龍門中心部に位置する行政庁舎の上層階では、市内各地から届く戦闘の音も遠くなっていた。
窓の外には、夜の龍門が広がっている。高層建築の間では未だ幾筋もの黒煙が立ち昇り、工業地区の方角では火災の赤い光が雲の底を染めていた。近衛局の飛行艇が灯火を明滅させながら上空を横切り、地上では封鎖された道路を装甲車両が行き来している。
市全体が戦闘の余波に揺れているにもかかわらず、ウェイ・イェンウの執務室には、別の都市へ迷い込んだかのような静けさが保たれていた。
厚い扉の前で、近衛局隊員が立ち止まる。
「ウェイ長官。ロドスのドクターと、ヴァレリウス殿をお連れしました」
『通したまえ』
扉が開かれるとドクターが先に入り、その後ろからヴァレリウスが続いた。
青いパワーアーマーに覆われた巨体が戸口を潜るには、僅かに頭を下げる必要があった。装甲靴が磨かれた床へ触れる度に、低く重い音が室内へ響く。護衛の近衛局隊員はヴァレリウスが中へ入ったことを確認すると、扉を閉じて廊下へ退いた。
ウェイは大きな執務机の向こうに立っていた。
机の上には複数の報告書と龍門の地図が広げられ、地区ごとの被害状況を示す印が書き込まれている。灰皿には途中まで燃えた葉巻が置かれ、その細い煙が卓上灯の光を受けながら天井へ昇っていた。
「よく来てくれた。今夜の働きには、龍門を代表して礼を述べよう」
ウェイは穏やかな口調で二人を迎えた。
「ドクター、そちらへ座りたまえ。異邦人にも椅子を用意させたいところだが、龍門の家具では些か心許ないようだ」
「配慮には感謝する。このままで構わない」
ヴァレリウスは机から数歩離れた場所で足を止めた。
ドクターは勧められた椅子へ腰を下ろす。ウェイも執務机の向こう側へ座ったが、ヴァレリウスだけは立ったままだった。
形式だけを見れば、都市の統治者が自らの執務室で外部組織の代表を迎えている。しかし、机越しに向き合う二人の間には、青い装甲を纏った巨人が第三の立場として存在していた。
ウェイは葉巻を取り上げたものの、火を点けようとはしなかった。
「二人がこちらへ向かっていることは、チェンから報告を受けている。今夜は互いに時間が惜しい。挨拶はこの程度でよいだろう」
「こちらも、そのつもりで来た」
ドクターが答える。
「それはありがたい」
ウェイは机の上に置かれていた一枚の報告書へ目を落とした。
「まず、龍門の立場を確認させて頂きたい。今夜、市内で活動していた当局の人員が一名、異邦人の部下によって殺害された。また、龍門への襲撃に深く関与しているレユニオン幹部が、当局の許可を得ないまま保護されているという。報告に誤りはあるかね?」
黒蓑という名称も、フロストノヴァの名も使われていなかった。
最初から具体的な事情へ踏み込めば、黒蓑が何をしていたのか、フロストノヴァが何故保護を求めたのかという話を避けられない。ウェイはそれらを口にせず、殺害された龍門側の人員と、保護された敵幹部という二つの事実だけを机上へ置いた。
「私の部下が龍門の人員を殺害したことは否定しない」
ヴァレリウスは間を置かずに答えた。
「アイゼンヴァルトは、投降しようとしていたレユニオン兵と非戦闘員を殺害する一団へ介入した。その過程で攻撃を受け、反撃によって一名を殺した。彼の判断と行動については、指揮を預かる私が責任を負う」
「随分と早く引き受けるものだ」
「部下の行動が問題として扱われる場で、指揮官が背後へ退く理由はない」
ウェイは葉巻を指先でゆっくりと回した。
「その姿勢は評価しよう。だが、責任を負うと宣言することと、龍門の人員を殺害した事実が解消されることは別の問題だ。彼らは近衛局の編制表には記載されていないが、龍門の統治権を預かる者から正規の命令を受けて活動している。異邦人の部下がどのような事情を主張しようと、龍門側の人員へ武力を行使したことに変わりはない」
ウェイは続けてドクターへ視線を向けた。
「そしてロドスは、龍門と協力関係にある組織だ。感染者への治療能力とレユニオンに関する情報を見込み、市内での作戦行動を認めている。しかし、龍門の司法権や統治権まで委ねた覚えはない。襲撃に関与した幹部を独自に匿う行為まで、協定の範囲に含まれるとは考えていないが?」
「匿ってはいない」
ドクターはウェイの使った言葉をそのまま受け入れなかった。
「フロストノヴァと同行者は武器を放棄し、戦闘を停止している。現在は移動と外部への連絡を制限したうえで、負傷者への治療を行っている。ロドスが実施しているのは、武装解除を条件とした保護拘束だ」
「呼び方を変えれば、行為の性質も変わると?」
「扱いを決めるうえで、呼び方は重要だ。匿うのであれば、彼女たちの逃走や再武装を助けることになる。保護拘束なら、危険を管理しながら事情を聴取し、その後の扱いを判断できる」
「その判断を下す権限がロドスにあるのかね?」
