剣士と野生   作:彼岸花ノ丘

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中編

 クリスは『そいつ』の姿に困惑した。

 背中を覆うほど長く伸びた髪は、まるで毛皮のようにごわごわ。恐らくブロンドであろう髪色は、泥と脂に塗れて黒くなっている。

 身体は痩せ型だが、手足は存外がっちりしていた。ネコやヒョウのような、引き締まった肉体と言うべきか。その二種が生粋の捕食者である事を考えれば、非常に攻撃的な外見とも考えられる。

 今はしゃがみ込んで(巷の子供達なら『うんこ座り』と呼ぶような座り方だ)、クリスが捨てた干し肉を食べている。水で解していない肉なので相当硬い筈だが、聞こえてくるくちゃくちゃという咀嚼音から、顎の力でどんどん噛み潰しているらしい。

 

「(どうしたものかな)」

 

 じっくり観察したところで、クリスは改めて迷う。

 十中八九、最近村の家畜や商人を襲っているのはコイツだろう。

 恐らく元は捨て子。都市部では滅多におらず、そもそも法で禁じられているが、辺境では未だ子供の『間引き』は起きている。

 残虐だ、というのは簡単だが、辺境の環境……というより自然と接した暮らしは都会人が思うよりも遥かに厳しい。畑作が出来る土地や、森や川から得られる恵みには限りがある。かと言って都市部のように金で食べ物を買えるほど豊かでもない(都市部が農村の食べ物を買い集めているとも言えるが)。

 だから人口を簡単に増やす事は出来ない。しかし貧しさ故に死人もそこそこ多いので、子供を作らないでおくのも良くない。子供が大人になるまで、いや、働けるまでと考えても十年は掛かる。その十歳になるまでの間にも、病気や飢えでバタバタ死んでいく。足りなくなってから子供を作るのでは遅過ぎるし、足りない分だけ作っても大抵十分ではない。

 だから毎年子供を産んで、()()()分は殺すのが合理的だ。

 無論人の心はそんな無機質なものではない。共同体を守るためとはいえ、我が子を殺すなんて真似は普通無理だ。親は必死に抵抗し、無理をすれば時として村が壊滅する惨事を引き起こすだろう。

 だから生きたまま、森などに捨て置く。

 乳飲み子の時に捨てれば、当然生きていけない。食べ物なんて得られないし、獣からすれば手頃な肉塊だ。確実に死ぬのだから間違いなく殺人だが、それでもほんの僅かな、夢のような希望はある。

 誰かに拾われて、何処かで幸せになっているという、都合のいい夢。そうして親達の精神的負担を軽減しつつ、村の人口を維持するのだ。

 ――――その夢の体現者が、此処にいるというのか。

 

「(オオカミだかサルだかに育てられた子供がいる、なんて噂話は聞いた事があるが……まさかこうして目にするとは)」

 

 いずれにせよこの少女……野生児と呼ぶべきか……が本当に捨て子なら、人間の道理など持ち合わせていないだろう。人間の理性というのは、親や友人など、人間関係殻学ぶものだ。その人間から離れていた者に、良くも悪くも人間の理論は備わらない。年頃を考えれば、今更人間社会にも戻れまい。

 改心ないし投降はほぼ不可能。なら、依頼主である村への被害をなくすためにも征伐せねばならない。

 クリスは剣を構え、ゆっくりと距離を詰めていく。足音を立てないよう、慎重に、少しずつ進み――――

 あと一歩で間合いに入る、といったところで野生児はくるりとクリスの方を振り向いた。

 

「っ……!」

 

 ぴたりと、クリスは足を止める。

 振り向いた野生児の顔は、とても整っていて可愛らしいものだった。背格好から十代後半以降と考えていたが、十代前半だったかも知れない。

 しかしその可愛らしさは、鋭い眼光の前では霞んでしまう。長年野生で生きてきたであろう、強さと逞しさ、そして獰猛さを宿した瞳だ。歴戦の猛者でも、この瞳に射抜かれたら身震いするだろう。

