臨時の集結地点となったグラウンドでは、近衛局隊員とロドスのオペレーターが慌ただしく行き交い、戦闘で損傷した装備や負傷者を輸送車へ積み込んでいる。少し離れた場所にはサンダーホークが鎮座し、その巨体から漂う排熱が夜の空気を揺らしていた。
サンダーホークの後部扉が開く。
最初に姿を現したのは、青いパワーアーマーを纏ったヴァレリウスだった。後部のハッチから足を踏み出して地面へ降り立つと、重量を受けたグラウンドの土が僅かに沈み込んだ。
ヴァレリウスは運動場の状況を一瞥した後、中央に設けられた臨時指揮所へ向かう。
そこにはドクターとAce、チェン、ホシグマが集まり、帰還した部隊の損害を確認していた。ヴァロクスも傍らに立ち、サーボスカルを介して近衛局本部から持ち帰った情報を整理している。
アーミヤは少し離れたロドスの輸送車の近くにいた。
ブレイズが傍についていたが、アーミヤは誰とも話さず、グラウンドの地面へ視線を落としている。長い耳は力なく垂れ、両手は胸元で固く組まれていた。
ヴァレリウスがドクターの前で足を止める。
「東部第三区の主要な敵戦力は排除した。アイゼンヴァルトを現地に残し、近衛局へ協力させている」
ドクターは頷いたものの、普段のように即座に次の話へ移ろうとはしなかった。ヴァレリウスはその反応と周囲の沈んだ空気から、ミーシャの奪還作戦で単なる失敗以上の事態が起きたことを察する。
「……報告を聞こう」
ヴァレリウスが促すと、ドクターは作戦中に起きたことを順番に説明した。
スカルシュレッダーを名乗っていた少年の本名は、アレックス彼はロドスと近衛局が保護しようとしていたミーシャの実の兄だった。
二人は龍門へ逃げ延びる過程で離れ離れとなり、互いの生死すら知らないまま、それぞれ異なる道を歩んでいた。ミーシャがチェルノボーグから龍門に逃げ込んだ裏で、アレックスは感染者を排斥する社会への憎悪からレユニオンへ加わり、スカルシュレッダーとして戦うようになった。
源石採掘場跡で行われた戦闘の最中、アレックスはドクターを道連れにするため、身につけていた爆発物を用いて自爆を試みた。攻撃を防ぐ手段は残されておらず、ドクターを救うために、アーミヤはアーツを放った。
その一撃によって、アレックスは死亡した。
兄が倒される瞬間を目の当たりにしたミーシャは、ロドスと近衛局を拒絶した。ドクターやアーミヤが何を目的として行動していたのか、アレックスが自ら命を投げ出そうとしていたことも、彼女の心を引き留めることはできなかった。
ミーシャは兄の装備と仮面を引き継ぎ、新たなスカルシュレッダーとしてレユニオン側に立った。今度は自ら武器を取り、救おうとしていたアーミヤたちと対峙した。
説得は届かず、戦闘の末ミーシャもまた命を落とした。
守ろうとした少女が自らの目の前で敵となり、兄と同じように戦場へ倒れた。アーミヤの心には、アレックスを殺めたことへの罪悪感と、ミーシャを救えなかった後悔が、切り離すことのできない形で残されていた。
報告を聞き終えたヴァレリウスは、すぐには何も言わなかった。
戦場では、相手の事情を知る前に生死を決めなければならないことがある。一人を救うために別の一人を殺し、その選択によって、救おうとした者から憎まれることも珍しくない。
アスタルテスにとっては幾度となく経験する戦争の一幕であっても、アーミヤにはそうではない。彼女は優れたアーツと指揮能力を持っているが、その心まで戦争だけのために作り替えられているわけではなかった。
ヴァレリウスはドクターの傍を離れ、アーミヤのいる場所へ歩いていった。
青い巨体が近づくと、ブレイズが一度だけ彼を見上げた。ヴァレリウスが武器へ手を伸ばしていないことを確認し、何も言わずに道を空ける。
「コータスの少女よ」
名前を呼ばれ、アーミヤがゆっくりと顔を上げた。
「……ヴァレリウスさん」
瞳には疲労が滲んでいる。泣いた跡は見えなかったが、感情を押し殺すために無理をしていることは明らかだった。
