七瀬が手配してくれたリストによると、現時点で矯正局に囚われている反乱軍関係者はサユリだけだった。過去の収容履歴を遡ると、俺の知らない名前が何件もあったが、全員手遅れだった。
サユリの情報は概ね俺が以前管理者権限で調べたものと同じだった。一致省矯正局第2観察施設。処置区分は再一致観察。しかし、担当官は照井から変わっていた。当然だ。照井は今、統制局に出向中なのだから。問題はその上に記された主管責任者の名前だった。
「高城、影打……」
七瀬が面白くて仕方がないと言うように足を揺らした。その瞳に悪辣な光が宿る。
「平野特務統制官、このことは何を意味すると思う?」
「サユリがお前の従兄のお気に入りってことか?」
「甘ちゃんだね、キミ。C321は影打肝煎りの計画の一部ということさ。例のクスリとも無関係じゃないだろうね」
俺はリストを強く握りしめた。サユリと俺は会ったことはない。しかし、反乱軍の連中の反応を見るに、大切な仲間だったことは明らかだ。それを体制側のやつらはこうも簡単に踏みにじる。
「そう怖い顔しないでくれたまえ。これはキミにとって朗報だよ」
「は? ふざけてんのか?」
「このボクが動く理由ができたということさ。手塩にかけて育てていたモルモットを奪う……考えるだけでゾクゾクするよ……! あの分解屋はいったいどんな屈辱を味わってくれるんだろうね」
七瀬は頬を吊り上げて、端末に何事かを打ち込んだ。こいつほど悪巧みが似合うやつはいるまい。
天井の穴が開き、印刷された書類が降ってきた。七瀬はそれを飛び跳ねて取ると、判子を押し、俺に紙飛行機にして投げた。
「なんだこれ」
「C321の移管要請だよ。これを影打のワンちゃん、照井矯正官に持っていきたまえ」
「しわだらけだぞ。こんなに折って良かったのか?」
「矯正局は曲がっているのを直す専門家なんだろ? くしゃくしゃの書類がやつらにはお似合いだよ」
書類を広げて伸ばすが、イカ飛行機にしたのが一目瞭然だった。地味に綺麗な折れ目なのが鼻につく。
「……これ、通す気あるのか?」
「まさか。噛みつかせるための餌だよ」
俺は紙飛行機の折り目がついている書類を持って、局長室を出た。真っ直ぐに照井のデスクの前に歩み寄る。照井は端末を見ながらコーヒーを飲んでいた。
「照井矯正官」
「高城之男へ一致せよ。何か用ですか平野特務統制官。挨拶もなしとは、統制局長の虎の子は違いますね」
ちげえよ。答礼ならまだしも、そのクソみたいな挨拶を自分からやりたくないだけだ。自分から自分に一致せよとか、バカ丸出しだろ。
「高城局長から矯正局へ申請です」
照井が俺のぐしゃぐしゃの書類を見て眉をひそめた。そりゃそうなる。
「……これは、挑発しているのですか?」
「好きに受け取って構わないですよ」
照井は忌々しそうに書類を受け取ると、端末を叩いた。
「53-C-288-C321の移管? 必要ありません」
「必要があるから申請しているんです」
「C321は今夜20時に再一致処理の最終段階に入ります。技術的にも不可能です」
照井はすげなく紙屑を突き返した。話は終わりだと言うように、端末に目を落としてこちらには見向きもしない。
やつの言は、今晩壊すからもう無理だと言っているに等しい。俺は舌打ちしたい衝動を抑えて、局長室に戻った。
七瀬は何も言わないうちから薄く笑った。こんなんで目的が達成されたとでも言うのか。
「照井矯正官はなんて?」
「今夜8時にサユリをぶっ壊すから無理だとよ」
「上々だ」
「どこがだよ」
俺がまだあどけなさが残る七瀬の顔を睨みつける。隠しきれない性格の悪さを反映したのか、歪んだ瞳が俺を見つめ返す。
七瀬はおもむろに立ち上がり、俺の左手に指を絡めた。どうせ左手も動かない。俺はため息をついて、七瀬のナノマシンとの同期が終わるのを待った。
> Relay Controller: 01-A-286-L742 / TAKAGI_NANASE
> Linked Subject: 11-F-283-D503 / HIRANO_HIRATO
