乾いた銃声が、再び屋上に響いた。
ガルバニックライフルの銃口から噴き出した青い火炎が、ヴァロクスの赤い外套を一瞬だけ照らす。
弾丸は何もない空間へ吸い込まれ、その直後、見えない何かに突き刺さった。歪んでいた光景が水面のように揺らぎ、透明化を維持できなくなった狙撃兵の姿が露わになる。
「がっ……あああッ!」
弾丸を受けた兵士の肩口から血が噴き出した。ガルバニック弾が体内の生体電気へ干渉し、腕から胸部へ破壊的な筋収縮が広がっていく。握っていたクロスボウが手から落ち、弦を鳴らしながら床を滑った。
狙撃兵は数歩よろめき、胸を押さえたまま倒れる。透明化のアーツが完全に失われ、その姿が夜の屋上へ横たわった。
これで二人目。
姿を隠し、一方的に敵を射抜いてきたはずの部隊が、反撃を許されることなく正確に撃ち抜かれていく。遮蔽物も、夜闇も、ファウストのアーツさえ、赤い外套の機械兵に対しては防壁として機能していなかった。
「全員、下がれ!」
ファウストが叫んだ。
ヴァロクスの機械眼が、その声が発せられた方向へ向く。透明化は未だ維持されていたものの、位置は最初から完全に把握されている。
「メフィスト、撤退するぞ。こいつには俺たちの姿が見えている。このまま戦っても損害が増えるだけだ」
返事はなかった。
屋上の中央で、メフィストは立ち尽くしていたからだ。
周囲では家畜となったレユニオン兵が呻きながらハルトへ迫り、白い粒子が羽と共に夜風へ舞い上がっている。それでも先ほどまで少年の顔に浮かんでいた笑みは、既に消え失せていた。
倒したはずの兵士たちは何度でも立ち上がり、姿の見えない狙撃手が死角から敵を射抜く。自分は屋上に立ったまま、安全な場所から近衛局本部を混乱させる。
そのはずだった。
だが、ヴァロクスは家畜を効率的に破壊する方法を見つけ、見えない狙撃兵を一人ずつ正確に撃ち抜いていく。これまで多くの敵を弄んできた手段が、目の前で順番に封じられていた。
「おかしい……」
メフィストが小さく呟く。
「僕の家畜が……ファウストの部隊が……どうして……」
「メフィスト!」
ファウストがもう一度呼びかける。しかし、メフィストの視線はヴァロクスから動かない。
自分へ向けられている複数の機械眼。そこには怒りも、憎悪も、勝利を確信した喜びさえ浮かんでいなかった。ただ術の性質を調べ、結果を記録するための観測装置として、メフィストを見つめている。
自分のアーツが通用しないこと以上に、その視線が少年の心を揺さぶっていた。
「……聞こえていないのか」
ファウストがクロスボウを下げる。
このまま透明化を維持していれば、自分だけは撤退できるかもしれない。だが、メフィストを置いていくという選択肢は、最初から存在しなかった。
ファウストの姿を覆っていた光景が揺らぐ。
透明化を自ら解除した少年が、遮蔽物の陰から姿を現した。周囲に残っていた狙撃兵たちが止めるより早く、彼はクロスボウを片手にメフィストへ駆け寄る。
「メフィスト、俺を見ろ」
肩を掴み、正面から顔を覗き込む。
「ここはもう維持できない。部隊を下がらせる。俺たちも撤退するぞ」
「ファウスト……?」
その名を口にした瞬間、メフィストの瞳に僅かな光が戻った。
「そうだ。俺はここにいる」
ファウストは短く答え、メフィストを背後へ庇うように立つ。
ヴァロクスは二人の会話を聞きながら、ガルバニックライフルの照準を動かしていた。
機械眼に表示される複数の情報が更新される。声紋、表情、脈拍、呼吸数、視線の変化。透明化を解除した狙撃手が接触した瞬間、メフィストの意識は明確に外界へ戻った。
「術者の情動安定に、特定個体との接触が大きく寄与。強度の精神的依存関係を確認」
機械音声が低く呟く。
「何を言っている……?」
ハルトはラスガンで接近するメフィストの家畜を撃ち倒しながら、ヴァロクスへ視線を向ける。
