龍門から遠く離れたウルサス辺境。正確な位置も、周辺に存在する都市の名も分からない荒野に、二人のアスタルテスが立っていた。
見渡す限り乾ききった大地が続き、黒ずんだ岩盤には幾筋もの亀裂が走っている。その隙間へ灰白色の砂が吹き溜まり、地平線近くには低い山脈らしき影が横たわっていた。上空では厚い雲が渦を巻き、奥で時折、赤紫色の光が明滅していたが、雷鳴は聞こえない。風が荒野を横切る度、細かな砂塵が二人の装甲へぶつかり、乾いた音を立てていた。
一人は、聖なる文字と印章に覆われた銀灰色のパワーアーマーを身に纏っている。胸部装甲には開かれた書物と剣を組み合わせた紋章が刻まれ、肩部と脚部には禍々しい存在を退けるための護符や純潔の証が取りつけられていた。装甲表面へ刻み込まれた祈祷文は細かな傷と煤に汚れながらも、その一節さえ失われてはいない。
両手で構えているのは、長大なネメシス・フォースハルバード。
刃の根元には精神力を増幅する回路が組み込まれ、柄と刃を繋ぐ部分には幾つもの封印が施されている。その切っ先は、対峙するもう一人のアスタルテスの首元へ向けられていた。
グレイナイト戦団第六騎士団所属、ジャスティカールのアカスティアン・ヴェイル。人類の帝国に仇なす悪魔を討ち、ケイオスの存在そのものを銀河から秘匿するために鍛え上げられた、灰色の騎士である。
彼と向かい合っているのもまた、青灰色の装甲を纏ったアスタルテスだった。しかし、その姿から受ける印象は大きく異なっている。パワーアーマーの肩部には狼の頭部を模した紋章が描かれ、腰と肩には巨大な獣の毛皮が掛けられている。胸元には牙や骨から作られた護符が並び、装甲の各所にはフェンリスのルーン文字が刻まれていた。
右手に握られているのは、片刃のパワーアックス。
分厚い刃の周囲では青白い破壊力場が不規則に明滅し、その刃もまた、ヴェイルの頭部を一撃で叩き割れる位置に構えられていた。
スペースウルフ戦団、グレイ・ハンターのハルヴァル・ストーンファング。
二人は互いを殺す寸前の姿勢を保ったまま、目の前の相手よりも周囲の光景へ意識を奪われていた。
「……ここは、どこだ?」
最初に声を発したのはストーンファングだった。兜の音声装置を通した声には、隠しきれない困惑が混じっている。
「貴様らの船には、荒野へ通じる転移装置まで積まれていたのか?」
「戯言を慎め、私にも分からぬ。少なくとも、我が艦の内部ではない」
「見れば分かる!」
ストーンファングの怒声が荒野へ響いたが、その声に応じる者も、遠くから武器を構えて現れる者もいなかった。
二人の記憶は、同じ瞬間で途切れていた。
第一次アルマゲドン戦争の後、生存者の処遇を巡って始まったスペースウルフと異端審問庁の対立は、既に説得や警告だけで収められる段階を過ぎていた。
異端審問庁は、悪魔の存在を目撃した兵士と民間人を潜在的な汚染源と判断した。混沌への知識は、それ自体が人の精神を蝕む。生存者が銀河各地へ散れば、彼らの記憶と共に悪魔の存在も広まり、やがて崇拝、召喚、憑依へ繋がる可能性がある。僅かな慈悲によって惑星規模の災厄が生じるなら、その芽を摘むことが帝国全体を守る唯一の手段となる。
グレイナイトは、その論理を理解していた。彼ら自身、救いようのない汚染を前に、数え切れないほどの命を処断してきた。汚染された都市や連隊を焼き払い、生き残った目撃者へさえ死を以て沈黙を強いた。それは残酷さを望んだためではなく、悪魔の知識が一人から百人へ、百人から一つの世界へ広がる恐ろしさを知っていたからだ。
しかし、スペースウルフは異端審問庁の判断を拒絶した。アルマゲドンで悪魔と戦い、生き延びた兵士と民間人は、帝国を守り抜いた勇敢な戦士である。彼らを汚染の可能性だけで殺す行為は、名誉にも、皇帝へ捧げた忠義にも反すると考えた。
スペースウルフは生存者を逃がし、異端審問庁はその後を追った。逃亡者を匿った惑星にまで追跡の手が伸びて容赦なく浄化の対象となり、やがて艦隊同士の威嚇は実弾の撃ち合いへ変わった。ついには、同じ皇帝の遺伝子から生まれたアスタルテス同士が刃を向け、互いの血を流す事態にまで発展した。
