ける者だけでいい。残りは捕虜とプラントを守れ」
「了解しました!」
分隊長は近衛局隊員と地区警察から十数名を選び、南側へ続く道を示した。
トゥシャンとダキールは再び歩き始める。
二人の後ろを近衛局と地区警察が追う形となったが、ターミネーターアーマーの歩幅は大きく、普通に歩いているだけでも人間側は小走りにならなければ追いつけなかった。
製鉄プラントの南側には、労働者とその家族が暮らす居住区が広がっている。
工場に近いため空気は煤と金属の臭いに満ち、建物の大半は簡素な集合住宅だった。大通りから細い路地が枝分かれし、その間を熱供給用の配管と電線が通っている。
既に多くの住民が避難を始めていた。
手荷物を抱えた者。
幼い子供の手を引く者。
負傷した老人を背負って歩く者。
ダキールとトゥシャンの姿を見た住民たちは悲鳴を上げかけたが、後ろから近衛局隊員が続いていることに気付き、慌てて道を空けた。
二人は避難する者たちを追い越し、さらに奥へ進んでいく。
倒れた警官が最初に見つかった。
路地の壁際に寄りかかり、脇腹を押さえている。制服は血に濡れていたが、まだ意識はあった。
「レユニオンが……先の広場に……」
警官が苦しげに言う。
「民間人を、捕まえている……早く……」
「医療班!」
分隊長が後方へ叫ぶ。
トゥシャンは負傷者の状態を一瞥し、歩みを速めた。
広場の方向から、複数の悲鳴が聞こえてくる。
怒鳴り声と、何かを殴る鈍い音。それと共に泣き叫ぶ子供の声。
ダキールの赤いレンズが明滅する。
二人が建物の角を曲がると、開けた荷物集積所が見えた。
そこにいたのは、およそ二十名のレユニオン兵だった。
戦闘部隊から離れ、居住区へ入り込んだ一団らしい。彼らの周囲には逃げ遅れた住民たちが集められ、壁際へ追い詰められている。
武器を持つ者はいない。
工場の作業服を着た男。
買い物袋を抱えたまま震えている女。
杖を持った老人。
そして、幾人もの子供。
広場の地面には既に何人かが倒れていた。
頭から血を流し動かない者や腕を折られ、蹲っている者に、逃げようとしたところを背中から斬られた者。
「非感染者め!」
レユニオン兵の一人が、倒れた男の腹部を蹴りつける。
「俺たちがウルサスでどんな目に遭ったか、お前たちには分からないだろう!」
「感染者を見捨ててきた報いだ!」
別の兵士が、年若い女性の髪を掴んで引き倒す。
「感染者の怒りを思い知れ!」
「や、やめて……子供だけは……!」
母親らしきフェリーンの女性が、幼い子供を庇いながら逃げようとする。
その背後へレユニオン兵が刃を振るった。
女性の脚へ刃が食い込み、足首の上から血が噴き出す。腱を断たれた彼女は悲鳴を上げて倒れ、その背中へ子供が泣きながらすがりついた。
ダキールの歩みが止まる。
トゥシャンもまた、広場で行われている行為を無言で見つめていた。
チェルノボーグで、ティラニッドから負傷したレユニオン兵を守ったドラク。
自らが致命傷を負っているにもかかわらず、救った相手の無事を確認し、直ぐに戦場から離れるよう促した兄弟。
そのレユニオンの一部が今、武器を持たない人々を一方的に傷つけている。
敵だからではない。
追い詰められていたからでもない。
自分たちより弱い相手へ、苦しみと怒りをぶつけているだけだった。
「獣どもめ」
ダキールが小さく呟く。
しかし、その中にはサンダーハンマーの放電よりも冷たい怒りが込められていた。
トゥシャンが一歩前へ出る。
「止めろ!」
兜の発声装置から放たれた声が、広場全体を震わせた。
レユニオン兵も住民も、一斉に巨人たちを見る。
トゥシャンの深緑色の装甲が路地から姿を現し、その隣にはサンダーハンマーを握るダキールが立っている。
レユニオン兵たちの表情が強張った。
「何だ、こいつら……」
「さっきプラントに降りたと報告のあった化け物だ!」
トゥシャンは倒れている住民と、武器を構えるレユニオン兵を交互に見た。
「武器を捨て、民間人から離れろ」
「民間人だと?」
一人のレユニオン兵が唾を吐く。
「こいつらは非感染者だ! 俺たち感染者を苦しめてきた側の人間だぞ!」
「この者たちが、直接お前たちを苦しめたのか」