「ドクターから報告を聞いた」
アーミヤの指先が僅かに震えた。
「私は……」
「説明する必要はない」
ヴァレリウスは彼女の言葉を静かに遮った。
「お前がスカルシュレッダーを攻撃しなければ、ドクターは死んでいた。その状況で選べる手段が他に存在しなかったことは、私にも理解できる」
「でも、私はミーシャさんのお兄さんを……それに、ミーシャさんも救えませんでした」
「他者からの共感で心が軽くならないことも理解している。必要な行為だったと他者から言われたところで、殺めた相手が戻るわけでも、お前の後悔が消えるわけでもない」
ヴァレリウスは慰めのために、アーミヤの選択を安易に正当化しなかった。戦場で正しかったという言葉が、戦いを望んでいなかった彼女にとって救いになるとは限らない。
「だが、今この場で自らを裁く必要もない。お前はドクターを守り、仲間を守るために戦った。失われた二人の命を忘れるなとは言わぬ。ただし、その全てを一人で背負おうとするな」
アーミヤは俯き、胸元で組んだ手へ視線を落とした。
「私が、もっと上手くできていたら……」
「そう考えることは止められないだろう。ならば今は休め、答えを出そうとするな。心身が消耗した状態で下した結論は、多くの場合、自らを必要以上に傷つける」
ヴァレリウスは片膝をつくことも、彼女の身体へ触れることもしなかった。巨大な手を肩へ置けば、それだけでも重圧を与える可能性がある。慰めを強要せず、彼女が望む距離を保ったまま、必要な言葉だけを告げる。
「仲間の傍にいろ。話したくなければ黙っていてもよい。休むことも、他者に支えられることも、戦士としての弱さではない」
「……はい」
アーミヤはすぐには顔を上げなかったが、先ほどまで強張っていた両手から僅かに力が抜けた。
「ありがとうございます、ヴァレリウスさん」
「礼は不要だ。今は自分の身体を優先しろ」
ヴァレリウスはそれ以上踏み込まず、立ち上がった。アーミヤの隣へ戻ったブレイズと一度だけ視線を交わし、ドクターたちのいる臨時指揮所へ引き返す。
その歩みの途中で、彼の纏う空気が変わった。
目の前にいる一人の精神を気遣う静かな戦士から、複数の勢力と都市全体の動きを同時に見据える指揮官へ。アーミヤへの配慮を失ったわけではないが、今も危機が進行している以上、感情の整理だけに時間を使うことはできなかった。
「もう一つ、共有すべき事態がある」
ヴァレリウスの言葉を聞き、ドクター、Ace、チェン、ホシグマが彼へ向き直る。
ブレイズもアーミヤをロドスの医療オペレーターの傍へ預けると、話を聞ける位置まで戻ってきた。
「……スキタリよ」
「命令を確認、情報共有を開始する」
赤い外套を纏った機械兵が前へ出る。
「龍門当局は感染者居住区に展開中の近衛局部隊へ撤収を命令し、同時に周辺の避難路を封鎖している。命令の発信者はウェイ・イェンウ。認証情報に異常は存在しない」
「それは先ほど聞いた。だが、長官が何をするつもりなのかまでは分かっていないはずだ」
チェンが答える。
「現時点では確定情報が不足している。ただし、近衛局撤収後の処理を引き継ぐ正体不明の武装組織が、龍門当局またはウェイ・イェンウ個人の指揮下に存在する可能性が高い」
ヴァロクスの機械眼が明滅する。
「感染者居住区の封鎖は、外部からの干渉及び目撃を防ぐために行われている可能性がある。近衛局を排除した後、公式記録へ残すことのできない行動が実施されると推測する」
「長官が、近衛局に見せられないことを始めようとしていると?」
ホシグマの声からも、普段の穏やかさが消えていた。
「可能性を提示している。断定には追加情報を必要とする」
「そして、もう一つだ。ダキールとトゥシャンが、フロストノヴァ及び彼女に同行するレユニオン残存兵を工業地区で発見した」
ヴァレリウスが話を引き継ぐと、チェンの目が鋭くなる。
「……見つけたのか」