ストーンファングは、異端審問庁の命令に従って逃亡者を追跡していたグレイナイトの艦艇へ乗り込んでいた。艦内各所ではスペースウルフとグレイナイトが交戦し、爆発によって隔壁が崩れ、警報が鳴り響いていた。ヴェイルとストーンファングも、損傷した機関区画へ続く通路で対峙していた。
互いの武器が届く距離へ踏み込み、次の一撃で決着をつけようとした瞬間、艦艇のワープドライブが制御を失った。機関部を覆う防護隔壁が内側から破裂し、通路を白い光が呑み込んだ。ゲラーフィールドの出力低下を知らせる警報、実空間と〈歪み〉の境界が引き裂かれる感覚、そして魂そのものへ食い込んでくる無数の声。それらを最後に二人の意識は途切れ、次に目を覚ました時には、艦内で振り下ろそうとしていた武器を構えたまま、この荒野に立っていた。
互いを敵として認識していながら、それでも最後の一歩だけは踏み込めずにいる。
「斧を下ろせ、ストーンファング」
ヴェイルが告げる。
「先に貴様がその槍を退けろ」
「これはハルバードだ」
「呼び名などどうでもいい! 俺の喉へ刃を向けながら、武器を捨てろと言うつもりか!」
「捨てよとは言っておらぬ。切っ先を外せ」
「貴様が先だ」
二人は暫く動かなかった。互いが騙し討ちを行う可能性を考えていたが、殺し合いを続けるには周囲の状況が異常すぎた。
先に武器を動かしたのはヴェイルだった。ネメシス・フォースハルバードの切っ先をゆっくりと下げ、刃を地面へ向ける。ストーンファングは彼の動きを注視しながら、僅かに遅れてパワーアックスを下ろした。
「これを停戦と受け取るなよ」
「貴様との争いを終えたつもりはない。だが、今は状況の把握を優先せねばならぬ」
「その点だけは同意してやる」
両者は武器を手放さないまま、数歩ずつ距離を取った。
ヴェイルは荒野へ視線を巡らせながら、同時に自らの内側へ意識を向ける。混沌による幻惑、悪魔が作り出した偽りの世界、あるいは精神へ侵入し、記憶を読み取ったうえで構築された牢獄。最初に疑うべき可能性は幾つもあった。
ヴェイルは心中で皇帝の名を唱え、精神の奥深くに刻み込まれた祈祷を繰り返す。装甲に施された防護文字と六芒の護符が、彼の精神力へ呼応して僅かに輝いた。
自らの記憶を確認する。名、階級、所属する騎士団、最後に受けた命令、これまで討ち取った悪魔の真名。そのいずれにも欠落や不自然な繋がりはない。
次に、目の前にいるストーンファングへ意識を向ける。スペースウルフの肉体から、悪魔に憑依された者が発する歪んだ気配は感じ取れない。怒りと猜疑心は剥き出しになっているが、それらは本人の感情であり、外部から植えつけられたものではなかった。
「……何を見ている」
ストーンファングが不快そうに言う。
「貴様が悪魔による偽物である可能性を調べていた」
「それで?」
「少なくとも、今のところは本物と判断してよい」
「当たり前だ! 俺はハルヴァル・ストーンファング、偉大なる狼父レマン・ラスの血を引くフェンリスの戦士だ。悪魔如きが、俺の魂を真似られるものか!」
「その傲慢が憑依を招く。悪魔は己が強いと信じる者ほど好むものだ」
「お前たちは何でも悪魔のせいにしなければ気が済まんのか?」
「悪魔を疑わずに死んだ者を、私は数え切れぬほど見てきた」
「そして疑いすぎた結果、アルマゲドンで戦った勇士まで殺そうとしているわけだ!」
ストーンファングの手が再びパワーアックスの柄を強く握る。
「彼らは逃げ延びた臆病者などではない。アングロンと悪魔の軍勢を相手に立ち向かい、それでも生き残った者たちだ。その勇気へ報いる代わりに、貴様らは銃口を向けた!」
「勇気が汚染を退ける保証にはならぬ」
ヴェイルの声も低くなる。
「一人の記憶から悪魔崇拝が広まり、惑星全体が混沌へ沈んだ例を私は知っている。貴様らは目の前の名誉に囚われ、その者たちが銀河へ運ぶかもしれぬ危険を軽視した。秘密を守る意味も、そのために払われてきた犠牲も理解せず、感情に任せて帝国全体を危険へ晒している」
「帝国を守った者を殺して成り立つ秘密に、どれほどの価値がある!」
「必要とあれば、一つの世界を犠牲として千の世界を救わねばならぬ。それが理解できぬから、貴様らは――」
ヴェイルの言葉が途中で止まった。ストーンファングも何かを言い返そうとしたが、グレイナイトの様子が変わったことに気づき、口を閉じる。
