fragments of “HEART”   作:ladybug

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お前が憎い
それでも



I loathe you.

 

 ファミリーに入った頃、その男の噂を聞いたことがある。

 話していたのはファミリー古株の青年グラディウスだった。

 主を敬愛してやまない彼は、傍から見れば相当不遜な態度でボスに付き纏うドフラミンゴを大層嫌っていたように思う。

 一般人が天竜人を見る目とはまた違う、たとえるならば一張羅に跳ねた泥を見るような目でドフラミンゴを睨みつけながら、グラディウスは吐き捨てた。

 

「貴様のような屑虫、あの人がいたら即座に殺されていただろうに」

 

 侮蔑のこもった視線には心底腹が立ったが、ドフラミンゴは反抗も反応もできなかった。

 何故ならば、直前の銃撃訓練でぼこぼこに打ちのめされ、床に伸びていたからだ。ちなみに教師はグラディウスである。

 銃弾一発外すごとに殴られ、分解に手間取れば蹴り飛ばされ、組み立てを間違えては踏み躙られた。相応に私怨のこもった体罰だ。

 資材の箱に腰掛けたグラディウスを睨み上げ、ドフラミンゴは鼻で笑う。

 

「何がおかしい」

「何がも何も、ありえねェだろうが。ボスが許すのは折檻まで。私刑は御法度だ」

 

 正確に言えば、体罰や折檻については特に決まりがなく、私刑についてはファミリーの掟として明確に禁じられているというだけだ。

 ボスは大抵のことに興味がなく、治療や訓練の調整にまれに口は出すものの、ファミリー内の人間関係などは放置していた。

 たかが成績不良や不遜な態度ごときに目くじらを立て、掟に背いてまで処する馬鹿がいるわけもない。

 心底馬鹿にした目で見上げるドフラミンゴの傍らに一発撃ち込み、グラディウスが呟く。

 

「掟など関係あるものか。あの人ならばやる」

「はァ? そんなこと、ボスが許すわけねェ」

「若が許すかどうかではない。あの人はやるんだ。それが若のためならば、絶対に」

 

 とんちのようなことを言い出したグラディウスは、どこか遠くを見るように目を眇める。

 羨望や憧憬、あるいは嫉妬。

 思いを複雑に滲ませた視線を切り、彼は目を伏せた。

 

「舐めた真似ばかり続けるならば、だ」

 

 ゴーグルの奥で目を細め、彼はドフラミンゴへと銃口を向ける。

 引き金に指。

 

「あの人はお前を殺す。必ずな」

 

 かち、と硬質な音が鳴った。

 

「弾切れか」

 

 独り言のように呟き、グラディウスは銃口を下げる。無言で排莢と再装填を始める彼を睨み、ドフラミンゴは舌打ちをした。

 

「誰だよ」

「は?」

「そいつ。“あの人”っての誰だって訊いたんだ」

 

 一発一発ゆっくりと、見せつけるようにして再装填を終えたグラディウスが囁く。

 

「コラソンだ」

「コラソン? あのピエロ女か?」

「違う」

 

 冷たい声で遮り、青年は言った。

 

「初代コラソン。ヴェルゴさんだ」

 

 

   ◇

 

 

 ファミリー時代、数度だけ名を聞いた男、ヴェルゴ。

 実際に彼と会ったのは、ただの一度きりだった。

 

 コラソンとの旅路、その途中。

 町と町の境、雪降り積もる人気のない林の中でヴェルゴは立っていた。

 まず目に入ったのは、雪に紛れるような白一色の装束と、背に書かれた“正義”の二文字。

 待ち構えていたのだろう。その肩は薄く雪を纏い、冷たい白に染まっている。

 銃を構え距離をとるコラソンに対し、その男はゆっくりと振り返った。

 サングラスをかけた彼の表情を窺うことはできない。ただ、それでもなお隠せないほどの敵意と害意がその身体を包んでいることはわかる。

 

