工業地区を覆っていた戦闘の音は、次第に遠ざかりつつあった。
製鉄プラントの周辺には、レユニオン兵が残した武器や砕けた盾が散乱し、破損した配管から漏れ出す白い蒸気が街路を低く這っている。赤熱した炉の光が工場の窓を内側から照らし、煤に覆われた建物の輪郭を夜空へ浮かび上がらせていた。
地区警察と近衛局は、投降したレユニオン兵の拘束と負傷者の搬送を進めながら、周辺に残る敵部隊の捜索を続けている。
ダキールとトゥシャンも製鉄プラントを離れ、工業地区の外縁へ逃げたレユニオン兵を追っていた。
だが、その途中で二人は奇妙な光景を目にした。
「お願いです、通してください!」
臨時の避難区画として指定された倉庫の前で、一人の男が近衛局隊員へ訴えている。
男の背後には、年老いた女性と二人の子供が立っていた。衣服には煤と埃が付き、子供の一人は足を怪我しているのか、母親と思われる女性の腕に支えられている。
「ここへ来れば保護してもらえると言われたんです。家には戻れません。レユニオンがまだ近くにいるかもしれないんですよ!」
「申し訳ないが、現在この区画へ入れることはできない」
「どうしてですか!」
「上からの命令だ。感染者、または感染が疑われる者は、別の場所で待機してもらう」
近衛局隊員の言葉に、男は自分の腕を庇うように抱えた。袖口から覗く皮膚には、小さな源石結晶が露出している。
「私は戦っていません! レユニオンとは何の関係もない!」
「分かっている。だが、こちらも命令に従わなければならない」
「では、どこへ行けばいいんですか」
「現在確認中だ。それまでは封鎖線の外で待ってくれ」
「外にはまだ敵がいるんでしょう!?」
男が声を荒らげると、近くにいた地区警察の警官が弩へ手を伸ばした。
だが、武器を向けることまではしなかった。警官自身も、自分たちが何のために避難してきた住民を締め出しているのか理解できていない様子だった。
避難区画へ入ることを許されなかった者は、一組だけではない。
露出した源石結晶を持つ者、感染者証明書を提示した者、感染者居住区から逃げてきた者。その全員が列から外され、倉庫から離れた街路へ集められていた。
一方で、感染が確認されなかった住民は簡単な検査を受けた後、次々と避難区画へ通されている。
ダキールは足を止め、避難区画の入口を見た。
緑色の装甲に覆われた巨体へ住民たちの視線が集まる。先ほどまでレユニオン兵と戦っていた姿を見た者たちは、恐怖と期待の入り混じった表情で道を開けた。
「彼らは何故、避難区画へ入れない」
ダキールが近衛局隊員へ尋ねる。
低く響く声に、隊員の肩が跳ねた。
「あ、貴方たちは……」
「質問に答えろ」
「感染者を一般避難区画へ入れないよう、指示を受けています」
「誰からだ」
「本部を通じて、龍門当局からです。詳細までは自分たちも……」
隊員は言葉を濁した。
ダキールの隣で、トゥシャンが周囲へ視線を巡らせる。
避難区画だけではない。少し離れた街路では、地区警察が大型車両を横に並べ、工業地区の一部を完全に封鎖していた。
遮蔽板と鉄柵が短時間で組み上げられ、通りの奥を見ることさえできない。建物の屋上には監視員が配置され、外へ出ようとする者がいないか確認している。
「この封鎖は、いつから始まった」
トゥシャンが問う。
「つい先ほどです。急に指示が来ました」
「封鎖区域の中には何が?」
「古い工場と倉庫、それに非正規の居住区があります。感染者が集まって暮らしている区画もあると聞いています」
「避難は完了しているのか」
近衛局隊員は答えなかったが、沈黙が答えだった。
トゥシャンは封鎖線を観察する。
近衛局と地区警察の動きには、長期的な計画に基づいた統一性がない。配置についたばかりの隊員は互いに指示を確認し、封鎖に使用する資材も近隣の工場や建設現場から慌てて集められたものだった。
事前に準備されていた封鎖ではない。
ほんの数十分前に命令を受け、理由を知らされないまま実行している。
