fragments of “HEART”   作:ladybug

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Polaris

 

 ドフラミンゴは昔から理解できなかった。

 力で押さえつけないこと。権威を振り翳さないこと。富を貪らないこと。

 もっと簡単な方法があり実行する力もあるのに、頑なに違う道を選ぶこと。

 

 自覚こそしていなかったものの、子どもながらに根っからの悪党であったドフラミンゴにとって、ボスの行動は不可解なものが多かった。

 

 済し崩しにファミリー入りした少年、ドフラミンゴ。

 元天竜人という明らかな災禍の種に対し、“ボス”トラファルガー・ローは一片の興味も示さなかった。

 否、正確に言えば違う。何を指示するでもなく、教え込むでもない。ただ、彼自身の傍にいることだけを許したのだ。

 後から思うに、それは元天竜人という出自へ強い関心を示したトレーボルから、ドフラミンゴを引き離すための一時措置だったのだろう。

 しかし、ドフラミンゴ本人にとってその時間は救いに他ならなかった。

 

 当たり前に身の安全が保障されていた日々は遠く、今や全てが敵。

 そんな世界にあって、圧倒的な存在の庇護下にいる。日々、その安堵を実感できるのだから。

 

「なァ、ボス」

「なんだ」

「どうしてあいつらを使わない? 治療したのは支配するためだえ?」

 

 ボスに助けられたにもかかわらず、噛み付いてくる孤児グループのリーダー。無償の信頼など知る由もない子どもに対し、ボスは淡々と仕事の依頼をする。

 孤児らは体よく使われる覚悟をもっていた。

 しかし、ボスはある程度の自立を見届けた時点で彼らの前を去ってしまうのだ。

 

「おい、ボス」

「どうした」

「どうして殺さない? 馬鹿が生き残ると面倒くさいえ」

 

 ボスは時折、独裁者の逃亡を秘密裏に助ける。

 滅多に人前に姿を現さないとは言え、政変を引き起こす側の頭領であるボス。彼が自らの足を引っ張りかねない愚策を取るのが不思議だった。

 しかも、大抵の場合、ボスが助けた独裁者は、逃げ延びた先で民衆の手にかかり死ぬのだ。

 独裁者を下した功績は全て民衆のものとなり、そのたびに英雄が生まれた。

 一連の流れを知るドフラミンゴにしてみれば、立派な成果の横取りである。

 

「なァ、なんでだえ」

「それは質問か」

「質問以外に何かあるのかえ?」

 

 ファミリーにしろ他所の人間にしろ、幼い被差別者のドフラミンゴにとっては誰もが敵。どこに行っても恐ろしいこの世界の中で唯一息を潜めずに居られる場所がボスの足下だった。

 服の裾を引き質問を繰り返すドフラミンゴに対し、ボスは無視をすることなく答える。

 わざわざしゃがみ込んで視線を合わせるものだから、金の瞳が間近で瞬いて眩しく感じることすらあった。

 

 ボス曰く、『わざわざ自身が支配する必要はない』ため助けた人間は放置するし、『わざわざ自身が殺す必要はない』ため手に掛けない。

 矢面に立つのは別の人間が適している。

 懐柔と殺害は確かに手っ取り早いが、それでも時間を浪費する。

 善悪の認識を歪ませることが出来ればそれでいい。

 

 ボスは淡々と答え、必ずこう問うた。

 

「お前はどう考える?」

 

 どう考えるも何も、恐怖による支配や殺戮の方が世界を壊すには楽だ。

 

 ドフラミンゴの質問はいつしか進言の色を帯び、ボスも時折その案の一部を取り入れるようになった。

 それでも周りくどい手法は変わらなかったのだが。

 

「ボス」

「どうかしたか」

「そいつ、助けるのかえ? 何の役にも立たないのに無駄だえ」

 

 ある日のこと。ドフラミンゴはファミリーの面々から睨まれつつもボスの後をついて回っていた。

 見るからに再起不能となった反乱軍の将を黙々と治療するボスを見上げ、ドフラミンゴはいつものごとく声を上げる。

 

「……お前、言葉には気をつけろよ」

 