ヴァロクスは答えなかった。
メフィストのアーツは、この場で最も大きな脅威である。大気中に放出された粒子を介し、体内に源石結晶を持つ感染者を痛みや損傷に関係なく動かし続ける。術者を無力化しない限り、近衛局本部に侵入したレユニオン兵は何度でも立ち上がるだろう。
だが、メフィストの精神状態は安定していない。
自信を失っただけで反応が鈍り、ファウストの呼びかけによってようやく意識を取り戻した。ならば、その依存対象を利用すれば、直接殺害せずとも術者の行動を止められる。
ファウストを殺した場合、メフィストが激昂し、現在の観測結果から外れた行動を取る可能性がある。アーツが暴走する危険性も無視できない。
であれば、殺す必要はない。生かしたまま、メフィストが他の行動を選べなくなるほどの負傷を与えればよい。
ヴァロクスの照準が、ファウストの右腕へ重なった。
「待て。何を――」
ハルトが意図に気づくより早く、引き金が引かれる。
銃声と共にファウストの上腕部から、血と肉片が飛び散った。
「ぐッ……!」
衝撃で身体が半回転し、クロスボウが手から離れる。ガルバニック弾は腕の中央を貫通し、その際に解放されたエネルギーが神経と筋肉を焼きながら肩口へ駆け上がった。
右腕が硬直し、直後に力を失って垂れ下がる。
ファウストは歯を食い縛ったが、脚にも激しい痙攣が走り、メフィストの足元へ膝をついた。傷口から流れ出した血液が服を濡らし、屋上の床へ黒い染みを広げていく。
「ファウスト?」
メフィストが、理解できないという顔で彼を見下ろす。
「……逃げろ、イーノ。部下を連れて……先に行け!」
ファウストは苦痛に顔を歪めながら、それでもメフィストを押し退けようとした。
「ファウスト……ファウスト!」
メフィストは崩れ落ちるように膝をつき、負傷した腕へ手を伸ばした。だが、溢れ出す血を前に何をすればよいのか分からず、指を震わせている。
「嘘だ、駄目だよこんなの。立ってよ、君なら立てるでしょ? ファウスト、僕を見てよ!」
白い粒子の流れが乱れ、メフィストがファウストの傷口を押さえようとする度に空気中へ舞い上がっていた羽が光を失い、地面へ落ちていく。
ハルトへ迫っていた家畜の一人が、突然身体の均衡を崩した。力なく前のめりに倒れ、もう一度立ち上がろうと腕を動かすものの、指先が床を掻くだけで身体を支えられない。続いて別の兵士が倒れる。階下から響いていた打撃音と叫び声も、少しずつ間隔が開いていった。
「外部制御出力の低下を確認。予測通り、術者の集中が依存対象へ限定された」
ヴァロクスはファウストへ照準を合わせたまま告げる。
「非致死部位への射撃により、対象の戦闘能力を破壊。術者のアーツ行使も阻害した。目的達成」
その口調には、負傷した二人に対する感情が欠片も含まれていなかった。
ハルトはヴァロクスを睨んだ。
敵を無力化するという点では、間違った行動ではない。ファウストが倒れたことで、メフィストの家畜は動きを止め始めている。
それでも、ヴァロクスが最初から人間の精神を機械の部品と同じように扱い、壊すべき箇所を選んで撃ったことに、言い知れない寒気を覚えた。
その時、屋上の上空から急速に接近する回転翼の音が響き、ヴァロクスの機械眼が空へ向く。
「航空機接近。識別信号を照合――ロドス所属」
隣接する建物の陰から、ロドスの紋章を機体側面へ描いたヘリコプターが姿を現した。回転翼が夜の空気を激しく掻き混ぜ、屋上に残っていた白い粒子と羽を吹き飛ばしていく。
機体は屋上の僅か上空で静止した。
後部ハッチが開き、内部から一人のオペレーターが姿を見せる。長い髪が風に煽られ、その手には大型のチェーンソーが握られていた。
機体が完全に着陸するのを待たず、そのオペレーターは屋上へ飛び降りる。