「レユニオンの追撃以外に、我々へ求めることはあるか」
ダキールが現地指揮官へ尋ねた。
指揮官は僅かに迷った後、携帯端末に表示された命令を確認する。
「裏路地や廃工場に立て籠もっている集団を見つけた場合、位置を報告して頂きたい」
「レユニオンの集団か」
「それも含まれますが……感染者コミュニティが存在する場合もです」
「武装していなくてもか」
「はい」
トゥシャンの兜に備わった赤い光学装置が、指揮官へ向けられる。
「発見後、どうする」
「我々は位置を報告するだけです。以後の対応は、当局が行うと」
「近衛局ではなく?」
「そのように指示されています」
指揮官自身も、その命令へ疑問を抱いているらしい。声には僅かな戸惑いが混じっていた。
「了解した」
トゥシャンはそれ以上追及せず、ダキールと共に封鎖線から離れた。
二人は追撃と捜索を名目に、工業地区の奥へ進む。
稼働を停止した工場が並ぶ一帯には、住民の姿も近衛局の部隊もほとんどない。錆びた配管が建物の間を縫うように伸び、頭上では停止した運搬用クレーンが巨大な影を落としていた。
路地に入ると、製鉄プラントの機械音も小さくなる。
「気づいたか」
ダキールが通信回線を通じて問いかける。
トゥシャンは短く答えた。
「ああ。龍門当局は、レユニオンというよりは感染者全体を探しているように思える」
「避難区画から感染者だけを締め出し、居住区を封鎖した。そのうえで、我々に隠れ家の位置を報告しろと言った。それに、現場の近衛局は目的を知らされていない。命令を受けたばかりで、対応にも一貫性がなかった」
ダキールはアサルトキャノンを支える腕を僅かに動かす。
「気に入らんな」
「……同感だ」
「感染者を保護するなら、避難区画を分けるだけでよい。外へ追い返し、居場所を探し出す必要はない」
「当局は保護を目的としていない可能性がある」
トゥシャンの言葉に、ダキールは沈黙した。
工場の壁面に取り付けられた照明が明滅し、二人の緑色の装甲を白く照らす。路地の片側には、住民が逃げる際に落とした鞄や衣服が散乱していた。
「まだ断定はできないが、龍門は戦闘の混乱に乗じて何かを始めようとしているように思える」
ダキールが低く呟く。
その時、トゥシャンの聴覚装置が複数の足音を捉えた。
二人は同時に動く。
ダキールがアサルトキャノンを持ち上げ、複数の銃身を路地の奥へ向ける。トゥシャンも一歩前へ出て、巨大なパワーフィストを構えた。籠手の周囲に薄い破壊力場が生まれ、空気を震わせる。
「止まれ、姿を見せろ。武器を捨て、両手を確認できる位置へ出せ」
ダキールの声が、無人の路地へ響くと同時に足音が止まった。
数秒の沈黙の後、暗闇の中から一人の少女が姿を現す。
白い外套は煤と血で汚れ、長い耳の先には細かな氷が付着している。手には杖を持っていたが、その先端は地面へ向けられていた。
フロストノヴァだった。
「……お前か」
ダキールのアサルトキャノンが、彼女の胸部へ向けられる。
銃身はまだ回転していない。だが、引き金が引かれれば、フロストノヴァだけでなく背後にいる者たちまで容易に粉砕できる距離だった。
トゥシャンも警戒を解かなかった。
「後ろに何人いる」
「戦える者が三十ほど、負傷者が十数人いる」
「他のレユニオン兵は」
「私の指揮下にいる。先に攻撃させるつもりはない」
フロストノヴァの背後から、スノーデビル小隊の隊員が現れる。
彼らは武器を携えていたが、構えてはいなかった。さらに後方には、傷ついたレユニオン兵と狙撃部隊の生存者が続いている。
簡易担架に乗せられたファウストの右腕には、血に染まった包帯が巻かれていた。傍らにはメフィストが付き添い、ダキールたちへ怯えた視線を向けながらも、担架から離れようとはしない。
隊列の最後尾には、新しい負傷者が増えていた。
封鎖線を迂回する途中で近衛局と遭遇したのか、スノーデビルの一人が脇腹を押さえ、別の隊員に肩を借りている。外套には弩の矢が掠めた跡が残り、路地へ小さな血痕が続いていた。