ヴェイルは周囲の大気ではなく、その背後にあるはずの領域へ感覚を伸ばしていた。
彼は生まれながらのサイカーであり、グレイナイトとして鍛え上げられた精神は、常に〈歪み〉の存在を感じ取っている。実空間にいる間でさえ〈歪み〉は消えず、現実の薄皮一枚を隔てた向こう側には、無数の感情と魂、過去と未来の断片が渦巻く荒海が広がっている。訓練を受けていない者には見えずとも、ヴェイルにとっては遠くで鳴り続ける雷鳴に等しかった。
悪魔の声、死者の残響、生者が抱く恐怖と憎悪、星々の間を照らす〈
しかし今は、何もない。
静かという表現さえ正しくなかった。静寂には音が止んだという状態があるが、ここには最初から音という概念そのものが存在しなかったかのように、〈歪み〉の気配が完全に消えている。現実空間の背後にあるはずの無限の領域が、切り取られていた。
「……あり得ぬ」
ヴェイルの口から、僅かに声が漏れる。
「何だ?」
「〈歪み〉が存在せぬ」
ストーンファングが兜を傾けた。
「何を言っている?」
「気配を感じ取れぬという意味ではない。隔てる壁が厚いのでも、何者かによって遮断されているのでもない。ここには〈歪み〉へ繋がるはずの領域がない」
「それなら、悪魔の罠ではないということか?」
「断定はできぬ。だが、悪魔が作り出した領域ならば、その力の痕跡を隠し通すことはできぬはずだ」
ヴェイルはネメシス・フォースハルバードを持ち直し、周囲を警戒しながら歩き始めた。
「貴様も調べよ。臭い、地形、気圧、重力。僅かな異常も見逃すな」
「命令するな、灰色の騎士」
「ならば自分の判断で同じことをせよ」
「最初からそのつもりだ!」
ストーンファングは不満を露わにしながらも、ヴェイルとは反対方向へ数歩進み、フェンリスの戦士が持つ鋭敏な感覚を用いて荒野に残された臭いを探った。
乾いた砂、焼けた金属、遠方から運ばれてくる僅かな鉱物臭。プロメチウムや潤滑油の臭いも残っていたが、それは周囲に散らばる艦艇の残骸から発せられている。血液、汗、呼気、排泄物といった、人間が活動した場所に残る臭いは見つからなかった。
「こちらへ来い」
ストーンファングが呼びかける。
ヴェイルがハルバードを構えたまま声のした方角へ向かうと、浅い窪地の中に巨大な金属片が突き刺さっていた。表面にはグレイナイトの紋章と祈祷文の一部が残り、内側には黒く焼け焦げた配線と隔壁材が露出している。大きさと湾曲から、艦艇外周部の装甲板と思われた。
その周囲にも、機関部の冷却管、六芒の防護印が刻まれた隔壁、焼け落ちた通信装置など、爆発によって引き裂かれた金属片が散乱している。どれもグレイナイトの艦艇から吹き飛ばされたものに間違いないが、大型艦艇の全体が墜落した形跡はなく、残骸の量はあまりにも少なかった。大気圏へ突入したなら残るはずの長い落下痕や、広範囲に及ぶ火災も存在していない。
ヴェイルは装甲片の断面を確認した。
「切断されたのではないな。内部から破裂している」
「俺たちが見た爆発と同じだな」
「ああ。ワープドライブの暴走によって破壊された部位が、我々と共にここへ運ばれたと考えるべきだろう」
「船そのものはどこへ行った? 他の乗員は?」
「分からぬ。それも含めて、判断する材料がない」
ストーンファングは窪地の周辺へ目を向けた。人間の遺体はなく、艦艇の爆発によって吹き飛ばされたのであれば、装甲や設備と共に存在するはずの血液や装備の破片も見当たらない。二人以外の生体反応はなく、地面に残る足跡も彼ら自身のものだけだった。
「俺たちと、この残骸だけが選ばれたというのか」
「選ばれたか、偶然同じ範囲へ巻き込まれたか。判断する材料がない」
「まるで巨人が船の一部を掴み、俺たちごと別の世界へ投げ捨てたようだな」
「根拠のない比喩だが、現状を説明する仮説としては他より劣るとも言い切れぬ」
「お前が素直に認めるとは思わなかったぞ」
「他の仮説も等しく根拠がないだけだ」
ヴェイルは周囲へ散らばる残骸を一つずつ確認し、その途中で装甲片とは異なる光が視界へ入った。
地面の亀裂から、黒く透き通った結晶が突き出している。最も大きなものはアスタルテスの腕ほどの太さがあり、先端へ向かうほど鋭く尖っていた。内部には濃紫の光が脈打つように流れ、時折、細かな粒子が表面から剥がれて風へ舞っている。