靴底が床へ叩きつけられ、膝を曲げて衝撃を受け流した。立ち上がった女性は周囲を見渡し、倒れたレユニオン兵、血を流すファウスト、その傍らで呆然としているメフィスト、そして銃口を向け続ける赤い外套の機械兵を順番に見る。
「……何、この状況」
ブレイズが眉を寄せた。
ヘリコプターは彼女を降ろすと再び高度を上げ、レユニオンの射撃を避けるため屋上から距離を取る。
「ドクターから本部が襲われてるって聞いて、大急ぎで来たんだけど」
ブレイズはチェーンソーを肩へ担ぎ、見慣れた兵士の姿に気づく。
「……ハルト?」
「ブレイズか。助かった、ちょうど――」
「状況報告を開始する」
ハルトの言葉を遮り、ヴァロクスが一歩前へ出た。
「敵指揮個体は、白髪のリーベリであるメフィスト。体内に源石結晶を持つ感染者を対象とした精神及び肉体制御型アーツを行使し、近衛局本部内の敵兵を遠隔操作していた。大気中へ放出される粒子が外部命令の伝達媒体、感染者の体内源石が受信及び肉体駆動のトリガーと推定する」
「ちょっと待って。ハルトの怪我は?」
「敵隠蔽狙撃部隊の攻撃によるものだ。防具の耐久性及び敵射撃威力から致命傷となる可能性は低いと判断し、狙撃部隊の役割を特定するため、事前警告は実施しなかった」
ブレイズの表情が固まる。
「……はぁ?」
「攻撃観測の結果、隠蔽部隊が術者のアーツ増幅要員ではなく、狙撃による護衛戦力であると判明。ハルト伍長は胸部への直撃を受けたが、生存及び戦闘能力の維持を確認した」
「つまり、あんたは敵が隠れてるって分かってたのに黙ってて、ハルトが撃たれるまで見てたってこと?」
「肯定。情報取得に必要な観測だった」
ブレイズがチェーンソーを地面へ下ろす。
重い刃が屋上へ触れ、低い金属音を響かせた。
「それを本人の前で、よくそんな平然と言えるわね」
「事実の報告に情動的修飾は不要だ」
「情動的修飾とか、そういう話をしてるんじゃないのよ!」
ブレイズがヴァロクスへ詰め寄る。
身長こそ機械化されたヴァロクスの方が高い。それでも彼女は一歩も退かず、青く光る機械眼を正面から睨みつけた。
「味方を囮にしたんでしょ。せめて先に一言伝えることくらいできたはずでしょ?」
「警告すればハルト伍長の反応が変化し、敵も配置を変更した可能性がある。観測条件の維持が優先された」
「観測条件……?」
ブレイズの声から、普段の明るさが消える。
「ハルトは、あんたの実験道具じゃない」
「ブレイズ、もういい」
ハルトが胸部を押さえながら立ち上がった。
「腹は立つが、今は言い争っている場合じゃない。敵はまだ目の前にいる」
その言葉に、ブレイズは鋭く息を吐いた。
屋上の反対側では、生き残ったファウストの部下たちが動き始めていた。透明化は既に解除されており、その姿は夜闇の中に露出している。
二人の狙撃兵が負傷したファウストを抱え上げ、別の一人が半ば放心したメフィストの腕を引く。
「メフィスト、行くぞ!」
「でも、ファウストが……血が止まらないんだ。僕が治さないと……」
「ここでは無理だ。早くしろ!」
メフィストは抵抗しなかった。
ファウストの傍らに縋りついたまま、狙撃兵たちに引かれて屋上の端へ向かっていく。そこには侵入時に使用したと思われる射出索が、隣の建物との間に張られていた。
ブレイズは追おうとしたが、すぐに足を止めてハルトを見る。
胸部のフラックアーマーには大きな亀裂が走り、その周囲が黒く焦げている。呼吸の度に顔が僅かに歪み、無傷ではないことは明らかだった。
階下では戦闘が完全に終わっていない。メフィストのアーツが弱まったとはいえ、近衛局隊員の安全を確認する必要がある。ここで負傷者を残し、敵の用意した経路へ飛び込んで追撃するのは危険が大きすぎた。
「……まずハルトを下へ運ぶ。それに、本部の中に残ってる連中も片づけないと」