「……命からがら、といった様子だな」
ダキールが言う。
「ここへ何をしに来た」
トゥシャンの問いに、フロストノヴァは二人を見上げた。
「助けを求めに来た」
背後のレユニオン兵たちが緊張する。
ダキールの兜内部で、赤い光学装置が僅かに収縮した。
「我々に?」
「そうだ」
「つい先ほどまで、貴様らは龍門を攻撃していた。我々や近衛局とも戦っている」
「分かっている」
「それでも、我々が助けると思ったのか」
フロストノヴァは一度目を閉じた。
「他に選べる道がなかった」
「理由を話せ」
トゥシャンが促す。
「タルラに嵌められた」
その名を聞いた瞬間、ダキールの装甲の下で身体が僅かに強張った。
「……タルラだと」
「メフィストとファウスト、それに龍門内部へ残された部隊は、最初から捨て駒だった。龍門を混乱させ、可能な限り被害を広げるために使われた」
「お前たちは違うと言うのか」
「いや、私たちも同じだ」
フロストノヴァは背後のスノーデビル小隊を見た。
「私とパトリオットは、タルラが以前とは違うことに気づいていた。お前たちから、彼女の中に別の存在が巣食っている可能性を聞き、その疑いはさらに強くなった」
「それを、タルラの中にいる存在も察したということか」
トゥシャンが問う。
「ああ。私たちは、龍門内部に残る部隊を集め、指定された経路から撤退するよう命じられた。だが、その経路には既に近衛局の大部隊が展開していた」
「偶然ではないと?」
「指定された道以外の選択肢は与えられず、こちらの戦力は各地での戦闘によって疲弊していた。ファウストは重傷を負い、メフィストも部隊を指揮できる状態ではない」
フロストノヴァは静かに続ける。
「私たちが命令に従えば、近衛局と正面から衝突する。どちらが勝っても、多数の犠牲が出る。タルラの中にいる存在にとっては、それで十分なのだろう」
「そして、疑い始めたお前と部下を処分できると」
「……そういうことだ」
ダキールのアサルトキャノンは下がらなかった。
「自らの指導者に見捨てられたから、今度は我々に助けを求めるのか」
フロストノヴァの長い耳が僅かに伏せられる。
背後のスノーデビル小隊から、押し殺した反発の気配が生じた。だが、フロストノヴァが片手を上げると、誰も言葉を発さなかった。
「……身勝手な頼みだということは理解している」
フロストノヴァは武器を地面へ置いた。
手を離し、何も持っていない両手をダキールたちへ見せる。
「私たちは、お前たちの仲間を攻撃した。龍門で多くの者を傷つけ、殺した。今さら助けを求める資格があるとは思っていない」
彼女は二人の巨人から目を逸らさなかった。
「私の身は好きにしていい。捕虜にしても、タルラについて知っていることを全て聞き出してから処分しても構わない」
「姉さん!」
スノーデビルの一人が声を上げるが、フロストノヴァは振り返らなかった。
「だが、部下たちと、ここにいる感染者は安全な場所へ逃がしてほしい。ファウストには治療が必要だ。他の負傷者も、このままでは長く持たない」
「自分だけを差し出して、部下を救えと」
「それしか、私に差し出せるものがない」
冷えた夜風が路地を通り抜け、フロストノヴァの白い外套を揺らした。
ダキールとトゥシャンは何も言わず、彼女を見下ろす。
呼吸、声の揺れ、視線、背後の部下たちの反応。
フロストノヴァは罠を仕掛けようとしている者の態度ではなかった。自分が助かるために部下を利用しているのでもない。自らがどう扱われようと、背後にいる者たちだけは生かそうとしている。
「嘘をついているようには見えんな」
トゥシャンが通信回線を通じてダキールへ告げる。
「……ああ」
ダキールも認めた。
「だが、我々に安全な脱出経路を用意することはできない」
フロストノヴァの表情に、僅かな失望が浮かぶ。
「どういうことだ」
「先ほど、近衛局と地区警察が避難してきた感染者を避難区画から締め出していた」
ダキールが話し始める。