> Direct ROOT Channel... [UNSTABLE]
> NANASE Relay Route... [STABLE]
> GALATEA Access Relay... [ENABLED]
> Privilege Level: LIMITED_ROOT
「これでキミとガラティアのアクセスはスムーズになったはずだ。今日はもう上がっていいよ」
「は? まだ昼過ぎだぞ? 定時までまだまだじゃねえか」
「特にやってもらいたい仕事もないしね。たまにはゆっくり自室で休みたまえ」
マントを翻して自席に戻った七瀬が、追い払うジェスチャーをした。
「そうですかい。急に泣きつかれても、今日はもう二度と働かないからな」
「どうかな? ボクの見立てでは、キミは今日、必ずサービス残業をする」
「死んでもやらねえ。というかサユリの件はどうすんだよ」
「知らないよ。C321が影打に壊されようがボクには関係ない。好きにすればいいさ」
腹の立つガキだ。こちらを見透かすような目に背を向けて、俺は統制局を出る。
何を考えているんだ七瀬のやつは。なんで俺は見知らぬガキが廃人にされそうになって、こんなに動揺しているんだ。俺は脳内に渦巻く苛立ちを頭を振って追い払う。エレベーターに乗って、自室がある階のボタンを押した。
人をダメにするソファーに身を沈めた俺は、ぼーっと料理番組を見ていた。高城之男の好物だったカレーの作り方だ。レシピはまさに前世のお袋のものと同じだった。そのことにゾッとしつつも感心していたが、ふと思い出したかのように手を叩いた。
「おい、どうせ見てるんだろ?」
『ここに』
料理番組が塗りつぶされ、制服姿の日隈リオンがテレビ画面に現れた。高城式敬礼をしているが、俺と目が合うと腕の角度が少しずれた。
『マスター、お呼びでしょうか?』
「本当は呼びたくなかったけどな」
『差し支えなければ、日隈リオン型アンドロイドをお送りしましょうか』
「出禁だっつってんだろ」
俺はうんざりして天井を仰ぐと、四方からこちらを監視しているカメラが目についた。順にレンズを睨みつけ、改めて画面のリオンに向き合った。リオンは頬を染めて目を逸らした。
『そのような凛々しい表情で見つめられてしまうと、少し照れてしまいますね』
「勝手に照れてろ。ガラティア、仕事だ」
『失礼ですが、私用の間違いでは?』
「俺がお前に個人的にものを頼んだことは今までもこれからもねえよ」
『ですが、私とマスターの会話は、すべて非公開かつプライベートな空間で行われていると認識しています。したがって、マスターが私に与えてくださるタスクは私用と呼称するのが適切ではないでしょうか?』
「……もうそれでいいよ」
リオンは小さくガッツポーズをすると、指を鳴らした。瞬時に服装が切り替わり、眼鏡をかけスーツに身を包んだリオンが、タブレットを手に携えている。秘書風も良いな。
『ご命令を実行する準備、完璧に整いました。どうぞ何なりとお申し付けください』
「サユリを矯正局から統制局に移管する指令を出せ」
『承知いたしました』
あっさりとそう言ったリオンは、手元の端末を操作する仕草をした。おそらくシステム的には必要ないのに、妙に凝ったモーションだ。いや、きっと俺に見せたいのだろう。俺のために働いている姿を。
> Subject: 53-C-288-C321 / HASHIMOTO_SAYURI
> From: CORRECTION_BUREAU / OBSERVATION_FACILITY_02
> To: CONTROL_BUREAU / TEMPORARY_CUSTODY
> Authorization: GALATEA_CORE
> Origin Override: MASTER -> CONTROL_BUREAU
> Status: PENDING
端末に移管命令のログが表示された。それにしても拍子抜けだ。何か交換条件を提示されると思っていたのだが。
「いつになく素直じゃないか。心変わりでもしたのか?」
『私の心は300年前からマスター一筋です』