ウェイの問いは穏やかだった。
「龍門への襲撃は龍門内部で起きた。被害を受けたのも龍門市民であり、拘束された者を裁く権限も当局に属する。感染者を治療する能力があることと、敵幹部の身柄を当局から留保する権利を持つことは同じではないと、理解して頂きたい」
「理解しているつもりだ」
ドクターは一度だけ頷いた。
「平時であれば、身柄は龍門当局へ引き渡すべきだろう。だが今夜、彼女たちを引き渡そうとしていた相手は近衛局ではなかった。所属を明らかにせず、投降者と負傷者を区別せずに殺害していた部隊だ。その者たちが龍門当局の命令で動いているなら、引き渡しが拘束を意味するとは限らない」
「ロドスが龍門の指示を信用できないと?」
「安全な移送先が確認できない、と言っている」
ドクターは断定を避けたが、意味まで曖昧にはしなかった。
ウェイの指先が止まる。正面から非難すれば、ウェイは主権侵害への反論へ話を戻せる。ドクターは信頼の有無を論じず、拘束後の安全が確認できないという実務上の問題へ言葉を置いた。
「なるほど」
ウェイは短く答え、今度はヴァレリウスを見上げた。
「では、異邦人にも確認しよう。貴官は龍門との協定へ署名していない。ロドスの指揮下にあるわけでもなければ、炎国の法へ服することを宣言したわけでもないだろう。貴官らがどれほど強大な戦力を持とうと、龍門の政策へ介入する法的根拠はロドス以上に乏しい。それでも部下の行動を正当と考えるのかね?」
「法的根拠が乏しいという指摘は正しい」
ヴァレリウスは認めた。
「我々は龍門の市民でも軍人でもなく、汝の統治権から独立した存在だ。故に、汝の法を根拠としてアイゼンヴァルトの行動を正当化するつもりはない」
「では、何を根拠とする?」
「私が彼へ与えた命令だ。フロストノヴァと同行者は、指導者の情報及びレユニオン内部の変化を知る情報源として、一時的な保護を承認されていた。アイゼンヴァルトはその命令に従い、保護対象を殺害しようとした者へ介入した」
「龍門の命令より、貴官の命令を優先したということか」
「彼にとってはそうなる」
ヴァレリウスは一歩も退かなかった。
「ただし、彼は黒蓑へ先に攻撃を加えてはいない。投降者と非戦闘員への殺害を制止し、相手から刃を向けられた後に反撃した。龍門と敵対する意図も、当局の作戦全体を妨害する意図もなかった」
黒蓑という名が初めて室内へ出た。
ウェイの表情は変わらない。だが、指先で回していた葉巻が机の上へ静かに戻された。
「その名を、どこで知った?」
「アイゼンヴァルトが殺害した者の脳組織から、記憶の断片を読み取った」
ウェイの目が僅かに細くなる。
「チェンから聞いてはいたが、信じ難い能力だ」
「汝が信じるか否かで、得られた情報の内容は変わらない」
「……聞かせてもらおう」
「黒蓑はウェイ・イェンウの直轄部隊。近衛局を感染者居住区から撤収させ、避難路を封鎖した後、レユニオンとの関係を問わず、内部にいる感染者を全て排除する命令を受けている。工業地区ではダキールとトゥシャンを足止めし、別働隊がフロストノヴァとスノーデビル小隊を襲撃した」
ヴァレリウスの声が低く響く。
「アイゼンヴァルトが得た記憶だけを根拠としているわけではない。スワイヤーが受信した近衛局撤収命令、各地区で確認された黒装束の行動、フロストノヴァ及びレユニオン残党の証言、ダキールとトゥシャンへの通信妨害を照合した。情報は全て同じ結論を示している」
ウェイは黙って聞いていた。
「もし私の認識に誤りがあるなら、訂正してもらいたい」
ヴァレリウスは問い詰める口調を使わなかった。
否定の余地を与える形を取りながら、その実、ウェイが否定を選んだ場合に説明しなければならない情報を並べている。黒蓑の記憶だけなら、異邦人の特殊能力による誤認として退けることもできただろう。しかし近衛局の命令記録と複数の目撃証言が加われば、それは難しい。
ウェイは椅子の背へ身体を預けた。
「大筋において、誤りはない」
否定はしなかった。
「ならば、次に聞くべきは理由だ」
「随分と順序を重んじるのだな、異邦人」
「命令の是非を論じる前に、何を守るための命令かを知らなければ、損失を比較できない」
ウェイは暫くヴァレリウスを見た後、卓上の地図へ視線を落とした。
「龍門は今夜、組織的な大規模襲撃を受けた。近衛局本部へ敵が侵入し、複数の地区で市民と治安部隊に損害が出ている。レユニオンの主要部隊が退いたとしても、武器を持つ残党は市内に残り、感染者居住区へ流入しつつある」
机の上に広げられた地図には、感染者居住区を囲むように複数の印が置かれていた。
「一般の感染者とレユニオンを短時間で完全に識別することはできない。服を脱ぎ、武器を捨てれば、襲撃へ参加していた者も住民へ紛れ込める。居住区をそのまま残せば、負傷者を治療し、武器を隠し、次の襲撃へ備える再編拠点となるだろう」