「そうだ。二人は彼女たちを一時的な保護下へ置いた。私も事後承認している」
「待て、レユニオンの幹部を龍門内部で匿っているのか?」
チェンが即座に言葉を挟んだ。
「匿っているという表現は適切ではないな。敢えて言うならば、保護拘束だ。彼らの自由な行動を認めたわけでも、レユニオンへ加担したわけでもない」
「言い方を変えても、近衛局へ報告せず敵幹部を保護している事実は変わらないと思うが?」
ヴァレリウスはチェンの視線を正面から受け止めた。
「先ほどまでなら、君の指摘は正しい。だが現在、龍門当局は感染者居住区から近衛局を撤収させ、正体不明の部隊に処理を引き継がせようとしている。フロストノヴァたちを龍門側へ無条件に引き渡すことが、安全な拘束と同義である保証は失われた」
チェンは反論しようとしたが、言葉を止めた。ウェイの命令に疑念を持っている以上、フロストノヴァを引き渡せと強く主張することはできなかった。
「フロストノヴァさんは何と?」
医療オペレーターの傍に居たアーミヤが尋ねる。
その声には疲れが残っていたものの、先ほどよりも僅かに力が戻っている。
「タルラに見捨てられたと証言している。タルラの中に巣食う存在へ疑念を深めたため、自分とスノーデビル小隊を処分する目的で、近衛局の大部隊が待つ撤退経路へ誘導されたと判断した」
「それなら、フロストノヴァさんは無事なんですね」
アーミヤの表情に、微かな安堵が浮かんだ。
ドクターも同じだった。敵幹部を保護した事実には驚いていたが、フロストノヴァがタルラの命令へ盲目的に従わず、生きて対話できる状態にあることを知り、その緊張が僅かに和らいでいる。
ヴァレリウスは二人の反応を静かに観察した。
レユニオンに所属し、幾度もロドスと交戦した相手であっても、離反して助けを求めたと知れば、その生存に安堵する。危険性や政治的な損失より先に、救える生命が残っていることを喜ぶ。
帝国では失われて久しい、あるいは最初からほとんど顧みられることのなかった善性だった。戦乱の銀河では、その優しさは容易に利用され、多くの犠牲を生むこともある。それでも、ロドスを一つの組織として結びつけている根幹がそこにあることを、ヴァレリウスは既に理解し始めていた。
「ドクター、ロドスとしての見解を聞きたい。フロストノヴァたちを受け入れるか」
ヴァレリウスは黒い外套の人物へ向き直る。
ドクターは短く考えた後、迷いなく頷いた。
「受け入れる。彼女がタルラの中にいる存在へ気づき、それを排除して本人を救う手立てになるのならロドスが拒む理由はない」
「同行するレユニオン兵も含めてか」
「武器を捨て、ロドスの指示に従うことが条件だ。負傷者には治療を行う。必要な監視もつけるが、投降した者を見捨てるつもりはない」
「了解した。これでダキールとトゥシャンの保護行動は、私とロドス双方から承認されたことになる」
アーミヤも小さく頷いた。
「フロストノヴァさんが、タルラさんを取り戻したいと思っているなら……私たちも協力できると思います」
「非推奨要素を指摘する」
ヴァロクスが割って入る。
「ロドスは現在、龍門当局との協力関係を必要としている。龍門へ侵攻した組織の幹部を当局の許可なく保護した場合、契約及び相互信頼に重大な歪みが発生する可能性が高い」
「分かっている」
ドクターは落ち着いて答えた。
「だから、私がウェイ長官と直接話す。フロストノヴァを保護した理由と、龍門当局の動きについて確認する」
「私も同行しよう」
ヴァレリウスの申し出に、ロドス側の者たちが一斉に彼を見た。
「ヴァレリウスさんもですか?」
アーミヤが驚きを隠さずに尋ねる。
「本件には私の部下が関与し、フロストノヴァの一時保護を最終的に承認したのも私だ。ドクター一人に説明と責任を負わせる理由はない」
「だが、相手は龍門の最高責任者だ。力ずくの勝負じゃない、言葉の読み合いになるぞ」
Aceが慎重に口を挟む。