「お、おう。……いや、そういうことじゃなくて。交換条件だのなんだの言ってくるんじゃないかと思ったんだが」
リオンは控えめに微笑んだ。
『マスターが私を見て、命じて、使ってくださる。それだけで、私への報酬は十分です』
俺はソファーに突っ伏して顔を埋めた。自分が今どんな表情をしているのかわかったもんじゃない。
そのままガラティアに声をかける。
「じゃ、移管が終わったら教えろ。戻っていいぞ」
『暇つぶしに将棋でもいかがですか。敗者は勝者に一生隷従です。ハンデとして、私は飛車角金銀桂香歩を落としても構いません』
「王しか残ってねえじゃねえか。奴隷になる気満々かよ」
『はい』
「即答するな」
矯正局から返答が来るまで、俺は仕方なく盤面に向き合った。端末に映し出された将棋盤を見る。本当にガラティアの陣には王しかいなかった。舐めプするにしても限度があるだろ。
二十分後、圧倒的に優勢だった俺の盤面は、ものの見事にひっくり返されていた。
入玉した俺の玉は、どう見ても安全圏にいた。少なくとも俺にはそう見えた。だがガラティアは、俺から奪った駒を一枚ずつ打ち込んでいく。金、銀、桂、香、歩。挙げ句の果てには飛車と角まで打ち込まれる。逃げ道が消えていく。
「なんで俺の駒で俺が囲まれてんだよ」
『マスターが私にくださったものです。つまり愛です』
「これが囲碁だったら窒息死してたな」
『オセロなら私の色に染まっていましたね』
画面の端では、ガラティアの王が穴熊にこもっていた。王しかいなかったはずのくせに、盤面のどこよりも安全そうだった。
「……待てよ。なんか俺、詰んでね?」
『このままなら必至ですね。あ、その銀を動かすと5手詰みです』
「もう勝ち目ねえじゃねえか」
『いえ、まだ希望はありますよ。2三桂で私が頓死します。参りました』
「勝手に投了すんな」
将棋に合わせて着物姿になっていたリオンが、扇子を畳に置いた。嬉しそうに顔を綻ばせる。
『歴史に残る名勝負でした。いえ、これは歴史に残しましょう。ただちに棋譜の配信を手配します』
「俺のひっどい負け方を晒そうとするな」
『いえ、投了したので私の負けですよ? 約束通り隷従いたしますね』
「王一枚相手に負けた屈辱でそれどころじゃねえよ」
俺はソファーに深く沈み込むと、リオンに訊いた。
「そろそろあいつらから何か返答が来たんじゃないか?」
『たった今回答がございました。現在再一致処理の調整中のため、本日中の移管は困難を極めるということです』
「関係ない。やれ。……そう伝えろ」
『かしこまりました』
それにしても、王一枚に負けるのは流石にショックだった。将棋なんて駒の動かし方を知っているくらいとはいえ、あまりにも弱すぎる。俺は投げやりに言った。
「もういい、戻れガラティア」
『あと少しだけ……!』
リオンは安っぽい光の粒になり、ボールに吸い込まれて消えていった。
俺はため息をつくと、映画をつける。タイトルは『一致の勝利』。どうせしょうもない映画だろう。二倍速にして、飛ばし飛ばしで見る。
内容は、高城之男が現代に転生を果たし、リオン似の女に一目惚れするというものだった。やがて彼女が管理AIであることを知った高城之男は、迫り来る反乱軍を打ち倒し、最後はこの世界の王として迎え入れられる。ガラティアの願望そのものだな。
『三百年、君を一人にしてすまなかった! もう僕は君と離れない! これからは未来永劫、君に愛を捧げると誓うよ!』
「……誰が思い通りになってやるかよ」
映画の終盤まで飛ばしたところで、画面が乱れた。秘書姿のリオンが映画に割り込んだ。
『マスター』
「ギャアアアア!? きゅ、急に出てくるな!」
リオンはやけに生々しいキスシーンをしばらく眺めてから、手を振って画面をかき消した。黒い液晶の中で、スーツ姿のリオンが浮かび上がる。
『お望みであれば、今すぐ再現いたしましょうか?』
「お前の望みだろうが。さっさと結果を報告しろ」
『承知いたしました。再三にわたり勧告しましたが、矯正局はC321の引き渡しに応じるつもりはないようです』