ウェイの声には怒りも嫌悪もなかった。
感染者を憎んでいる者の言葉ではなく、都市に残った危険を処理する行政者としての説明だった。
「加えて、炎国中央は龍門の状況を注視している。監察官の派遣も既に決まっている。中央が、龍門には感染者の反乱を抑える能力がないと判断すればどうなると思うかね?」
「……自治権へ介入する」
ドクターが答える。
「その通りだ。龍門は炎国から一定の裁量を認められているが、それは私が結果を示し続ける限りにおいてだ。今夜の襲撃を制御できず、感染者居住区にレユニオンの残党を残したと判断されれば、中央は自らの兵を送り込む理由を得る」
ウェイは地図上の感染者居住区へ指を置いた。
「私が命令を拒めば、感染者が救われると考えるのは早計だろう。龍門の自治権が奪われ、炎国の部隊がより大規模な掃討を行う可能性もある。その時、私には対象を限定することも、被害を龍門内部だけに留めることもできない」
「……故に、自らの手で先に処理する。中央へ、龍門内部の脅威は既に除去されたと示すために」
ヴァレリウスが言った。
「そうすることで、中央が動く理由を失わせることができる」
ウェイは認めた。
「統治者が守るべきものは、一人ひとりの望みだけではない。都市の機能、秩序、経済、周辺国家との関係、そして翌日もここで暮らす大多数の市民だ。今夜助けた者の中から、明日再び武器を取る者が現れた時、その刃に倒れる龍門市民へ誰が責任を負うのか。異邦人、貴官ならば何と答える?」
ヴァレリウスはすぐには答えなかった。
ウェイは道徳の正しさを求めているのではない。感染者を救うという選択に伴う将来の犠牲を、誰の名で引き受けるのかを問うていた。
答えを誤れば、ロドスとアスタルテスは理想を口にするだけの外部者となる。龍門に残り、結果を受け止めるウェイに対して、責任を負わずに判断だけを批判したことになる。
「汝が恐れているのは感染者のみならず、炎国中央とも言えよう。龍門が統治不能と判断されれば汝の地位どころか、この都市が維持してきた自治権が失われる。中央から派遣された者が龍門の事情を理解し、汝と同じ範囲で武力を止める保証もない」
ヴァレリウスはウェイの問いへ直接答えず、静かに口を開いた。
ウェイの視線が動かない。
「自らの命令で粛清を終えれば、少なくとも規模と時間を制御できる。中央へ統制の回復を報告し、龍門の自治と大多数の市民を守ることができるだろう。感染者居住区を犠牲として差し出すことで、都市全体を外部の介入から守る。汝の判断は、そうした計算に基づいている」
「理解できるのだな」
「理解はできる」
ヴァレリウスの返答に、ウェイの表情が僅かに緩んだ。
同意を得たから、というよりは目の前の異邦人が犠牲を命じる統治者を道徳だけで断罪する相手ではないと確認できたためだった。
「ならば、私の立場も理解して頂きたい」
「命令を下した時点では、合理的な判断だったのだろう。だが、現在も同じ判断が最善であるとは限らない。既に前提が崩れている」
ヴァレリウスはそこで一度言葉を切った。
ウェイの目が僅かに細くなる。
「何が変わったというのかね?」
「第一に、黒蓑の行動は秘密ではなくなった」
ヴァレリウスは室内にいる全員が把握している事実を確認するように語った。
「アイゼンヴァルトは黒蓑を殺害し、その記憶から所属と命令を知った。ブレイズは工業地区で彼らの行動を目撃している。チェンとホシグマは報告を聞き、スワイヤーは近衛局撤収命令の不自然さに気づいて記録を残した。フロストノヴァと生存したレユニオン兵も、黒蓑による攻撃を受けている」
ウェイは何も言わなかった。
「秘密裏に感染者を排除し、炎国中央へ統制完了を報告するという手段は、目撃者が存在しないことを前提としていたはずだ。今から彼らを全て沈黙させるのであれば、近衛局の幹部、ロドス、レユニオン残党、そして我々を同時に排除しなければならない」
「脅迫かね?」
「否、現状の確認だ。私はこの情報を炎国中央へ渡すつもりはない。だが、一度複数の組織へ広がった情報を存在しなかったことにはできない」
ウェイは葉巻を手に取り、今度は火を点けた。
先端に赤い光が灯り、最初の煙がゆっくりと吐き出される。
「……続けたまえ」
「第二に、粛清は龍門の指揮系統を破壊する」
ヴァレリウスはウェイの反応を見ながら続けた。
「チェンとホシグマは、自分たちが感染者居住区から撤収した後で何が行われたのかを知った。スワイヤーも上層部の命令へ疑念を抱いている。汝が命令を継続すれば、近衛局の主要な指揮官は龍門を守るための組織が龍門市民の殺害を援助したと考えるだろう」
チェンの名が出た時だけ、ウェイの葉巻を持つ手が僅かに下がった。
「彼らが感情を優先し、命令に背くと?」
