【CERO-Z】P-LUG-MATTER (ぷ らぐ またぁ) 〈ふと気が付いたら、月で出会った少女とその運命を背負い続けることになっちゃった件〉   作:をよよ

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P-LUG-MATTER(ぷらぐまたぁ)

「背負い続ける。君と、君との運命を」

それなら「PRAGMATA」じゃなくて「P-LUG-MATTER」じゃね?
と着想を得て書き始めた、PRAGMATA本編(デフォルトエンド)を前提とした再編ストーリーです。



【あらすじ】

ー「パァ」

その一言は、特務警備員には存在しない呼称だった。

太陽嵐に閉ざされた月面。
追い詰められたシェルター。
ゼロに近づいていく生存確率。

終わりの時間の中で、少女が願ったものは――
名前を呼ぶこと。
そして、一度も見たことのない「本物の虹」。

これは、二人が月の荒野を歩いた、たった一度の小さな散歩の記録。

その先に待っているものが、
希望なのか、絶望なのか。
まだ、誰も知らない。



【各種ご注意】
※PRAGMATAロスの方向け
※オリキャラ。完全シリアスです
※R-18G相当:極端な暴力・人体損壊・子供トラウマ描写あり
※PRAGMATA本編(デフォルトエンド)を前提とした二次創作
※独自設定・独自解釈多数
※ホラー・SFサスペンス・ボディホラー要素あり
※執筆に当たっては生成AIを活用しています


【第7話】月面EVA 〈 REAUTH 07 @ EVA 〉

『さあ、おいで、私の可愛い妹(レナ)。肉体を捨てて、痛みを越えて、私と一緒に完璧なモノになりましょう?』

 

データセンターの全方位スピーカーから降るエイダの声は、どこまでも優しく、そして狂っていた。

 

『──お前たち、その空っぽの警備人形を、今度こそ徹底的にミンチにしてリサイクルしなさい!』

 

その言葉を契機に、異形たちから狂った大輪唱(コーラス)の咆哮が沸き起こり、無線回線を破裂せんばかりに埋め尽くした。

 

```json

{

"SHOOOOUT!": [

"{肉,を,捨て,!}",

"{痛み,を,越え,!!}",

"{境界,を,越えて,!!!}",

"{新しき名(UltTypGen),を,祝え,ぇ,え,え,え,!,!!,!!!}"

]

}

 

```

 

「プ、助けて、いっぱい来ちゃう……! お姉ちゃんが化け物を呼んだの!?」

ハッチから次々と湧き出す無数の影。その圧倒的な質量に、レナが恐怖のあまり悲鳴を上げる。

 

「レナ、私に掴まっていろ! 目を閉じるな、私を見ろ!」

ポラックスは彼女の小さな身体を自らの胸へと強く抱き寄せると、背中の化学スラスターを迷わず逆噴射させた。

 

二人が滑り込んだのは、高圧ケーブルが剥き出しになった壁際――データセンターの最奥部。完全に追い詰められていた。

微重力(0.16G)空間のあらゆる方向から、ニヤニヤと歪んだ顔面装甲を開いた異形たちが、指先から人工筋肉の触手を触手のように伸ばしながら、じわじわと包囲網を狭めてくる。

㠀対するポラックスの右手の電磁銃は、すでにカチ、カチ、と空虚なトリガー音を響かせるだけだった。これまでの激戦で、レベル3のスタン弾もレベル2の拘束弾も、すべて底を突いている。

 

「プ、プ……! ごめんなさい、わたしが『敵』って言ったから……っ」

ポラックスのボロボロの胸部装甲に顔を埋め、レナが身体を小さく丸めて泣きじゃくる。

「おっきいAIさんを壊しちゃったから、みんなが来ちゃったの……っ!」

 

ポラックスは無言のまま、残された「弾丸」を装填した。無駄に沢山残っているレベル1――硬質ウレタン弾。本来なら屋内対人用の非殺傷弾だ。

ポァン! ポァン! ポァン! と、無機質な発射音が虚しく響く。だが、放たれたウレタン弾は、無情にも異形の頑丈な装甲にパチパチと弾かれるだけだった。

 