結晶は一か所だけに存在しているわけではない。窪地の周辺から荒野の彼方まで、大小様々な結晶が地面へ突き刺さり、艦艇の残骸を貫いて成長しているものもあれば、粉末となって砂へ混じっているものもあった。
ストーンファングが一つへ近づき、左手の装甲で触れようとする。
「触れるな」
ヴェイルが制止した。
「装甲越しだ。俺を何だと思っている」
「正体不明の物質を、装甲が完全に防げる保証はない。まず走査せよ」
「慎重というより臆病だな」
「未知の汚染へ素手を伸ばす行為を勇気とは呼ばぬ」
ストーンファングは鼻を鳴らしながらも手を止めた。
二人の装甲に搭載された走査装置が結晶へ複数の探査波を照射する。鉱物としての構造は確認できたものの、既知の元素と一致しない反応が複数含まれ、内部には通常の鉱物では説明できない高密度のエネルギーが蓄積されていた。微細な粉末からも同様の反応が検出され、装甲の外部センサーは接触を避けるよう警告を表示している。
「……放射性物質か?」
ストーンファングが尋ねる。
「類似する反応はあるが、既知の放射線とは異なる。生体組織へ与える影響も不明だ」
「邪悪な気配は?」
「感じぬ」
「なら、混沌の産物ではないな」
「混沌に属さぬ危険も存在する。結論を急ぐな」
ヴェイルはハルバードの刃先で結晶の周囲にある砂を払い、地面の下にも同質の結晶が伸び、その一部だけが地表へ露出していることを確認した。
「自然に生成されたものか、人工物かも分からぬ。だが、艦艇の残骸より以前からここに存在していた可能性が高い」
「これが生えている世界など、俺は知らん」
「私も知らぬ」
ヴェイルは兜内部の通信装置を起動し、まずグレイナイト戦団の暗号化周波数を開いた。
「こちら第六騎士団ジャスティカール、アカスティアン・ヴェイル。識別符号を送信する。応答せよ」
返答はない。周波数を変更し、戦団艦隊通信、異端審問庁の各通信帯へ順番に信号を送信する。
「周辺の帝国所属の全部隊へ告ぐ。こちらグレイナイト戦団第六騎士団。艦艇喪失に伴い、未知の惑星地表へ孤立した。通信を受信した者は、所属と座標を返答せよ」
雑音すら返ってこなかった。通常、利用可能な通信帯に何も存在しない場合でも、大気や地形による不規則な干渉が混じる。しかし、ここでは周波数の全域が異様なほど静まり返っていた。
ストーンファングも自らの戦団が用いる通信帯を開く。
「こちらハルヴァル・ストーンファング。ファングの戦士に告ぐ。応答しろ。誰でもいい、聞こえているなら位置を知らせろ!」
通信装置は沈黙を保っている。
「ウルフ・ロードへ繋げ! フェンリスでも、近くの艦でも構わん!」
何度呼びかけても、答えはなかった。
「故障か?」
「私の装置も同じ状態だ。二つが同時に故障した可能性は低い」
「なら、通信範囲に帝国の艦も施設もないということだな」
「その可能性が高い」
ヴェイルは自らの装甲が発している救難識別信号を確認した。グレイナイトの存在は一般の帝国軍へ無条件に開示されるものではないため、救難信号には騎士団名を直接示す情報が含まれず、異端審問庁及びオルド・マレウスに属する高位機密の識別符号が使用されている。信号自体は正常に送信され、ストーンファングの装甲からも、アデプトゥス・アスタルテスとスペースウルフ戦団の暗号化識別信号が発信されていたが、どちらへも応答する者はいない。
「通常通信が届かぬなら、別の手段を用いる」
ヴェイルはネメシス・フォースハルバードの石突きを地面へ下ろした。
「何をするつもりだ」
「近隣にサイカー、アストロパス、あるいは同胞が存在するならば、精神交信によって接触を試みる」
「悪魔の気配がないと言ったばかりだろう」
「〈歪み〉を感じ取れぬことと、サイキック能力を行使できぬことが同じとは限らぬ。確認せねばならん」
ヴェイルはハルバードを両手で握り、目を閉じた。装甲へ刻まれた祈祷文が淡い光を放ち始める中、精神を集中させ、現実の背後へ感覚を伸ばしていく。
いつもであれば、意識が〈歪み〉へ触れた瞬間、荒れ狂う力の奔流と無数の囁きが押し寄せる。グレイナイトはそれらを強靭な意志と訓練によって退け、必要な力だけを現実へ引き出す。