「それについては承知している。ウルトラマリーン戦団に属する者は、戦闘だけを学ぶわけではない。征服した惑星や奪還した都市を維持するには、軍事力だけでなく、行政、兵站、法、外交、経済を理解する必要がある。我らは戦争によって勝利を得た後、その勝利を秩序として定着させる術を教えられている」
ヴァレリウスの返答は平然としていた。
ヴァロクスが補足する。
「ヴァレリウスはウルトラマリーン戦団のオナーガード。長期間にわたる軍務及び統治経験を有し、複数の惑星政府、軍事組織、宗教権力との交渉記録を持つ。一般的な行政官及び政治家と比較して、実務経験が上回る可能性は高い」
「記録まで説明する必要はない、スキタリよ」
「能力評価には客観的情報が必要だ」
ヴァレリウスは小さく息を吐いたが、ヴァロクスの説明自体は否定しなかった。
ドクターは改めて青い巨人を見上げる。
銃弾やアーツを正面から受け止め、数十人の敵を単独で圧倒できる肉体を持ちながら、政治と行政についても並の専門家を上回る経験を持つ。それはテラの常識から見れば、あまりにも偏りのない能力だった。
「確かに、事情を知っているヴァレリウスが同行することは不利にはならない」
ドクターが答える。
「ウェイ長官が何を考えているのかを聞き出すうえでも、力を借りたい」
「ヴァレリウスさんが一緒なら、ドクターの護衛についても心配ありません」
アーミヤも賛同し、チェンは暫く黙っていたが、やがて不本意そうに腕を組んだ。
「本来なら、龍門当局と外部組織の交渉へ異世界の戦士を連れていくことなど認められない」
「では、反対するか」
「……いや。近衛局にも明かされていない動きがある以上、通常の手順だけに任せてはいられない。事情を知り、長官と対等に話せる者が増えるなら、今は認めるべきだと思う」
「賢明な判断だ」
ヴァレリウスがそう返したその時。
ヴァレリウスの兜内部に、外部からの通信を知らせる表示が浮かび上がった。
「通信を受信。発信者、アイゼンヴァルト」
ヴァレリウスは周囲にいる者たちへ片手を上げ、会話を止める。
「こちらヴァレリウス。報告せよ」
『尊厳の守り手よ、東部第三区で予定外の敵性勢力と接触しました』
アイゼンヴァルトの声には激しい呼吸が混じり、背後ではチェーンソードの駆動音と、装甲靴が石畳を踏み砕く音が続いている。彼は工業地区へ向けて走りながら通信を行っていた。
『黒い装束を纏った一団が投降しようとしていたレユニオン兵及び非戦闘員の感染者を殺害していました。オナーガードの命令に従って行為を制止したところ、私に攻撃を加えたため反撃し、止むなく一人を殺害しました』
「黒い装束……所属は判明したか」
『オモフォゲアを使用し、死体の脳組織から記憶を読み取りました。奴らは黒蓑と呼ばれるウェイ・イェンウ直轄の私兵集団です』
ヴァレリウスの赤いレンズが細く明滅する。
周囲の者たちにはアイゼンヴァルトの声が聞こえていなかったが、ヴァレリウスの様子が変わったことで、重大な報告が入ったことを察していた。
「続けろ」
『黒蓑はウェイ・イェンウの命令を受けています。近衛局を感染者居住区から撤収させ、避難路を封鎖した後、レユニオン襲撃の混乱に乗じて龍門内部の感染者を全て排除する計画です。レユニオンとの関係は考慮されていないほか、武器を持たない者も対象に含まれます』
ヴァレリウスは通信内容を外部スピーカーへ接続した。
アイゼンヴァルトの報告が、臨時指揮所にいる全員へ聞こえるようになる。
『黒蓑の一部はダキールとトゥシャンを足止めし、別働隊が二人の保護対象を襲撃しています。工業地区で大規模な冷気を確認したため、保護対象のレユニオン幹部が交戦していると推測します』
「ダキールたちとの通信は」
『妨害されています。こちらからも応答を確認できないため、既に工業地区へ向かっています』
報告が終わると、運動場に重い沈黙が落ちた。
チェンの顔から血の気が引いている。ホシグマも言葉を失い、Aceでさえ僅かに眉を寄せていた。