「非感染者は皆同じだ!」
「違う」
トゥシャンは即座に否定した。
「幼い子供が、病に罹ったお前たちへ何をした」
レユニオン兵は答えられなかった。
「その女性が、お前たちから何を奪った。そこに倒れている老人が、貴様の家族を殺したのか」
「黙れ!」
別の兵士が叫ぶ。
「俺たちは正義を執行している! 今まで感染者が受けてきた苦しみを、こいつらにも味わわせているだけだ!」
「それを正義とは呼ばない」
トゥシャンの声から、僅かに残っていた温度が消えた。
「武器を持たぬ者を痛めつけ、自らの怒りを満たす行いは戦いですらない。ただの虐殺だ」
「自分たちが優位になった途端、同じことを繰り返すか」
ダキールがサンダーハンマーを持ち上げる。
「お前たちが憎む迫害者と、今のお前たちに何の違いがある」
「感染者でもない怪物が、分かったような口を利くな!」
レユニオン兵の一人が、手にした剣をダキールへ向けた。
「俺たちは仲間を殺された! 家を焼かれ、鉱山で死ぬまで働かされた! これは復讐だ!」
「復讐の相手を選ぶ知性すら失ったか」
「貴様……!」
「最後の警告だ」
トゥシャンのパワーフィストが持ち上がる。
「武器を捨てろ。負傷者から離れ、投降しろ」
広場の反対側から、近衛局と地区警察が到着した。
彼らは二人のターミネーターの背後へ展開し、住民を救出するために左右へ分かれる。盾兵が壁を作り、その陰から警官たちが動ける民間人へ手を伸ばした。
「今のうちに、こちらへ!」
「子供を先に! 走れる者は止まらず路地の奥へ!」
レユニオン兵たちは近衛局へ武器を向けようとした。
だが、トゥシャンとダキールがその間に立っているため、容易に攻撃できない。
住民たちが次々と広場から逃げていく。
動ける者が負傷者へ肩を貸し、子供を抱えて防衛線の後ろへ運ぶ。地区警察も倒れている者を引きずり、可能な限り戦場から離していった。
最後に残ったのは、自力で立てない重傷者たちだった。
足の腱を切られた母親と、その身体へすがりついている子供も残されている。
トゥシャンは彼女たちの位置を確認し、自らの身体が敵との間を遮るよう僅かに移動した。
「奴らを逃がすな!」
レユニオン兵の指揮官が叫ぶ。
「非感染者に味方するなら、その巨人どもも敵だ! 殺せ!」
兵士たちが一斉に動いた。
恐怖は残っているが、それでも自分たちの正義を否定された怒りが恐怖を上回った。
数人が術具を掲げ、前列の兵士が剣と斧を手に突進する。
「愚かな」
ダキールが低く呟く。
彼の兜内部では、装甲のセンサーが周囲を走査していた。
近衛局と動ける民間人は、既に破壊力場の影響範囲から離れている。広場に残っている重傷者と母子も、トゥシャンの巨体によって攻撃線から守られていた。
ダキールはサンダーハンマーの起動装置を押し込んだ。
ハンマーヘッドを覆う回路へエネルギーが流れ、青白い稲妻が表面を走る。空気が歪み、低い唸りが周囲へ広がった。
先頭のレユニオン兵が剣を振り上げる。
「死ね!」
ダキールがサンダーハンマーを振るった。
巨大な鎚頭が、レユニオン兵の上半身へ命中。
その瞬間、ハンマーヘッドに蓄積されていた破壊力場が解放された。
剣が砕け、防具が崩れる。その内側にあった肉体の分子結合までもが、膨大なエネルギーによって破壊される。
レユニオン兵の上半身は形を保つことすらできなかった。
金属片、骨、肉、血液が一つの塊となって爆ぜ、赤黒い飛沫となって後方へ広がる。残された下半身は数歩だけ勢いのまま進み、膝から地面へ崩れ落ちた。
打撃によって放たれた衝撃波は、その背後を走っていた二人まで巻き込んだ。
一人は胸部を陥没させながら吹き飛び、もう一人は身体を回転させて建物の壁へ激突する。壁面が砕け、二人の身体は瓦礫の中へ沈んだ。
後続のレユニオン兵が足を止める。
何が起きたのか理解するより早く、トゥシャンが踏み込んだ。
右腕のパワーフィストへ破壊力場が展開される。
青白い光を纏った拳が、盾を構えたレユニオン兵へ正面から振り下ろされた。
盾は防具としての役割を果たさなかった。
パワーフィストが触れた瞬間、金属板は粘土のように崩れ、その後ろにいた兵士の身体ごと地面へ叩きつけられる。