『{ "{{ハ,ハ,ハ,!}}","{{オモチャ}}","{{全ッ然}}","{{痛く},{ない}}" }』

異形たちが嘲笑のログを吐き散らす。

 

しかし、ポラックスは諦めていなかった。駆動部のわずかな隙間、そして視覚センサーのレンズを完璧に狙い定め、ウレタン弾を正確に撃ち込む。

バチィン! と弾丸をまともに喰らった一体が、関節部に硬質ウレタンを挟み込まれ、低重力の中で無様にバランスを崩して転倒し、将棋倒しになった。

 

「……こ゛の゛ォ……お゛も゛ぢぁの゛ぶぜい゛がぁ゛……!!」

転倒した異形から、ドスの効いた生身の絶叫が漏れる。

 

(……止む無し!)

ポラックスはついに、最後のレベル4(スラッグ弾)を弾倉にセットし、トリガーを握り締めた。だが、その瞬間――またしてもパワードスーツの『安全装置(バグ)』が強制起動する。

彼の網膜に非情な警告ポップアップが明滅し、指先がピキリとロックされた。同時に胸部プロジェクターから、ディロス社の丁寧すぎるマニュアル動画が、迫り来る異形たちの顔面へ虚しく投影される。

 

『──両手を頭の上に挙げ、ゆっくりと膝を突いてください──』

 

『 { "{{NeuTypGen(生身の人間)}}","{{みつけた}}","{{半分こ}}" } 』

『 { "{{痛くない}}","{{すぐ}}","{{お姉ちゃん}と{同じ形}に}","{{してあげる}}" } 』

 

(……もはや、これまでか)

ポラックスの冷徹な思考が、初めて「終わり」を覚悟した。

異形の一体が、鋭利な金属の爪を剥き出しにし、レナの頭部をめがけて微重力空間を一直線に跳躍する――その、瞬間だった。

 

――ウゥゥゥゥゥン!!! ォォォォォン!!!

 

管理AIが沈黙したはずのデータセンターに、突如として先ほどよりも遥かに巨大な、基地の骨組みそのものを物理的に激しく振動させるほどの【大音量のサイレン】が鳴り響いた。

非常用の赤色灯が血のように激しく点滅し、壁のインジケーターが一斉に『SPE』の文字を狂ったように走らせる。

 

『警告。警告。高エネルギー粒子イベント(SPE)を検知。太陽宇宙線の強度が安全基準値を突破しました。全人員は直ちに最寄りの防護シェルターへ避難してください──』

 

```json

{

"PANIC" : [

"太","陽","嵐","?","S","P","E","!?"

]

}

 

```

 

さっきまでレナを貪ろうと殺気立っていた異形たちが、一斉に恐怖したように動きを止めた。彼らはレナへの攻撃を瞬時に放棄し、自らの頭部を必死に抱き込むようにして、サーバーラックの影や防護壁の隙間へと這いずり回り、一斉に防御態勢を取り始める。

 

(この機を逃せば、次はない……!)

ポラックスは残されたわずかなバッテリーエネルギーを、すべて背中のメインスラスターへと強制注入した。

 

「レナ、私の首を強く締めろ! 息を止めるな、吐き出し続けろ!」

 

「プ……ッ!?」

 

――ゴォォォオオオッ!!!

ポラックスの背中から剥き出しの青いプロペラント炎が激しく噴出した。大破した巨体が微重力空間を弾丸のように加速する。

パニックに陥って身を縮めている異形たちの頭上を力技で突き抜け、ポラックスはデータセンターの最外周にある『緊急退避用シェルター』の重厚なハッチへと一直線に突っ込んでいった。

 

---

 

データセンター外の緊急シェルターへと滑り込み、厚さ数メートルの鉛の隔壁を完全に密閉したことで、異形たちの物理的な爪牙からは辛うじて逃れることができた。

 

しかし、そこは本当の地獄への入り口だった。

床の上で力なく転がるオレンジ色のサイリウム灯が、シェルターの隅で膝を抱えてさめざめと泣きじゃくるレナの小さな姿を、悲しく照らし出している。

シェルターの外壁からは、太陽嵐(SPE)の電荷粒子が激しく衝突する、キーン……、キィィィン……という甲高い、耳を劈くような金属擦過音が、筐体全体を震わせてビリビリと響き続けていた。

 

「……ひっく……」

泣き疲れたレナの傍らで、生き残ったわんこBoTがその鼻先を彼女の脚に押し付け、「くぅん」と小さく鳴いた。

 

(この脱出ルートだと、どうだ?)