「……今の話は、本当なのか」
チェンがヴァレリウスへ尋ねる。
その声には困惑と怒りだけでなく、信じてきた相手から裏切られたような失望が滲んでいた。
「アイゼンヴァルトとやらが嘘をついている可能性はないのか。記憶を読み取ったと言ったが、何を根拠に……」
「オモフォゲアは、アスタルテスへ移植される第八の器官だ。摂取した生物組織に残された遺伝情報と神経化学的な痕跡を読み取り、対象の記憶や経験を断片的に再構成する。完全な記録を得られるわけではないが、所属、反復された命令、訓練によって定着した情報は比較的明確に読み取れる」
ヴァレリウスは簡潔に説明した。
「摂取した……? そのアイゼンヴァルトって奴、何を食べたの?」
ブレイズが怪訝そうに繰り返す。
「先ほどの報告によれば、死体の脳組織だ」
ヴァレリウスが平然と答えた。
ブレイズの表情が固まり、アーミヤの耳が僅かに震えた。ホシグマも一瞬だけ言葉を失い、近くで話を聞いていた近衛局隊員たちの間から、抑えきれないざわめきが広がる。
「脳を……食べた?」
チェンが低く呟く。
「記憶を得るために必要な処置だ」
ヴァレリウスにとっては説明するまでもない生体機能だったが、テラの者たちにとって、人間の肉を口にして記憶を読む行為は容易に受け入れられるものではなかった。
ヴァロクスが周囲の反応を観察しながら補足する。
「アスタルテスは通常の人間と生物学的構造が異なる。オモフォゲアは情報収集を目的とした正規の移植器官であり、儀式的食人または嗜好による行動とは分類されない」
「分類の問題じゃないと思うんだけど……」
ブレイズが顔を引きつらせる。
「異世界から来た人たちだってことは分かってたつもりだけど、まだ理解してなかったみたいだね」
アーミヤは青ざめながらも、ヴァレリウスとアイゼンヴァルトが自分たちとは異なる世界の、異なる人類であることを思い出したらしい。今はその行為への嫌悪よりも、読み取られた情報の内容を優先しようとしていた。
「……では、黒蓑の所属と命令については間違いないのですね」
「虚偽の記憶を意図的に組織へ定着させていたのでなければ、誤認の可能性は低い。黒蓑がウェイ・イェンウ直轄の私兵であり、感染者の排除命令を受けていると考えるべきだ」
ヴァレリウスの言葉を聞き、チェンの拳が強く握られた。
「長官が……龍門に住んでいる感染者を、全員殺すように命じたというのか」
「ふざけないでよ!! レユニオンを排除するだけならまだ分かる。でも感染者ってだけで、戦ってもいない人まで殺してるんでしょ? それを近衛局に隠して、裏で全部片づけようとしてるっていうの?」
ブレイズの声に、抑えきれない怒りが滲む。
「小官たちは、龍門の市民を守るために戦っていたはずです」
ホシグマも静かな声で言った。
「感染者であろうと、龍門で暮らしている以上は同じ住民です。近衛局を撤収させた理由が、彼らを処分する現場を見せないためだったのなら……」
その先を、ホシグマは口にできなかった。
自分たちが命令に従って感染者居住区から離れたことで、黒蓑による掃討を容易にした可能性がある。その事実は、近衛局の責任感を持つ二人にとって耐え難いものだった。
「統治者としては、妥当な判断だ」
ヴァレリウスが告げると、チェンとブレイズが同時に彼を見た。
「何だと?」
「感情的評価を除外した場合、合理性は存在する」
ヴァロクスもヴァレリウスの見解を支持した。
「龍門は大規模な武装攻撃を受けた。感染者居住区はレユニオンの潜伏、補給、再編成に利用される可能性が高く、当局に対する不満を持つ感染者は将来的な反乱要員となり得る。近衛局が消耗している現状で、不確定要素を恒久的に排除する判断は、都市機能の安定化へ寄与する」
「そこにいるのは不確定要素ではない。龍門の市民だ! 長官が何を恐れているのかは知らないが、罪のない住民まで殺していい理由にはならない!!」
