お気に入りもうすぐ500……感激です。
今日はランク戦最終戦当日。ぼくは隊室に向かう途中、誰かに声をかけられた。
「久しぶりだな、渚くん」
振り返ると、見覚えがない男性が居た。頭に色つきのサングラスを乗せて軽薄そうな笑みを浮かべている。どこかであった様な気もする。
——誰だっけ。
少し戸惑いながら相手を見ていると、向こうが軽く笑った。
「覚えてないかな。前に、君をボーダーをスカウトした人なんだけど……」
「あ……」
思い出した。父さんに弁当を届けに行った時、いきなり声をかけてきた人だ。あの時はあまり話さなかったし、名前もうろ覚えだった。
——でも、この人がいなければ、今のぼくはいなかった。
あの日、声をかけられなければ、ぼくはボーダーに入ることはなかったはずだ。漆間くんとはただのクラスメイトで、六田さんにも出会わなかった。半崎くんや太一くんとも仲良くなってなかったかもしれない。
そう考えると、不思議な気持ちになる。
ほとんど話したこともない、名前もうろ覚えだった人が、自分の人生を大きく変えていた。
『人との縁を大切に』
殺せんせーの言葉を自然と思い返してしまった。
「すみません、思い出しました。迅さん、でしたよね」
「良かった。思い出してくれたみたいだな」
迅さんは頭を掻きながら安心したように笑った。それから、ぼくの顔をじっと見つめた。
一瞬——その表情が、固まった。
ほんの一瞬だった。でも、ぼくは見逃さなかった。
笑顔の途中で止まったような、不自然な静止。目の奥が、何かに気づいたように揺れていた。
「……渚くん」
迅さんの声は、ほんの少し、震えているような気がした。
「あの、何か——」
「最近、何かあったか?」
ぼくの言葉を遮るように、迅さんが聞いた。
「……え?」
「いや……すまない。なんでもない」
迅さんは目を逸らして、軽く笑った。でもその笑顔は、どこか無理をしているように見えた。
迅さんの波長も明らかに乱れている。
「大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。変なこと言って悪かったな」
迅さんはそう言って、いつも通りの調子を取り戻そうとしているように見えた。でも、その目には、まだ何かが残っていた。
「……渚くんは、今、幸せか?」
不意に、迅さんがそう聞いた。
いきなりそんなことを聞かれると思わず、ぼくは少し驚いた。
「え……はい。すごく幸せです」
「そうか」
迅さんは小さく頷いた。安堵したような、でもそれだけじゃない、もっと複雑な表情だった。
「それなら、よかった」
それだけ言って、迅さんは歩き出した。
「あの——」
「またな、渚くん」
振り返らずに、迅さんは去っていった。
ぼくはその背中を、しばらく見送っていた。
なんだか変な人だった、というのがぼくの正直な感想だった。
でも、なんだろう。少しだけ殺せんせーに似ている。優しい口調。時折見せる全て見透かしているような眼差し。明るく振る舞っているけど、責任を背負い込んでしまうような少しだけ暗い雰囲気。
そして、最後の複雑な表情。
——ぼくの中の何かを、覗き込まれたような。
それが何なのか、うまく言葉にできない。でもどこかで見たことがある。どこだろう……。
思い出した。
あれは夢の中で見た先生と同じ表情だった。
ーーーーー
【B級ランク戦 最終ROUND 夜の部 実況】
綾辻:「皆さんこんばんは! 嵐山隊の綾辻です! 本日はB級ランク戦最終ROUND、いよいよ夜の部の開幕です! まずは昼の部、下位グループの結果をお伝えします!」
綾辻:「下位グループは荒船隊が圧勝でした! 松代隊、吉里隊、間宮隊を相手に、ほぼ総取りという結果に! これで荒船隊は中位への昇格が確定しています!」
太刀川:「荒船隊は地力があるからな。下位に落ちてたのが珍しいだろ。」
風間:「半崎の動きが良かったな。一人で3人も撃破している。元々狙撃の技術の高さは評価していたが、何か殻を破ったのかも知れないな」
綾辻:「中位の昼の部では、諏訪隊、柿崎隊、早川隊、海老名隊で対決。結果は諏訪隊と柿崎隊が僅差の中、諏訪隊が勝利しました」
太刀川:「諏訪さんの判断の良さが見えるいい試合だった」
風間:「堤や笹森の動きも成長を感じるいいものだった」
綾辻:「また、上位昼の部では、二宮隊生駒隊東隊による三つ巴が勃発。結果は二宮隊が勝利になります」
太刀川「三つ巴で二宮隊を相手するのはキツイだろうな。しょうがないだろこれは」
風間「東隊も生駒隊もその中で2点取っているからな。奮闘したと言えるだろう」
綾辻:「そうですね……夜の部中位グループは別会場で同時開催中ですので、結果が出ましたらお伝えします! さて、いよいよこちら、上位グループの実況に入りましょう!」
綾辻:「本日の組み合わせは、弓場隊、影浦隊、王子隊、そして漆間隊の四つ巴です! ステージ選択権は6位の漆間隊。今回のステージは……市街地Cになります!