「感染者の居住区も封鎖され、内部の状況を外から確認できない。現場の兵士たちは命令の理由を知らされていなかった。彼らは我々に廃工場や裏路地に存在する感染者コミュニティを発見した場合、その位置を報告するよう求めた」
トゥシャンが続ける。
「レユニオンとの関係や、武装の有無にかかわらずだ。発見後の処理は近衛局ではなく、龍門当局が行うという」
フロストノヴァの目が細くなる。
「黒い装束の部隊……」
「何だと?」
「感染者居住区で、正体不明の部隊が行動している。近衛局の制服ではない黒い服で全身を隠し、レユニオンだけでなく、戦闘へ関わっていない感染者まで殺していた」
「……龍門当局の秘密部隊か」
「断定はできない。だが、龍門の地理を熟知して組織的に動いていた」
ダキールは封鎖線の方角を振り返る。
「感染者を避難区画から排除し、居住地を封鎖した。同時に、黒い部隊が感染者を殺している……スラム街ですらその有様なら、龍門から外へ出るための出入口は全て監視されていると考えるべきだ」
ダキールとトゥシャンが告げる。
「大人数で移動すれば、必ず発見される。正規の門や連絡路を使った脱出は不可能に近い」
「そうか……」
フロストノヴァは俯いた。
タルラから指定された道だけではない。龍門全体が、感染者を逃がさないための檻へ変わりつつある。巨人たちに助けを求めれば、何かしらの道が開けるかもしれない。そう考えてここまで来たが、彼らも龍門当局の動きを把握したばかりだった。
後方では、ファウストが苦しげに息を吐いている。
メフィストは血の滲む包帯を押さえたまま、何度も彼の名を呼んでいた。スノーデビル小隊の負傷者も、その場に立っているだけで精一杯だった。
時間は残されていない。
「それでも、見捨てるつもりはない」
トゥシャンの声に、フロストノヴァが顔を上げる。巨大なターミネーター・アーマーが一歩前へ出た。
「我々は、所属だけで人を裁くことはしない」
「ブラザー・トゥシャン」
ダキールが彼を見る。
「彼らの行いによって判断する。武器を持たない市民を襲ったレユニオン兵に対しては、相応の報いを与えた。だが、仲間を救うために自らの命を差し出そうとする者まで、同じものとして扱うつもりはない」
トゥシャンはフロストノヴァへ視線を戻した。
「ブラザー・ドラクが最後に庇った者も、レユニオンの兵士だった。私は彼の選択を過ちだったとは言わない」
ダキールのアサルトキャノンが、僅かに下がる。
ドラクの最後の姿は、彼の記憶にも深く刻まれていた。
未知の変異が身体に現れているという理由だけで、救える命を見捨てることはしなかった。たとえその選択が自らの死へ繋がったとしても、ドラクは最後までサラマンダーとして行動した。
ダキールは完全に武器を下ろした。
「……いいだろう。お前たちを、我々の庇護下へ入れる」
フロストノヴァを見下ろし、低い声で告げると背後のレユニオン兵たちがざわめく。
「ただし、全員が我々の指示に従え。武器の安全装置を掛け、許可なく構えるな。民間人、近衛局、ロドスへ攻撃を行った者は、その場で我々が処断する」
「承知した。……感謝する」
フロストノヴァは迷わず答え、小さく言う。
「だが、まだ安全を確保できたわけではない。我々がレユニオンの幹部と残存兵を庇っていることが龍門当局へ知られれば、近衛局との協力関係に影響が出る。お前たちを連れて表通りを歩くことはできない」
トゥシャンは周囲の工場を見回す。
「どこへ行けばいい?」
「この先に閉鎖された資材加工場がある。先ほど内部を捜索し、レユニオンがいないことは確認済みだ。近衛局には制圧済みと報告してある」
「負傷者を隠すだけの場所はあるか」
「地下に資材搬送用の区画がある。外からは見えず、複数の出入口も存在する」
トゥシャンはファウストの状態を確認する。
「だが、あの負傷は我々にも治せない。必要なのはロドスの医療設備だ」
「ロドスが、私たちを受け入れると思うか」
