火属性貴族の俺、ステータスオープンしたら適性値が「ふぃっしゅ数」だったので追放されました 〜ふぃっしゅ数がクソデカ巨大数だと痛感したらもう遅い〜 作:元近ちか
追放された。
大聖堂の扉が、フィッツの背後で重々しく閉ざされる。
石畳の上に立ったフィッツは、しばらく動けなかった。
先ほどまで、彼はフレイムベル家の長男だった。
それが今は、追放された少年である。
理由は、炎適性がふぃっしゅ数バージョン1だったから。
「……ふぃっしゅ数」
口に出してみたが、やはり意味が分からなかった。
語感は強そうではない。ただただ、困る。
「なんだったんだろうな、ふぃっしゅ数……」
フィッツはとぼとぼと歩き出した。
屋敷には戻れない。
父は「荷物は最低限のものだけ後で使用人に持たせる」と言っていたが、あの様子では本当に最低限だろう。
「フィッツ?」
ふいに、後ろから声をかけられた。
振り返ると、一人の少年が立っていた。
銀縁のメガネをかけた、細身の少年である。
名はカシコーイ・アッカーマン。
フィッツの幼なじみであり、友人であり、そしてメガネをかけているので頭が良い。
「カシコーイ……」
「どうしたんだよ、その顔。火属性適性が70以下だったのか?」
「70以下だった方が、まだよかったかもしれない」
「えっ」
カシコーイが目をまたたかせる。
その手には、小さな羊皮紙が握られている。
おそらく、彼も成人の儀を終えたばかりなのだろう。
「僕も今終わったところなんだ。見てくれよ」
カシコーイは少し得意げに羊皮紙を広げた。
筋力:42
素早さ:24
耐久:20
知力:88
魔力:46
炎適性:31
水適性:42
土適性:25
雷適性:37
風適性:40
光適性:29
闇適性:33
「知力88だぞ」
「すごい。よかったな」
「反応が薄いな」
「ごめん。今ちょっと、家を追放されたばかりで」
カシコーイの表情から得意げな色が消え、友人への心配の色に変わる。
「追放!? なんで!?」
「炎適性が……変だった」
「変?」
フィッツが地面に座りこみ、その落胆を表す。
ステータスの記された羊皮紙を、カシコーイに渡した。
「ふぃっしゅ数……だって」
カシコーイは沈黙した。
「……魚?」
「魚ではないらしい」
カシコーイは腕を組んだ。
「ふぃっしゅ数バージョン1……。確かに、バカみたいな数だな」
「数なのか?」
「数って書いてあるからには、数なんじゃないか?」
「そういうものかな」
「神の表示だろう? 神が『数』と言ったら数だ。
神はたぶん、数字と文字列の区別くらいはついている」
カシコーイは軽く笑った。
その笑いに、フィッツは少しだけ救われた。
大聖堂の中では、誰もが彼を見ていた。
笑う者、哀れむ者、囁く者。
父は怒り、神父は困り、貴族たちは噂した。
だが、カシコーイだけはいつも通りだった。
「それで、これからどうするんだ?」
「分からない。とりあえず王都を出ようと思う」
「いきなり?」
「屋敷には戻れないし、これ以上王都にいたら、みんなから笑われそうだし。
だから、どこか別の町へ行く。働ける場所を探すよ」
「そうか……元気でな」
カシコーイはうなずいた。
そして、ふと大聖堂を振り返る。
「しかし、少し気になるな」
「何が?」
「ふぃっしゅ数バージョン1だよ。神父様は何か説明してくれなかったのか?」
「父上が怒鳴っていたから、説明どころじゃなかった」
「まあ、そうだろうな」
カシコーイは顎に手を当てた。
「ステータスに通常と違う表示が出た場合、教会には詳細な神託が降りていることがある。
スキル名とか、称号とか、特殊適性とか。神父が理解しているかは別として」
「神父が理解していない神託って何なんだろうな」
「神託なんてだいたいそういうものだろう」
カシコーイはメガネを押し上げた。
「僕が聞いてくる」
「え?」
「ふぃっしゅ数バージョン1について、教会で確認してみる」
カシコーイはそう言って、大聖堂へ向かって歩き出した。
フィッツはその背を見送る。
「カシコーイ」
「ん?」
「ありがとう」
カシコーイは振り返らず、片手を上げた。
「友達だからね」
その言葉だけで、フィッツの胸は少し軽くなった。
ふぃっしゅ数バージョン1。
よく分からない数字のせいで家を追われたが、少なくとも友人は残っていた。
それだけで、まだ歩ける気がした。
フィッツは王都の東門へ向かって歩き出した。
その後ろで、カシコーイは大聖堂の扉を開けた。
* * *
「ふぃっしゅ数バージョン1について、詳細を知りたい?」
応対したのは、ほぼ2番目の神父だった。
大聖堂の奥では、神父たちがまだ完全には片付いておらず、1/256番目の神父が燭台の陰で迷子になっていた。
「はい。フィッツ・フレイムベルの炎適性についてです」
「彼はもうフレイムベル家の者ではないと、パッパーロ様が」
「その辺の貴族事情はいったん置いてください」