 常はこんこんと説明してくれるボスも、治療中は処置優先だったのだろう。

 一瞥もくれずに放たれた警告は冷えた声と相まって恐怖を呼び、出過ぎた真似をしたのだと勘違いしたドフラミンゴは数日黙り塞ぎ込んでいた。

 

「おい、お前」

「…………」

「どうした。何があった」

「────な、なんだえ……何もしてないしまだ何も言ってないえ」

「いや、だから訊いたんだろ。どうして黙ってる。いつもはもっと話してねェか?」

「何でって」

 

 互いに首を傾げ合う二人だったが、生憎傍にはファミリーの面々がおらず会話のサポートは入らない。

 

「何でって、そりゃ────」

 

 ボスが手にしたランプ。ふと目にした光は炎によるものだ。

 最近は随分と落ち着いたというのに、ゆらゆらと頼りなく揺れる小さな火に背筋が凍る。

 しかし、話したいという思いが優った。

 ボス、そして炎から感じる恐怖をおして前へ踏み出したドフラミンゴは、震える足を地面に叩きつけて叫ぶ。

 

「お前が黙れって言ったんだえ!」

「そんなこと言ったか? 覚えがない。いつだ?」

「言った! ちょっと前、『言葉には気をつけろ』って怒ったえ!」

「ああ、あれか」

 

 得心がいったのか、ボスが頷く。

 表情が変わらない分、声色や視線の変化を読もうと神経を尖らせていると、ボスはいつものようにしゃがみ込んだ。

 

「あれはそういう意味じゃない。それに、怒ってもいない」

「…………」

「拠点内ならまだ構わねェ。だが、外では口調に気をつけろ。目立つ」

「くちょう……?」

「故郷の言葉だってのは分かるが、生きるためにはある程度周りに倣う方がいい」

 

 つまり、あの時のボスは『黙れ』と叱っていたわけではない。天竜人訛りを控えろと言っただけだったのだ。

 勘違いに気付き赤面で口をへの字にしたドフラミンゴを見つめ、ボスは僅かに目を細める。

 馬鹿にされたのだと思い、ドフラミンゴは地団駄を踏んで睨み付けた。

 

「なら、もっと分かりやすく言え!」

「悪かったな」

「ぐ、うう! ボスが簡単に謝るな!」

「……どうしろと」

 

 何故、そんなに平然としているのだろうか。

 羞恥と苛立ちが込み上げ、ドフラミンゴの顔は真っ赤になっていた。

 

「頭なんか下げるんじゃねェ、ボスならしっかり命令しろ! 勘違い野郎にのさばられたらどうするんだ! 大体、いつもの手緩いやり方だって足元危なくさせるだけじゃねェか!」

 

 数日黙っていた反動か、怒涛の文句を繰り広げるドフラミンゴ。肩で息をする少年を見つめたボスは、しばらく黙った後、しみじみと呟く。

 

「お前、すごいな」

「はァ? 何がだよ!」

「言われたばかりで、もう口調に気を付けてるのか。難しいだろうに」

「……難しくなんてねェ。言葉なんて簡単だ」

「違う。気持ちの面だ。思うところなんていくらでもあるだろ。お前はそれを抑えてる。それに、いつも疑問を捨て置かずに解消して、すぐさま対策を考えるじゃねェか」

 

 訥々と語る言葉には嘘がない。

 

 元天竜人であるドフラミンゴにとって賞賛は日常茶飯だった。

 だが、後から思えば、過去の賛辞には中身がなかった。

 彼らはドフラミンゴではなく、天竜人という過去から続く威光を讃えていただけ。それは媚びへつらいともまた違う、自動的に吐き出されるだけの虚言だ。

 

 だが、目の前の男は違う。

 何かが違うのだ。

 

 ボスが囁く。

 

「お前は賢く、強い。生きる力がある」

 

 それは静かで、装飾のない評価だった。

 

 ドフラミンゴは再び口を引き結ぶ。

 俯き、眉根を寄せた。

 心の中で、これまで少しずつ積み重なっていた思いがじわじわと形を取り始める。

 

 それは。

 それは、いつも、お前が。

 

「────お前が、言ったから」

 