「少なくとも、目の前で死にかけている者を見捨てる組織ではない」
ダキールが答えた。
「ヴァレリウスとドクターの了承を得られれば、負傷者の治療と、お前たちの保護を要請できる」
「龍門当局には知られずに?」
「その方法を、これから考える」
フロストノヴァは一度、背後の仲間たちを見た。
助かったわけではない。龍門から脱出する道も、パトリオットの元へ戻る方法も見つかっていない。それでも、行き止まりだった状況に僅かな道が生まれた。
「分かった。お前たちに従う」
「ならば、移動を開始する。負傷者を先に運べ、痕跡を残すな」
トゥシャンが命じると、スノーデビル小隊が担架を持ち上げる。
ダキールは路地の入口へ戻り、近衛局や地区警察が近づいていないか警戒した。トゥシャンは最後尾に立ち、フロストノヴァたちを閉鎖された資材加工場へ導いていく。
全員が建物の中へ入った後、分厚い扉が閉じられた。
錆びた工場の内部には、使われなくなった工作機械と資材箱が並んでいる。地下へ続く搬送用の坂道には照明が残っており、スノーデビル小隊は最も奥の区画へ負傷者を運んだ。
ダキールは入口へ残り、トゥシャンが通信装置を起動する。
「まずは暗号化通信を用いてヴァレリウスへ報告する」
ダキールが告げた。
「……独断で敵幹部を保護したと知れば、苦言の一つは覚悟すべきだな」
「それで救える命があるなら、安いものだ」
トゥシャンは通信先を選択し、東部第三区にいるヴァレリウスへ信号を送った。
東部第三区では、近衛局と地区警察による残敵の掃討が続いていた。
大規模な戦闘は既に終わっている。
街路へ残っているのは、分断されて退路を失った小規模なレユニオン部隊だけだった。多くは武器を捨てて投降し、抵抗を続ける者も、近衛局と二人のアスタルテスを前に長くは持たなかった。
ヴァレリウスは大通りの交差点に立ち、周辺部隊から送られる報告を確認していた。
青い装甲には幾つもの傷と煤が残っているが、戦闘能力に影響する損傷はない。左腕にはストームシールドを装備し、右手のパワーソードは停止状態で腰部へ固定されていた。
少し離れた場所では、アイゼンヴァルトが近衛局部隊と共に建物内部を捜索している。
黒いパワーアーマーに付着した血液は、既に乾き始めていた。彼が路地へ入るだけで、潜んでいたレユニオン兵が武器を捨てて出てくることさえあった。
先ほど見せつけられた惨殺の噂が、生き残った者たちの間へ広がっているのだ。
ヴァレリウスの兜内部へ、暗号化された通信が届く。
『ヴァレリウス、応答を』
「トゥシャンか。聞こえている」
『報告と、事後承認を求めたい事項がある』
「……話せ」
僅かな間の後、トゥシャンが答えた。
『フロストノヴァ及びスノーデビル小隊、メフィスト、ファウストと呼ばれる幹部、その他のレユニオン残存兵を保護した』
ヴァレリウスの動きが止まる。
「……独断で、敵幹部を庇護下へ入れたのか。人数は?」
『戦闘可能な者が三十前後。負傷者が十数名。ファウストはスキタリの攻撃を受け、右腕に壊滅的な損傷を負っている。早急な治療が必要だ。それに、メフィストもファウストの負傷によって精神的に不安定だ。現時点で部隊を指揮する能力はなく、武装解除に応じている』
ヴァレリウスは周囲に聞かれないよう、通信を分隊用の秘匿回線へ切り替えた。
「説明を求める。何故、保護する必要があった」
今度はダキールが答えた。
『彼らはタルラに見捨てられた』
「……詳細を」
『龍門内部の残存部隊を集め、指定された経路から撤退するよう命じられたらしい。だが、その経路には近衛局の大部隊が待ち構えていた。現在の戦力で突破できないことは、フロストノヴァも理解している』
『彼女とスノーデビル小隊は、タルラの中にいる存在へ疑惑を深めた。そのため、近衛局と衝突させる形で処分されようとしたと考えている』
ダキールの言葉にトゥシャンが補足すると、ヴァレリウスは情報を整理した。