チェンの怒声が運動場へ響いたが、ヴァレリウスの声は変わらなかった。
「私は、ウェイ・イェンウが何故その判断を下したのかを説明している。彼の立場では、龍門という都市と多数の住民を存続させることが最優先される。感染者居住区を残せば、レユニオンの思想と武器が再び流入し、第二、第三の襲撃へ繋がる可能性がある。彼がその危険を許容できないと判断したのなら、密かに感染者を一掃する手段は短期的には有効だ」
「有効だから殺すっていうの? 助ける方法を考えもしないで、危険になるかもしれないから先に消す。そんなものを合理的って呼んで認めるつもり?」
ブレイズがヴァレリウスへ詰め寄った。
「代替案には時間、兵力、資源、そして失敗した場合の被害が伴う。統治者は自らの理想ではなく、選択によって失われる人数を比較しなければならない」
「だからって――」
「では、汝がウェイ・イェンウの立場にあるとして、龍門市民と感染者居住区の双方を確実に守る方法を今すぐ提示できるか」
ブレイズの言葉が止まった。
「近衛局は消耗し、レユニオンの残党は市内に潜伏している。タルラによる第二波が存在する可能性も否定できず、感染者居住区と通常区画の対立は既に深い。保護を宣言すれば非感染者の反発を招き、隔離を強化すれば感染者が反発する。ロドスへ全員を移送する能力もなく、龍門外へ追放すれば別の場所で犠牲が生まれる」
チェンも反論しようとしたが、具体的な解決策をすぐには示せなかった。
ヴァレリウスの説明は冷酷だったが、現実に存在する困難を無視してはいない。ウェイの行為を否定するだけなら容易でも、龍門全体を守りながら感染者を救う方法を提示することは難しかった。
「だが、理解することと受け入れることは別だ」
ヴァレリウスは二人が言葉に詰まったところで、静かに続けた。
「ウェイ・イェンウの判断に統治上の合理性があることと、その行為を我々が容認することは同じではない。私は彼の考えを推察しているだけで、黒蓑による無差別な殺害を認めたわけではない」
ヴァロクスの機械眼が一度明滅する。
「倫理的許容性と戦術的合理性は、別個に評価されるべき項目である」
「アンタの場合は、本当に別々にしか考えてなさそうだけどね」
ブレイズが吐き捨てるように言ったが、先ほどまでの勢いは幾分弱まっていた。
「この件については、私とドクターに任せるべきだ。ウェイ・イェンウ本人と話し、黒蓑へ下した命令とその目的を確認する。彼が龍門を守るために何を恐れ、何を犠牲にしようとしているのかを明らかにしたうえで、今後の対応を決める」
ヴァレリウスが告げる。
「……分かった」
ブレイズは不満を残しながらも、一歩退いた。
チェンはすぐには答えず、血が滲むほど強く握り締めていた拳を見下ろす。
「私は、近衛局が龍門を守る組織だと信じてきた。長官も、龍門を守るために誰より多くのものを背負っていると思っていた」
その声には怒りよりも、深い失望が表れていた。
「だが、私たちを意図的に遠ざけ、その裏で龍門の住民を殺しているのなら……近衛局が何を守っているのか、私にも分からない」
ヴァレリウスは、チェンへ安易な答えを与えなかった。
「その判断は君自身が下すべきだ」
青い巨人の声には、先ほどまでの戦士としての荒々しさが消えていた。代わりに表へ現れたのは、国家と組織、その内部で生きる者の忠誠を扱ってきた行政者の冷静さだった。
「忠誠は、疑念を持たないことによって証明されるものではない。真実を知った後、それでも従うのか、正すために残るのか、離れるのかを選ぶことで、その意味が定まる。私は君に龍門を捨てろとも、ウェイ・イェンウへ従えとも命じる立場にない」
「……私が決めろということか」
「そうだ。だが今すぐ決める必要はない。怒りの中で下した決断は、後に君自身を縛る。まず事実を確かめろ」
チェンは暫くヴァレリウスを見つめた後、小さく頷いた。