ブレイズが追わないという決断すると、ヴァロクスの機械眼が逃走する一団へ向く。
「判断を否定する」
彼はガルバニックライフルを肩へ当てた。
照準器の中心へ、ファウストを運ぶレユニオン兵の背中が重なる。
「敵指揮個体及び高精度狙撃能力を有するアーツ使用者が無防備な状態にある。現在が排除に最適な機会だ」
引き金へ、義指が掛かる。
「やめろ!」
ブレイズが銃身を掴み、力任せに押し下げた。
直後、ガルバニックライフルが発砲する。
弾丸は逃走するレユニオン兵から大きく逸れ、屋上の縁へ命中した。金属板とコンクリートの破片が飛び散り、メフィストたちは振り返ることなく射出索へ取りつく。
「……武器から手を離せ」
ヴァロクスの声が低くなる。
「嫌。負傷者の背中を撃つつもりなら、なおさらね」
「敵は撤退後に戦力を再編し、再びロドス及び龍門へ攻撃を行う可能性が極めて高い。貴官の妨害によって、排除可能だった敵戦力を逃した」
「今ここで敵を追えば、ハルトと本部の中にいる近衛局隊員を危険に晒す。それに、あの白い奴が何をするか分からないんでしょ?」
「術者の精神状態は崩壊している。反撃の可能性は低い」
「低いだけで、ないとは言えないじゃない」
「戦場において危険性の完全な排除を求めれば、いかなる攻撃行動も不可能になる。貴官の判断は、局所的な情動を戦術的利益より優先した非合理的選択だ」
「仲間の命を優先するのが非合理的?」
「敵戦力を逃すことで、将来的により多くの損失を生む可能性を無視している」
ヴァロクスの銃口が、完全に下げられる。
その間にも、ファウストたちは射出索を使って隣接する建物へ渡り始めていた。メフィストは最後までファウストの負傷した腕を押さえ、何度も背後を振り返っていたが、やがて夜闇の向こうへ姿を消した。
「逃走を確認。追跡可能距離より離脱」
ヴァロクスの機械音声に、明確な不快感が混じる。
「これだから、論理能力を欠いた
「……今、何て言った?」
ブレイズのこめかみに青筋が浮かぶ。
「肉袋と呼称した。事実として、貴官の肉体は大部分が未改造の有機組織によって構成されている」
「あんたねえ……!」
ブレイズは銃身から手を離すと、代わりにヴァロクスの胸部を指で突いた。
「身体をそんな気味の悪い機械に置き換えて、人の痛みも分からなくなった奴に言われたくない。顔を見ても、声を聞いても、あんたが何を考えてるのか全然分からないのよ!」
二つの機械眼の内部機構が一斉に収縮した。
赤い外套の下で、冷却装置の駆動音が急激に高まる。
「機械化を、侮辱したか」
「そう聞こえたなら、そうなんじゃない?」
「神聖なる鋼を“気味の悪い機械”と呼称。オムニシアより授けられし昇華を、原始的有機肉体と同列に扱ったと確認」
ヴァロクスのヴォックスから、耳を刺すような電子音が炸裂した。
『ギャリリリリ――〇一一〇・一一〇一・〇〇一一〇――ッ!≪激しいバイナリスラング≫!』
人間の喉では決して発音できない、高速の二進音声。
それが尋常ではない罵倒であることだけは、バイナリ語を理解できないハルトにも容易に伝わった。
「何よその音! 言いたいことがあるなら分かる言葉で言いなさい!」
「貴官の低速な生体脳へ適合させた翻訳は、情報伝達効率を著しく――」
「二人とも、いい加減にしろ!」
ハルトの怒声が二人の間へ割り込んだ。
ブレイズとヴァロクスが同時に彼を見る。
「敵を追い払った直後に、今度は味方同士で殺し合うつもりか? 殴り合いたいなら、せめて本部の安全を確認してからにしてくれ!」
「でも、ハルト。こいつが――」
「俺なら大丈夫だ。胸は痛むが、歩ける。だからブレイズも落ち着け」
ハルトは次にヴァロクスへ視線を向ける。
「お前もだ。敵を逃したことに納得できないのは分かるが、ブレイズはロドスの増援だ。今ここで争えば、任務に支障が出る」
「……指摘を受理」
