「で? それからどうしたんだ?」
わいわいと賑わう酒場にて。剣士ヴァナディはクリスに尋ねた。
ヴァナディはこの道四十年の大ベテランである。幼子の頃から戦場で暮らしてきた、生粋の傭兵だ。平和な今は剣士という体で、山賊などを征伐する日々を送っている。
若輩者のクリスからすると天の上の人であるが、ヴァナディは昔からクリスに目を掛けてきた。曰く「俺より余程才能がある」とか。要するに若くて強いから気に入られたという事。ガサツで金遣いが荒いなど欠点も多いが、稽古や仕事に誘ってくれるなど面倒見は良い。
今日は、クリスが大怪我を負ったという報せを聞いて駆け付けてくれた。
……尤も、怪我をしたのはかれこれ一年前で、もうクリスはすっかり良くなっているが。ベテランであるヴァナディには常に依頼が舞い込み、中には貴族からの仕事もあるという。数ヶ月先の予約もあるのだから、中々会いに来れないのは仕方ない。
詫びと言って此処での食事を奢ってくれるので、クリスはそれで良しとする。度数の低い酒を一口飲んでから、ヴァナディの問いに答えた。
「どうもこうも、朝になって目が覚めたらさっさと村まで帰りましたよ。追撃出来るほどの余裕はなかったので」
「賢明だな。相手が手負いだからと無茶をする奴は、大抵早死にする」
ヴァナディから同意を得られ、クリスは少し安堵した。間違った決断をしたつもりはなかったが、ベテランも同じ考えなら確信が持てる。勿論、ベテランだから正しい、と盲信するつもりもないが。
「それで? 焚き火で追い払っておしまい、という訳じゃないだろう?」
「ええ、まぁ。此処からが面倒でして」
クリスは思い出しながら、野生児討伐の顛末について語る。
まず、依頼は成功扱いとあった。
野生児による被害が、クリスが戦った後にパタリと止んだからである。依頼してきた村の村長には野生児との戦いについて正確に報告したため、いなくなった事はクリスのお陰と判断された。追い払っただけなのでまだ生存している可能性は高いが、村としては被害がなくなればそれで良い。依頼費は満額支払われ、怪我の治療費を借金せずに済んだ。
しかし安寧は、一月ほどで終わった。
野生児と戦った街道に、今度は獣が現れるようになったのだ。シカやイノシシならまだマシ、時にはクマが現れて商人を襲うという。村の獣害も激増し、その季節の農作物が壊滅したらしい。村近くにあった山菜の自生地もシカに食い荒らされ、森の奥深くまで採りに行かなければならないとか。
「……それは、なんだ? 森の生き物が、その女の敵討ちに来ているとでも?」
「その方がマシでしょうね。実際は、もっと複雑だと思われます」
あくまでも推測だが、獣達が現れるようになった理由は
確かに野生児は、村で家畜を食い殺していた。
しかしこれは数日に一度の頻度である。人間、確かに数日ぐらい食べなくても生きてはいける。だがどれだけ大量に、腹が張るほど食べても、翌日には空いてしまうものだ。そしてあの獰猛な野生児に「毎日行ったら村に申し訳ないな……」とか「我慢しながら食べないと家畜が全滅してしまう」なんて殊勝な心掛けがある筈もない。
だとすると野生児は普段、村ではなく森の中で何かを食べていた筈だ。
そしてそれは山菜や果物だけではない。剣士として鍛えているクリス以上の身体が、そんな粗末なもので維持出来る訳がないからだ。具体的に『肉』を食べている筈である。しかも大量に。
「恐らくシカやイノシシなど、獣を襲っていたのでしょう。剣士である私を殺す寸前まで追い込んだ実力から、小さなクマも狩っていたかも知れません」
「ふむ。そうなると、当然獣達は村の傍には近寄るまい」
獣は決して馬鹿ではないし、ましてや愚かでもない。命の危険があれば学習し、そんな場所には近寄らないようにする。
野生児がいた時は、きっと獣達は野生児を恐れていた。食われてしまうと警戒し、村や道から離れていた、森の奥に潜んでいたのだろう。すると村にはあまり近付けず、畑などに侵入する事は滅多にない。
