fragments of “HEART”   作:ladybug

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わたしはだあれ
あなたは本当にあなたなの?



迷い辻

 

 少年の名乗りを聞いたその時、コラソンは強い危機感を覚えた。

 

 トレーボルがふと漏らした計画。兄トラファルガー・ローが描く世界転覆の絵図。

 その鍵となるのは元天竜人の少年だという。

 

 ドンキホーテ・ドフラミンゴ。

 まだ何も知らない、真っ白な子ども。

 そのようにしか見えない。

 

 無垢な子どもを利用して、何をしようと言うのだろうか。

 

 兄は何を考えているのか分からない。

 破壊衝動に身を任せているなら分かる。海兵となって以来、コラソンはそんな人間を幾人も見てきた。

 憎しみを募らせているならまだ理解もできる。故郷をなくしたのだ。行き場のない思いはコラソン自身の内にもあった。

 だが、兄は違う。今の彼にはそういった情動のようなものが全くない。

 行動という行動から意志らしきものが抜け落ち、死滅してしまって見えるのだ。

 

 トラファルガー・ローは人を人形のように操り、指先一つで国を潰し、影のように死に寄り添う。

 富を享受するでもなく、破壊を尊ぶわけでもない。ただ義務で壊し、義務で殺す。彼の歩みからは人間性というものが失われていた。

 孤児や貧困者を慮る表情は非の打ち所ない聖人そのもの。そのくせ、アジトに戻れば死者のように濁った眼で遠くを見据え、次の破壊を指示する。

 父母譲りの医療技術は冴え渡り、多くを救う裏で的確に人を殺め続ける。

 全てが嘘、偽り。善悪何もかもが真似事で、そのどれにも心がない。

 

 この人は、本当に兄なのだろうか。

 

 コラソンは目を閉じる。

 握りしめるのは思い出のペンダント。

 兄の形見。

 そう、形見だ。

 あの時、優しい兄は死んだ。炎にまかれ死んでしまった。

 今、目の前にいるのは屍。死を纏うバケモノ。

 妄執が兄の屍を動かしているのだ。

 

 心からそう思い込めたならば、どれほど幸せだっただろう。

 

「どうした、コラソン」

「何でもないわ。はい、これ。子どもたちからお兄様にって」

 

 振り返った先で佇んでいた兄へ、孤児院の子どもから預かった贈り物を手渡す。

 贈り物は沢山の手紙。その他、まだ字が書けない子どもからは花輪にきれいな石。

 屍や悪党にとってはただのゴミであろうそれを兄は受け取った。

 この場にいるのは兄妹二人きり。偽る必要などないというのに、その眼差しは柔らかく唇は微かに笑んでいる。

 

「お前、孤児院めぐりだけは得意だよな」

「だけって失礼な。まあ、お兄様たちと違って荒事は苦手だし、そう言われても仕方ないけど」

「今更だが、パントマイムなんかどこで覚えたんだ」

「旅の一座でお世話になってたから自然とね。演劇とかはあんまり向いてなくてさ」

「お前は嘘が下手だったもんな」

 

 不意打ちに脈が乱れた。

 焦燥、恐怖、不安、罪悪感、憤り。様々な感情を抑え込むために、コラソンは歩きながら他愛もない雑談を続ける。

 

「嘘じゃなくて演技。浮かないように外見もそれっぽくしてたわ。見てよ、このメイク。我ながら似合ってる」

「確かにな。技術はどうしたんだ?」

「パントマイムのことなら、黙っていても出来るからって教えてもらえた。他には簡単なマジックもできるよ」

「マジックならおれも出来るぞ。人体切断とか大脱出とかそれなりに得意だ」

「能力はマジックに入りませんよーだ」

 

 会話が途切れ、影が差す。

 兄が立ち止まったのだ。

 

「ラミ。おれに話すことはないか」

 

 兄が見ている。

 見透かすような昏い瞳。

 押し寄せる恐怖に流されないよう、コラソンは首を傾げる。

 

「うーん、何だろ。何か忘れてたかな。むしろ、お兄様から話があったりして?」

「手を」

 

 兄が手を伸ばす。手を差し出すように促す指を見つめ、コラソンは瞬時に思案した。

 

 脈から何か気取られてはまずい。だが、ここで理由もなく拒むのはおかしいだろう。

 何か、何かないのか。

 自身の手を見下ろす。土で汚れた指。転んだ子どもを助け起こした時の汚れだ。いい口実が出来たと手を広げて見せる。

 