今回、ヴェイルの意識へ悪魔の声は届かなかった。怒りも、誘惑も、苦痛もない。それでも、彼の内側から伸びた意志には確かな力が応じ、ネメシス・フォースハルバードの刃へ青白い光が灯った。
周囲の砂が空間の歪みにより僅かに浮き上がり、ヴェイルの身体を中心としてゆっくりと回り始める。装甲の表面に刻まれた防護文字が一つずつ明滅し、兜の周辺では大気が陽炎のように歪んでいた。
サイキック能力は発動している。
ヴェイルは精神の声を広げ、グレイナイトの兄弟、帝国のサイカー、アストロパスへ呼びかけた。どれほど微かな反応でも捉えられるよう、意識を荒野の彼方へ伸ばしていくが、何も応じない。精神の声は広がっているはずなのに、誰かへ届いたという感覚がなく、遠方にある魂へ触れることも、それどころかアストロミカンを見つけることもできなかった。
数秒後、ヴェイルは能力を停止した。浮かび上がっていた砂が地面へ落ち、ハルバードの光も消える。
「どうだった?」
「応答はない」
「だが、力は使えたな」
「……ああ」
ヴェイルは自らの右手を見下ろした。
「〈歪み〉の気配は存在せぬ。それにもかかわらず、私の力は失われていない」
「お前自身の中に残っていた力を使っただけではないのか?」
「サイカーの肉体に無から力を生み出す器官は存在しない。意志を介して〈歪み〉へ接続し、その力を現実へ引き出す。繋がる先が存在せぬなら、能力が発動するはずもない」
「実際には発動した」
「故に、事態が単純ではないのだ」
ヴェイルはハルバードの精神回路を確認したが、悪魔による汚染の痕跡は見つからなかった。装甲の防護印にも異常はなく、サイキック能力の行使によって精神へ侵入された形跡もない。力は正しく彼の意志へ従い、期待した現象を現実へ引き起こしたものの、その力がどこから来たのかを感じ取れなかった。
「何者かが、お前へ偽りの力を与えている可能性は?」
ストーンファングが問う。
「否定はできぬ。だが、悪魔の力ならば必ず痕跡が残る。私の魂にも、武器にも、装甲の護符にも反応はない」
「なら、この結晶が関係しているのかもしれんな」
ストーンファングは地面から突き出した黒い結晶へ視線を向けた。
「力を蓄えているのだろう。お前の頭が、知らぬ間にそれを引き出したのではないか?」
「可能性の一つではある。だが、先ほどの力に結晶と同質の反応は感じ取れなかった」
「感じ取れぬものが多すぎるな、灰色の騎士」
「それだけ、我々の知識が通用せぬ場所にいるということだ」
ヴェイルは上空を見上げた。雲の切れ間から覗く星の配置は、彼の知るどの星域とも一致しない。装甲の航法装置も恒星の位置を照合できず、現在地を示す座標は計算不能の表示を繰り返していた。
「帝国未開拓の惑星である可能性がある」
「銀河のどこかに、〈歪み〉の気配が全くない惑星が存在すると思うのか?」
「通常ならば考えられぬ。たとえ生命の存在しない岩塊であろうと、実空間の背後には〈歪み〉がある。だが、未知の現象によって極端に隔離された惑星であれば、同様の状態が生じる可能性は残る」
「アストロノミカンも見えんのだろう?」
「ああ。〈皇帝の光〉は感じ取れぬ」
ストーンファングは兜の奥で低く唸った。アストロノミカンの光が届かない領域は存在するが、そのような場所であっても〈歪み〉そのものまで消えるわけではない。
帝国の通信も、航法信号も、既知の恒星配置も確認できず、地表には未知の結晶が広がり、グレイナイトの艦艇から千切れた残骸だけが散乱している。
「未開拓惑星というより、俺たちの銀河から外へ放り出されたと考えた方が早いのではないか?」
ストーンファングが口にする。
「証明する手段はない」
「否定する手段もないだろう」
「……その通りだ」
ヴェイルは荒野の地平線へ顔を向けた。
「ここで議論を続けても情報は増えぬ。周辺を捜索する。人間の居住地、道路、通信施設、車両の痕跡を探さねばならん」
「共同で動くつもりか?」
「互いに異なる方向へ進み、通信が途絶したまま孤立するよりはよい。現状が判明するまで、貴様との交戦を一時保留とする」
「まるで自分に決定権があるような言い方だな」
「拒むならば、ここで争いを続けるか?」
ストーンファングはパワーアックスを見下ろした後、鼻を鳴らした。