「置きましょう」
神父はすぐ置いた。
神に仕える者は、切り替えが早い。
「正直に申し上げますと、私どもにもふぃっしゅ数が何なのかは分かりません」
「やはりですか」
「ただし」
神父は祭壇の奥へ歩いていった。
そして、やたら分厚い書物を抱えて戻ってくる。
革表紙の中央には、金文字でこう書かれていた。
『神託・よく分からないけど表示されたもの一覧』
「便利な本ですね」
「便利ですが、あまり使いたくはありません」
「でしょうね」
神父はぱらぱらとページをめくる。
「ええと、ふぃっしゅ数、ふぃっしゅ数……。ありました」
「あるんですね」
「神が書けと言われたので、書くのが神父の努めです」
神父は本をカシコーイの前に置いた。
そこには、細かな文字と記号がびっしり書き込まれていた。
カシコーイは覗き込む。
最初は軽い気持ちだった。
どうせ、変わった名前を名付けられただけの数だろうと思っていた。
だが、神託に記された定義は、その程度の顔をしていなかった。
「……これは」
カシコーイの眉間にシワが寄る。
「このS変換というのは?」
「分かりません」
「このSS変換は?」
「分かりません」
「ここにある、63回というのは?」
「そこだけは読めます。63回です」
「読めることと分かることは別です」
「はい」
神父は深くうなずいた。
カシコーイは神託を読み進めた。メガネをかけていてもよく分からなかった。
ただ、感覚として大きいな、というのが分かった。
「……これ、写してもいいですか?」
「構いません。というより、誰かに理解していただけるなら教会としても助かります」
カシコーイは羊皮紙を取り出し、神託を書き写し始めた。
S変換。
SS変換。
それを何度も何度も適用するという記述。
途中で手が痛くなった。
途中で1/1024番目の神父がインク壺に落ちた。神父がすくい上げた。
それでもカシコーイは数式を書き写すと、外は夕方になっていた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。何か分かりましたら、ぜひ教会にもご報告ください」
「分かった場合、報告できる余裕があるか分かりません」
「そんなにですか?」
「そんなにかどうかを、これから確認します」
カシコーイは書き写した羊皮紙を抱え、大聖堂を出た。
東門へ向かうつもりだった。
だが、その足は止まった。
このままフィッツに追いついて、「よく分からないけど大きそうだった」と伝えるだけでいいのか。
いや。
もし本当に大きい数なら、正確に理解する必要がある。
少なくとも、フィッツが火属性魔法を使ってよいのかどうか。
それだけは、判断しなければならない。
「……少しだけ計算してから行こう」
カシコーイは自宅へ走った。
カシコーイの部屋は、本と紙で埋まっていた。
「よし」
カシコーイは椅子に座る。
「たかが数字だ。どれだけ大きくても、定義があるなら追える」
そう言って、神託を書き写した羊皮紙を広げた。
最初は、鼻歌混じりだった。
まずは記号を整理する。
次に、S変換の定義を読み解く。
そして、最初の段階だけでも値を出してみる。
「ふむ……ここは再帰的に……いや、これは関数の階層を上げているのか? 違うな。入力そのものを……ん?」
羽ペンが止まった。
「んん?」
メガネの位置を直す。
「……待て」
カシコーイは別の紙を取り出した。
計算する。
書く。
消す。
また書く。
羊皮紙が一枚埋まる。
二枚埋まる。
三枚目の途中で、鼻歌は消えていた。
「いや、いやいやいや。これはまだ第一段階だ。ここで驚くのは早い。
落ち着け、カシコーイ。僕は知力88だ。メガネもある」
彼は自分に言い聞かせる。
さらに計算する。
カシコーイの顔が少しずつ白くなっていく。
途中で、彼は窓を開けた。
夜風が入ってくる。それでも汗が止まらなかった。
「……おかしい」
彼は呟く。
カシコーイは震える手で、さらに紙を重ねる。
計算を進めれば進めるほど、数字は遠ざかっていく。
遠ざかるというより、こちらの世界が置き去りにされていく。
億。兆。京。垓。
それらは最初から比較対象ですらなかった。
カシコーイは気づく。
これは「大きな数」ではない。
これは「大きい」という言葉そのものを置き去りにするための装置だ。
「……ウソだろ」
カシコーイは立ち上がった。
フィッツは火属性の名門貴族だ。
追放されたとはいえ、幼い頃から魔術理論を学んでいる。
もし身を守るために火属性魔法を使おうとしたら。
もし誰かにそそのかされたら。
もし本人が、自分の才能を証明しようとしたら。
炎適性、ふぃっしゅ数バージョン1。
その値が、魔法出力に反映されるとしたら。
カシコーイは、自分の想像をそこで止めた。
「駄目だ……フィッツに火属性魔法を使わせたら駄目だ!」
夜の部屋に、叫びが響いた。