ヴァロクスは数秒の沈黙を挟み、ガルバニックライフルを固定具へ戻した。
「現時点における優先行動は、近衛局指揮個体スワイヤーへの作戦成果報告及び、次命令の受領である。無益な衝突は後回しとする」
「後回しにする気なの?」
ブレイズが睨む。
「……ブレイズ」
ハルトに名を呼ばれ、彼女は不満げに息を吐いた。
「……分かった。ハルトがそう言うなら、今は引く」
二人は互いに納得していない様子で視線を逸らした。
ハルトは痛む胸を押さえながら、僅かに眉を上げる。
ヴァロクスは、人間の負傷にも敵の残虐な行為にも、ほとんど感情を示さなかった。味方を観測材料として利用したことさえ、何の迷いもなく正当化している。
そんな男が、自分の機械化された身体を侮辱された途端、理解不能な罵声を発して激昂した。
(メカニカスも、意外と感情的になるんだな……)
妙な部分へ感心しながら、ハルトはラスガンを拾い上げた。
三人は屋上を離れ、近衛局隊員が待機する階段へ向かう。
メフィストのアーツが弱まったことで、階下の状況も変化していた。白い粒子は急速に薄れ、廊下に倒れていたレユニオン兵の多くは動きを止めている。
完全に意識を失った者もいれば、操られていた間の記憶を失い、朦朧としたまま呻いている者もいた。近衛局隊員たちは慎重に武器を取り上げ、拘束具を装着していく。
壁には弩の矢が突き刺さり、床には折れた武器や矢、砕けた備品が散乱していた。照明の一部が破壊され、明滅する非常灯が廊下を赤く染めている。
途中で合流した近衛局隊員がハルトの負傷を見て、医療班を呼ぼうとする。
「後でいい。先に報告する」
「だが、その胸は……」
「装甲は抜かれていない。打撲か、悪くても骨にひびが入った程度だ」
「それを大丈夫とは言わないでしょ」
ブレイズが呆れたように言う。
「スワイヤーへの報告が済んだら、ちゃんと診てもらいなさいよ?」
「分かっている」
「被弾後の行動、呼吸、発声に致命的異常は認められない。緊急治療の必要性は低い」
ヴァロクスが付け加える。
「誰のせいで撃たれたと思ってるのよ」
「射撃を実行したのは敵狙撃部隊だ」
「あんたが黙ってたからでしょうが!」
「二人とも……」
ハルトの疲れ切った声に、ブレイズは再び口を閉じた。
管制室へ戻ると、スワイヤーは複数の通信端末を前に部下へ指示を飛ばしていた。服には埃が付き、袖の一部が裂けている。彼女自身も襲撃の最中に戦闘へ参加したのか、頬には浅い切り傷が残っていた。
「負傷者を地下の医務室へ。動ける隊員は西側階段の確認に回して。拘束したレユニオン兵は感染者用の設備が整った区画へ移送するのよ。絶対に素手で触らないで」
スワイヤーは指示を出し終えると、管制室へ入ってきた三人に気づいた。
「戻ったわね。屋上は?」
「敵術者及び狙撃部隊を排除――」
「追い払った」
ブレイズがヴァロクスの言葉を遮る。
「全滅させたわけじゃない。白髪の術師と狙撃部隊の指揮官、それに何人かの部下には逃げられた」
ヴァロクスの機械眼がブレイズへ向く。
「逃走は、増援個体による射撃妨害が原因である」
「また始めるつもり?」
「事実を報告したのみだ」
「はいはい、事実ね」
「二人とも、責任の押し付け合いは後にして頂戴」
スワイヤーが机へ片手をつき、疲労を隠すように首を振った。
「敵の指揮官を追い払って、あの異常な兵士たちを止められた。それで十分よ。本部を完全に奪われていたら、龍門各地の部隊は指揮系統を失っていた。アナタたちが来なければ、もっと大きな被害が出ていたわ」
彼女はハルトの胸部装甲へ目を向ける。
「……負傷までさせて悪かったわね。助かったわ、ありがとう」
「任務ですから。それに、俺より重傷の者は大勢いる」
「ガルバニック弾及び敵アーツの観測結果について、追加解析を要求する。拘束した感染者を対象として、生体組織及び体内源石の――」