「だめよ、お兄様。今、私、汚れてるから」

「────? 何言ってんだ。汚れてるならなおさらだろ。雑菌が入ると良くない。手当しよう」

「え……?」

「悪い癖だ。怪我をしたら隠さず言えと父様に叱られたこと、忘れたか?」

 

 確かに、言われてみれば指が切れていた。

 石か何かで切ったのだろうか。思い出そうとしていると、兄に腕を掴まれる。

 

「とりあえず手を洗うぞ」

「う、うん……あれ? 待って、お兄様も怪我してるじゃない」

 

 腕を引かれ、初めて気付いた。兄の指にも血が伝っている。

 

「貰った石の中にガラスが混じってた。花輪にも棘が残ってた。多分どちらかだろ」

「気付かなくてごめんなさい。子ども達も怪我をしてたのかしら。でも、痛がる素振りなんて……」

「痛覚が鈍くなってる奴も多い。孤児院には連絡しておくから心配するな」

 

 そう言って、怪我の洗浄を始める兄。

 その手は昔と変わらず少し乱暴で、限りなく優しい。

 

「お兄様……」

「なんだ?」

 

 近くで見る彼の目の下には酷い隈が浮いていた。そっと手を伸ばし指を這わせる。

 濡れた手で触れられれば冷たいだろうに、彼は抵抗もせず目を閉じた。

 

 水滴が一粒、頬を流れ落ちる。

 

「眠れていないのね。何かあった?」

「……夢かもしれないから」

「夢?」

「お前が生きてるなんて夢にも思わなかった。だが、どんな良い夢でも夢なら起きたら終わっちまう」

 

 静かな声。

 感情をうかがわせないというよりは、出力の方法を忘れてしまった夜凪の声。

 風のない海で置いて行かれた船のような頼りない兄の声は、ラミにとってあまりに苦しいものだった。

 

「────ごめんなさい」

「なんで謝るんだ」

「ごめんなさい、お兄様」

「……泣いてるのか?」

 

 兄の瞼を両手で覆う。

 手を伝った水と血が頬を汚すが、彼は戸惑いながらも、目を閉じたまま腕を広げた。

 

「仕方ねェやつだな、ほら」

 

 コラソンは思い出す。

 小さい頃、スキンシップの多い両親につられ、兄妹で手を繋いだり抱き合ったりした。

 今、背を撫でる兄の手は大きくなり、優しかった指には禍々しい刺青が刻まれている。本当なら父母と共に医療の道を進み、人を救ったであろうその手は、今や血濡れてしまっている。

 

 だが、あたたかい。

 あたたかいのだ。

 

 何が妄執に囚われた屍だ。

 こんな屍がいるはずなどない。

 

 だって、赤い血が流れている。あたたかい。生きている。笑いかけてくれる。抱き締めてくれる。

 兄が生きていると知った時、嬉しかった。本当に、本当に嬉しかったのだ。

 

 なのに、何故だろう。

 今はただ、恐ろしい。

 

 兄のそばにいると、何も信じられなくなった。

 兄は人を殺す。争いの中でも薄ら笑いを浮かべている。

 他者の死に無頓着で、武器と恐怖を平気で振り撒いて、何も知らない子どもを巻き込んで、誰も彼もを虫を見るような目で見ている。

 

 何を考えているのか、分からない。

 

 やはり、トラファルガー・ローはバケモノなのだ。

 秩序を乱す醜悪な怪物。血染めの地図を描く悪鬼。紛い物の愛で子どもらの道を歪める悪魔。信仰の先に破滅を齎す邪神。

 

 バケモノは討たなければならない。

 せめて、妹である己の手で。

 正義とは、人を守るためのもの。

 力とは悪を断つためのもの。

 

 コラソンは正義を背負う海兵なのだから。

 

「お兄様」

「なんだ?」

「全部、夢だったら良かったのにね」

「────ああ、そうだな」

 

 今晩、兄を殺す。

 

 潜入任務にあたる際、うまく情報を握れない場合は、トラファルガー・ローを殺せと命じられていた。

 自ら潜入を志願したコラソンに対し猛烈に反対し、最後には折れて着任を許したセンゴク。彼ではなく、世界政府全軍総帥から人づてに指令が下されていた。

 サイファーポールから秘密裏に接触があったのだ。

 彼らは言った。

 

 差し違えてでもバケモノを討て。

 それが正義を背負う者、海軍将校の養子として恥じぬ在り方であろう。

 そして何より、家族のけじめをつけるべきではないか、と。

 

 だから、兄と過ごす幻の日々は今日で最後だ。

 