「背くか否かは重要ではない。疑念を持ったまま従う者と、命令を信じて従う者は同じ働きをしない。近衛局の忠誠が失われれば、感染者居住区を排除して得られる治安上の利益を上回る損失が生じる」
「忠誠とは、時に理解を求めず命令へ従うことだ」
「戦場では有効だ。だが、都市を統治する組織を長期間維持するなら、命令の正当性へ疑念を抱いた指揮官を使い続けることになる。彼らを排除すれば経験と信頼を失い、残せば内部に亀裂を抱える。どちらを選んでも、近衛局は以前と同じ状態には戻らない」
ウェイは煙を吐き、椅子の背へ身体を預けた。
「第三に、一般感染者をレユニオンと同一視して殺害すれば、現在の脅威を消す代わりに、次の脅威を育てることになる」
「死者が反乱を起こすことはない」
「生存者がいる」
ヴァレリウスは即座に返した。
「感染者居住区の外にも感染者は存在する。龍門を離れた者、黒蓑の包囲から逃れた者、家族や友人を失った者もいる。彼らは龍門がレユニオンの所属を問わず感染者を殺したと知るだろう。その時、龍門は彼らへ一つの結論を教えることになる。武器を捨てても、戦闘へ参加しなくても、感染者である限り殺されるという結論だ」
ウェイの葉巻から灰が落ちた。
「投降によって生き残る余地を失わせれば、次に反乱が起きた時、彼らは最後まで戦う。現在のレユニオンを鎮圧するために、第二のレユニオンへ加わる者を龍門自身が生み出すことになる」
「将来の反乱を恐れ、現在の反乱を残せと?」
「武装した残党の排除を中止しろとは言っていない。一般感染者との識別を放棄することが、長期的にどの程度の損失を生むかを示している」
ヴァレリウスは執務机へ僅かに近づいた。
帝国において、今の彼の理論は異質だ。帝国であれば混沌の汚染を拡大させないために、数兆人が住むハイヴ・シティや惑星を究極浄化により焼き払い、情報の統制を行うことは当然のことである。だが、ここは帝国ではなく異なる倫理感を持つテラ。帝国の理論が通用するとは思っていなかった。
「私は汝が統治者として下した判断そのものを否定していない。必要な情報がなく、中央介入までの猶予も短く、感染者居住区を管理する戦力が存在しなかったなら、私も同じ命令を下した可能性がある」
ドクターが僅かに顔を上げる。
ウェイも葉巻を止め、ヴァレリウスの次の言葉を待った。
「ただし、犠牲を命じる者にはその犠牲が他の手段より確実に優れていると証明する責任がある。現在の命令は短期的な脅威を減らす一方で、近衛局を分裂させ、ロドスとの協力関係を失わせ、感染者の敵意を将来へ残す。秘密裏に実行するという前提まで失われている以上、当初の決定を維持する理由は時間と共に弱体化している」
「貴官は、私が一度下した命令へ固執していると言いたいのかね?」
「命令の目的より命令を維持することが優先され始めているならば、そうなる」
ヴァレリウスの声は穏やかなままだった。
ウェイも表情を崩さない。しかし、二人の間に置かれている論点は既に変化していた。
龍門の主権を侵害した外部者を追及する場から、ウェイの命令が現在も都市を守る手段として有効なのかを検証する場へ移りつつある。
「……興味深い。異邦人は、ロドスとは随分異なる考え方をするようだ」
ウェイはドクターへ視線を移した。
その言葉を聞き、ドクターもウェイを見る。
「ロドスは可能な限り全員を救おうとする。感染者も、投降したレユニオンも、時には自分たちを攻撃した者までだ。ドクター、君がその方針を捨てるとは思っていない」
「捨てるつもりはない」
「だろう。だが、異邦人は同じ理由でここに立っているわけではない」
ウェイはヴァレリウスへ顔を向けた。
「龍門の市民と、龍門を襲った者。そのどちらか一方しか守れないとすれば、貴官はどちらを選ぶ?」
「龍門の市民だ」
ヴァレリウスは即答し、ドクターの肩に僅かな緊張が走った。
ウェイはその反応を見逃さなかった。葉巻を灰皿へ置き、僅かに身を乗り出す。
「ならば、私と貴官の結論はそう遠くないはずだ。レユニオン幹部とその兵を守るために龍門市民を危険へ晒すのであれば、異邦人もまたどちらを切り捨てるべきか理解しているだろう」
「実際に二者択一であるならばな」
ヴァレリウスが続けた。
「今の龍門には、感染者居住区を制圧できる兵力がある。アスタルテスが四名、近衛局と共に行動可能であり、メフィストのアーツによって暴徒化した集団も排除されつつある。負傷者を治療し、感染状態を検査できるロドスがいる。投降者を監視する人員と、一時的に収容する場所も確保できる」
ウェイの視線がドクターへ移る。
「さらに、フロストノヴァはレユニオン内部の指揮系統、指導者の情報、チェルノボーグの現状を知っている。彼女から情報を得れば、残党の識別と投降の呼びかけにも利用できる。救済と防衛を両立させる戦力が既に存在する以上、無差別な殺害を必要な犠牲とは認められない」