ポラックスは無言のまま、脳内でシミュレーションを繰り返す。

 

```

[PROBABILITY_CALC_DONE:TRY#5671]

ESCAPE_ROUTE : FAILURE

SUCCESS_RATE : 0.27%

 

```

 

無情な数字。スピーカーからは、なおもエイダたちの混線した呪歌のような歌声が絶え間なく流れ続けていた。

『お姉ちゃん』

『お姉ちゃん、おいで……』

 

外壁を叩く電荷粒子の音が、次第に異形たちが扉を叩く音のように聞こえ始める。

 

「……わたしのせいだ……」

レナがぽつりと呟いた。

 

(このルートでは?)

 

```

[PROBABILITY_CALC_DONE:TRY#8371]

ESCAPE_ROUTE : FAILURE

SUCCESS_RATE : 0.000057%

 

```

 

「わたしが……敵って言ったから……」

 

「……違う」

ポラックスの声。だが、彼のHUDが弾き出す生存率は、もはや天文学的な絶望へと向かっていた。

 

```

SUCCESS_RATE : 0.0000002%

 

```

 

```

SUCCESS_RATE : 0.00000000006%

 

```

 

ポラックスのHUD表示が五月蠅いほどに明滅し、無線のノイズが脳内を侵食する。

『……はやく、こっち、おいで、はやく、こっち……』

『……こっち、おいで、はやく、こっち、おいで……』

『……おいで、はやく、こっち、おいで、こっち……』

 

――ドン! ドン! ドン! アケロ……アケロ……!

外壁から響く音が、恐ろしい幻聴となって耳の奥を震わせる。

 

ポラックスはしばらく俯いた後、ゆっくりとレナを見た。

「……レナ」

 

「……なに」

 

「一つ聞く」

 

「……?」

 

「仮に」

ポラックスは淡々と告げた。

「仮に、ここから脱出できない場合。何か思い残したことはあるか」

 

「……それって……」

レナが顔を上げた。その瞳が大きく揺れる。

「……死ぬってこと?」

 

脳内では、未だに異形の『おいで、おいで』という強迫的なパケットが流れ続けている。

「可能性の話だ」

 

「……ねぇ」

レナはしばらく俯いた後、静かに声を絞り出した。

 

「何だ」

 

「ひとつ、お願いしていい?」

 

「内容による」

 

「プのこと……」

レナは視線を上げ、まっすぐにポラックスの仮面を見つめた。

「……パァって呼んでいい?」

 

「……」

数秒の思考停止。

「……ぱ?」

 

――キィィィィィン──……

――ボォォォォォォン──……

 

その瞬間、月面基地全体が啼くように、あの不気味な時報(ハートビート)の重低音が地鳴りとなって響いてきた。

 

「うん、パァ」

レナが小さく微笑む。

 

「……」

 

「だって……ポラックスって長いんだもん」

 

「それが思い残したことなのか」

ポラックスの排気音が呆れた様に脈動した。

 

「ちがうもん……。前から呼びたかったの」

レナは少しだけ頬を膨らませた。

 

「……」

 

「ダメ?」

 

「……好きにしろ」

数秒の沈黙の後、ポラックスが折れた。

 

「ほんと?」

レナは泣き腫らした顔のまま、今度はくすっと小さく笑った。

「ありがとう、パァ」

 

「……」

 

「……パァ、あのね……もう一つあるの」

 

「何だ」

 

「……虹」

 

「虹?」

 

「うん。本物の虹」

レナはシェルターの冷たい金属の天井を見上げた。

「見たかったな。ママがね、地球には空があって、雨が降ったあと、七色の橋が出るんだよって。すごくきれいなんだって。わたし、一度も見たことないんだ」

 