轟音と共に地面へ浅い穴が穿たれ、砕けたコンクリートと血液が周囲へ飛び散った。
そこに人の形は残っていない。赤黒い染みと、原形を失った防具の破片が、パワーフィストの下から広がっていた。拳が地面へ叩き込まれた衝撃で、周囲の兵士たちまで足を取られる。
トゥシャンは身体を起こすと、横から斧を振るおうとしていた敵へ裏拳を放った。
破壊力場を纏う巨大な籠手が二人をまとめて捉える。
一人目の胴体が砕け、その後ろにいた者も巻き込まれた。二つの身体は折り重なるように宙を舞い、資材置き場へ叩きつけられる。
ダキールがさらに前へ出る。
サンダーハンマーを横薙ぎに振るい、逃げようとしていた術師と、その周囲にいた兵士をまとめて捉えた。
青白い稲妻が走る。
鎚頭へ直接触れた術師の身体は一瞬で分子レベルで崩壊し、破壊力場の余波を受けた兵士たちも、骨と内臓を破壊されながら地面を転がった。
それまでの戦いとは、まるで違っていた。
数分前まで、二人は敵を殺さないよう力を抑えていた。
武器を奪い、殴り飛ばし、戦闘不能にするだけで留めていた。
だが、今は違う。
民間人を虐殺し、それを正義と称した者たちへ向けられた攻撃には、一切の容赦がなかった。
振るわれる度に複数の命を奪うサンダーハンマー。
装甲も肉体も区別なく破壊するパワーフィスト。
反撃のために放たれたクロスボウの矢もアーツも、二人の装甲とエネルギーフィールドへ傷一つ付けられない。
戦いと呼ぶには、あまりにも一方的だった。
「ば、化け物……」
レユニオン兵の一人が武器を落とした。
その音を合図にしたように、残っていた者たちの戦意が崩壊する。
「逃げろ!」
「こんな奴らに勝てるわけがない!」
「退け! 退け!」
剣とクロスボウが投げ捨てられ、レユニオン兵たちが広場の出口へ殺到した。
ダキールは逃げる背中を見た。
サンダーハンマーを持つ腕へ力が込められ、追撃へ移ろうと装甲靴が僅かに動く。
「ブラザー」
トゥシャンの声が飛び、ダキールの足が止まった。
「今は負傷者が先だ」
「……分かっている」
ダキールはサンダーハンマーを下げる。
「近衛局!」
トゥシャンが背後へ呼びかけた。
「逃げた者たちを追え。再び民間人へ近づけるな」
「了解!」
近衛局の分隊長が隊員たちを率い、逃走したレユニオン兵の追跡を始める。地区警察の一部も後へ続き、残った者たちは広場に倒れている住民の救護へ向かった。
ダキールがサンダーハンマーの破壊力場を停止させると、青白い稲妻が消えハンマーヘッドから低い排熱音が漏れる。
彼は周囲を見回した。
先ほどまで住民を痛めつけていたレユニオン兵の大半は死亡している。地面には血と肉片が散らばり、破壊力場によって砕かれたコンクリートから煙が立ち昇っていた。
胸の内にある怒りは、まだ消えていない。
同時に、ドラクの姿が脳裏に浮かんでいた。
敵であるはずのレユニオン兵を庇い、ティラニッド・ウォリアーの刃をその身で受けた兄弟。
ドラクが救った者たちと、ここで民間人を虐殺していた者たちは、同じレユニオンに属している。
だが、同じではなかった。
組織や感染の有無ではなく、目の前にいる者が何を選んだか。
ドラクならば、そう考えただろう。
「ダキール」
トゥシャンが呼ぶ。
彼は負傷した母子の前で、片膝をついていた。
足の腱を切られた母親は大量の血を失い、顔色を悪くしている。それでも子供を守ろうと上半身を起こし、巨人から遠ざけようとしていた。
子供は泣きながら母親へしがみつき、目の前に現れたトゥシャンを見上げている。
深緑色の巨体に、砲弾さえ防ぐ重装甲。更には先ほど人間を盾ごと叩き潰した、血に濡れた巨大な籠手。
母親が怯えるのも無理はなかった。
「近づかないで……子供だけは……お願い……」
掠れた声が漏れる。
「安心してくれ」
トゥシャンはパワーフィストの破壊力場が完全に停止していることを確認した。籠手の表面を走っていた青白い光は消え、危険を示す警告も表示されていない。
それでも、兜越しの機械処理された声では恐怖を与えると判断したのか、トゥシャンは空いている手を頭部へ伸ばした。
装甲の固定具が外れる。
