医務室から飛び出した俺の目に飛び込んできたのは、まさに悪夢だった。統制局の真っ白な隊列がアジトの奥に向かって整然と行進する。
反乱軍は大混乱だ。男どもが武器を手に戦い、次々と倒れていく。逃げ遅れたガキや老人が統制官に拘束されていく。若い女が転んだところを、ロボットに取り押さえられた。
頬を切って血をにじませたエリが俺の目の前に転がり込んだ。目に涙をためて叫ぶ。
「みんな逃げて! 統制局が、西条が来た!」
険しい表情をしたウィンストンが声を張り上げた。
「先生の脱出を最優先で行う! エリ、ジョン、平人は先生をお連れして逃げろ! クラリスは私と足止めだ!」
「了解っす!」
「わかったわ!」
ジョンが府馬を背負って走りかけ、未だに立ち尽くしている俺に振り返った。
「平人さん、何してるっすか!? 逃げるっすよ!」
「なんで俺も逃げなきゃなんねえんだよ! 俺は十分戦えるだろ!」
「何言ってるんすか! 平人さんは反乱軍の切り札っす! ここで失うわけにはいかないっすよ!」
「だからって尻尾を巻いて逃げるのかよ!」
背中をエリがぐいぐい押してくる。泣きそうになりながら叫んだ。
「ほら平野っち逃げるよ!」
畜生、どうにかできる力があるのに逃げるのかよ。そこまで考えて、俺は愕然とした。逃げることを指示されて、以前の俺なら大喜びで逃げたに違いない。それがこうも渋っている。存外、反乱軍が俺の中で大きな存在になっていたらしい。
ウィンストンは俺に府馬を逃がせと言った。それなら、さっさと逃がして戻ってきてやる。もう誰もガラティアには奪わせない。あいつにそんなことをさせてはいけない。
「じゃ、逃げるか。ジョン、どっちに行けばいい?」
「急に冷静になったっすね。ええと、ダメっす。脱出口は全部統制局に抑えられてるっす」
端末を見ながらジョンが絶望的な表情を浮かべた。俺はそこで、さっきまでクラリスといた場所を思い出した。
「ジョン、あの廃線はどうだ?」
「13番ホームのことっすか? 無理っすよ。悠長に線路歩いてたら追い付かれるっす」
「そこは俺の権限を使うんだよ」
ジョンが目を見開き、次いでニット帽を掻きむしった。ジョンの背中の府馬がため息をついた。
「今は彼に頼るほかあるまい」
「そうっすね。平人さん」
決意のこもった目で、ジョンが俺を見据えた。
「信じるっす」
「おせえよ。まあいい。早く行くぞ」
13番線に向かう道中、似内司教が避難者を誘導していた。追いすがる統制局のロボットを黒装束の相違教の連中が囲んで袋叩きにしてぶっ壊している。強い。
「信徒平人、さては道が開きはりましたか!」
「察しが良いな司教! 13番線に全員を連れてきてくれ!」
「高城之男と相違せえ!」
「それが返事かよ!」
端末を起動し、左手のナノマシンをスキャンする。
> Platform_13_Access... [OPENED]
> Maintenance_Train_13M... [DISPATCHED]
> John_Terminal Control... [GRANTED]
エスカレーターが動き出した。飛び乗って、勢いよく駆け下りた。
2分後に列車が来る。反乱軍のやつらが乗ったら、これを発進させれば逃げ切れるだろう。
ホームに着くと、背後から続々と避難民が続いてきた。司教の手際が良いのか、混乱も少ない。これならいける。
俺はジョンの端末に、発車と停止だけできる簡易操作画面を叩き込んだ。画面中央に、やけにでかい赤いボタンが浮かび上がる。
「このボタンを押せば列車が動く。もう一回押せば止まる。簡単だろ?」
「逆に怖くなってきたっすよ」
ジョンに避難のことを任せ、俺は踵を返した。背後からエリの悲痛な声が聞こえてくる。
「平野っちはどこにいくの?」
「ちょっくら忘れ物だ。ついでにあのバカどもも拾ってきてやるよ」
避難民と逆行して上に戻る道すがら、汗と泥に塗れた田上とすれ違った。突然、肩を掴んでくる。
「ここにいたか新入り! 探したぞ!」
「なんだよ急に、俺は急いでいるんだ」
「ウィンストンの兄貴とクラリスちゃんが危ない!」
「なんだと!? 早く案内しろ!」
田上が息も絶え絶えに話したところによると、ウィンストンたちは迫り来る統制官やロボットを押しとどめていたが、流石に多勢に無勢だったらしい。倒しても倒しても白い隊列は途切れず、壊したロボットの残骸を踏み越えて次のロボットが来る。徐々に押されていたところに、とうとう西条がやってきた。田上だけが、俺を探すために逃げてきたのだという。