フロストノヴァとパトリオットは、以前からタルラの変化へ気づいていた。ヴァレリウス自身も、彼女の内側にいる存在について警告している。黒蛇が二人の疑念を察知したなら、直接手を下すよりも、龍門との戦闘で消耗させる方が都合がよい。レユニオン内部に余計な動揺を生まず、同時に龍門へ損害を与えられる。
「独断で敵幹部を庇護したことは、作戦行動として看過できない。だが、タルラの内情を知る者と協力関係を築けたことは、我々にとっても利益となる。フロストノヴァの身柄と情報には価値がある」
『……では?』
「今回に限り、判断を追認する」
ヴァレリウスの答えに、トゥシャンの声から僅かに緊張が抜けた。
「ただし、彼らを自由に行動させるな。武装を管理し、メフィストという幹部には特に注意しろ。敵対行動を取った場合、即座に制圧せよ」
『了解した』
「他に報告は?」
『工業地区で、近衛局と地区警察が不可解な行動を始めている』
ダキールは避難区画で目にした光景を説明した。
感染者だけが保護を拒否されていること、感染者の居住区を含む一帯が突然封鎖されたこと、近衛局の現場部隊が、命令の目的を知らされていないことまで。そして、武装の有無を問わず、感染者コミュニティを発見した場合は位置を報告するよう求められたこと。
「報告後の対応は誰が行う」
『龍門当局だとしか聞かされていないが、近衛局ではないらしい』
トゥシャンが続ける。
『フロストノヴァからも情報がある。感染者居住区で、黒い装束の部隊が活動しているそうだ。レユニオンだけでなく、戦闘へ参加していない感染者まで殺害し、近衛局の制服も龍門の徽章も身につけていない』
「装備と行動様式は」
『刃物を中心とした近接装備。隠密性が高く、複数人で連携して対象を確実に殺害している。龍門の地理にも詳しいようだ』
ヴァレリウスは東部第三区の街路へ視線を向けた。
レユニオンの攻撃を受けた地区では、近衛局が負傷者の救助と住民の避難を進めている。少なくとも、目の前にいる者たちは感染者であることを理由に無差別な殺害を行ってはいない。
だが、その背後で、別の命令系統を持つ部隊が動いている。
「タルラの目的が、レユニオンの掲げる感染者解放と異なることは、ほぼ確実だ。では、龍門当局は何を考えている……?」
ヴァレリウスが呟く。
その時、兜内部に別の通信要求が表示された。
発信者はヴァロクス。
「ダキール、トゥシャン。回線を維持しろ」
『了解』
ヴァレリウスは複数の通信を同時に処理できるよう回線を分割し、ヴァロクスからの信号を受信する。
『オナーガード、応答を要求する』
「聞こえている、スキタリ。こちらも重要な情報を受け取ったところだ」
『先に作戦結果を報告する。ミーシャ奪還作戦は失敗した』
ヴァレリウスの赤い視覚装置が僅かに明滅する。
「保護対象の状態は?」
『詳細は未確認。ドクターは合流後に説明するとしている。アーミヤCEOは肉体的な重傷を負っていないが、精神状態が不安定であり、戦闘継続は不可能と判断されている』
「承知した。続けろ」
『スワイヤー警司より、龍門当局の不可解な命令について情報提供を受けた』
ヴァロクスは、ウェイ長官から近衛局へ下された指示を説明する。
感染者居住区から近衛局部隊を全て撤収させること、周辺の避難路を封鎖し外部から接近できないようにすること、そして以後の処理は〈自分たち〉へ任せるよう求められたこと。
『龍門当局またはウェイ・イェンウ直轄の秘匿武装組織が存在する可能性が高い。情報はチェン警司及びドクターにも共有済みだ』
「こちらの情報と一致する」
『……説明を要求する』
「工業地区で、感染者が避難区画から排除されている。感染者の居住区は封鎖され、近衛局は隠れている感染者の位置を報告するよう命じられた。さらに、感染者居住区では黒い装束の部隊がレユニオンと無関係な感染者を殺害している」
『先ほどの命令との関連性を確認』
通信の向こうで、ヴァロクスの機械的な処理音が響く。
『仮説を更新。秘匿武装組織が既に感染者居住区へ展開し、対象の排除を開始している可能性は極めて高い』