圧縮空気が白い霧となって噴き出し、重い兜が持ち上げられた。
その下から現れたのは、サラマンダー戦団に属する者特有の黒い肌と、熾火のように赤く輝く瞳だった。
母親が息を呑む。
テラに存在するどの種族とも異なる姿だった。だが、トゥシャンの表情に敵意はない。
「もう大丈夫だ」
兜を外した彼の声は低く、先ほどまでよりもずっと穏やかだった。
「お前たちを傷つける者は、もうここにはいない」
トゥシャンはパワーフィストの大きな籠手を、ゆっくりと母親の身体の下へ滑り込ませる。
その動作は、先ほどレユニオン兵を粉砕した時と同じ武器を使っているとは思えないほど慎重だった。傷ついた脚へ触れないよう位置を調整し、母親と彼女へしがみつく子供を二人まとめて持ち上げる。
トゥシャンの巨体にとって、二人分の体重など何も持っていないに等しい。
母親は巨大な籠手の上へ身体を預けながら、何かを言おうとした。
「あ……その……」
声が上手く出なかった。
恐怖と安堵、助かったという実感と目の前で起きた凄惨な戦闘への衝撃。それらが混ざり合い、言葉にすることができない。
代わりに、母親へ抱きついていた子供が顔を上げた。
涙で濡れた目が、トゥシャンの黒い顔と赤い瞳を見つめる。
「おじさん……?」
トゥシャンが僅かに眉を動かした。
子供は少しだけ首を傾げる。
「最初は、すごく怖い人かと思った」
母親が慌てて子供を止めようとする。
「こ、こら……!」
「でも、助けてくれてありがとう!」
子供は恐れる様子もなく続けた。
「おじさんの見た目、すごくかっこいい!」
一瞬、周囲が静かになった。
救護に当たっていた警官が手を止め、ダキールも赤いレンズをトゥシャンへ向ける。
数世紀にわたって戦い続けてきたサラマンダーの古参兵は、籠手の上に乗せた小さな子供を見つめた。
やがて、その黒い顔に穏やかな笑みが浮かぶ。
「……そうか」
短く答え、僅かに頷く。
「お前も勇敢だった。母親から離れず、よく耐えたな」
「うん!」
子供が力強く返事をする。
母親は何も言えないまま、涙を流して頭を下げた。
医療用品を持った警官たちが駆け寄ってくる。
「こちらで引き受けます!」
「女性は脚の腱を切られている、出血量も多い。直ちに止血し、医療施設へ運んでくれ」
「分かりました」
トゥシャンは籠手を地面近くまで下ろし、警官たちが二人を担架へ移すのを待った。
母親の身体が完全に離れたことを確認してから、ゆっくりと腕を引く。
子供は担架の横へ立つと、もう一度トゥシャンを見上げた。
「おじさん、また悪い人をやっつけに行くの?」
「ああ」
「じゃあ、頑張って!」
「任せておけ」
トゥシャンは兜を被り直した。
固定具が閉じ、赤いレンズに再び光が灯る。
穏やかに笑っていた黒い顔は、深緑色の装甲に覆われた。
しかし、近衛局隊員や警官たちが彼へ向ける視線は、最初に二人が降下してきた時とは明らかに変わっていた。
もはや、正体の分からない恐ろしい巨人を見る目ではない。
共に龍門を守る味方を見る目だった。
「ブラザー・トゥシャン」
ダキールが近づく。
「近衛局から通信だ。南東の精錬施設で新たな敵部隊を確認した。避難中の住民が取り残されている」
「ならば、急ごう」
トゥシャンが立ち上がる。
その巨体が動いたことで、周囲の警官たちが自然に道を空けた。
ダキールは血に濡れたサンダーハンマーを肩へ担ぐ。
ハンマーヘッドには砕けた防具の破片が付着していたが、エネルギーフィールドを短く起動すると、それらは細かな塵となって消えた。
二人は精錬施設の方向へ歩き始める。
その背中を、助けられた子供がいつまでも見つめていた。
工業地区では、今も爆発と銃声が続いている。
製鉄炉の炎が夜空を赤く染め、避難を知らせる警報が途切れることなく鳴り響いている。レユニオンの攻撃は終わっておらず、まだ多くの住民が戦場の中へ取り残されていた。
炎と煙の向こうには、二人の深緑の巨人がいる。
敵の刃もアーツも通さず、武器を持たない者へ向けられた暴力には、決して容赦しない戦士たちが。
トゥシャンとダキールは近衛局の部隊を従え、燃え上がる工業地区のさらに奥へと進んでいった。