fragments of “HEART” 作:ladybug
かえりたい
帰る場所などどこにもないのに
コラソンに連れ出されて、数週間が経過した。
あの女ときたら妙に頑固で、散々暴れてやったというのに諦めない。
その日もドフラミンゴを連れ回した彼女は、小さな宿屋の一室で盛大なため息をついた。
「あのさ。いきなり連れ出したのは悪かったけどそんなに嫌がることないでしょ?」
「……かえりたい」
疲労が重なって何も考えられず、思わず呟いてしまう。そんなドフラミンゴを見つめ、コラソンが眉を顰めた。
「だめよ。あそこはあなたにとって良くない場所なの。子どものあなたを騙して何かひどいことをしようとしているのよ。孤児院の子達だって妙に従順で不自然だわ」
何もかも分かったような口振りだった。
許せない。
決め付けられたことか、子どもと侮られていること。あるいは、やっと見つけた居場所を奪われたことか。
何に怒っているのか自分でも分からないまま、ドフラミンゴはコラソンを睨みつけた。
「お前、何見てたんだ。あいまいなことばかり言って、あいつらのこと何も知らないくせに」
虚を突かれたようにコラソンが目を見開く。
反論されると思っていなかったに違いない。その生温い考えに苛立ち、ドフラミンゴは怒鳴るように言葉を繋いだ。
「何が『騙して』だ! お前こそ、『優しい子』だとか『良い子』だとか適当なこと言って、おれを騙す気だろうが! おれはそんなんじゃない!」
元より、ドフラミンゴはコラソンを嫌っていた。
甘く燻るような煙草の匂いがする手、陽の光のような目、熱を持った背中。全部が煩わしくて大嫌いだった。
彼女がそばにいると胸が騒めく。それがたまらなく嫌に思えたのだ。
他にも理由はある。
コラソンはドフラミンゴを助けるために連れ出したなどと宣っているが、まったくもって信じられない。
何故なら、その飴色の目はドフラミンゴを見ているようでその実、別の誰かのことを考えているのだから。
ボスは違った。
彼は基本的に無関心であり、遠くにいようが近くに寄ろうが放置される。
ただ、ごくたまに視線や耳を傾けてくれる時は確実にドフラミンゴのことだけをみてくれた。意見を取り入れるか否かは別として、最後まで話を聞いてくれるのだ。
血を共連れに先を行く背中。数えるほどではあるが、その背に背負われて見上げた星空を思い出す。
「あいつはおれを助けてくれた。他にも役立たずを拾って育てて好きにさせてる。変な奴だけど、優しいってああいうのを言うんだろ。ベビー5が言ってた」
「お兄様が優しい? そんなわけない。お兄様は、だって、悪いことばかりしてたわ。人助けにも何か裏があるのよ」
「お前、本当に何見てたんだ」
ドフラミンゴが吐き捨てれば、コラソンは狼狽を隠しもせず、一拍おいて眉根を寄せた。
そしてじわりと涙を浮かべ、ドフラミンゴを睨みつけてくるではないか。
まるで、ドフラミンゴが悪いかのように決め付けてくるその目。
大人のくせにずるい。
そう思い、負けじと睨み返した。
「バカコラソン! 何を見たのか答えてみろよ!」
「何って、決まってるじゃない。人殺しに武器の売買、嘘をばら撒いて戦争を起こして。あんな、あんなひどいこと……」
コラソンは嫌悪を滲ませる。
元天竜人でありファミリーで過ごしたドフラミンゴには理解できない感性だった。
「ひどい? そんなこと皆やってるだろ。だって、殺されるんだぞ」
眉を顰めたコラソンを見上げ、ドフラミンゴは言葉を重ねる。
「誰も守ってくれない。皆殺しにくる」
「え……?」
「先に壊さなきゃこっちが死ぬ」
何を言われたのか分かっていない様子で、ピエロ女は口の端を歪めた。それは笑みのようでいて笑みではなく、恐怖で仮面が破綻したような様相だった。
一拍遅れて顔を真っ赤に染めたピエロ女は、ドフラミンゴの肩を掴んで怒鳴る。
「そんなこと、誰に教えられたのよ!」
「────お前ら人間だえ!」
机を叩く。
びくりと肩を揺らしたピエロ女は、信じられないものを見るような目でドフラミンゴを見つめた。
許せなかった。
何も知らない馬鹿。
何も知らないくせに。
「お前らがおれ達を殺すんだ」
声が震えないように歯を噛み締める。
世の人々が元天竜人に向ける憎悪は深い。
息子を殺された。奴隷にされた娘が使えなくなったからと返されて自殺した。友が連れ去られた。故郷が焼かれた。
そう喚く民衆の手によって投げつけられた石が頭にあたった。そんなくだらないことでドフラミンゴの弟は死んだ。ロシナンテ自身は何もしていないのに殺された。
ファミリーの面々とて似たようなものだ。たまたま生き残っただけで、他の仲間とやらは人間に殺されて死んでいた。
先にやらねば殺される。常識ではないか。
そこまで考え、ふと思い出した。
そういえば、ボスは違った。
あの男は不思議な理屈で動いていたのだ。
「……ボスはおかしな奴だ。死にかけの女のそばでずっと手を握ってた。そいつ、ボスを殺そうとしたのに」