「いいだろう。だが、アルマゲドンの件を忘れたと思うな。貴様らが異端審問庁の命令で勇士を殺そうとしたことも、逃げ延びた者を匿った世界を焼いたこともだ」
「私も、貴様らの無謀を忘れぬ。必要な秘密を守るために流された血を、名誉という言葉だけで無価値にしたこともな」
「お前たちは尊敬すべき戦士だ、ヴェイル。悪魔を狩り、誰にも知られぬ場所で帝国を守っている。その力と覚悟は認めている」
ストーンファングはヴェイルへパワーアックスの刃を向けた。
「だからこそ理解できん。何故、異端審問庁の犬に成り下がり、命令されるまま無辜の民へ刃を向ける」
ヴェイルの手がハルバードを強く握る。
「我らは犬ではない。異端審問庁が知らぬ脅威を、我らは知っている。誰にも理解されず、憎まれようと、帝国が存続するために必要な務めを果たしているのだ」
「ならば、その務めが正しいかどうかを自分で考えろ」
「貴様こそ、目の前の感情だけで銀河の命運を決めるな」
二人の間に再び険悪な沈黙が生じたが、武器が持ち上がることはなかった。
「……行くぞ」
ヴェイルは先に歩き始める。
「命令するなと言っただろう!」
ストーンファングは怒鳴りながら、その後へ続いた。
それから数時間にわたり、二人は艦艇の残骸が散らばっていた窪地を中心として、徐々に範囲を広げながら荒野の捜索を続けた。
ストーンファングはフェンリスで培った追跡技術を用い、砂の流れや岩の表面へ残された僅かな傷を確認する。ヴェイルも装甲の走査装置を使い、地表の熱源、生体反応、通信波を探ったが、人間の足跡も車両が通過した轍も、人工的に整備された道路も見つからなかった。建造物の残骸や電力設備、採掘跡、投棄された廃棄物さえ存在せず、荒野には人類が活動した痕跡が一切残されていない。
小型動物の足跡らしきものは何度か確認できたものの、地球やフェンリスで知られる生物とは形状が異なり、地中へ潜ったところで消えていた。結晶の周辺では、その痕跡さえ途絶えている。
二人は途中で高い岩山へ登り、周辺を見渡した。地平線まで続く荒野には黒い結晶が点在し、遠方には低い山脈が見える。そのほかには何もなかった。
「本当に、誰もいないのか?」
ストーンファングが呟く。
「少なくとも、通常の走査範囲に人間は存在せぬ」
「なら、どちらへ進む」
「地形だけでは判断できぬ。無作為に歩けば、補給物資を消耗するだけだ」
「ここで待っていても、救援は来ないだろう」
「分かっている」
ヴェイルは岩山の上から荒野を見渡した。サイキック能力を用いれば、通常の走査装置より遥かに広い範囲を探れる可能性があるが、それは相応の危険を伴う。
サイカーが力を行使する度、実空間と〈歪み〉の境界には僅かな影響が生じる。制御を誤れば現実へ傷を残し、悪魔に位置を悟らせる可能性もある。グレイナイトの精神と装備はその危険を可能な限り抑えるために作られているが、完全に消せるわけではない。まして、ここではサイキック能力の源さえ判明しておらず、力を広範囲へ伸ばせば予想もしない現象を引き起こす可能性があった。
「先ほどから、その槍を見て黙り込んでいるな」
ストーンファングが声をかける。
「サイキック能力を用いれば、より広い範囲を捜索できる」
「なら使え」
「危険性を理解しているのか?」
「人の痕跡も見つからぬ荒野で、方向も決めずに歩き続けるよりはましだろう。それとも、異端審問庁の許可がなければ力も使えんのか?」
「挑発は不要だ」
ヴェイルは岩山の平らな場所へ移動し、ネメシス・フォースハルバードを地面へ突き立てた。
「私が能力を行使している間、周囲を警戒せよ。異常を感じた場合は呼び戻せ。私が応じぬ時は――」
「斧で殴れと言うのだろう?」
「――頭部を狙え。躊躇するな」
ストーンファングは一瞬黙った後、パワーアックスを肩へ担いだ。
「そこまで言うなら見張ってやる。悪魔が出てきた時は、お前ごと叩き割るぞ」
「それでよい」
ヴェイルは片膝をつき、ハルバードの柄を両手で握った。兜内部で祈祷文を唱えながら呼吸を整えると、装甲に刻まれた聖句が青白く輝き、純潔の証が周囲へ流れる風に揺れた。
意識の門を開いたヴェイルが最初に感じたのは、先ほどと同じ完全な空白だった。〈歪み〉の潮流も、死者の残響も、悪魔の囁きも、アストロノミカンの光もない。それでも彼が意志を伸ばすと力は再び応じ、精神は肉体の外へ広がって岩山を越え、荒野を渡っていった。