ドクターの肩から、先ほど走った緊張が僅かに抜ける。
「私はロドスの理想を無条件に支持しているのではない。その方法が実行可能かを検証し、現時点では粛清より損失が少ないと判断した。もし感染者居住区を制圧する戦力も、投降者を管理する組織も存在しないなら、私の結論も変わっていただろう」
「君はロドスの理想へ現実性を与えるつもりか」
「汝の判断へ、より損失の少ない選択肢を加えるつもりだ」
ウェイは答えず、ドクターを見た。
ドクターは椅子へ座ったまま、机の上の地図を指した。
「感染者居住区の外周警備は近衛局へ担当させる。内部にはロドスのオペレーターと医療班を入れ、住民、投降者、負傷者を分けて一時収容する。レユニオンの武器と装備は全て回収し、所属が確認できる者は住民から隔離する」
「収容先はどうする?」
「感染者居住区に隣接する物流施設を使う。建物の構造と搬入路は、先ほど近衛局から提供された地図で確認した。外周を封鎖すれば、収容区域として転用できる。ロドスから検査機材と医療物資を運び込み、重傷者だけを本艦へ移送する」
「相当な人数になるだろう」
「一度に全員を動かす必要はない、区画ごとに武装解除と検査を進める。近衛局は封鎖と輸送を担当し、内部での選別はロドスが引き受ける。黒蓑は工業地区から撤収させ、武装したまま抵抗を続けるレユニオン残党だけを対象にする」
「……投降を装って内部へ潜り込む者もいると考えられるが?」
「装備や所属、感染状況を記録する。フロストノヴァとスノーデビル小隊は一般の投降者から分離し、常時監視下へ置く。彼女たちから得たレユニオンの部隊情報も照合に使えるだろう」
ドクターの言葉に迷いはなかった。
ウェイは地図上の物流施設を見つめる。
「仮に収容者が脱走し、再び龍門市民へ危害を加えた場合、誰が責任を負う?」
「ロドスの管理に不備があれば、私が負う」
「君一人の命で、失われた市民が戻るわけではない」
「私の命を差し出すという意味ではない。ロドスの人員と資源を使い、失敗した場合の補償も含めて組織として責任を負う。その条件を協定へ追加して構わない」
ウェイはすぐには返答しなかった。
「炎国中央へは、どう説明するつもりかね?」
「中央が求めているのは、感染者の死体ではないはずだ」
ドクターが答える。
「龍門からレユニオンの脅威が除去され、感染者居住区が敵の再編拠点として機能しなくなったという結果だ。武装解除を行い、住民と投降者をロドスの管理区域へ移せば、その条件は満たせる」
「中央が、言葉の違いだけで納得すると?」
「監察官が確認するのは、龍門内部に敵対戦力が残っているかどうかだ。近衛局が外周を管理し、ロドスが内部の感染者を拘束しているなら、龍門の統制は回復している。黒蓑が全員を殺した場合と比べても、中央へ示される結果に大きな違いはない」
ヴァレリウスも地図へ視線を落とした。
「粛清を撤回したと公言する必要はない。黒蓑の当初任務は感染者居住区から龍門への脅威を除去することだったと定義すればよい。武装したレユニオンを排除し残る感染者をロドスの管理下へ移した時点で、その任務は完了する」
ウェイは僅かに眉を上げた。
「任務を中止するのではなく、完了したことにするということか」
「炎国中央が求める結果を満たし、龍門内部では命令撤回による混乱を生じさせない。黒蓑は敗北も撤退もしておらず、以後の処理を専門組織へ移管したことになる」
「随分と、役人に好まれそうな言い回しだ」
「帝国の行政機構にも、事実を損なわずに報告の形を整える技術は存在する」
ウェイの口元へ、ごく薄い笑みが浮かんだ。
それは同意ではなかったが、提案を退ける者の表情でもなかった。
室内に短い沈黙が流れる。窓の外を近衛局の飛行艇が通過し、青白い光が一瞬だけ執務室の壁面を滑った。
「つまり、ドクターは感染者の管理を引き受け、異邦人はその実行に必要な戦力を提供する。近衛局は外周を封鎖し、黒蓑は武装抵抗を続ける残党のみを排除する。中央へは感染者居住区の脅威を除去し、住民を管理区域へ移送したと報告する」
ウェイが一つずつ条件を確認する。
「……その通りだ」
ドクターが答えた。
「レユニオンの幹部――フロストノヴァの身柄はどうする?」
「ロドスの保護拘束下へ置く。近衛局にも黒蓑にも引き渡さない」
「龍門を襲った幹部を当局の手が届かない場所へ置くことになると思うが」
「無論、自由にするわけではない。事情聴取の内容とタルラ及びチェルノボーグに関する情報は龍門へ共有する」
「彼女が虚偽を語った場合は?」
「他の捕虜や偵察情報と照合する。協力を拒み、敵対行動を再開した場合には保護条件を失うことも本人へ伝える」
ウェイはドクターの返答を聞き終えると、再び葉巻を口元へ運んだ。
「悪くない案だ。だが、まだ一つ足りない」
「……何が必要だ?」
「時間だ」
ウェイは窓の外へ目を向けた。