 そう考えながら、コラソンは御伽話を語るように、叶いもしない願いの欠片を吐き出し続ける。

 

「本当はお兄様は駆け出しの外科医で、私は……ちょっと不器用だから外科は無理かもだけど、別の分野で頑張ってるの」

「別の分野って、雑だな」

「柔軟って言ってよ。そうだ! 私達、案外旅に向いてるから、さすらいの医療団とかやっててもいいかもね」

「何だ、それ」

「いいから聞いてよ。お兄様は強いから、悪い人をやっつけて、色んな場所で沢山の人を助けるの」

「おれだけ忙しくねェか」

「もちろん私も手伝うよ。そのうちに協力してくれる人が増えて、今のファミリーのみんなも医療団のメンバーなの。幸せを運ぶトラファルガー医療団ね」

「ふ。柄でもねェ奴が多いな」

「そんなことないわ。みんな孤児院でも大人気じゃない。まあ、最初は怖がられるかもしれないけれど」

「結局怖がられるんじゃねェか」

 

 兄妹で部屋の隅に座り込み、内緒話のように囁き合う。

 二人の手は同じように傷付いて血が滲んだまま。

 いつもなら話も聞かず手当を始める兄は、何かを悟ったように柔く微笑んでいた。

 

 コラソン、否、ラミは思う。

 

 もしも、兄の中からバケモノだけ殺せたら。御伽話なら、神様がいるなら、これが夢なら。

 バケモノだけ殺して、兄を。

 

 お兄様を救えたら。

 

 ラミは兄の手を握り、小さな声で問いかける。

 

「ねえ、お兄様。夢じゃなくて、今からでもさ。悪いことから手を引いたら、やってることはそんなに変わらないよ。だから」

()()()()

 

 指は、呆気なく解けた。

 

「手当の続きだ」

 

 トラファルガー・ローは引き寄せた包帯を能力で操り、コラソンの手に触れもせず治療を続ける。

 自らの傷は放置し、彼は自身の胸の前で己が手を握り込んだ。

 

「コラソン、おれの道はここにしかない」

 

 昏い瞳。薄く笑う唇。

 バケモノの顔。

 

 思わず身を引いたコラソンを見つめ、兄は再び目を細めた。

 浮かんだのは優しく、変わらない兄の笑み。

 

「でも、お前は違う。だから、こんなところにいなくていい」

「お兄様、どうして」

 

 手を伸ばした。届かない。

 

「待ってよ、お兄様」

 

 兄は立ち上がり、さりげなく一歩下がる。

 するりと離れていく。

 

「だめだ。お前の手が汚れちまう」

 

 何故だろう。

 兄がひどく遠い。ついさっきまですぐそばで笑っていたのに。

 届かない。

 触れない。

 

 どうして?

 どうして、そんな目で見ているの?

 何故────……

 

 

 

 

 その日の夜、寝ずの番に当たっていたコラソンは暗い廊下を歩いていた。

 子ども部屋から一人、少年が消えていたのだ。

 

 コラソンは廊下を進みながら、ぼんやりと昼間の兄とのやりとりを思い返す。

 

 あの後、兄はひどく穏やかな顔をしてこう言った。

 

「ラミ、大丈夫だ。お前なら出来るよ。悪いやつをやっつけて、沢山の人を救う。お前になら出来る」

 

 まるで眩しいものをみるような目。光に焼かれてもなお見つめていたいとでもいうように、名残惜し気に、歩き出すその直前までラミを見つめていたあの瞳。

 

 去り行く兄の背中を眺めながら、コラソンは恐怖し、痛む胸を押さえて立ち尽くしていた。

 

 その時、理解したのだ。

 きっと、兄は何もかも分かっている。コラソンが潜入捜査のためにファミリーにいることも、暗殺任務のことも、何もかも。

 全て分かった上で、『殺していい』と告げていたのだろう。

 

 その証拠に今日、兄の部屋の鍵はずっと開いていたのだから。

 巡回のふりをして、何度も部屋の前を通り過ぎた。

 普段は閉じているはずのそこは、招かれざる客を迎え入れようと、ずっと開いたままだった。

 

 覗き込んだ部屋の中からは明かりが漏れている。

 気配などすぐ察知できるはずの兄は、気付かないふりをして資料を捲り続けていた。

 刀を遠くに放置し、見てわかるほどに無警戒な様。彼はただ、簡素な白いシャツを纏った背中を扉に向け、無防備な姿を晒している。

 ベッドの中には子ども部屋からいなくなっていたドフラミンゴ。計画の鍵たる彼を育てていたというわけでもないようで、部屋には甘い香りが漂っていた。

 