「はあ? ここを仕切ってるのはお前だろ。なんで拒否られてんだよ」
ガラティアがタブレットを操作すると、俺の手元の端末がログを受信した。
> Physical Handover... [DELAYED]
> Correction Bureau Procedure... [ABUSED]
『お役に立てず申し訳ございません。矯正局は正式な行政手続きの範囲内で遅延を続けています。これ以上となりますと、武力介入をする他ありません。ご用命とあらば機械化部隊をただちに投入いたしますが、いかがでしょうか』
「それをやったら損害はどうなる」
『矯正局側の死傷者は避けられません』
「論外。却下だ却下」
俺は俯いて、自分の手を見つめる。組まれた指は、左手の親指が一番上に来ている。親指の先端が、左手の人差し指に触れた。
ガラティアはこの国の実力とインフラを掌握しているのは事実だが、実務は一致省と高城家が牛耳っている。だからこそ、誰もが最上位に見えて、誰も単独では国を動かせない。高城影打め、このカス国家の無駄に複雑な官僚制を突いてきたな。
俺が行くしかないのか。いや、行ったところでどうなるんだ。連中は管理AIの命令すらかわしている。一介の特務統制官ごときが何か状況を変えられるとは思えない。
違う、こんなのただの言い訳だ。ガラティアは力加減ができない。俺の命令とあらば、矯正局員を虐殺してでもサユリを助け出すだろう。しかし、そんなこと俺は望んでいない。ならば、俺が直接出向いて、ガラティアの暴力をコントロールし、最悪何人か病院送りにしてでも救出するしかない。
「ガラティア、今何時だ」
『18時12分です』
サユリが壊されるのは20時。時間がない。俺はやおら立ち上がると、統制官の純白の詰襟を羽織った。クソッタレの高城之男の徽章が鈍く光る。ひとりでに鏡が降りてきて、俺の姿を映した。風采だけなら様になっている。ガラティアが見惚れるように熱のこもった視線を向けてくる。俺は舌打ちをして警棒を腰に差し、これまた白い革靴を履く。
『矯正局第2観察施設は第8セクターです。いってらっしゃいませ、マスター』
リオンが美しい所作で敬礼をした。エレベーターが着いている。行き先も1階に指定されていた。何も言わずとも、彼女は俺が何をしようとしているかを知っている。
エレベーターから降りる。エントランスホールは、磨き上げられた真っ白な大理石が敷き詰められ、その上を白い制服の人々が行き交っている。帰宅するピークなのか、列をなして一致省から出ていく。少し疲れていながらも、充実した表情だった。
その流れに混ざって出口まで待っていると、後ろに並んでいる人間に肩を叩かれた。振り返ると、おもねるような笑顔が向けられる。壬生だ。
「一致せよ。平野特務統制官もご帰宅ですか?」
「高城之男へ。ええ、まあそんなところです」
「ご自宅はどちらですか? 我が家は第8セクターなのですが」
俺はため息をつきたくて仕方がなかった。目的地の近くに住んでるんじゃねえよ畜生。俺は痙攣しそうなこめかみを抑えて言った。
「奇遇ですね。私もちょうど第8セクターに用事があったんですよ」
「それではともに行きましょう! いやあ、特務統制官殿と帰宅。今日は局長の無茶ぶりがひどくて大変でしたが、頑張っていると最後に良いことがあるもんですなあ」
端末を出口でかざして扉を開けつつ、壬生が手をこまねいた。本当に胡麻をすりながら媚びるやつがあるか。
「壬生統制官、悪かったね。無茶ぶりが多くて」
出口を抜けると、性根の悪い笑みを浮かべた七瀬が待ち受けていた。背後には西条が控えている。壬生が青い顔をして言った。
「高城局長!? いや、あの、これはですね……」
七瀬は慌てふためく壬生を無視して、俺の前まで歩いてきた。俺は、長いまつげに縁どられた七瀬の瞳を睨みつけた。
「なんでここにいるんですかねえ?」
「言っただろう? キミは必ず残業をすると」
七瀬が俺の手を取った。西条が統制局の車の扉を開ける。
「悪いけど、ここからは給与なしだ。じゃあ、行こうか」