最初に触れたのは砂と岩、地中へ広がる未知の結晶、風に運ばれる微細な生物だけだった。さらに範囲を広げると、点のような生命の気配が幾つか現れる。小型の獣、地中に潜む虫、遠方を飛ぶ生物。どれも人間ではない。
ヴェイルは探索範囲を広げ続けた。力を遠くへ伸ばす度、兜の内側へ警告が表示され、心拍数と体温が上昇してハルバードの精神回路へ過剰な負荷が加わり始めたが、それでも停止しなかった。
数十キロメートル、百キロメートル。
通常の精神探査であれば、〈歪み〉の乱流と無数の感情によって、個々の魂を識別することは困難になる距離だ。しかし、ここにはその雑音が存在せず、静まり返った暗闇の中で生命の気配だけが微かな灯火として浮かび上がってくる。
そしてヴェイルは、遥か彼方に集まる膨大な数の魂を見つけた。
一人や二人どころではない。数百、数千、さらにその先。あまりにも密集しているため、個々の魂を数えることができない。恐怖、怒り、悲嘆、希望、苦痛。無数の感情が重なり、巨大な一つの光のように感じられる。
都市規模の人口が、全て同じ方向へ、同じ速度で移動していた。
軍隊の行進とは異なり、先頭と最後尾に速度差がない。数万に及ぶ生命が、一つの巨大な物体へ乗せられたように進んでいる。
その周辺にも、別の異常があった。魂の多くは人間に近いが、ヴェイルが知る人類とは細部が異なっている。精神の輪郭には獣を思わせる特徴が混じり、身体の内部へは荒野に広がる結晶と同質の反応が食い込んでいる者もいた。汚染を受けた魂の中には苦痛が染みつき、結晶の侵食が進んだ者ほど精神の光も不安定に揺れている。
それでも、混沌の腐敗とは違う。悪魔の爪痕も、四大神の印も、〈歪み〉の寄生もない。ヴェイルの知識に存在しない形で、肉体と魂が未知の物質へ侵されていた。
さらに意識を集中させると、移動する魂の群れを運ぶ何かがあまりにも巨大であることが分かった。城壁、建造物、動力機関を一つの基盤へ載せ、荒野そのものを踏み越えて移動する都市。その行く先にも、別の巨大な生命の集まりが存在する。
ヴェイルがさらに遠くへ意識を伸ばそうとした時、鋭い痛みが頭蓋の内側へ走った。ハルバードの回路が限界へ近づき、装甲へ刻まれた護符が強く明滅する。
「――イル、ヴェイル!」
ストーンファングの声が、遠くから響く。
「戻れ! お前の鎧が燃えかけているぞ!」
その声によって現実へ引き戻されたヴェイルは、意識を一気に収束させ、岩山の上にある肉体へ戻った。
ハルバードの刃から青白い光が弾け、周囲へ短い衝撃波が走る。地面に積もっていた砂が円形に吹き飛び、近くに立っていたストーンファングの毛皮が大きく揺れた。ヴェイルは片膝をついたまま、荒い呼吸を繰り返す。
「何を見つけた?」
ストーンファングが尋ねる。
「生命だ」
「人間か?」
「人間に近い。だが、我々の知る人類とは異なる特徴を持つ者が多い」
「数は?」
「数えることはできぬ。都市一つに相当する数が集まっている」
ヴェイルは立ち上がり、生命の集まりを感じた方角へ顔を向けた。
「そして、その都市は移動している」
「都市が?」
「数万の魂が同じ速度で移動していた。巨大な構造物へ都市全体を載せ、荒野を進んでいると考えれば説明できる」
ストーンファングは暫く黙った後、パワーアックスを握り直した。
「……グリーンスキンの移動要塞ではないのか?」
「違う」
「何故そう言い切れる」
「グリーンスキンであれば、あれほどの集団が発する精神的な圧力を見誤ることはない。奴らが集まれば、粗暴な意志が互いへ影響し、〈歪み〉へ特有の波を生む。私が感じた魂の大部分は、人間に近かった」
「グリーンスキンに奴隷として捕まった人間かもしれん」
「それならば、支配しているグリーンスキンの魂も存在するはずだ。該当する反応は見つからなかった」
「なら、人間が都市を動かしているというのか」
「その可能性が高い。ただし、様子がおかしい」
「何がだ」
「住民の多くが、あの結晶に侵されている」
ヴェイルは荒野へ突き出した黒い結晶を指した。
「肉体の一部へ結晶が入り込み、魂にまで苦痛の痕跡を残していた。だが、混沌の汚染ではない。精神を蝕まれながらも、悪魔へ繋がる気配が存在せぬ」