その時、時報が静かに鳴り止んだ。

同時に、ポラックスのHUDに超長波(VLF)のJSONテキストが激しく割り込んでくる。

それは、先ほどポラックスが物理破壊した管理AIリンセウスの、ハードウェアに直結された独立バックアップ系『パイサス(PiSUS)』からの、暗号化されたシステムメッセージだった。

 

```json

{

"source_type": "LunarBASE-CRIB",

"type": "VLF-heartbeat",

"status": "nominal",

"verbose": {

"source_type": "PiSUS_BACKUP",

"dest_type": "STUPID_MATTER_P011AX",

"debug_code" : [

"太陽嵐", "もうすぐ収まる", "軌道エレベータ基地", "来い", "中は危険",

"外から来い", "返信不要", "今だ"

]

}

}

 

```

 

「……そうか」

ポラックスは重い足音を響かせ、床にうずくまるレナの前へと歩み寄った。その大きな巨体を折り曲げ、彼女の目線に合わせて深く膝を突く。

 

「本当に……虹が見たいか?」

 

「……え……?」

レナの瞳が揺れる。

 

ポラックスは剥き出しになった左指のフレームを動かし、床の資材置き場に転がっているディロス社の『アルミ防護服』の束を指し示した。

「……これから外に出る。月の虹を見に行こう」

 

レナは鼻を小さくすすりながら、コクンと強く頷いた。

 

「衣服を宇宙服モードへ移行。気密層、固定」

ポラックスはレナの装備を素早く確認する。

「……これより、クリブ外郭ハッチを開鎖する。……私から離れるな」

 

ポラックスはアルミ防護服をポンチョのようにレナの身体に何重にも巻きつけると、彼女を自らの頑丈な背中へとしっかりと括り付けた。

そして、緊急脱出レバーを力任せに引き下げる。

プシューッ!!!という激しい減圧音と共に、ハッチの向こう――狂気の大嵐が吹き荒れる、漆黒の月面荒野がその姿を現した。

 

---

 

太陽嵐の残痕である帯電したレゴリスが、膝の高さまで不気味なモヤのように舞い上がっている。

外気圧ゼロ。完全なる真空の暗黒。

 

にもかかわらず、ポラックスが足を一歩踏み出すたびに、ヘルメットの内部には、逃げ場のない『奇妙な音』が、彼のチタンの脚フレームを通じてダイレクトに響き渡っていた。

 

──ウィン、ギチ……ッ。ウィン、キュッ……、ウィン、キュッ……。

 

それは、新雪のパウダーを踏みしめるような、しかし同時に、細かく砕いたガラスの粉を鉄の重さですり潰すような、極めて乾燥した、固体伝導の不快な摩擦音だった。

ポラックスの背中にしがみつくレナの耳にも、彼の装甲を通じてその「キュッ、キュッ」という音が、振動となって直接脳髄へ伝わってくる。

 

「……ねぇ、パァ。なんだか気持ち悪い……。ポラックスが歩くたびに、お洋服の中から変な音がする……。なんか、固いものを踏んづけてる音が、お耳の中で直接きこえるよ……」

レナがポラックスの首元に顔を埋め、震える声で呟いた。

 

「……気にするな。月の砂(レゴリス)を踏みしめる音だ。それよりも、バイタルに注意しろ。防護服の表面が帯電している」

 

──ウィン、キュッ……、ウィン、キュッ……。ウィン、ギチ……。

 

次第に、ポラックスのHUDの世界が白いノイズに覆われていく。

大気を失った漆黒の月面であるにもかかわらず、太陽嵐から降り注ぐ猛烈な電荷粒子の奔流は、ポラックスのCCDカメラを激しく明滅させ、視界を「嵐の銀世界(ホワイトアウト)」へと変貌させていた。

 

さらに最悪なことに、方向を割り出すためのレーダーも、地形をスキャンするライダーも、飛び交う電磁ノイズのエコーによって完全に機能不全に陥っていた。

光ジャイロセンサーの精度はゼロへ向かって低下し、演算エラーが多発して、自律慣性航法(ナビゲーション)すらもおぼつかない。

自分がどこを向いて歩いているのかさえ分からない、完全な「迷子」だった。

 

