漆間隊については作者の妄想が多分を占めます。今後の原作の動きで矛盾が発生する可能性がありますのでご容赦ください。
窓の外を流れる、見慣れない景色をぼんやりと見つめていた。
電車がゆっくりとスピードを落とし、ホームの輪郭が、だんだんと鮮やかになっていく。
隣の母が、小さく息を吐いた。
顔は少し硬く、目元に緊張の影が浮かんでいた。でも、ぼくの視線に気づくと、すぐに柔らかな笑みを浮かべて、こちらを見た。
「……渚、降りるわよ」
ぼくは、小さく頷いて、そっと微笑んだ。
「うん。行こう、母さん」
ぼくらはこれから父さんと会う。今日から、離婚していた父さんと再び一緒に暮らすことになったんだ。引っ越しは意外と平気だった。色々考えて入った高校を転校するのは少し辛かったけど、E組で過ごしたあの一年間を思えば、引っ越しなんて大したことじゃない。あの頃は、毎日が命がけだった。
殺せんせーを狙い、仲間と協力し、時には本気で命を懸けた。
今になって思うと——
あれが、ぼくにとって、初めて「生きている」と、肌で感じられた時間だったのかもしれない。
三門市。父さんが住むこの街は、『近界民』——異次元から現れる未知の生命体が頻繁に侵入する物騒なところらしい。父さんはその未知の生命体から街を守る【ボーダー】の本部で事務の仕事をしていると言っていた。危険な街だけど、それでも家族三人で暮らしたいと言ってくれた父さんの気持ちは、ぼくには素直に嬉しかった。
駅に着くと、父さんが待っていた。少し照れくさそうな笑顔で手を振っている。ぼくは荷物を引きずりながら近づいていった。
「おかえり、渚」
「……ただいま、父さん」
ぎこちない再会の挨拶。前に会った時より父さんの顔は、少し老けていた。でも、目だけは昔のままだった。優しくて、ちょっと弱気で、それでいて家族を守ろうとする目。そしてその目は真っ直ぐ母さんを見つめている。
「また、よろしくな広海」
「……よろしくね、あなた」
父さんと母さんの久しぶりの会話は、ういういしくてぎこちなかった。視線をそらしたり、言葉を探すような間があったり。でも、ぼくはその様子を見て胸の奥が少し温かくなった。きっとこのぎこちなさも、時間が経てば自然になっていくと思う。懐かしい家族の形が、ゆっくりと戻ってきている気がした。
家はマンションの3階だった。父さんが一人で住んでいた部屋に、ぼくと母さんが加わる。父さんと母さんが荷物を解いている間、ぼくは机の上に綺麗に整理された資料を見つけた。見出しには大きく【BORDER】の文字。内容はトリオン、トリガー、近界民……。ぼくは少しだけページをめくってみたが、さっぱり理解できなかった。
父さんが慌てて近づいてきて、資料をしまった。
「それは社外秘なんだ。見たことは忘れてくれ」
「うん……ごめん。見出ししか見てないよ」
ぼくは素直にそう言って誤魔化した。実はもう少し見てしまったけど、わざわざ言う必要もないだろう。
ーーー
翌日、三門市立高校への転入初日。
一年の二学期という変わった時期の転校生ということで、教室は少しざわついていた。ぼくが入室すると、ざわめきが一瞬だけ小さくなった。ぼくの小柄な体格と、女の子みたいと言われる顔立ちは、いつも初対面の人を驚かせる。
「潮田渚です。よろしくお願いします」
短く挨拶を済ませ、担任に言われた席に座る。隣の席に座っていたのは、目つきの鋭い男の子だった。
彼はぼくの顔を一瞥すると、口の端をわずかに上げた。
「チビだな」
——ストレートで、どこか試すような声だった。
身長の話は、ぼくの地雷の一つだ。でも、転校初日。喧嘩はしたくない。
ぼくは、小さく頷いて、そっと苦笑いを浮かべた。
「潮田渚です。これからよろしく。渚って呼んで貰えると嬉しいな」
「……漆間だ」
漆間は「ふん」と鼻を鳴らして、窓の方に視線を逸らした。その不遜な態度と、どこか人を食ったような喋り方に、ぼくはふと懐かしいものを感じていた。
赤羽カルマに似てる。