「未知の病か?」
「分からぬ。さらに、都市は別の巨大な生命の集まりへ向かっている。二つが接触すれば何が起きるかまでは読み取れなかった」
「それでも、向かう先が見つかっただけましだな」
ストーンファングは岩山を下りる方角を確認する。
「その動く都市まで、どれくらいかかる?」
「正確な距離は不明だ。徒歩ならば数日以上を要する可能性がある」
「なら急ぐぞ。ここで結晶を眺めていても腹は満たせん」
「待て」
ヴェイルが片手を上げたのとほぼ同時に、ストーンファングの兜内部にも警告音が響いた。二人の装甲に搭載された走査装置が、上空から接近する物体を捉えている。
ヴェイルとストーンファングは即座に武器を構え、互いに背中を預ける形で周囲を見渡した。
「方角は?」
「南東、高度およそ四千。急速接近中だ」
ヴェイルが兜の視覚装置を拡大すると、厚い雲の向こうに微かな熱源が見えた。通常の航空機より遥かに大きく、機体後方から高出力の推進反応を放っている。形状情報の解析が進むにつれ、見覚えのある輪郭が表示された。
「航空機だ」
「敵か?」
「識別信号を受信している」
二人の通信装置へ、暗号化された符号が届いた。荒野に降り立ってから初めて受信した、明確な人工信号。
帝国基準のアデプトゥス・アスタルテスが使用する軍用識別符号。
ヴェイルは受信した暗号を、自らの装甲に保存されている戦団識別情報と照合する。
「機種、サンダーホーク」
「戦団は?」
ストーンファングが急かす。
照合結果が兜内部へ表示された。
「……サラマンダー戦団」
「ヴァルカンの息子たちか!」
ストーンファングの声に、初めて安堵が混じった。
「少なくとも、異端審問庁の連中よりは話が通じる連中だろう」
「油断するな。識別信号が本物である保証はない」
「この状況で、サラマンダーの信号を偽装して俺たちへ近づく奴がいるのか?」
「その問いへ答える情報を、我々は何一つ持っておらぬ。武器を下ろすな」
「言われるまでもない!」
二人は岩山の上で間隔を開け、接近する機体を迎えられる位置へ移動した。
雲の中から、重い機影が姿を現す。広い主翼、分厚い装甲に覆われた機首、機体下部と翼へ取りつけられた武装。それは紛れもなく、スペースマリーンが惑星降下と近接航空支援へ使用するサンダーホークだった。
しかし、ヴェイルの視覚装置は幾つかの異常を捉えていた。機体の一部にはサラマンダー戦団のものと一致しない改修が施されている。装甲表面にも複数の損傷が残り、異なる環境で長時間運用されてきたことを示していた。
「サラマンダーの機体にしては、随分と手が加えられているな」
ストーンファングも異常へ気づいたらしい。
「操縦者がサラマンダーであるとは限らぬ」
「なら、確かめればいい」
ストーンファングはパワーアックスを肩へ担いだ。
「敵なら叩き落とす。味方なら、酒と説明を要求する」
「順序を誤るな。先に所属と目的を確認せよ」
「お前は何でも確認から入るな」
「貴様が確認を怠るから、誰かが行わねばならぬのだ」
「数時間一緒にいただけで、俺を理解したつもりか?」
「数分で十分だった」
「貴様……!」
ストーンファングがヴェイルへ向き直りかけた、その時、サンダーホークが大きく機首を下げた。推進器の轟音が遅れて荒野へ届き、地面の砂が震え、黒い結晶の表面へ橙色の光が走った。機体は二人の位置を正確に把握しているらしく、旋回しながら高度を下げてくる。
二人の通信装置へ再びサラマンダー戦団の識別信号が届き、それと同時に別の暗号化された通信要求が表示された。
ストーンファングはパワーアックスを構え直し、ヴェイルはネメシス・フォースハルバードへ精神力を流し込む。
灰色の騎士と、フェンリスの狼。数時間前まで互いの命を奪おうとしていた二人は、未知の荒野で初めて現れた〈帝国〉の機体を前に、並んで武器を構えていた。
サンダーホークは荒野の上空で旋回を終えると、二人へ向けてゆっくりと接近を始めた。
アーツに比べるとサイキック能力ってとんでもなく危険な代物なんですよね。サイキックを行使した瞬間、歪みの空間の中で一際大きな光を放ち、ほぼ確実に悪魔達にその存在を悟られる――最悪の場合は力が暴走して現実に亀裂が入り、悪魔達が現実世界に侵入してくるとか洒落にならなすぎる……