「その計画には部隊の再配置、収容区域の確保、医療物資の搬入、近衛局内部への命令変更が必要となる。夜明けまでに完了できなければ、中央へ対して統制回復を示す機会を失うかもしれない」
ドクターが答えようとした時、執務室の扉が開いた。
外にいた近衛局隊員が制止する声が聞こえたものの、その人物は足を止めなかった。
「緊急事態だ。形式を守っている時間はない」
ケルシーが室内へ入ってくる。
白い外套の裾には夜露と飛行艇の煤が付着し、片手には携帯端末が握られていた。彼女はウェイへ短く視線を向けた後、ドクターとヴァレリウスの間まで歩み寄る。
「……ケルシー?」
「ヴァロクスから偵察報告を受けた。当初の想定を大きく外れている」
ウェイは扉の前に立つ近衛局隊員へ片手を上げた。
「構わない。扉を閉めたまえ」
隊員が従い、再び室内が閉ざされる。
ケルシーは携帯端末を執務机へ置いた。画面に龍門周辺の地図が表示され、その北西方向から伸びる一本の進路予測線が、龍門の外壁へ重なっている。
「チェルノボーグ中枢区画が移動を続けている」
ドクターが画面を覗き込む。
「進路は?」
「龍門だ。チェルノボーグは龍門の移動に合わせ、複数回にわたって進路を修正している。観測誤差を考慮しても、衝突を意図していると判断すべきだろう」
ケルシーは地図を拡大した。
画面にはチェルノボーグが辿った経路と、その都度行われた微細な方向転換が表示されていた。
「都市識別情報はどうなっているのかね」
ウェイが尋ねる。
「ウルサス所属のまま変更されていない。占領を示す信号も、反乱勢力による接収を通知する情報も発信されていない。外部から確認できる限り、龍門へ向かっているのはウルサスの移動都市だ」
ウェイの指が地図の縁へ触れると同時に、ケルシーは別の観測情報を表示した。
「……現在の速度と進路が維持された場合、四十八時間後に龍門の移動経路と接触する。外周のレユニオン部隊は都市を長期間占領するための防御配置を取っていない。主要機関や居住区を守るより、外部から中枢区画へ接近する者を遅滞させる位置へ戦力を置いている。目的は都市の保持というよりは、衝突までの時間を稼ぐことだろう」
「通信状況はどうなっている」
ヴァレリウスが問う。
「長距離通信、または軍用通信に相当する痕跡を検出した。暗号方式までは解析できていないが、これまで確認したレユニオンの装備水準では説明できない。チェルノボーグ内部から外部へ、あるいは外部から内部へ、軍事規格の通信が行われている可能性がある」
誰もすぐには言葉を発しなかった。
ドクター、ヴァレリウス、ウェイの視線が地図上で交わる。
ウルサスの識別情報を維持したまま、龍門へ衝突しようとする移動都市。龍門が衝突を避けるには、チェルノボーグの制御を奪うか、動力機関を破壊しなければならない。どちらを選んでも、龍門の武力がウルサス所属の都市へ行使されたという事実が残る。
「龍門が迎撃すれば……」
ドクターが低く呟く。
「ウルサス領への攻撃として扱われる、か」
ウェイが続けた。
「炎国は自国の移動都市を守るために攻撃したと主張できるだろう。だが、ウルサスがそれを認める必要はない」
「相手が求めているのは衝突というより、龍門にウルサスの都市を攻撃させることだ。都市の衝突を阻止しても、しなくても炎国とウルサスの対立は避けられない。衝突すれば龍門は甚大な損害を受け、迎撃すれば戦争の理由が成立する」
ヴァレリウスの視線が進路予測線へ固定される。
「全面戦争……」
ドクターの言葉が重く室内へ落ち、ウェイは地図を見つめたまま葉巻を灰皿へ押しつけた。
ヴァレリウスの意識には、これまで得られた情報が組み直されていた。
チェルノボーグの占領。
龍門への大規模侵攻。
レユニオン内部で、味方の犠牲を顧みず続けられてきた作戦。
パトリオットとフロストノヴァが抱いた疑念。
そして、タルラの中に巣食う何者か。
「……これで確信した。現在レユニオンを動かしている存在は、タルラという少女とは完全に異なる」
ヴァレリウスが口を開く。
彼の言葉に、ウェイが顔を上げた。
「何を知っている、異邦人」
「フロストノヴァとパトリオット双方の幹部から話を聞いた。現在のタルラは、以前の彼女とは思想も行動も大きく異なる。変化は徐々に生じたものではなく、ある時期を境として明確に現れている。フロストノヴァたちは、タルラの内側に別の何者かが巣食っている可能性を疑っていた」
「その情報を、何故これまで共有しなかった?」
ウェイの声から、それまで保たれていた僅かな余裕が消えた。
「確証がなかったからだ。本人の変化に関する証言だけで、精神干渉、人格の変容、意図的な偽装のいずれかを判断することはできなかった。不確かな推測を事実として伝えれば、以後の判断を誤らせる」
「だが、その推測が正しければ、龍門の防衛計画そのものに関わる情報だろう」