 ヴェルゴは後ろ手に腕を組み、唐突に告げた。

 

「一度だけ言う。二度と彼の前に顔を出すな」

 

 ひどく冷淡で、そのくせどろりとした熱を孕む異質な声。

 本能的に恐怖と忌避感を覚え、思わずコラソンの服を掴む。

 直後、仮にも誘拐犯であるピエロ女を頼った自分へ羞恥が込み上げた。ドフラミンゴは反射的に俯いてしまい、そして異変に気付く。

 

 コラソンの身体が細かく震えていたのだ。

 

 好悪など遥か超越した本能が、目の前の男は危険だと叫ぶ。

 確かに、コラソンのことは嫌いだった。

 だが、今この場に限っては、自分と目の前の危険な男、そしてコラソンだけしかいない。この場を切り抜けるため、一時のプライドにかまける余裕などないのだ。

 

 ドフラミンゴは手の力を強め、立ち塞がる男を睨みつけた。

 しかし、当の男は力無き少年の視線など気にも留めた様子もなく、コラソンを見つめている。

 一歩退がりかけたコラソンは、しかし、歯を食いしばりヴェルゴを睨みつけた。

 

「どういう──」

 

 コラソンはヴェルゴを問い詰めるように一歩踏み出し、そこではじめて服を掴むドフラミンゴの手に気付いたのだろう。

 彼女は無理矢理に微笑んでみせる。

 口の端が上がりきっていない、苦しげな笑み。

 彼女は表情を消し、目の前の敵へと向き直った。

 

「どういう意味?」

「そのままの意味だ。裏切り者のお前を彼は許しておけない。だから、二度と彼の前に顔を出すな」

 

 冷淡さを保ったまま、ヴェルゴが繰り返す。

 コラソンもまた、無表情のまま応えた。

 

「あなたにそんなことを言われる筋合いはない」

「そうだな、お前の言う通りだ。だが、頼む。彼にお前を殺させないでくれ」

 

 ドフラミンゴは息を呑む。

 男の言葉も、行動も、何一つ理解できない。

 まったく分からなかった。

 頭を下げてまで懇願する、その意味が。

 

 コラソンもまた絶句し、乾いた声で呟く。

 

「……なぜ、そんな」

「彼が傷付く」

 

 頭を下げたまま無防備に、誠意すら感じさせるほどの声音が告げた。

 短い言葉はそれだけに重く、誰にも受け止められずに地に落ちる。

 

「お兄様が……?」

 

 コラソンが呆然と呟く。

 彼女の息はひどく浅く、ちらりと見上げた時に見えた顔色は今にも倒れそうなほどに悪かった。

 

「そんなわけない」

 

 呟く声は震えている。

 ヴェルゴに向けた銃口はまるで定まらず、彼を睨みつける目にも大粒の涙が溜まっていた。

 

「バケモノが、家族殺しくらいで今更傷付くわけがないでしょう!?」

 

 コラソンの叫びが木々にこだまする。その拍子にこぼれ落ちた涙が一粒、雪原へと落ちた。

 雫はただ白に呑まれ、熱は雪を溶かすこともできずにただ消えていく。

 

「私を殺して傷付くわけがない……お兄様はもう、人間じゃないんだから」

 

 銃を下ろし、コラソンが涙を拭った。

 対峙するヴェルゴは未だ頭を下げたまま。しかし、激情のあまりか、その拳はギリギリと音を立てている。

 

「行け。追うなと、彼に言われている」

 

 歯を食いしばっているのだろう。

 くぐもり濁る声でヴェルゴは告げた。

 

「早く、行ってくれ。頼む」

 

 コラソンに手を引かれ、走り出す。

 手を振り払うべきだ。そう思えども、雪道で転びそうになるたびにその感触を強く感じた。

 滑る足を必死に踏みしめ、息を切らせて、二人は走り続ける。

 

 

 遠く、木の倒れる音がした。

 

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