「私も同意見だ」
ヴァレリウスは龍門について事前に与えられた情報を思い返す。
移動都市としての龍門、炎国とウルサスの境界に位置し交易と経済によって繁栄してきた都市。感染者を完全に受け入れているわけではないが、表向きは一定の管理下で居住を許している。そして、龍門を守るためならば冷酷な決断も辞さない、ウェイ・イェンウという指導者。
ウェイが、単純な憎悪から感染者を殺そうとしているとは考えにくい。
だが、龍門の存続を脅かす危険因子と判断したなら、彼は犠牲を許容する。
レユニオンは感染者居住区へ入り込み、龍門内部で大規模な攻撃を行った。上層部から見れば、居住区に残る感染者は協力者、潜伏兵、将来の反乱分子と区別できない。ならば、今後の脅威を根絶するという名目で、地区そのものを切り捨てる可能性がある。
「龍門当局は、レユニオンの排除を利用して、市内の感染者を一掃しようとしている」
ヴァレリウスが結論を告げる。
『推論根拠の提示を要求する』
「近衛局を撤収させたのは、通常の部隊に実行させられない命令だからだ。現場の人員へ目的を知らせず、感染者だけを避難区画から外し、居住地を封鎖する。黒い部隊は、武装や所属ではなく感染者であるか否かを基準として殺害している」
『……論理的整合性を確認』
「ウェイ・イェンウは龍門を守ることを最優先する人物だと聞いている。感染者への個人的な憎悪ではないだろう。だが、感染者居住区全体をレユニオンの侵入経路、あるいは将来的な脅威と見なしたなら、都市を守るために住民ごと切り捨てることはあり得る」
『つまり、目的は龍門内部における潜在的反乱分子の完全排除』
「それだけではない。レユニオンに市内への侵入を許し、大規模な被害を出した事実を覆い隠す意図も考えられる。居住区の住民と潜伏兵を区別せず排除すれば、後に証言する者も残らない」
『追加情報の分析には、対面での議論が望ましい。ドクターたちとの合流を要求する』
「良いだろう。現在地は?」
『龍門外縁部の運動場。サンダーホークは着陸済みだ』
「了解した。だが、その前に確認すべきことがある」
ヴァレリウスはダキールたちとの回線へ戻る。
「ダキール、フロストノヴァに聞け。タルラは現在どこにいる」
『少し待て』
工業地区の資材加工場で、ダキールは地下区画へ向かった。
フロストノヴァはファウストの担架近くに座り、スノーデビル小隊の負傷者を確認していた。巨人が近づくと、すぐに立ち上がる。
「ヴァレリウスから質問だ。タルラは今、どこにいる」
「チェルノボーグだ」
フロストノヴァは迷わず答えた。
「私たちが龍門へ向かう前は、コントロールルームにいた。今もそこにいる可能性が高い」
『龍門へ自ら乗り込む可能性は?』
通信越しにヴァレリウスの声が伝わると、フロストノヴァは少し考える。
「無いとは言い切れない。だが、可能性低いと思う。龍門内部の部隊は、私たちを含めて最初から消耗させるために送り込まれた。タルラが自ら来る必要はない」
「ヴァレリウスを狙っているとしてもか」
「彼への執着が、どれほど強いのかは分からない。だが、今のタルラは自分の手で殺すことより、目的のために相手を利用することを優先する」
フロストノヴァの表情が曇る。
「ただし、彼女の中にいる存在が何を考えているのか、私にも全ては分からない。絶対に来ないとは保証できない」
『十分だ。ダキール、トゥシャン。私が戻るまでフロストノヴァたちを守れ。龍門当局、近衛局、レユニオンのいずれにも所在を知られるな』
ヴァレリウスが答える。
「了解した」
『ロドスとの受け入れ協議はこちらで行う。ファウストの状態が急変した場合は、即座に報告しろ』
「承知した」
通信が切れると、ヴァレリウスはチェルノボーグの方角へ視線を向けた。
タルラが龍門へ来る可能性は低い。
だが、彼女がヴァレリウスを敵視し、その殺害へ固執していることは事実だった。龍門内部の部隊を捨てた後、次にどのような手段を使うのかは分からない。