ところが野生児はいなくなった。今や村の周囲は安全。ならば獣達は森に潜み、人間から離れて暮らす必要はない。
「野生児がどれだけ強くても、一人だけです。意図的な破壊でもしない限り、被害はたかが知れています」
「そうだな。だが獣はそうもいかない。何十、何百もの数がいる」
「狩人が狩っていけば、いずれ村の周囲が危険だと覚えるかも知れませんが……」
「何年後になるかも分からんな。それに夜の森は迂闊に入れん。これではあまり効果がないだろう」
シカにしろクマにしろ、人間が寝静まった夜にやってきて畑を荒らす。森の動物は人間が危険だと知っているのだ。
その寝ている人間の代わりをしていたのが、野生児。
クリスが襲われた時間帯からして、野生児は夜中に活動していた。野生動物の活動時間に合わせたのか、夜の方が人間に見付からないと学んだのか……なんにせよ夜中動き回る脅威が、クリスが依頼を受けるまではいたのだ。
それがいなくなってしまえば、夜は野生動物達の楽園となる。猟師がどれだけ頑張ろうと、社会が昼間に動く以上、夜間を活動時間には出来ない。猟師が動物を威圧する効果は限定的だろう。
「知らず知らずのうちに、あの野生児に村は助けられていた訳です」
「成程。オオカミを駆除したら、シカやイノシシの農作物の被害が増という話を聞いた事があるが、それと似たようなものか……」
誰が悪い、という話ではない。被害が出ていた事は間違いなく、クリスは依頼をこなしただけ。だが結果として、村は更に厳しく、より困難な状況となった。対処方法はあるが、そのために新たなコストを支払わなければならない。
あの野生児は、結果的に自然の秩序だったのか。その秩序を倒した事は、間違いだったのか。
……考えたところで、一介の剣士であるクリスには分からない。そしてどんな文句や理屈を言おうと、起きてしまった事は変えられない。
「スッキリしませんが、これで話は終わりです」
「成程。ま、世の中なんてそんなものではある。正義だの悪だの、すっきり分かれるものでもないからな」
ヴァナディはぐいっと酒を煽り、コップを空にする。
それから力強く立ち上がった。
「面白い話が聞けた。約束通り、飯は奢ってやろう」
「面白くなかったら払わさる気だったのですか……」
「はははっ! 冗談だ。それに、有益でもあったからな」
「有益?」
こんな与太話染みた話の、何処に利益なんてあったのか。首を傾げるクリスに、ヴァナディは不敵に笑いながら答える。
「実は今受けている依頼で、奇妙なものがあってな。なんでも裸の女が森を徘徊していて、夜な夜な山賊や商人を襲っているとか」
「……………」
「それもここ半年の出来事らしい。山賊に至っては死者も出ているとか……ま、そういう訳だ」
軽く説明すると、ヴァナディは会計へと向かう。きっと、そのまま仕事に行くのだろう。
一人残されたクリスは、残った酒をちびりと飲む。
……ヴァナディはベテランの剣士だ。クリスが知る限り、誰よりも強い。クリスよりも経験豊富で、知略にも優れている。
しかし彼の受けた依頼の相手が、本当にあの野生児なら――――今の奴はクリスとの戦いを経験し、更に強くなっているのではないか。
火の熱さ、剣術の間合い、素手の体術。どれもあの野生児にとって初めての経験だった筈だ。初めてなのに、クリスさえも苦戦させた。それらを学習し、人間をより理解したなら、どれほど『成長』しているか分かったものではない。
果たしてヴァナディは、あの野生児に勝てるのか。いや、勝つだけでは駄目だ。逃さず、確実に止めを刺して、今後一切成長させない事が出来るのか。
もしも、あの野生児がヴァナディからも学んでしまったら……
「誰の手にも負えない、か」
誰が悪いという話ではない。
けれども自分達が何か、恐ろしいものの誕生に関わっているような気がする。
その恐ろしさを誤魔化すように、クリスは残りの酒を一気に飲み干した。