それを確認したヴァレリウスは、周囲にいる者たちへ視線を巡らせる。感情を整理する時間は必要だが、フロストノヴァたちは今も黒蓑の攻撃を受けている。チェルノボーグではタルラと黒蛇が次の行動を始めている可能性があり、龍門内部の混乱も終わっていない。
彼の頭の中で、散在していた戦力と目的が組み直されていく。
「スキタリよ」
「待機中」
「サンダーホークを出せ。まず私とドクターをウェイ・イェンウのいる場所まで送り届けろ。ブレイズを工業地区へ降下させた後、龍門上空を離れチェルノボーグの現在位置を完全に特定する」
「任務内容を確認。対象移動都市の座標、進行方向、速度、外部兵装、展開中の部隊及び通信活動を観測する」
「その通りだ。可能な限り高高度から偵察し、こちらの存在を悟られるな。タルラが龍門へ接近している可能性も考慮し、進路を最優先で確認しろ。敵対行動を受けない限り、攻撃は許可しない」
「了解。サンダーホークの武装及び機体状態は任務継続に支障なし」
ヴァレリウスは次に、胸部を負傷しているハルトへ向き直った。
「兵士よ」
「まだ戦えます」
呼ばれる前から何を命じられるか察していたらしく、ハルトは先回りして答えた。だが、矢を受けた胸部には応急処置しか施されておらず、呼吸の度に表情が僅かに歪んでいる。
「戦えるかどうかを聞いたのではない。ロドスの医療オペレーターへ装備を預け、治療を受けろ」
「しかし、工業地区では――」
「負傷を悪化させて次の戦闘に参加できなくなる方が損失だ。これは命令である」
「……了解しました」
ハルトは不満を隠せなかったものの、命令には従った。Aceが近くの医療オペレーターへ合図を送り、ハルトを輸送車へ案内させる。
「ブレイズ、汝はロドスのエリートオペレーターだと聞いている。サンダーホークで工業地区へ向かい、アイゼンヴァルトへ加勢しろ。最優先目標はフロストノヴァ及び保護下にある負傷者の確保。黒蓑との戦闘は、対象を救出するために必要な範囲へ限定する」
「異論はないよ、あの子たちを殺させるつもりもない」
ブレイズは背負っていたチェーンソーを握り直した。
「でも、アイゼンヴァルトやらと一緒に行動するの?」
「彼は既に現地へ向かっている。黒蓑から攻撃を受けた以上、戦闘を避けない可能性が高い。汝は彼の援護と同時に、必要以上の衝突を防げ」
「つまり、あの黒い大男のお目付け役もやれってことね」
「状況に応じて判断しろ」
「分かった。ま、君の指示なら従うよ」
近衛局本部でヴァロクスと衝突したばかりのブレイズにとって、今度はアイゼンヴァルトと行動を共にする任務となる。彼女は僅かに顔をしかめたものの、フロストノヴァたちの命が懸かっている以上、個人的な感情を優先するつもりはなかった。
ヴァレリウスはチェンとホシグマへ向き直る。
「近衛局は、表向きウェイ・イェンウの指示に従え。感染者居住区への独断での突入、黒蓑への攻撃、命令系統を無視した部隊移動は行うな」
「長官の命令が住民の虐殺に繋がっていると分かっていて、黙っていろというのか」
チェンが反発する。
「二人が今ここで公然と命令へ逆らえば、ウェイ・イェンウは近衛局の指揮権を剥奪するか、君たちを拘束する正当な理由を得る。そうなれば、黒蓑を止めるどころか、現場の情報へ触れることさえできなくなる」
ヴァレリウスは冷静に続けた。
「命令へ従う姿勢を見せながら、撤収部隊の報告、通信記録、封鎖地点、行方不明者の情報を集めろ。表立った行動は私とドクターがウェイ・イェンウと話した後だ。それまでは、汝ら自身の権限と立場を守れ」
「小官は、その判断が適切だと思います。今の状態で長官へ直接抗議しても、こちらが感情的になっていると判断される可能性があります。まずヴァレリウス殿とドクターに事情を確認していただき、その間に小官たちは証拠を集めるべきかと」
ホシグマがチェンへ告げる。
チェンは感染者居住区の方角を見た。今すぐ現場へ駆けつけたい気持ちと、近衛局の立場を失えば何もできなくなるという理解が、彼女の中で衝突している。