不安は残る。それでも、現在龍門で進められている感染者の一掃を放置することはできなかった。
「スキタリよ」
『通信を維持している』
「ドクターたちと合流する。サンダーホークをこちらへ回せ」
『現在地の座標を受信済み。離陸準備へ移行する』
「到着予定時刻は」
『八分後』
「了解した」
ヴァレリウスは通信を終え、周囲を見回した。
アイゼンヴァルトが建物から出てくる。
右手には血に濡れたチェーンソードを持ち、左手のボルトピストルは腰部のホルスターへ戻されていた。彼の後ろから、武器を捨てた数人のレユニオン兵が近衛局隊員に連行されている。
「残敵の排除を完了しました、オナーガード。三名が投降。抵抗を続けた者は討ち取りました」」
アイゼンヴァルトがチェーンソードを停止させる。
「ご苦労、イニシエイト・アイゼンヴァルト」
「新たな敵ですか」
「別の問題が起きた。私は一度、ロドスと合流する」
ヴァレリウスは説明する内容を慎重に選んだ。
フロストノヴァたちを単純な協力者と伝えれば、異端者への譲歩と受け取られる可能性がある。反対に、敵として扱えば、ダキールたちが保護している者をアイゼンヴァルトが攻撃しかねない。
「サラマンダーの二人が、敵指揮官と残存兵の一団を確保した」
「捕虜ですか」
「現時点では、戦略情報を有する被保護拘束者として扱う。彼らは指導者に見捨てられ、我々への協力を申し出た。武装と行動はダキール、トゥシャンが管理している」
アイゼンヴァルトの赤い視覚装置が、僅かに明滅する。
「異端者を信じると?」
「利用価値を認めただけだ。敵である以上、信頼を置くことは断固として無い。だが、彼らはタルラの内情と龍門で動く秘密部隊について情報を持っている。元の世界へ戻る手段を探し、この惑星の脅威を把握するうえでも、今は生かしておく方が有益だ」
ヴァレリウスは静かに答える。
「彼らへの処置は、私が決定する。遭遇した場合も、こちらへの敵対行動がない限り攻撃するな」
アイゼンヴァルトは数秒黙った後、チェーンソードを腰部へ固定した。
「オナーガードが、その価値を認めたのであれば従います。処断すべき時が来れば、どうか私にお命じください」
「必要であればな」
「承知しました」
「私はロドスと合流し、龍門当局の動きを確認する。お前はここへ残り、近衛局と共にレユニオン残党へ対処しろ」
「お任せください」
「ただし、投降した者を殺すな。民間人の居住区へ逃げ込んだ敵を追う場合は、近衛局の許可を得ろ」
アイゼンヴァルトの兜が僅かに傾く。
「私は、武器を捨てた者まで追い回して殺すほど戦いに飢えてはいません」
「お前の恐怖戦術が、近衛局の理解を超えている可能性を考慮しただけだ」
「彼らが脆弱であることは否定しません。ですが、オナーガードの命令には従いましょう」
ヴァレリウスは近くにいた東部第三区の指揮官へ歩み寄った。指揮官は部下からの報告を聞き終えると、青い巨人を見上げる。
「何かありましたか」
「諸事情により、私だけ一時的にロドス側と合流する必要が生じた」
「この地区を離れると?」
「短時間だ。ブラックテンプラーのアイゼンヴァルトはここへ残す。引き続き、レユニオン残党の追撃と治安回復へ参加させて構わないか」
指揮官はアイゼンヴァルトを見る。
黒い装甲と血に濡れたチェーンソードを目にし、一瞬だけ返答を躊躇した。
彼の戦い方は残酷であり、近衛局の規則に沿ったものとは言い難い。それでも、アイゼンヴァルトの突撃によってレユニオンの陣形が崩れ、多くの近衛局隊員と住民が救われたことも事実だった。
「……こちらの指示に従って頂けるのであれば、心強い戦力です」
「私の命令へ従うよう伝えてある。投降者への攻撃と、許可のない居住区への侵入も禁じた」
「それならば、異論はありません」
「感謝する」
遠方から、重い飛行音が近づき始める。
建物の向こうからサンダーホークの機影が現れ、東部第三区へ向けて高度を下げていた。