 クリスは気を引き締め直すが……剣を振るう気にはならない。

 野生児のぎょろりとした目は、クリスだけでなく剣も見ている。これがなんらかの武器であると気付いているのか、単に棒状のものを警戒しているだけなのか。内心など分かりようもないが、不意を突けるようには思えない。

 

「……くちゃ、くちゃくちゃ」

 

 干し肉を噛みながら、野生児はじぃっとクリスを見つめる。

 一切言葉は発さず、ただ見つめるだけ。何を考えているのか、何かを企んでいるのか。そんな理性的な思考があるのか。

 緊張の中で口に唾が溜まり、ごくりとクリスは息と共に飲んだ

 

「がぁっ!」

 

 瞬間、野生児はクリス目掛けて跳んだ!

 吼えた口は開きっぱなし。大きな歯を剥き出しにし、迫るのはクリスの首元。

 あと少しで噛み付かれる。

 

「はあっ!」

 

 しかしその少しを詰められる前に、クリスは剣を振るう。実戦経験豊富なクリスであれば、この『攻撃』に対応出来る。

 振るった剣撃は少女の胴体を直撃。

 だが、その身体を切り裂くには至らない。何故なら少女は剣が迫るや片手を振るい、叩いて刃の角度を僅かに変えたからだ。

 側面からぶつかっては、斬撃にはならない。少女は殴り飛ばされたが、クリスから数メートル離れた位置で両足から着地。両手も地面を付き、正に獣のような体勢で踏み止まる。

 剣は金属なのでそれなりの重量があり、側面からの打撃でも鈍器程度の一撃にはなる。虚弱な相手であれば怪我ぐらいは負わせられるだろう。だが野生児の身体は硬かった。恐らく引き締まった筋肉が鎧のように打撃を防いだのだろう。

 頑強な身体、斬撃を見切る動体視力。

 たった一撃の間に見せたものだけでも、凄まじい戦闘能力の持ち主だと分かる。クリスもそこには感心した。されどもう一つの『能力』にも、クリスは驚きを覚えている。

 

「(コイツ、まさか剣の性質を理解しているのか……?)」

 

 それは剣を叩き、防いだ事。

 野生児の出自が予想通り捨て子で、獣にでも育てられたとすれば、人間の文化なんてろくに触れていない。即ち人間の使うもの……言葉や法だけでなく、道具なども知らない筈である。

 当然、剣だってろくに見た事がないだろう。

 だというのにコイツは、剣を叩き、向きを変えさせた。側面からぶつかったら切られると理解しているのか? それとも防ごうとして失敗し、偶々斬撃を回避出来たのか?

 後者なら気にする必要はない。だが前者であれば、この野生児は一目見て()()()()()()()()()事になる。なんの知識もないにも拘らず、だ。過去に襲った商人が自衛用のナイフを持っていて、それを見た可能性はあるが、剣と小さなナイフを即座に『同質』のものと判断したなら十分応用力があると言える。

 『賢い』というのは、単に知識がある事だけを言わない。むしろその知識を土台にし、未知に対して適切な判断・対応を取れる者こそ相応しい。

 この野生児は誰に教わらずともそれが出来た。戦いの天才と評価すべきか。

 

「(さて、どうしたものか)」

 

 クリスは剣を構え直し、剣先を向けて牽制。野生児は四つん這いの体勢で、クリスを見つめながら少しずつ歩く。様子を窺いつつ、隙を探っているのか。

 一瞬でも気を緩めれば、この野生児はその瞬間襲い掛かってくるだろう。

 どうして襲うのか。言葉が分からない以上憶測しか出来ない。これまでも死人が出たという話は聞かないので、単なる脅しかも知れないが……剣で攻撃された事で、クリスを脅威と判断した可能性もある。襲われても怪我で済む、と考えるべきではない。

 

「(幸い、相手は裸一貫だ。一撃入れば致命傷になる。対してこちらは革とはいえ防具がある)」

 