「……分かった。今は命令に従う」
「賢明だ」
「ただし、ウェイ長官との話し合いで何が分かったのか、全て私にも伝えろ。龍門の内部で行われていることを、外部の者から隠されるのは二度と御免だ」
「約束しよう」
ヴァレリウスが答えると、ドクターも頷いた。
「私からケルシーへ連絡する。ウェイ長官との交渉に向かうことと、フロストノヴァの受け入れについて共有しておく」
「彼女の見解も必要だ。特に負傷した感染者の収容とファウストの治療については、ロドスの医療部門へ準備を求めた方が良いだろう」
彼の言葉にドクターは無言で頷いて通信端末を取り出し、別行動中のケルシーへ回線を繋ぎ始めた。
その間にヴァレリウスは、アイゼンヴァルトとの通信を再び開く。
「イニシエイト・アイゼンヴァルト、聞こえるか」
『明瞭に聞こえています。工業地区まで、あと数区画です』
「ロドスのエリートオペレーター、ブレイズを増援として向かわせる。合流後は彼女と協力し、フロストノヴァ及び負傷者の救出を最優先しろ」
通信の向こうで、短い沈黙があった。
『ロドスの戦士を、私の指揮下へ置くのですか』
「否、彼女は独立して行動する。互いの判断を尊重しろ」
『……承知しました』
「黒蓑との戦闘は必要な範囲へ抑えろ。ウェイ・イェンウとの交渉を始める前に、龍門直轄部隊との全面戦闘へ発展させるな」
『奴らが武器を捨て、保護対象から退くなら攻撃はしません』
「それでよい」
『ですが、再び刃を向けた場合は敵として扱います』
ブラックテンプラーとしては、可能な限り譲歩した返答だった。
「その場合も、情報を持つ者を一人は残せ。可能なら拘束しろ」
『……努力します』
通信が終わると、ヴァレリウスは続けてダキールとトゥシャンの識別信号を呼び出した。通常回線、戦術回線、サンダーホークを中継した暗号化回線へ順番に接続を試みる。
「ダキール、トゥシャン。こちらヴァレリウス。応答せよ」
返ってきたのは、通信妨害による激しい雑音だけだった。
ヴァロクスのサーボスカルが空中へ浮かび、周辺の通信状況を解析する。
「工業地区北西部に広帯域妨害を検出。発信源は複数。通常通信による接触は困難」
「サンダーホークの通信出力なら突破できるか」
「距離を縮めれば可能性はある。ただし、黒蓑が使用する妨害装置の詳細は不明」
「接近後、最大出力で呼びかけろ。同時にブレイズを降下させる」
「了解」
運動場の一角で、サンダーホークの機関が再起動する。
低い駆動音が次第に大きくなり、装甲に覆われた機体の各部へ光が灯った。近衛局隊員が周囲の人員を退避させ、グラウンドに置かれていた医療物資や軽い装備が、推進器から流れ始めた風に揺れる。
ブレイズはチェーンソーを背負い直し、後部ハッチへ向かう。ドクターもケルシーとの通信を続けながら機体へ移動し、その後ろをヴァレリウスが歩いた。青い巨人は搭乗する直前で一度足を止め、まだ回線の向こうにいるはずの二人へ、再び呼びかける。
「ダキール、トゥシャン。保護対象はロドスへの収容を正式に承認された。無用な衝突を避け、可能な限り持ちこたえろ」
雑音の中に、何者かの声らしきものが一瞬だけ混じった。
しかし、言葉として聞き取ることはできない。
「こちらから向かう。応答せよ」
返答はなかった。
ヴァレリウスは通信回線を維持したまま、サンダーホークの兵員区画へ乗り込む。後部ハッチがゆっくりと閉じ、推進器から噴き出した熱風がグラウンドの砂塵を巻き上げた。
目指す先は、まず工業地区。
そこでブレイズを降下させた後、ヴァレリウスとドクターは龍門の統治者と対峙する。
感染者の虐殺を命じたウェイ・イェンウが、何を守ろうとしているのか。
そして、そのために何を切り捨てる覚悟を固めているのか。
龍門の夜空へ浮かび上がったサンダーホークは、黒煙と炎に覆われた市街地へ向けて、その重い機首を巡らせた。