 話を聞いて何を考えたか話せと、ボスは言う。

 だから、いつだってドフラミンゴは考えた。そして、いつしか、質問の前に自分なりの考えをまとめるようになっていた。

 ボスは理由を述べた後、ドフラミンゴの意見を聞いてくれるのだ。

 

 置いて行かない。否定しない。妙に憐れんだりしない。妬まない。

 反論しても責めたり謗ったりせず、それでいて言いなりになりもしない。

 

 一緒に見ようとしてくれる。

 ドフラミンゴを見てくれる。

 目の前にいて、応えてくれる。

 

 それだけで。

 それだけが。

 

 感じたことのない感覚がドフラミンゴの身体を熱くさせた。

 痺れるような、浮つくような、どこか何かが満たされるような、妙な感覚。それに手を引かれるように、ドフラミンゴは呟く。

 

「お前がそうしろって言うなら、おれは何だって」

 

 袖の裾を掴み、消え入る寸前の声で伝えれば、ボスは再び目を細めた。

 

「そうか」

 

 返ってきたのは短く素気無い答え。

 ボスはランプを地面へと置いた。そして、ドフラミンゴの肩へと手を伸ばす。

 

 何を命じられるのだろう。

 

 不思議な高揚感と共に顔を上げれば、ボスは普段通りの無表情のまま告げた。

 

「おれはお前に何も望まない」

「────え」

「いや、違うな。どこか悪くしたら隠さず早めに言え。あと、おれのいる時だけでもいいからファミリーにももう少し近付いてみろ。あいつらにも聞きたいことがあるなら遠慮なく聞け」

「え、え? な、なんだ、それ」

「お前には自分で考える力がある。おれの言いなりになろうとするな」

 

 拒絶された。

 いらないと、言われた。

 

 そう思った。

 

 この男に嫌われたらファミリーにいられない。明日にでも追い出されるだろう。

 元天竜人という厄ネタを傍に置く理由など、強者の道楽以外の何物でもないのだから。

 

 ドフラミンゴは硬く目を閉じた。

 焦りと緊張に冷えていく指先に力を籠める。だが、それ以上は逆らえず、口を曲げてこみ上げるものを堪えていた。

 

「……また、勘違いさせたか」

 

 独り言のような呟きが耳を打つ。同時に肩を支える指に力が入った。

 見えたのは至近距離で瞬く金の瞳。

 そこに微かな熱が灯る。

 

「言い方を変える。おれだけに構うな。色んなものを見て、お前の考えを聞かせてくれ。その方が助かる」

「たすかる……ボスが?」

「そうだ」

 

 捨てられるわけではない。

 遅れて理解して、それから何か言わなければと思った。

 ドフラミンゴは俯き、吐き捨てるように呟く。

 

「……おれはお前を助けたいわけじゃねェ。おれも世界を壊したい。それだけだ」

「そうか。なら、いい」

 

 静かな声が応え、肩を支えていた手が離れた。

 急に寒さを感じ、ドフラミンゴはふるりと震える。

 

 何となく動けずにいると、ボスはドフラミンゴを片腕で抱えあげ、こともなげに立ち上がった。

 

「そろそろ帰るぞ。無闇に外を彷徨くとトレーボルがうるさい」

「一人で歩ける」

「分かってる。おれが急ぎたいだけだ。我慢しろ」

「……それなら仕方ねェが、せめて背負ってくれねェか。恥ずかしい」

 

 体勢を変えろと文句をつければ、ボスは特に嫌がる素振りも見せずドフラミンゴを背負う。

 ほっとした。

 赤い顔に気付かれたくない。

 

 帰る。

 そう言われた瞬間、自覚した。

 

 これはきっと『喜び』。

 ドフラミンゴはただ、嬉しかったのだ。

 

 空を見上げれば星。

 深海の底のような暗い世界に散る、手の届かない光。かつては眼前に溢れかえる財で目が眩み見えなかった淡い輝き。

 

 ボスにどこか似ている。

 届かない。触らせてもくれないくせに、ただそこにある金の光。

 

 ボスの背中に身を預けて揺さぶられる内、ふと気付いてドフラミンゴは声を上げた。

 