 耐久では自分に分がある筈。無理はせず、持久戦に持ち込もうとクリスは作戦を立てる。

 つまり少しずつ相手の体力を削り、弱ったところで止めを刺す。

 自分の長所を活かすのは戦いの基本。どんなに優れた剣士でも、基本を怠れば長生きは出来ない。何年も剣士として生きてきたクリスも、基本を疎かにする気はない。

 ――――出来ればあの野生児は、その基本を守らないでくれれば楽だが。

 しかしそれは期待出来ない。自然界が如何に過酷か、移動で野宿する程度のクリスでも知っているのだ。何年も、それこそ衣食住の全てを自然界で賄ってきたであろうこの野生児が、それを知らずに生き延びる訳がない。

 野生児も戦いの基本を理解していると考えるべきだ。ただしその基本は、人間が扱う剣術とは色々異なるが。

 

「がうっ!」

 

 吼えるような掛け声と共に、野生児がまた動き出す。

 先程のような、飛び掛かる攻撃ではない。片手で薙ぎ払うように、大きく振り回す攻撃だ。手は握り締めず、引っ掻くように爪を立てている。

 そして狙いは、クリスが持つ剣。

 咄嗟にクリスは剣を強く握り締める。受け流そうとして傾けたり、構えを変えたりはしない。

 もし下手な小細工を弄していたら――――野生児に叩かれた瞬間、その衝撃で剣を吹っ飛ばされていただろう。

 

「なっ……!?」

 

 驚き、思わず声が漏れる。剣を掴む手どころか腕までもがビリビリと痺れ、剣先が震えてしまう。

 即座に握り直すが、野生児の攻撃はこれを待たない。二度目、三度目の薙ぎ払いが来て、剣を打ち鳴らす。

 このままではやられっぱなしだ。すぐにでも反撃に転じたい。だが、それは難しい。

 まず、恐るべき打撃の威力。

 剣と剣の打ち合いなら、クリスは幾度となく経験している。鍛錬としては勿論、野盗相手に本気の、互いに殺すつもりの打ち合いをした経験も一度や二度ではない。

 その数え切れない経験の中でも、ここまでの威力を受けた覚えはない。強いて言うなら数年前、自分を鍛えてくれたベテラン剣士の一撃ぐらいか。生半可な力ではなく、剣が吹き飛ばされないよう握り締めるのがやっと。

 おまけに攻撃はかなりの速さで繰り出されている。しかも今は時間が夜で、明かりを確保するためにも焚き火のある場所からあまり動けない。立ち回りと手数を意識させられ、相手の攻撃に対処する余裕がなかった。

 更に間合いも厳しい。

 どうにもこの野生児、攻撃対象を剣に定めているらしい。決して踏み込まず、伸ばした腕が剣の前三分の一に当たるぐらいの位置を保っている。これでは剣を振っても斬れるのは精々腕だけだ。

 しかも野生児は常に四つん這いでありつつ、前のめりに体勢を傾けた状態で攻撃してくる。つまり足を曲げるだけで、大きく後ろに後退出来る状態だ。剣を振ったところで素早く下がられ、空振りなんてすれば痛烈な一撃……剣が吹き飛ぶ未来が見える。

 

「(とはいえこのままではジリ貧。なら、これはどうだ!)」

 

 そこでクリスが繰り出したのは、突き。

 両手で柄を握り締め、渾身の力を込めて繰り出す。両腕を真っ直ぐ伸ばすだけでなく、足も使って可能な限り前傾姿勢を維持。

 これなら間合いを保つ野生児にも十分届く。理想を言えば顔や胸を貫き、それが無理でも腕に当たればよし。

 

「ぎゃっ!」

 

 野生児度は剣が迫るや、素早く足を曲げて下がる。だがこの動きは想定通り。それだけならまだ届く。

 クリスにとってこの剣は、長年振るってきた相棒だ。今更間合いを見誤る事などあり得ない。手足の長さも把握済み。そして一度突くと決めたからには思いっきり、半端なところで止めなどしない。

 どれだけ身体を引こうと、最早逃れられない。

 その筈だったのだが、クリスの繰り出した一撃は野生児に当たらない。

 何故なら野生児は、クリスの剣が迫るやくるりとバク転。軽やかな身のこなしで更に後ろへと退いてしまったからだ。

 

「(まさか反応されるとは!)」

 