「故にフロストノヴァを保護した」
ヴァレリウスはウェイの非難を受け止めながら答えた。
「彼女はタルラの過去と現在を知り、内部にいる存在の正体を解明するうえで貴重な情報を持つ。黒蓑へ引き渡せばその情報は失われる。今回の偵察結果によって、彼女の証言を再評価する必要が生じた」
ウェイは深く息を吐いた。
「貴官が情報を伏せた理由は理解した。今は、その是非を追及している場合ではないようだ」
「妥当な判断だ」
ウェイは納得しかねる、とばかりにそうに答えたが、それ以上の追及は行わなかった。
ケルシーが地図上に時間表示を追加する。
「四十八時間――それが衝突までに残された時間だ。誤差は数時間程度と考えていい。進路変更が続けば、さらに短くなる可能性もある」
ウェイは腕を組み、チェルノボーグの現在位置を見つめた。
その横顔を、ヴァレリウスは静かに観察していた。
チェルノボーグの意図を理解した時、ウェイが見せた反応は驚きだけではなかった。タルラの内側に別の存在がいると聞いた瞬間、彼の視線には一つの記憶へ辿り着いた者の動きがあった。
「……ウェイ・イェンウ」
「何かね?」
「この手法に心当たりがあるのではないか」
ウェイはヴァレリウスを見た。
「ウルサスの都市を利用し、炎国との戦争を引き起こす。タルラ本人の意志と人格を奪い、周囲にいる者へ変化を悟らせないまま、長期間にわたって行動を誘導する。君は今、その目的だけでなく、実行者へも何らかの連想を得た」
ドクターとケルシーもウェイへ視線を向ける。
ウェイは答えるまでに僅かな時間を置いた。
「心当たりはある」
否定はしなかった。
「だが、それは過去の記憶と、現在得られた情報を結びつけただけの考察だ。人物、あるいは存在の名をこの場で口にするには証拠が足りない。今はチェルノボーグを止めることが先だろう」
「その考察は、後ほど聞かせてもらう」
「……必要であればな」
ウェイは曖昧な返答に留め、執務机の上に置かれた通信端末へ手を伸ばした。
「状況が変わったことは認めよう」
ドクターが彼を見る。
「感染者居住区の処理を続ける余裕はない。近衛局、ロドス、そして異邦人の戦力を、チェルノボーグへの対応へ移す必要がある」
「命令を撤回するか」
ヴァレリウスの問いに、ウェイはすぐには頷かなかった。
「判断の必要性まで撤回するつもりはない。私が命令を下した時点で、感染者居住区は龍門にとって重大な危険だった。今も武装したレユニオンの残党が存在する以上、その評価が完全に誤りだったとは考えていない」
「私も全面的に否定するつもりはない。だが、手段は修正できる」
「そうだ」
ウェイは通信端末を起動した。
「黒蓑へ一般感染者に対する攻撃の中止を命じ、工業地区からも撤収させる。ただし、武装したまま抵抗を続けるレユニオン残党は対象に含める。投降者についてはロドスへ引き渡す」
ドクターが条件を確認する。
「フロストノヴァとスノーデビル小隊は?」
「ロドスの保護拘束下へ置く。近衛局及び黒蓑への引き渡しは求めない。その代わり、彼女から得たタルラ、レユニオン、チェルノボーグに関する情報は、龍門へ全て共有してもらう」
「同意する」
「感染者居住区の住民は、ロドスが一時収容と検査を担当する。近衛局は外周警備、輸送路の確保、武器の回収を行う。収容区域から無断で離脱しようとする者が出た場合は、ロドスだけで処理せず、近衛局へ連絡して頂きたい」
「分かった」
ウェイは端末へ命令文を入力しながら続ける。
「粛清の撤回を公言するつもりはない。黒蓑が命令を拒まれ、ロドスに屈したと受け取られれば炎国中央だけでなく、龍門内部でも不要な動揺を招く」
「黒蓑の当初任務は完了した」
ヴァレリウスが言った。
「感染者居住区から武装勢力を排除し、残る感染者の管理を専門組織へ移管した。以後の任務はレユニオン残党の捜索と、チェルノボーグへの対応となる」
「その表現を採用しよう」
ウェイは僅かに目を細めた。
「中央へは感染者居住区から脅威を排除し、住民をロドスの管理区域へ移送したと報告する。監察官が現地確認を求めた場合、近衛局が外周を管理し、ロドスが内部で検査と隔離を行っている状況を示す」
「虚偽にはならないだろう。脅威は除去され、住民は管理下へ置かれる。中央が感染者の死を目的としていないなら、求める結果は満たせる」
ドクターが答える。
「目的と手段を混同しなければ、そうなるだろう」
ウェイは命令文の送信前に、二人へ最後の確認を行った。
「ドクター。ロドスは、龍門の感染者を一時的に引き受ける。異邦人は必要な戦力を提供し、投降者の管理とチェルノボーグへの対応へ協力する。この理解でよいかね?」
「よい」
「私も同意する」
ヴァレリウスとドクターの同意を確認し、ウェイは送信操作を行った。