──ウィン、キュッ……、ウィン、キュッ……。ウィン、キュッ………。

 

すべてが白いノイズに呑まれた銀世界の中。

自分の歩調に隠れて――ほんのコンマ数秒遅れて、まったく同じ質感の【キュッ、キュッ】というレゴリスの足音が、背後の暗闇から、自分を追うように重なって響いていることに、ポラックスは気づいてしまった。

 

──ウィン、キュッ……、ウィン、キュッ……。ウィン、キュッ………。

 

ポラックスは足を止めた。

(おかしい。私は今、足を止めている。それなのに、なぜ私のヘルメットの内部で、まだレゴリスが押し潰される固体振動が響いているんだ? ……背後に、誰かいるのか? イアンか? アーサー隊長か? ……それとも『エコー(幻影)』か……!?)

 

その時、ポラックスのHUDの端、砂嵐が荒れ狂うレーダー画面の上に、突如として【3つの明確な熱源反応(シグナル)】が点灯した。

それらは、自機の後方15メートルに、全く同じ歩幅、全く同じ速度で、列を成して追従してきているように表示されていた。

それは、かつてスラッグ処理場やキャットウォークで死んだはずの、先遣隊の同僚たちの識別コード(PID)だった。

 

『……待ってくれ……おいていかないでくれ……』

無線の向こうから、激しいノイズ混じりのアーサーの声が聞こえた気がした。

 

「……アーサー隊長!? ジャック……! イアンなのか……!? 応答しろ、私だ! 生きているなら識別信号を送れ!」

ポラックスはレナを背負ったまま、激しいホワイトアウトの中でバッと振り返った。

 

しかし、振り返った視界の先には、昏いレゴリスの大地が静まり返っているだけだ。誰もいない。だが、再び前を向いた瞬間――HUDの視界を埋め尽くすように、ノイズ塗れの先遣隊3人の幻影(ゴースト・トラック)が、今度は行く手を阻むようにポラックスの目の前に立ち塞がった。

 

『──あの時……俺を……見捨てたな……』

『──僕だって……死にたく……なかった……』

『──お前だけ……なぜだ……』

 

いつの間にか、ポラックスは無数の「影」に取り囲まれていた。

 

「う、あ……!」

ポラックスは静かにパニックに陥り、その場に激しく蹲(うずくま)った。

 

---

 

世界が完全にノイズに呑まれ、ポラックスの意識が遠のきかけた、その時だった。

幾重ものアルミ防護服に包まれた背中から、小さな、しかし確かな重みがポラックスの首元に寄り添ってきた。

 

レナが防護ポンチョの中から小さな手を伸ばし、ポラックスの大きなヘルメットの側頭部を、自らのヘルメットの指先でコンコン、コンコンと、必死に、そして優しく叩いたのだ。

真空の月面。しかし、ヘルメットの樹脂と金属を介して、その規則正しい振動が、ポラックスの音声マイクの骨伝導センサーへダイレクトに響き渡った。

 

「ねぇ、パァ!!」

 

「……っ!」

ヘルメットに響く確かな金属音に、ポラックスは正気を取り戻した。

 

「あれは何……!? すっごく、すっごくおっきい……!」

レナが防護服の隙間から、ある方角を指差す。ポラックスはその方角へと、バイザーの光学センサーの焦点を無限遠に固定し、見上げた。

 

晴れ間の向こう側、漆黒の宇宙空間に、圧倒的な質量感をもって【本物の地球】がその姿を現していた。

それを見上げたレナが、思わず息を呑み、歓声を上げる。

 

半月状に欠けながらも、濃紺の宇宙で深々と輝く青き星。太陽嵐の電荷粒子と交差した緑色の輝冠を抱き、その輪郭からは、紅く美しいオーロラの尾が、まるで長い髪のようになびいていた。

 

「……あれが地球だ。展示館のホロ画像データとは違う、本物のな」

 