 ホットミルクだ。

 そう気付いた瞬間、思い出してしまう。

 

 パレードを見に行った帰り、興奮して眠れない兄妹のために父と母が作ってくれた、甘く蕩けるはちみつとミルクの匂い。

 ベッドに並んで眠った夜のこと。

 耳元で歌う兄の声。

 

 ふいに泣きそうになって、腰に差したナイフを押さえつける。

 今からこの刃で彼の胸を貫く。そう思うとどうしようもなく手が震えた。

 

 コラソンはナイフを隠し、兄の傍に立つ。

 微睡むドフラミンゴを覗き込み、話しかけて注意された。ドフラミンゴが起きてしまうからではなく、別のことを咎められたのだと気付く。

 

 金の眼が語っていた。

 今から殺す相手に話しかけるな、と。

 

 自らを殺そうとする者を案じ慮り、自身の死が傷にならないようにと願う金の瞳。

 穏やかに笑む兄を見て、気付いてしまった。

 

 無理だ。

 そう思った。

 

 コラソンは唇を噛み締め、ナイフに触れる。

 

 何を馬鹿な。

 やらねば。今、ここで殺さなければ。

 

 心の中で何度も何度も繰り返し、コラソンは必死に笑顔を取り繕う。

 兄が向ける視線の意図に気付かないふりをした。そうでもないと、立っていられなかったのだ。

 

 ぐちゃぐちゃになった心が叫んでいる。

 

 殺せ。

 殺さないで。

 助けて。

 

 コラソンの不穏さが伝わったのか、ドフラミンゴが小さく呻いた。寝苦しそうなその声を聞き、茫洋と何も考えられないままにコラソンの口が開く。

 

 震える唇が紡いだのは子守唄。

 遠く、懐かしい思い出の歌。

 

 コラソンは思う。

 もし、兄が。兄がこの歌を覚えていなければ。優しかった頃の記憶を忘れてくれていれば。覚えていても忘れようと、捨て去ろうとしてくれれば。

 

 呆れ顔で懐かしんでいる様子の兄の肩に触れ、コラソンは祈るような気持ちで誘う。

 

「お兄様も歌ってあげれば?」

 

 誘いに躊躇い口を閉ざした兄を見つめ、コラソンは目を細めた。

 

 忘れていてほしい。

 拒んでほしい。

 

 

 拒まれれば、ナイフを────……

 

 

 そう願ったはずだというのに、兄が懐かしい旋律を紡ぎ出した時、ラミの胸を満たしたのは安堵だった。

 

 その晩は何も出来ず夜明けを迎え、コラソンは考えた。考えて、悩んで、動き出すしかなかった。

 

 

 兄の計画。

 その鍵を隠してしまえばと思った。

 

 

 眠ったままのドフラミンゴを抱き、きつく目を閉じる。薬を打ち込んだから、もし起きても暫くは抵抗しないだろう。

 悪いとは思った。だが、抵抗されればきっと耐えられない。些細な傷でさえへし折れてしまうだろう自身の心の歪みをコラソンはよく理解していた。

 

 ファミリーの皆はまだ起きてこない。

 寝静まったアジトの食卓の上。

 震える手でメモを書き残す。

 

『子どもと遊ぶ』

 

 我ながら意味不明な文言に吐き気がした。

 

 歯を食いしばってアジトを後にし、手近な船に飛び乗る。まだ暗い船の上で背中を丸めた。

 傍らには眠るドフラミンゴ。

 彼の身体に毛布を巻きなおす際、手が腰のナイフに触れる。

 

 それは任務の際にサイファーポールから渡されたナイフ。兄を殺し損ねた刃。

 

 カモフラージュのために作った大道芸用のレプリカとそれを見比べる内に、耐え切れなくなって立ち上がった。

 恐怖と安堵。焦燥と疲労。それら全てが衝動となって彼女の身体を突き動かす。

 コラソンは言葉にならない叫びをあげ、ナイフを投げ捨てた。

 

 昇り始めた太陽の光を受けた銀色は、刹那に光り、やがて海へと沈んでいく。

 甲板にへたり込んだコラソンは、声を押し殺し涙を流し続けていた。

 





ここまで読んでくださりありがとうございます。
迷い辻に落ちたコラソン。彼女の葛藤がどう転がっていくのか。
もし興味をもっていただけたなら、この先もしばらくお付き合いください。
お気に入り登録や感想、評価などいただけると嬉しいです。
 
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