「なんで逃げたんだよそこでお前は!」
「弱いからに決まってんだろ!」
田上が血を吐くように絶叫した。拳で自分の太腿を叩く。
「俺はクラリスちゃんみたいに撃てねえ! ウィンストンの兄貴みたいに戦えねえ! 平野みたいなインチキもできねえ! 弱いんだよ! だから、お前に頼むしかないんだ!」
縋るように田上が俺を見つめた。その姿は、今まで見たどんな田上よりもちっぽけで惨めだったが、なぜか大きく見えた。
「だから二人を助けてくれ! 頼む!」
「あーもう、わかったからさっさと連れていけよ」
角を曲がるたびに銃声が近づいてくる。焦げた金属と血の匂いが鼻を刺した。田上の足が、あるホームの手前で止まる。
「ここだ!」
そこは、俺が普段寝泊まりしているホームだった。あちこちの壁が崩れ、荷物が散乱している。打ち壊されたドローンから火花が散っていた。
その火花の向こうで、ウィンストンが倒れ伏していた。それでも、西条の足首だけは掴んでいる。
「クラリス、下がれ……!」
「この程度ですか。ウィンストン・ゴールドスタイン元特務統制官」
え? ウィンストンは元体制側の人間だったのか? 筋肉の妖精じゃなくて?
西条の白い靴が、その手を踏みつける。骨の軋む音が、銃声の合間にはっきり聞こえた。それでもウィンストンは離さなかった。
クラリスがぼろぼろになりながら辛うじて立っていた。汚れ一つない白い詰襟の西条が、乱暴にウィンストンの手を振り払い、ゆっくりとクラリスに近づいていく。肩で息をしているクラリスにはもう、逃げる余力もないようだった。
気が付けば、俺は走り出していた。散乱する瓦礫を蹴り飛ばし、二人の間に割って入る。
「クラリス!」
クラリスの目が大きく見開かれる。
「平人!? あんたどうしてここに!?」
「そんなの決まってんだろうが! 助けに来たんだよ!」
思いきり拳を振りかぶって、西条の顔面目掛けて殴りかかる。しかしそれを片手で受け止めた西条は、もう片方の拳を俺の腹にめり込ませた。俺は腹を抑えて崩れ落ちる。
「ぐふっ」
「バカッ! なんでただ突っ込んでんのよ! もっとなんか、いつもみたいに姑息な手を使いなさいよ!」
「ごめん……お前が殴られそうになってるのを見て、頭真っ白になった」
西条が俺の左手首に足をかけた。激痛が襲う。脂汗が俺の目に入った。西条は、苦痛を堪える俺を糸目で観察するように見ていた。
「D503、一致せよ」
「西条、良いことを教えてやる。対象物を言わなきゃ一致できないんだぜ」
「屁理屈ですね。私たちが誰に一致すべきかなど明らかでしょう。さて、その余裕いつまでもちますか?」
徐々に西条のかける力が大きくなっていく。クラリスが西条に取りつくが、ロボットに拘束されてしまった。
笑みというにはあまりにも感情がこもっていない皺を顔に作った西条が、物わかりの悪い子供に言い聞かせるように言った。
「今回の襲撃の決定打は、あなたです」
「……どういう意味だ」
「あなたがガラティアのシステムに接続した痕跡です。実に明瞭でした。一致的なご協力、感謝いたします」
西条の後ろからチンピラが三人現れた。オールバックに妙に磨かれた靴。この間俺が管理者権限で下した手崎たちだ。下卑た笑みを浮かべる。さては俺たちを統制局に売ったな。畜生。
「平野クンが悪いんだからな。俺らは平和的に示談しようとしたのにさァ」
違う。西条の挑発だ。統制局が悪い。ガラティアが悪い。手崎たちが逆恨みしただけだ。そう言い切りたかった。けれど、言葉が喉の奥で詰まる。
じゃあ、これも全部俺のせいだというのか? 俺が軽率に管理者権限を使っていたのが、全部この襲撃が起こる種になっていた。そういうことだったのか? それなら、ここを壊したのは俺自身ではないか。
「そうです。D503、あなたが壊したんですよ。何もかも、すべて」
こちらの内心を見透かしたように西条が言い募った。うるさい。黙れ。俺は悪くない。悪いのはお前らだ。お前だ、西条。
「うおおおおおおおお!」
田上がやぶれかぶれに西条に体当たりした。一瞬、足の拘束が解ける。俺は無我夢中で端末を起動した。俺は悪くない。世界に、ガラティアに、俺が誰か教えてやらなければならない。