解説には太刀川隊長と風間隊長にお越しいただいております!」
太刀川:「市街地Cか……漆間隊ってスナイパーいたか?」
風間:「潮田はアタッカーだが狙撃もできるはずだ。だが、ここ数戦は狙撃は控えめで接近戦中心だったはずだ。何か考えがあるのだろう」
太刀川:「狙撃手がいないのは王子隊だけか。王子隊は高台が取れるかで決まるな」
風間:「弓場隊、王子隊、漆間隊はほとんど点数に差がない。この試合で中位落ちもあり得る試合だ」
綾辻:「弓場隊が4人、影浦隊と王子隊は3人、漆間隊は2人になりますので、数字の上では弓場が一番多く、漆間隊が少なくなります。またスナイパーは漆間隊の潮田隊員を入れますと王子隊以外は1人居ます」
太刀川:「まあ漆間隊の戦い方なら人数の差は関係ないだろ。だが、狙撃手有利の環境にわざわざして、何を狙ってるのかが気になるな」
風間:「だが、弓場隊が若干の優位があることは間違いないだろう。どれだけその優位を保てるかが試合の鍵だろう」
綾辻:「では、まもなく試合開始です! 各隊の配置を確認していきましょう!」
ーーーーー
隊室には、いつもより緊張した空気が流れていた。
漆間くんはホワイトボードに市街地Cの地図を広げ、それをじっと見つめていた。
「市街地Cを選んだのは、理由がある。さっきも言ったと思うが、もう一度整理するぞ」
漆間くんが地図の一点を指で叩いた。
「一つ目は、弓場隊の対策だ」
「入り組んだ地形だと弓場さんが強いから……ってことだよね」
ぼくが言うと、漆間くんは頷いた。
「あいつらは狙撃の射線がある場所では動きにくいはずだ」
「二つ目は?」
六田さんが聞く。
「それは俺と渚が一番わかってる」
漆間くんがぼくの方を見た。
「ああ……うん」
ぼくは少し考えてから答えた。
「高台を取らないと不利になるから、向こうのスナイパーは結局そこに来る、ってことだよね」
「そうだ。動きが読みやすくなるし、隠密の駒としては死ぬ——ROUND2の渚みたいにな」
漆間くんは小さく笑った。
「で、三つ目は——」
「それはまだ言わなくていい」
漆間くんが言葉を遮った。口元に少し笑みを浮かべる。
「お前が一番楽しみにしてるところだろ」
「……うん」
ぼくは小さく頷いた。
六田さんが装備の確認をしながら、こちらをちらりと見た。
「私の出番が多いから、気合入れないと」
「うん、頼りにしてるよ」
漆間くんは立ち上がり、装備の準備を始めた。
「いいか」
漆間くんが、ふと振り返った。
「B級2位の影浦隊との点差は5点だ。まだA級になる目は残ってる」
その目には、いつもとは違う強い光があった。
「絶対ここで影浦隊から点をもぎ取って——固定給をゲットするぞ!」
「……固定給」
ぼくは思わず呟いた。
「目標が大きいのか小さいのか、よくわからないよね」
六田さんも苦笑いしている。
「うるさい、目標は目標だ」
漆間くんは少しムキになって言い返した。
ぼくは少し呆れながらも、内心では嬉しかった。
こんなにやる気に満ちた漆間くんを見るのは、初めてかもしれない。
試合開始まで、あと少しだった。
ーーーーー
午後の仕事が落ち着いた頃、受付から内線が入った。
「お客様がいらっしゃっています」
訪問の予定はなかったはずだ。誰だろうと思いながら席を立つと、応接スペースに見覚えのある男性が立っていた。