 野生児は剣が届かない距離を保っていたつもりの筈で、クリスの一撃はその予想を超えた。にも拘らず瞬時に対応してみせるとは、驚くべき反応速度である。

 しかもただ見えただけでなく、即座に後退を選んだ。判断力にも優れている証と言えよう。

 そしてこれで終わりにならない。

 バク転して距離を取るのと同時に、野生児は蹴りを放つ! 剣目掛けて伸びる足先に、クリスの身体は反応出来ない。

 ガチンッと激しい金属音が鳴り、蹴られた衝撃で剣を大きく打ち上げられた。柄は両手で掴んでいたが、衝撃を抑え込めず万歳するように両腕も上がってしまう。

 胴体がガラ空きになった。野生児はこの隙に距離を詰め、追撃のつもりか大きく腕を振るう。

 剣越しに両手が痺れるほどの怪力だ。直撃を受ければいくら革の鎧を着ていても、無視出来ない怪我となりかねない。だが回避する時間なんてない。剣を振り下ろそうにも、腕が痺れて言う事を聞かない。

 

「ちぃっ!」

 

 ならばと繰り出したのは、足蹴。

 顎目掛けてクリスは力いっぱい蹴り上げる。至近距離からの一撃に野生児も反応が間に合わず、クリスの蹴りは野生児の顔を打つ。

 並の人間ならば、脳震盪を起こして倒れるだろう。

 だが野生児はこの衝撃を、首の筋力で抑え込んでいた。最小限の揺れに抑え込む事で、脳が揺すられるのを防ぐ。身体は後方に飛んだが、意識は明瞭。四つん這いで着地した野生児は、即座に次の行動を起こす。

 足下の土を投げてきたのだ。クリスの顔目掛けて。

 

「しまっ、ぐっ!?」

 

 飛んできた土に気付き、咄嗟に守りの体勢を取る。

 守る事自体は、決して失敗ではない。野生児の投げた土は正確にクリスの顔を狙い、防がなければ目に入り込んで視界を奪っていただろう。ただでさえ防戦一方なのに、視覚が失われたら一方的に嬲り殺される。

 片手を顔の前で構えれば、飛んできた土は無事防ぐ事が出来た。目に異物は入らず、視界が失われるのは回避する。

 だが、構えた片手自体が視界を遮っていた。

 だから野生児が突撃を始めたと、すぐには気付けなかった。

 だから野生児が懐に入り込んでから、間近まで来たと理解した。

 だから野生児の視線が、片手でしか握っていない剣に向いていると後から察した。

 全てが一手遅い。この遅さが致命的だった。

 肉薄してきた野生児は、その場でくるりと回る。無論、ただ回っただけではない。真っ直ぐ足を伸ばしながらの回転、回し蹴りを放ってきたのだ。

 狙いは、クリスが握る剣。

 今まで野生児の猛攻を受けても、クリスは剣を手放していない。しかしそれは両手でしっかり握り締めていたからだ。今は土から目を守るため、片手を手放している。おまけに足は腕よりも遥かに強い力があると言われている。

 蹴りが剣を直撃すれば、長年連れ添った相棒は呆気なくクリスの手から離れた。

 

「(これは、流石に不味い!)」

 

 徒手格闘が出来ないとは言わない。だがそれは同等の人間相手に通じる技だ。この野獣染みた野生児の顔面を殴ったところで、跳ね除けられるのがオチだろう。

 しかし剣を拾おうにも、森の何処かに飛んでいってしまった。おまけに今は夜。焚き火の近くなら探しようもあったが、少し離れたら足下すら満足に見えない。曖昧な方角しか分からない状態で剣を探しても、見付かるのは何時になるやら。

 その間、野生児が攻撃してこない筈もない。突きを繰り出すのが精いっぱいな猛攻の中で、暗闇を這いずり回りながら剣を探す? 全く現実的ではない。大体剣を取ったからと言って、それで勝てる訳でもない。

 どうすべきか。周囲をぐるりと見渡す。茂る草木、先の見えない暗闇、パチパチと音を鳴らす焚き火、散らばる枯れ枝……

 そして再度迫る野生児。

 

「がああああっ!」

 