「それはロドスとケルシー医師の許可を取ってからにして。拘束した兵士は捕虜よ。アナタの研究材料じゃないわ」
スワイヤーが即座に遮った。
「非効率的制限を確認」
「制限とかじゃなくて、当然の扱いよ……??」
ヴァロクスのヴォックスから低い電子音が漏れたが、それ以上は反論しなかった。
ブレイズがチェーンソーを肩へ担ぎ直す。
「とりあえず、本部は近衛局に任せて大丈夫そうね。ロドスからも追加の医療班とオペレーターが向かってる」
「アナタはこの後どうするの?」
「私しばらくこの二人と行動する。ハルトは負傷してるし、この機械男を一人にしておくのも不安だから」
「監視行動の必要性を否定する」
「味方を勝手に観測材料にする奴を放っておけるわけないでしょ」
「再度訂正する。観測材料として利用したのではなく、敵攻撃能力を確認するための受動的情報取得であり――」
「同じでしょ!」
ブレイズが声を上げ、ハルトが額を押さえた。
ヴァロクスは不満げに機械眼を明滅させる。
「……サンダーホークへ急ぐぞ。ここで低効率な言語応酬を継続する価値はない」
「誰のせいで言い合いになってると思ってるのよ」
「貴官の論理欠損が原因だ」
「もう一回言ってみなさい!」
「頼むから、移動しながらにしてくれ……」
先に管制室を出ていくヴァロクスの背中を、ブレイズがむっとした顔で追う。ハルトは二人の間で苦笑し、痛む胸を押さえながら続いた。
三人が近衛局本部の廊下を進み、駐車場へ向かおうとした時だった。
ヴァロクスの通信装置が外部信号を受信する。同時に、ハルトとブレイズの端末にも同じ回線が接続された。
『こちらドクター。三人とも聞こえるか』
通信越しに聞こえた声は、普段よりも低く、明らかな疲労を帯びていた。
「聞こえてる。こちらは近衛局本部の敵を追い払ったところだ」
ハルトが答える。
「……ハルトが負傷してるけど、命に別状はなさそう。そっちは? ミーシャは保護できたの?」
ブレイズの言葉に通信の向こうで、短い沈黙が流れた。
その僅かな間だけで、二人は良い報告ではないことを察した。
『……ミーシャの保護は、失敗した』
ブレイズの表情から苛立ちが消える。
「失敗って……保護対象はどうなったの?」
『詳細は合流してから伝える。今は龍門への攻撃に対処することを優先してほしい』
ドクターの声が一度途切れ、雑音の向こうで誰かと言葉を交わす気配がした。
『それと、アーミヤの精神状態が芳しくない。身体に大きな負傷はないが、今は戦闘を継続させられる状態ではない』
「ウサギちゃんが……?」
ブレイズはそれ以上を聞こうとしたが、言葉が続かなかった。
ミーシャの保護に失敗したこと、アーミヤが戦闘を継続できないほど精神的な衝撃を受けていること。
二つの報告が意味するものを考え、ハルトの顔も険しくなる。
ヴァロクスは何も言わず、通信内容を記録していた。
だが、先ほどまでブレイズへ向けていた苛立ちを示す電子音は止まり、機械眼が静かに明滅している。
『ヴァレリウスたちにも同じ情報を伝える。そちらはサンダーホークと合流後、次の指示を待ってくれ』
「……了解」
ブレイズが短く答える。
通信が切れた後も、三人はすぐには動かなかった。
遠くでは未だ爆発音が続き、龍門の夜空を赤い炎が照らしている。近衛局本部を巡る戦いは終わったが、都市全体を覆う混乱は、むしろこれからさらに激しさを増そうとしていた。
「行こう。何があったにせよ、今は戻るしかない」
やがてハルトが言い、彼の言葉にブレイズは無言で頷く。
ヴァロクスは赤い外套を翻し、駐車場に待機するサンダーホークへ向けて歩き始めた。
ハルトとブレイズは『滅殺者Ⅲ』でも分かるように、ある程度の交友関係を築いています。ミーシャとアレックスについては残念ながら原作通りとさせていただきます。