色つきのサングラスを頭に乗せた、軽薄そうな印象の若い男。以前何処かであったことがある。そうだ……息子の渚をスカウトした人物だ。名前は——迅、といっただろうか。
「お忙しい中、すみません」
迅さん——いや、私よりだいぶ年齢が下だから迅くんと呼ぼう。——は頭を下げた。普段はもっと軽い調子で話すのだろうと思わせる雰囲気だったが、今日は様子が違った。表情に、どこか余裕のなさが見えた。
「いえ、構いませんが……何か御用でしょうか」
「単刀直入に言わせてもらいます」
迅くんは少し改まった様子で切り出した。
「1月の初旬から中旬にかけて、俺が指定した日は本部に来ずに、指定した場所に行ってほしいんです」
「……はい?」
予想していなかった話だった。
「詳しい日程は、前日にメールでお送りします。上司の方にも話は通してありますので、業務上の問題はありません」
「それは——どういう理由で?」
「申し訳ありませんが、理由はお話しできません」
迅さんは、はっきりとそう言った。
「どうか、理由を聞かずに俺の頼みを聞いてもらえないでしょうか」
その言葉には、奇妙な切実さがあった。
理由を聞かずに頼みを聞いてほしいなんて、普通なら怪しいと思うところだ。でも、迅さんの目には、ふざけている様子は一切なかった。むしろ、何かに追い詰められているような色があった。
少し迷ったが、最終的には軽く頷いた。
「……わかりました。ボーダーのためになるなら、協力します」
正直なところ、よくわからない頼みだった。でも、別に減るものでもないのだから良いと思った。仕事の都合か——何かの作戦の一部なのだろうか、と頭の片隅で考える。
「ありがとうございます」
迅くんは深く頭を下げた。それから、少しだけ表情を緩めた。
「ああ、そういえば」
私は思い出して言った。
「今日はこれから、息子の試合があるんです」
「……そうですか」
「正直、君が渚をスカウトした時は、やっていけるか半信半疑だったんですよ。渚は優しい子なので……。でも今は——感謝してます。渚はボーダーに入って、本当に楽しそうだ」
ランク戦で活躍していること、隊の仲間と笑い合っていること、家でボーダーであった事を楽しそうに話すこと。そういうことを、私は少し誇らしげに話した。
迅くんは、その話を聞きながら、複雑な表情をしていた。
嬉しそうな色と、それだけじゃない何かが、同時に浮かんでいるような顔だった。
「……そうですか。それは、良かったです」
迅くんの声は、少し沈んでいるように聞こえた。
なぜそんな顔をするのか、私にはわからなかった。
ただ、なんとなく、迅さんという人は見た目以上に色々なものを抱えている人なのかもしれない、とだけ思った。
迅くんが帰った後、私は席に戻り、スマホを取り出した。
今日の弁当には、私の好きな甘い卵焼きが入っていた。引っ越してきて以来、広海は私の健康を心配して、毎日弁当を作ってくれている。砂糖を使った甘い味付けはあまり身体に良くないからと、なかなか作ってくれなかったものだ。それが今日は入っていて、少し嬉しかった。
「卵焼き美味しかったよ」
それだけの短いメールを打って、送信した。
何気ない、いつもの日常の一コマだった。
よかったら、お気に入り登録、高評価、感想お願い致します!