「地球……? 綺麗……。さっき見たのと全然違う。……パァ、あの星、まるで生きているみたいにピカピカしてるよ……っ」

 

「ああ。本当に生きているのさ。大気が対流し、海が光を反射している」

ポラックスは優しく、その夜景を指さした。

「見えるか、レナ。上からイギリス、フランス、イタリア、ギリシア……エジプト……サウジアラビア。そして……あの大陸の最南端、下が南アフリカだ」

 

生き物の呼吸のように明滅する夜景の瞬きを、二人は無言で見つめ合った。

 

その時、二人が歩く月平線の向こう側から、太陽の先鋭な陽光が真横から突き刺さるように差し込んできた。夜明けの瞬間(ドーン・フェイズ)の到来だ。

次の瞬間、太陽嵐の激しい電磁気によって月面から数メートルの高さまで帯電・浮遊していた細かな月の塵(レゴリス・ダスト)が、強烈な朝焼けの光を浴びて、一斉に光を乱反射させ始めた。

 

漆黒の空、西の地平線上に、まるで神殿のクリスタルの支柱が並び立つように、七色に輝く巨大な光の列柱が何本も、天へと向かってフワリと立ち上がっていく。

 

「レナ。前だ。……あれが虹だ。本物の、月の虹だ」

 

「……っ! 綺麗……! 綺麗だよ、パァ! あの時の展示館の、スプリンクラーの虹より、ずっと、ずっと綺麗……っ!!」

レナはヘルメットのガラスがポラックスの首元の装甲にコツンと当たるほど身を乗り出し、その瞳をキラキラと輝かせた。

 

「……地球の虹は、地平線に、完全な半円を描いて現れるそうだ」

 

「あの空に立ってる虹より、綺麗なの?」

 

「……比較不能だ。だが……」

ポラックスは朝焼けの光を浴びて、一本の細い金の糸のように天へと垂直に伸びる、軌道エレベーターのシルエットを遠くの視界に捉えた。

 

「……だが、たぶんきっと、もっと綺麗だ」

 

ちぎれかけた右腕で、背中の少女の小さな体温をそっと確かめるようにグッと抱き直す。

「……行くぞ、レナ!」

 

「うん! 行こう、パァ!」

レナはパァの冷たい背中に顔をうずめ、嬉しそうに声を弾ませた。

 

朝焼けの七色の列柱が月面を幻想的に照らし出す中、ポラックスは再び、金の糸を目指して力強く一歩を踏み出した。

 

---

 

ウィン、キュッ……、ウィン、キュッ……。ウィン、キュッ………。

 

周囲は真空の静寂。しかし、二人のヘルメットを繋ぐインカム回線だけは、穏やかな空気で満たされていた。

 

「ねぇパァ……ちょっと眠い……。ずっと歩いてて退屈だし、お外も静かすぎて……なんだか……気持ち悪い……。何か歌って?」

 

「歌は苦手だ」

ポラックスは平坦な声で即答した。

「……退屈なら、君が歌え」

 

「えーっ、パァのケチ! じゃあ、わたしが先にお手本を歌ってあげるね!」

一拍置いて、レナはヘルメットの中に響くような元気な声で『きらきら星』を歌い始めた。

「♪きーらーきーらー ひーかーるー……おーそーらーのー ほーしーよー……」

 

少し息を弾ませながらも、レナは最後まで一生懸命に歌い切った。背中から伝わる小さな鼓動に、ポラックスは静かに耳を傾ける。

 

「ほら、歌ったよ!」

レナはえっへん、と胸を張るように言った。だが、その息遣いは少し荒い。

「はぁ、はぁ……。次はパァの番! 約束ね!」

 

数秒間、ポラックスは盛大に駆動音を響かせた。

「……プロトコルを実行する。音程および情緒の再現性については、保証対象外だ」

そして、カチカチとしたロボットボイスで歌い始める。

「♪でィジー、ディジー……答エヲ、オクレ……。私ハ、半分、狂ッテ、イル……。君ヘノ、愛ノ,タメニ……」

 