「誰かがお兄様を、殺そうとした?」
あれほど悪様に罵っておきながら、兄の身に迫る危機にはそんな反応をするのか。
呆然と呟くコラソンを不思議に思いながらも、ドフラミンゴは頷く。
「そうだ。ピーカが止めたけど」
「誰。誰が、あの人を殺そうとしたの?」
「さあ? 確かどこかの国の、そう、王の妾だった。病気だって言ってた。国の偉い奴に命令されて、爆弾代わりに無理やり特攻させられたって」
「そんな、ひどい。どうして……」
「そりゃ懸賞金狙いだろ。アジトには宝もあるし。女のことだってどうせ死ぬなら最後まで使う。ボスは変な奴だから、最期まで面倒みてたけどな」
アジトに潜り込もうとした女。その女は長い間、王の妾であったと言う。
妊娠したふりをして腹に爆弾を抱えた、美しいが痩せ細った女だった。
ピーカに取り押さえられた女をみて、ボスは何を思ったのだろう。
処刑を薦めるファミリーの声を無視し、ボスは能力を使って女の腹から爆弾を抜き取った。さらに、暇だからと彼女の病の痛みを取り除く処置を施したのだ。
ボスに看取られ、女が眠るように息を引き取ったその晩。
ボスは予定を繰り上げて一夜のうちに女の祖国を滅ぼし、何事もなかったかのような顔で翌朝の食卓に顔を出した。
「なァ、コラソン」
「何よ」
「ボスは何で自分を殺そうとした奴の面倒を見たんだ? 寝返らせて使えるならともかく、数日で死ぬような奴なのに」
ドフラミンゴには分からない。あの時のボスの行動が理解できない。
暇も何も、捨てられた妾など放置して、先に打って出るべきではないか。次の手に出られたり逃げ出されたらどうする気だったのだろう。
「なァ、なんでだと思う?」
問いの前から様子がおかしかったコラソンは、雷に打たれたように大きく肩を震わせ、激しくあたまを振る。
彼女はのろのろと視線を彷徨わせた後、何故だか泣き笑いのような表情を浮かべて呟いた。
「それ、は。情報を聞き出したりとか」
「捨てられた妾なんかが何を知ってるんだ。王の生活とかか? そんなの、あいつなら知らなくてもどうだってできるだろうに」
「……だって、お兄様は」
青褪めたコラソンが口許を抑え目を伏せる。
指先が震えているのを見て、そばにいたくせに本当に何を見てきたのだろうと不思議に思った。
「本物の家族はお前だけなのに何も知らないのか。家族なのにちゃんと見てないんだな、あいつのこと」
家族であるコラソンに聞けばボスの行動の意味がわかると考えたが、当てが外れたようだ。
当初の苛立ちも忘れて口を尖らせたドフラミンゴとは対照的に、コラソンは泣き出す寸前の顔で呆然としている。
「もしかして、お兄様は……いえ、そんなわけない。そんなわけないけど、このままあの計画を進めたらいつかお兄様は殺される……ああ、でも、私だって」
支離滅裂とはこのこと。悪様に語るそばから心配し、それをまた否定する言葉を延々と呟く。
どうも様子がおかしい。
距離を開けようと思い、そっと椅子を引いた。しかし、コラソンはドフラミンゴの手を掴んで制止し、低い声で囁く。
「ドフィ。あなたはあの人のそばにいてはだめよ。
「なんでだよ。おれだけって、なんで」
「それは……そう。そうよ、あなただって一生隠れて生きるわけにもいかないんだから、真っ当に暮らす方法を────」
「うるさい!」
コラソンの言葉を最後まで聞かず、ドフラミンゴはその腕を振り払い、椅子を蹴ってベッドに潜り込んだ。
あの女は何も分かっていない。
天にも地にも属せない逸れ者。世界を憎み破壊を望む元天竜人という特大の厄介者を、何か企むでもなく、それどころか躊躇うことすらなく受け入れてくれたのはボスだけだった。
両親に連れられ野に降りたときを思い出す。
あの時と同じだ。
望んでもいないのに世界が一変して、火に炙られ石を投げられ、汚泥を啜り、それから。
それから。
心臓が嫌な音を立てて騒ぐ。頭から毛布を被って耳を塞いだ。鼓動がかえって大きく聞こえ、身体を丸めて堪える。
ファミリーで暮らすようになってからは息がしやすくなった。
何か問題を起こせば普通に拳が飛んでくるような場所。だが、逃げ回る必要はなく、夜も少しは眠れる。
侮られ揶揄われ、時に呆れられるという再三の侮辱は我慢ならない。ただ、代わりに誰かが必ずそばにいた。
ひとりはこわい。
もう、他に生きていける場所なんてないのに。こんな、誰もいないところに連れてこられて、また。
また、夜が来る。炎の揺れる夜が。
薄い毛布越し、衣擦れの音がした。
得体の知れない女。甘やかされ、大切にされていたくせにボスを捨てた人間。
「……ごめんね」
吐き気がする。
甦るのは忘れたはずの父の声。銃の重み。反動、肩の痛み。血、匂い。首の重み、蔑みの目。
炎。追ってくる。迫る。赤。
黒。
ヒールの音。
かみさまのような背中。
もうそばにないその感触を思い出し、これまで堪えていた何かが溢れそうになる。
「かえりたい」
乾いた声で呟き、ドフラミンゴは固く目を瞑った。