「待て。アジトに帰るだけなら、ボスの能力で飛べばいいじゃねェか」

「体力を消耗する。歩ける時は歩く方がいい。それにたまには鍛えるべきだ。身体は資本だからな」

「不健康そうな面してよく言う」

「よく言われる」

「!? 言った奴殺したか!?」

「さあな」

 

 廃墟にヒールの音が響く。

 

 石畳は血に濡れ、硝煙と鉄錆の匂いが鼻をついた。倒れ伏す無数の死体を足蹴にボスは進む。

 つい数瞬前まで生きていた命。それはトラファルガー・ローと歩みを違えた者達の末路だった。

 

 先日ボスが治療を施した反乱軍の将。将の戦線復帰が絶望的と考えた反乱軍は新たな旗印を掲げる過程で分裂し、ついには漸進派と急進派に二極化し内紛を起こすに至る。

 ボスは平定に向かおうとするファミリーきっての武闘派ディアマンテを制止。

 人員半減程度なら許容範囲だとし、漸進派の掃滅を提案した。国軍を装って夜襲し、遺される急進派を焚き付ける材料にするというのだ。

 ご丁寧にも現場に国軍兵士の死体を紛れ込ませる力技の策略である。

 

 ちなみに、ドフラミンゴは特に何もしていない。

 そもそも、この掃滅作戦はファミリー内でも一部の者にしか開示されず、ボスとて表向きは対立調整のために出向いている。

 子どもを連れている方が警戒心も弱まるだろうと、カモフラージュの道具に抜擢されたのがドフラミンゴというだけの話だ。

 コラソンだけは何か思わしげな様子であったが、結局反駁することはなかった。

 

 殺し方でファミリーの関与が露呈せぬよう、単身かつ能力を使用せずの殲滅作戦。

 今、ボスは何食わぬ顔で殺戮をこなし、ドフラミンゴと共に帰路に着いている。

 

 初めて出会った日と同じく、血を共連れに二人は歩き続ける。

 

 夜の暗さも相まって互いの顔が見えないため、余計に何を考えているか分からない。

 ランプも炎そのものは見えず、光だけが行先を照らしていた。

 ドフラミンゴを背負いなおし、ボスが呟く。

 

「ありがとうな」

「なにが」

「おれに応えようとしてるだろ、お前。おれはお前に何も望まねェが、気持ちは貰っとく。ありがとう」

「なんだ、それ。役に立たねェからってバカにしやがって。嫌味か」

「何でそうなる」

 

 相も変わらず冷えた声。それでも今ここに嘘がないことだけは分かる、そんな声。

 

 こんな人間は知らない。

 見たことがない。

 だが、この声は心地いい。

 謝られるより、ずっといい。

 

「ふん、期待してろ……いつかおれが」

 

 いつかかならず、ボスの想像もつかないほど強くなって支え、驚かせてやる。

 ドフラミンゴはそう心に誓った。

 

 ここ数日気を張っていたためだろうか。

 急に睡魔が襲ってくる。

 眠気に抗えずドフラミンゴが舟をこぎ始めた時、前方で光が揺れた。

 

「お兄様、ドフィ! 怪我は?」

 

 駆け寄ってきたのはコラソンだった。

 ドフラミンゴは殆ど眠っているような心地で、瞼の隙間からのぞく光景を眺める。

 

「ラミ、どうしてアジトから出た」

「どうしても何も、心配だったからに決まってるじゃない……」

「問題ない。お前こそ、こんな夜更に一人で出歩くな」

 

 淡々と応えるボスに対し、並び歩くコラソンはどこか思わしげな顔で彼を見ていた。

 何故だろうか。

 心配だけではない。不安、焦燥、あるいは恐怖。そんなものが滲んでいるようにも思えた。

 少なくとも、ただ兄を心配しているようには見えない。

 

 ほんの一瞬、コラソンと目が合う。

 彼女は何故か泣きそうな顔でドフラミンゴを見つめ、すぐに視線を逸らしてしまった。

 

 その表情の理由を探る間も無く、ドフラミンゴの思考に靄がかかり始める。

 抵抗することもなく、ドフラミンゴは眠りの中へと落ちていった。

 

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