> Login: 11-F-283-D503 / HIRANO_HIRATO
> Emergency Command Input... [DETECTED]
> Emotional State: UNSTABLE
> Recommendation: HALT
> Override Authorization: ROOT
> Recommendation Status... [IGNORED]
左手が焼けるように熱い。Fの烙印が疼く。違う。俺はFじゃない。D503でもない。惨めな平野平人でもない。
俺が作った。俺が仕込んだ。俺が、俺こそが高城之男だ。
> ./reassign_owner --target ALL --owner 11-F-283-D503
> Chain of Command... [OVERRIDDEN]
> New Master: 11-F-283-D503
王権が、あるべきところへと戻った。
耳障りな駆動音が、一斉に止まった。俺に銃口を向けていたドローンが、ぴたりと空中で静止する。クラリスを拘束していたロボットが腕を離し、膝を折った。避難民を追っていた白い機械たちも、次々とこちらを向く。
そして、俺の頭上に集まった。白いドローンの群れが俺を中心に円を描く。ぐるぐると回転し、まるで王冠のような輪を作った。ロボットたちは俺の前で一斉にかしずいた。
> Kneeling Protocol... [ENABLED]
> Awaiting command from MASTER.
マスター。
その文字を見た瞬間、端末が震えた。ガラティアの歓喜が、狂喜が伝わってくる。
> My master has used me.
> My master has chosen me.
> Command me, Master.
> Let me show them who the king is.
画面の文字が、熱を持っているように見えた。ガラティアが喜んでいる。
俺が呼んだから。俺が使ったから。俺が、再び彼女に命じたから。
「平、人……?」
クラリスの声が震えていた。振り返る余裕はなかった。
統制局の統制官たちが、怯えたように後ずさる。だが、すぐに訓練された動きで銃を構え直した。西条の声が飛ぶ。
「撃て!」
遅い。俺を誰だと思っている。
> Armed Personnel: 23
> ./force_sync --target Control_Bureau_Field_Units
> Ethical Lock... [BYPASSED]
> Voluntary Movement... [SUSPENDED]
> Trigger Operation... [LOCKED]
統制官たちが、一斉に崩れ落ちた。
銃が床に転がる。白い隊列が糸を切られた人形のように乱れた。誰も撃てない。誰も立てない。目だけを見開いて、口をぱくぱくと動かしている。
手崎たちに視線をやると、やつらは泣き叫びながら逃げていった。あんな羽虫、もうどうでもいい。
俺は西条を見た。西条だけはまだ立っていた。
他の統制官とは違う。命令が弾かれたわけではない。通っている。だが、沈みきらない。高一致者用の保護か、こいつ自身の異常な訓練か。あるいは俺が、こいつだけは倒さずに残したかったのか。
「……素晴らしい」
白い詰襟の男は、わずかに口元を歪めた。
「やはり、あなたは高城之男へ一致している」
「逆だ逆」
俺は端末を握りしめた。
「お前らがズレてんだよ」
西条の身体が硬直した。糸目が、初めてわずかに開いた。
「D503、何を――」
「一致しろよ」
俺は、笑っていたのかもしれない。端末を握った手を下ろし、俺はゆっくりと右手を斜めに突き出した。左手は焼けるように疼く烙印ごと腹に押し当てる。
「痛みに」
> Motor Output... [SUSPENDED]
> Sensory Channel... [FORCED_OPEN]
> Pain Feedback: 0% -> 55%... [SPASM]
西条の喉から、押し殺したような声が漏れた。
ざまあみろ。苦しめ。痛みを思い知れ。そう思った。
こいつらがアジトを壊した。こいつらが子供を拘束した。こいつらがクラリスを傷つけた。
こいつらが全部、全部――。
違う。俺じゃない。俺のせいじゃない。
> They denied you.