 雄叫びを上げる野生児は、口を大きく開けていた。剥き出しの前歯がクリスにどんどん迫ってくる。

 狙いは、恐らく首。

 首を噛まれたら生命に関わる。この一撃で敗北する事もあり得るだろう。だが剣を持たない今のクリスには、身体能力で勝る野生児を止めるなんて出来ない。野生児の方も剣がなければ脅威ではないと考えているのか、迫る動きに迷いはなかった。

 野生児は止まらない。クリスには止める事も出来ない。

 なら、その勢いを利用する。

 

「はああっ!」

 

 両手を伸ばし、掴んだのは野生児の片腕。

 野生児は掴まれた腕に一瞬視線を向けたが、止まる素振りすらない。クリスの力に阻まれる事はないと判断しているのか。

 合理的な判断だろう。ただの肉体のぶつかり合いであれば、事実その通りだった筈だ。

 だがクリスは『技』を使う。

 

「ふっ!」

 

 野生児の片腕を掴んだまま、ぐるんと身体を半回転させるクリス。いきなり背を向けたクリスに、野生児は僅かな警戒心を抱いたのか。身体が一瞬硬直した。

 その隙をクリスは見逃さない。掴んだ腕を肩に担ぎ、身体全体をしならせて野生児を持ち上げ――――

 円を描くように、野生児の身体が宙に浮いた。

 極東では『背負い投げ』と呼ばれる体術だ。背中を地面に叩き付ける技であり、威力は決して低くない。とはいえこれだけでは一時的な痛みを与えるのが限度。一瞬呆けた後、野生児は苛烈な反撃を繰り出すだろう。

 しかし叩き付けた先が、焚き火であれば話は別だ。

 

「ぎぎゃあああーっ!?」

 

 炎を背中に受けて、野生児は悲鳴を上げた。

 燃え盛る焚き火の上だ。たとえほんの一瞬の接触でも、肌を焼くには十分な火力がある。今頃野生児の背中はボロボロで、皮が剥がれているだろう。

 この火傷で弱った今なら、止めを刺せる――――

 

「ぎゃああっ!」

 

 そう思ったのも束の間、熱さで暴れる野生児の足がクリスの方に伸びてきた。

 狙った攻撃ではなさそうだが、全力の一撃には違いない。その足はクリスの腕を打つ。

 

「がはっ!?」

 

 直撃の威力は凄まじく、クリスは目を見開きながら蹴り飛ばされてしまう。革鎧は腕を守っていないため、ほぼ生身ではあったが……たった一発の蹴りで、メキメキと音が鳴った。痛みが残り、恐らく骨が折れている。

 更に飛んだ先には木があり、背中を強く打つ。これは革鎧が受けてくれたものの、それでも衝撃は十分身体に伝わってきた。内臓が揺さぶられたような気持ち悪さに見舞われ、頭もくらくらする。

 耐久ならこちらに分がある、なんて考えていた少し前の自分があまりにも馬鹿らしい。たった一発攻撃されただけで、今にも死にそうになっているではないか。

 どうにか二本足で立っている。剣も握れるだろう。だが使えるのは片手のみであるし、歩みも覚束ない。こんな状態であの強敵と戦うなど不可能。いや、そもそも剣を探せるのか。

 

「(気を、しっかり、持て……! 意識を失うな!)」

 

 失神だけは避けようと、頭の中で叫ぶ。そして野生児を見失わないよう、鋭い眼差しを向けた。

 だが、野生児は既にいなくなっていた。

 

「ぎぎゃぎゃーっ!?」

 

 悲鳴を上げながら、野生児は森の奥に逃げていたからである。

 あまりにも情けない逃げ方。思わず呆けてしまうクリスだったが、考えてみればあの少女はほぼ獣だ。仕事の信頼だの村のためだのと考えているクリスと違い、危険を感じたら逃げてしまえば良い。

 殺すには至らずとも、追い払うだけなら焚き火で火傷させれば十分だったのだ。

 

「……は、はは。助かっ、たか……」

 

 闇の中に消えた野生児を見て、クリスはその場に座り込む。

 そして全身の痛みと疲労感に耐えきれず、そのまま意識を失うのだった。

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