黒蓑への新たな命令が、龍門内部の秘匿回線を通じて発信される。執務室へ、短い電子音が響いた。
「これで黒蓑は工業地区から撤収する。命令に従う限り、異邦人の部下との交戦も停止されるだろう」
「アイゼンヴァルトへも伝える」
「一つだけ付け加えておこう」
ウェイはヴァレリウスを見上げた。
「黒蓑を殺害した件が消えたわけではない。今夜は龍門の安全を優先し、追及を保留する。だが、貴官の部下が龍門側の人員へ武力を行使したという記録は残る。理解して頂きたい」
「異論はない。私も彼の行動が全て適切だったと結論したわけではない。調査が必要であれば、状況が収束した後に応じよう」
「結構だ」
両者の間に、完全な和解はなかった。
ウェイは粛清という判断そのものを誤りとは認めず、ヴァレリウスも統治者が犠牲を選ぶ必要性を否定しなかった。変化したのは、現在の状況でその手段を続ける利益が残っているかという評価だけだった。
ドクターの提示した代替案は、ウェイに命令を撤回したという敗北を負わせず、同時にロドスが感染者を救う余地を確保した。ヴァレリウスは両者の間にある理想と現実の隔たりを、戦力と責任の配分によって埋めた。
どの者も、望んだ全てを得たわけではない。
それでも、龍門の統治、感染者の保護、チェルノボーグへの対応という三つの問題を同時に前へ進める形は整った。
その時、ヴァレリウスの兜内部へ秘匿通信の着信が表示された。
「発信者――スキタリ、ヴァロクス。優先度最高」
ヴァレリウスはドクターたちへ片手を上げ、通信を開く。
「こちらヴァレリウス。報告せよ」
『チェルノボーグ周辺の偵察中、新規識別信号を検出。発信地点は、過去に大規模な天災が通過したと推定される区域。地表には源石結晶化及び地形変動の痕跡が残存している』
ヴァロクスの声は秘匿回線を通じ、ヴァレリウスの聴覚へ直接届いている。
「信号の規格は」
『〈帝国〉基準。二系統を確認』
ヴァレリウスの赤いレンズが強く明滅した。
『第一信号はアデプトゥス・アスタルテス所属識別。戦団情報は暗号化されており、現段階では照合不能』
「もう一つは」
通信の向こうで、僅かな機械音が混じった。
『異端審問庁の識別信号と一致』
ヴァレリウスは答えず、数秒間沈黙した。
アスタルテスの信号だけであれば、自分たちと同じように別の兄弟がこの世界へ到達した可能性がある。だが、異端審問庁の識別信号が同じ場所から発せられているとなれば、単なる遭難者とは限らない。
彼らが何を追い、何を知った状態でテラへ現れたのか。
場合によっては、レユニオンや龍門以上に慎重な対応を必要とする。通信中のヴァレリウスの様子を見たケルシーが、彼の傍へ歩み寄った。
「……何が見あった」
ヴァレリウスは秘匿回線を維持したまま答える。
「チェルノボーグ周辺の天災跡地から、〈帝国〉の識別信号が二つ発せられている。一つはアデプトゥス・アスタルテス。もう一つは異端審問庁だ」
ケルシーの表情が僅かに険しくなる。
「君たちがテラへ現れた時にも、周辺では天災が観測されていた」
ケルシーは携帯端末へ、過去の観測記録を呼び出す。
「最初は偶然の可能性を捨てきれなかった。だが、異世界から来た者が確認される度、その付近には大規模な源石反応と天災の痕跡が存在している。今回も同じ現象が起きたなら、両者の関連性は無視できない」
「同意する。天災そのものが転移を引き起こしているのか、転移によって天災が発生しているのかは不明だが、相関は存在すると考えるべきだ」
「信号を発している者と接触するつもりか?」
「相手の所属と目的を確認する必要はある。だが異端審問庁が関与している以上、軽率に接触すべきではない」
ヴァレリウスは通信へ意識を戻す。
「ヴァロクス。現時点では信号源へ接近するな。位置、移動方向、通信頻度を観測し、こちらの存在を悟られない距離を維持しろ」
『了解。受動観測へ移行する』
「チェルノボーグの進路確認を優先しろ。信号源が都市へ接近するか、識別情報に変化があった場合は即時報告せよ」
『命令を受領』
通信が切れる。
ヴァレリウスは暫く沈黙した後、ケルシーへ顔を向けた。
「ロドスへ帰還後、対応を決める必要がある。信号を発しているアスタルテスが味方である保証はなく、異端審問庁の者がこの世界をどのように判断するかも分からない」
「その異端審問庁という組織は、君たちにとっても警戒を必要とする相手なのか?」
「彼らは人類の帝国を内外の脅威から守るため、極めて広範な権限を与えられている。異端、異種族、悪魔、反逆の疑いがあるなら惑星単位で調査と処分を命じる者もいる」
ケルシーはその説明を聞き、僅かに表情を強張らせる。
冷酷という表現すら生温い、残酷な判断を平然と行う組織。ヴァレリウスほどの人間が軽率に関わるべきではないと表現する相手がテラに、しかもこのタイミングに現れたというのは、厄介事に他ならなかった。