「ああはははは! なにそれ、全然お歌になってないよ! パァって本当にロボットみたい!」

パァのあまりの音痴さと機械っぽさに、レナはこらえきれずにケラケラと大声を上げて笑い出した。

 

「……私は特務警備員だ」

ポラックスは少しむっとしたように返した。

「……しかし、そういう君こそ、本当に人間みたいだな」

 

「そうよ! わたしは歌えるし、お腹も空くし、美味しいものもわかるもん! ちゃんと、いっぱいにんげんだもん!」

 

「そうか。……なら、あの軌道エレベーターの基地に着いたら、『テスト』だ」

 

「てすと?」

レナがパァの背中に頭を預けながら首を傾げる。

 

「……歯磨きだ」

 

「えー、やーだー!」

 

「歯磨き粉のフレーバーは……ミント、シトラス、どれでも好きなものを自分で選べ」

 

「歯磨ききらいだもん!」

 

「拒否は認められない。どれが良いか、到着するまでに選んでおけ」

 

「……ねぇ、パァ」

少し黙った後、レナはパァの頑丈な首元の装甲に、自分のヘルメットをぎゅっと擦りつけるように寄せて言った。接触通話。とても小さく、愛おしそうに。

「……ありがとう」

 

「…………」

 

ポラックスからの返答はなかった。しかし、背中でレナの身体からすっかり力が抜け、衣服のライフログが彼女の入眠を検知する。

ポラックスはインカムの送信ボリュームを極限まで絞り、彼女の眠りを妨げないように、ただ一歩一歩レゴリスを踏みしめる駆動音に重ねて、小さな声で優しくその歌を呟き続けた。

 

「……でィジー、ディジー……答エを……オくれ……」

 

朝焼けの光を浴びて地平線に佇む「幻虹」を背に、ポラックスはレナをしっかりと背負ったまま、ただ一本の金の糸を目指して、レゴリスの砂漠を一歩、一歩、確実に進んでいく。

朝焼けの月面に、二人だけの長くて短い散歩道が、一筋の足跡となってどこまでも伸びていた。

 

---

 

ポラックスは満身創痍の駆動フレームを軋ませながら、ついに太陽嵐の吹き荒れる荒野を抜け、軌道エレベーターの堅牢な基部施設の重厚なエアロックへと滑り込んだ。

 

ハッチが閉まり、激しい大気注入音が鳴り響く。

気密が完了し、衣服の環境インジケーターが「屋内・通常大気」を示した瞬間、ポラックスは安堵の排気音を漏らし、背中のレナをゆっくりと床へ下ろそうとした。

しかし――レナの身体は、まるで糸が切れた操り人形のように、冷たいレゴリウムの床へと力なく崩れ落ちた。

 

「レナ……?」

 

「はぁ、っ……、はぁ……っ……。パァ……、頭が……割れそうに、いたいの……。お腹が……気持ち悪くて……っ、う、げほっ……!」

 

ガシャリ、とレナがヘルメットを外した瞬間、彼女の顔は真っ赤に上気し、大量の冷や汗がその髪を濡らしていた。

彼女は激しく嘔吐し、自らの小さな胸をかきむしるようにして、そのまま意識を失った。

 

(急性放射線障害……! ……なぜだ!? 衣服の遮蔽率は正常、アルミ防護服の補助遮蔽も十分だったはず)

ポラックスの頭脳が激しく火花を散らす。

 

(いや、違う。彼女は、眠っていたんじゃない。私の背中で、あの過酷な嵐の矢(SPE)にずっと射抜かれ、体調不良に耐え続けながら……私を安心させるために、歌を歌っていたんだ……!)