あの頃のカルマも、最初はこんな感じだった。挑発的で、退屈を嫌って、でも本当は……。ぼくは胸の奥で小さく苦笑した。放っておけないタイプだな、こいつも。
授業が始まっても、ぼくの意識は半分だけ教室にあった。残りの半分は、この街の空気を感じ取ろうとしていた。E組で培った感覚が、自然と周囲の気配を捉えようとする。殺気や、敵意や……そして、微かな「何か」。
すると、授業の途中、ぼくは突然不思議な気配を感じて窓の外を見た。何か、遠くの方で緊張した空気が動いているような……。その瞬間、漆間の携帯が小さく鳴った。彼は迷わず席を立ち、先生の方へ向かう。
先生は軽く頷いて言った。
「漆間、ボーダーの招集だな。行ってこい」
漆間は無言で頷き、机の上に置いていた棒状の何かを持って教室を出て行った。背が高く、動きに無駄がない。その後ろ姿を、クラスメイトたちがひそひそと見送っていた。
「またあいつか……」
「態度悪いくせにボーダーとかマジでいいのかよ」
「近界民に喧嘩売って殺されればいいのに」
そんな批判の声があちこちから聞こえてきた。漆間がボーダー隊員であるということに驚きつつ、ぼくは黙ってそれを聞いた。漆間が手に持っていた棒状のものはなんだろう。つい最近どこかで見たことがあるような……。
放課後になり、ぼくは一人で帰路についた。歩きながらさっきのことを考えていると、ふと思い出した。
昨日、父さんの机で見た資料。あの中に描かれていた「トリガー」という武装の図と、漆間が持っていた棒状の形がよく似ていた。きっとあれがトリガーなのだろう。そんなことを考えながらぼくはゆっくりと家路を歩いた。
家に帰ったら父さんがボーダーの制服の袖をまくって、慣れた手つきで野菜を切っていた。母さんが横で少し緊張しながらおかずを並べる様子が、またほんのり微笑ましかった。
「今日、どうだった?」
夕飯の席で父さんに聞かれ、ぼくは箸を動かしながら少し考えて答えた。
「うん……まあまあだよ。転校生ってことで少し注目されたけど」
そこでぼくは、今日の出来事を少し話してみることにした。
「そういえば、クラスメイトにボーダー隊員がいたよ。漆間くんっていう人。放課後、急いでゲートの方に向かっていったみたい」
父さんの手が一瞬止まった。
「漆間……? ああ、漆間恒か。知ってるぞ。彼は少し有名だからな。お前、同じクラスになったのか」
「うん。席が隣なんだ。ちょっと怖そうな感じだけど……ボーダーって、すごく大変そうだね」
漆間が有名なのは少し意外だったけど、有名という時の父さんの顔があまり好ましい顔をしていなかったので、恐らく悪い方の有名なんだろうとぼくは勝手に納得した。そのままボーダーについて興味があることをそれとなく話題にしたところ、父さんは少し嬉しそうに頷きながら、ボーダーの簡単な話をしてくれた。街を守る仕事の重さや、トリガーのこと、近界民の脅威について。ぼくは真剣に聞きながら、月を破壊した化け物《ころせんせー》や宇宙からの侵略者《ネイバー》が頻繁に現れるこの国の行く末が心配になった。
その夜、布団の中でぼくは天井を見つめていた。
E組の教室が、ふと脳裏に浮かんだ。殺せんせーの黄色い触手、仲間たちの顔、毎日必死に暗殺の技術を磨き上げた日々。茅野カエデの優しい声、赤羽カルマの笑い、寺坂の馬鹿力、潮田渚として生きていたあの時間。
みんなと一緒に、血反吐を吐きながら鍛えたこの技術。気配を殺す方法、相手の急所を見抜く目、動きを先読みする感覚……。あれを、このまま『使わない』でいいのだろうか。
でも——『殺す』ための技術を、『守る』ためにどう変えていけばいいのか。
その答えを、ぼくはまだ、この手で握っていない。
でも、ぼくは『殺す』方が遥かに適性があることを、自分が一番よく知っている。E組を卒業した今でも、その事実は胸の奥に重くのしかかっていた。
「……どうしたらいいんだろう」
小さく呟いて、ぼくは静かに目を閉じた。
とりあえずランク戦まで行きたいけど行けないかも