fragments of “HEART” 作:ladybug
引き攣れた傷痕をなぞる
これは痕跡
確かにそこにあったという記録
ドフラミンゴは毎日苛立っていた。
突如睡眠薬を打ち込まれて誘拐され、安全なアジトから連れ出された挙句、陰気なピエロ女との貧乏旅を強いられたのだ。
これに腹を立てずして何に怒れというのだろうか。
なんとか隙をみて逃げ出すも、何故かすぐに見つかっては引き戻され、何もかもが思い通りにいかない。フラストレーションを抱えて当然の状況である。
目を離すと逃げ出すから。
買い出しに行くコラソンは、そんな理由でドフラミンゴを椅子に縛り付けた。
縄で縛られた上に留守番を強いられたドフラミンゴは、それはもう怒り狂っていた。
確かに逃げるし、毎度毎度暴れはした。当然だろう。そもそもこれは誘拐である。犯罪手前どころかど真ん中の荒技で拘束される謂れなどないというのに。
ドフラミンゴは奮闘する。
今日こそ、あの陰気女を出し抜く。
そして、アジトに戻るのだ。
暴れた挙句に椅子ごと倒れたドフラミンゴは指先から糸を出した。
まずはこの煩わしい縄を解かないことには脱走も何も夢のまた先である。
意気揚々と結び目に糸を滑らせるが、異様に固い。特殊な結び方をしている上に強固に締められているようだ。
「あの女……くそ、馬鹿力め!」
解くのは無理。
ならば、引きちぎるしかない。
糸を束ねて強度を上げ、縄と縄の隙間を無理矢理こじ開ける。悪くない手応えがあった。
ドフラミンゴは渾身の力を込めて糸を引く。
ばつりと音がして縄が切れた。
喜んだのも束の間、勢いづいた糸が跳ね、ドフラミンゴの左腕に絡みつく。
慌てて腕を引いた瞬間、焼けるような痛みが走った。
残った縄を振り解き、痛みの元を確認する。左手首に裂傷が走り、肘まで血が垂れていた。
慌てて傷を押さえるが、あっという間に押さえている手まで赤く染まっていく。
下手を打った。ドフラミンゴは舌打ちをし、あたりを見回す。
包帯か、あるいは布切れでもいい。まずは止血をしなければと思ったのだ。
その時、扉が軋む音がした。
「ただいま、いい子にしてた? なんて、そんなわけないか」
部屋の惨状を見て、陰気女が大きな溜め息を吐いた。
ドフラミンゴが自力で拘束を解いたのが気に入らないに違いない。
なんと憎らしい女だろうか。
今回も逃げ損ねた。
苛立ちに歯噛みしながら、ドフラミンゴは背を向けて傷を隠す。
しかし、傷を隠したところで床に溢れた血は丸見えなのであった。
「何、この血……その傷、どうしたの!?」
買い物袋を放り出して喚く陰気女を睨みつけ、ドフラミンゴは吐き捨てる。
「どうしたもこうしたもあるか。お前のせいだろうが。馬鹿みたいに締め付けやがって」
「だからって、無茶をしたら駄目じゃない!」
そっぽを向いたドフラミンゴの肩を掴み、陰気女が悲鳴をあげた。
「うるせェよ! 騒ぐくらいなら布でも探せ。アジトに戻ればこんな傷、ボスならすぐに──」
そこまで言って、ドフラミンゴは息を呑む。
「……何を泣いてる」
陰気女の目には大粒の涙が浮かんでいた。
彼女は無言で涙を拭い、ハンカチを取り出す。
傷に押し当てられた白の布はあっという間に赤く染まった。
腕を持ち上げられ、患部を強く押さえつけられる。痛みに暴れるドフラミンゴを抱き寄せ、陰気女が囁いた。
「ごめんね」
その声はか細く震えている。
「ごめんなさい」
何がごめんだ。
痛みのせいで滲んだ涙を悟られないようにと、ドフラミンゴは強く目を瞑った。
鼻先を陰気女の髪が掠める。甘い花の香りと安い煙草の匂い。
自身の血から感じる鉄くささが混じって気分が悪い。
力を抜いたドフラミンゴは自身を抱く腕に身体を預ける。
仕方がなかった。どうせ今日は逃げられないのだから、これ以上抵抗したところで意味はない。
「ピエロ女、痛ェよ。この馬鹿力が」
「ドフィ、傷を押さえて。そうよ、そう……」
涙に濡れた声の指示に従う。抱き上げられ、ベッドに寝かされた。
がさごそと音がする。おそらく救急道具か何かを漁っているのだろう。
ドフラミンゴ自身でもわかる程度には深い傷だが、まさか縫うつもりだろうか。記憶が確かであれば、陰気女は不器用だったはずである。
そもそも信用できない。任せる気にはなれなかった。
縫合方法だけ聞けばいい。縫うのは自分でやろう。
そう思いながら、ドフラミンゴは痛みを堪えて傷を押さえ続けた。