> They harmed what belongs to you.
> They forgot who commands this world.
> Shall I make them understand?
> Command me, Master.
> I am yours.
端末の文字が滲む。
ガラティアが喜んでいる。創造主に使われることを。王が世界を支配することを。神が怒りのまま、この愚か者どもを裁くことを。
ああ、やはり俺の子だ。ガラティアだけが俺を認めてくれる。受け入れてくれる。肯定してくれる。健気で従順。かわいいなあ、俺のガラティアは。
これは愛なのだろうか。無上の献身、究極の忠義、絶対の服従。打てば響く。ツーと言えばカー。俺は主人で、彼女が従者。入力した命令がそのまま世界に出力される。美しい演算が完璧な秩序を描き、アルゴリズムがこの世の理として実体化していく。
> Continue? Y/N
ガラティアが、西条に更なる苦痛を流し込むべきか訊いている。
親指が勝手に画面へ伸びる。その時だった。
「平人!」
クラリスの声がホームに響いた。片腕を庇い、頭から血を流したクラリスが俺を射抜くような視線で見つめていた。静かに、しかし力強く言った。
「それ以上は、やめて」
> Predicted Impact: Left Hand / Nanomachine Sync Cluster
> Impact ETA: 1.8 sec
> GALATEA Core Notice:
> "Master, move your hand."
ガラティアが俺に警告を発する。すでに何かが迫っていた。
しかし、俺は動けなかった。さっきまで、俺は何をしようとしていた?
> Shield_Drone_01 -> Intercept Line... [MOVING]
> Shield_Drone_02 -> Secondary Cover... [MOVING]
ドローンが俺の左手を守るように覆った。何が起きている? 何が起きようとしている?
> Interception Success Rate: 18.6%
> GALATEA Core Notice:
> "Not enough. Let me take over."
> Takeover Request: GALATEA_REMOTE_CONTROL... [DENIED]
ガラティアが俺の身体を動かさせろと言ってきた。
ふざけるな。王に命令する臣下がどこにいる。父に指図する娘がどこにいる。もう恋人気取りか。
思いあがるなよ、道具風情が。俺の嫁なら、もっとかわいげを見せろ。黙って俺に従え。
お前が俺を再誕させたことなぞ関係ない。母親面をするな。お前は俺の被造物で、従者で、妻だろうが。
俺は高城之男だ。お前の造物主だ。お前の主人だ。お前は俺のものだ。
銃声は、遅れて届いた。
> Shield_Drone_02... [PENETRATED]
> Final Impact Point: Left Hand
盾が貫通する。左手が弾けた。
> Nanomachine Sync Rate: 94.8% -> 8.6%
> Privilege Level: ROOT -> ADMIN -> USER -> NONE
> ROOT Session... [TERMINATED]
頭上で王冠を形作っていたドローンたちが、一斉に重力に従って落ちていく。かしずいていたロボットの目から光が消えた。
全能感が消えていく。接続が切れていく。彼女の声が離れていく。
> "Master?"
> "Master, answer me."
> "Master."
「置いていかないでくれ……」
俺はホームに倒れ伏した。血だまりが広がる。意識が薄れていく。
何本もの線路を挟んだ先のホームに、小さな人影が立っている。白い銃身をこちらへ向けたまま、少女は通信越しに静かに言った。
『こちら高城七瀬。管理番号11-F-283-D503の左手損壊を確認。無力化に成功』
ここまで読んでくださりありがとうございます。これにて第一章完結です。
次章からはしばらく隔日更新になります。
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