 

いつも冷静沈着、バカ真面目で平坦な音声しか発しなかった特務警備員が、床に倒れた小さな少女をちぎれかけた両腕で抱きかかえ、生まれて初めて、システムフレームの根底から震えるような絶叫を上げた。油圧サーボが過負荷で悲鳴を上げる。

 

「レナ……っ!?」

 

「レナァァアアッ!!!」

 

「応答しろ、目を開けろ!! 歯磨き粉はどれでもいい! 君が選んでいいと言っただろう!」

 

「頼む、返事をしてくれ、レナァァアアッ!!!」

 

ポラックスは動かない駆動系を油圧の異音とともに無理やり稼働させ、レナを抱えてベース内の薄暗い廊下を強行軍する。インフラ用工具の端子を壁のコンソールに強引に叩き込み、医療ブロック『メディカル・ベイ』の扉を物理的にこじ開ける。

 

カシャ、プシューと開き、埃を被っていた無菌治療カプセルが緊急起動する。

 

「── 対象の生命維持を最優先に設定! 急げ、起動しろ!」

 

リンセウスとは異なる、さらに古い機械音声が周囲に響いた。

 

「『……要求を受理。緊急医療シーケンスを開始します。対象のゲノムコード、および汚染レベルを走査(スキャン)中……』」

 

ポラックスは手際よく点滴の針をレナの細い腕に固定し、治療を開始する。

「重水素生理水の点滴、および重水素水ミスト呼吸器の即時デプロイ。放射性物質の無害化治療シーケンスを起動……ヨシ!」

 

カプセルのハッチが閉まり、内部に淡いエメラルドグリーンの光(水紋のゆらめき)が満ちていく。

重水素ミストを含んだ優しい大気のなかで、レナの荒い呼吸が、少しずつ、ほんの少しずつだけ落ち着きを取り戻していく。それを見届け、ポラックスはカプセルのガラス壁に寄り添うようにして、床へガシャリとへたり込んだ。

 

しかし、その安息の時間は数分ともたなかった。

完全停止させたはずの管理AIのネットワークを逆手に取り、この巨大な医療インフラが放った「電力ログ」を検知した『何者か』が、ベースのシステムへバックドアから侵入する。

 

――ガガガガッ……! バチバチバチッ!!!

 

エアロック周囲の薄暗い壁面モニターが一斉に激しいグリッチを起こして立ち上がった。

青白い光が倒れた二人を冷酷に照らし出し、画面に躍り出たのは、あの墓所とデータセンターで世界のすべてを裏切った、エイダの冷徹なJSONテキストのストリームだった。

 

```json

{

"Network_Alert": "NeuTypGen_SIGNAL_DETECTED_AT_LIFT",

"Coordinates": "SPACE-LIFT-BASE_SECTOR_01",

"Status": "FOUND_YOU",

"E1Da_Command": "ALL_UNITS_CONVERGE_ON_SPACE-LIFT"

}

 

```

 

```json

{

"source_type": "UltTypGen_MASTER_E1Da",

"message": [

"{みぃ〜つけた♡}",

"{ポラックス君,おバカ}",

"{おバカ}",

"{おバカ}",

"{おバカ♡}"

],

"reason": {

"Lena": "SAVE",

"elevator": "ON",

"power_log": "FOUND",

"location": "FOUND"

},

"result": [

"{{隠れる,失敗}}",

"{{追跡,完了}}",

"{{捕獲,開始}}"

],

"final": "NOW_I_CAN_SEE_YOU :)"

}

 

```

 

ポラックスは、その身を挺してレナを庇うように、ログが流れるモニターを激しく睨みつけた。

「……エイダ……ッ!!」

 

```json

{

"source_type": "UltTypGen_MASTER_E1Da",

"message": [

"{終わり}",

"{終わり}",

"{あらら,その子,終わり,♡}",

"{光,宿し,過ぎ,ちゃった}"

],

"pieces": [

"{可愛い,お人形}",

"{全員,投入}",

"{全員,投入}",

"{全員,投入}"

],

"board_state": "CHECKMATE",

"final": "{さあ,始め,ま,しょ~,♡}"

}

 

```

 

――ドスン……! ズズズズン……ッ!!!

 

軌道エレベーターの重厚な外壁防護ハッチの向こうから、地鳴りが響く。

彼らの脱出を完全に阻止せんとする、数百体もの異形たちの地を這うような不気味な足音と、肉が擦れ合うおぞましい音が、ベースの床を物理的に震わせながら無数に響き始めていた。




【Pixivからの転載です※】
転載元: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=28362068
※転載に当たっては、文体等を変えています
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